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男爵は微笑う  作者: L→R
追想
31/48

追想◆4

 書類整理で脳みそだけが忙しなく働いた午前中だった。

 三笠は昼頃戻り、高遠はその直後に帰ってきた。渡部と日下部に指示した佳澄に関する調査は、案外短時間で、予想以上の情報が集められて報告された。

 大まかに纏められプリントアウトされた報告に目を通しているとき、高遠が三笠に療養所への使いを頼み、三笠もすぐに出て行った。

 一通り目を通した書類を手に、了が高遠の席に歩み寄ると、高遠はにこりと笑って手を差し出してきた。

 凡そ、了が何をしているか見越して動いているようだ。了も何も言わずに書類を渡した。

 速読でもやっていたのかと思うほどに手早く、約一〇枚の書類に目を通した高遠が、了を見上げた。

「いいね。」

「はい。」

 報告書には佳澄の生い立ちから今までの事細かな、はっきり言ってそこまでは要らなかったと言ってしまいそうになるほど細かな情報が記載されていたが、評価すべきところはそこではなく、携帯端末の入手経路が工場出荷時から調べ上げられていた事である。

 渡部と日下部の機転によるものであるが、欲しいと思っていた情報がすんなりと手に入った事で、高遠も了も聊か気持ちが高ぶったのは確かだ。

「いいねぇ…。」

 感慨深げにもう一度、溜め息を吐きながら呟く高遠に、了が頷いて言った。

「調べる人物に若干難がありますが、これで繋げられましたから…。十分な結果です。」

「うん。」

「でも…。」

「うん?」

 頷き返す高遠に、了が詰め寄る。

「本部長、これ見越してたでしょ?」

「いやぁ、さすがにこれは意外だったよ。」

「誤魔化してませんか。朝だって…。」

 言いかけた了の言葉に言わんとした事を悟った高遠が、目を輝かせた。

「ああ、アレ! どう、巧く行った?」

 結果は知らないらしい。了が簡潔に説明すると、高遠が珍しく大笑いをした。あまりに珍しいので、ロフトの渡部と日下部が覗き見て来たほどだ。

「いやぁ、そこまで巧く行っちゃうと、怖いなぁ。」

 笑いながら言うが、結構本気のようだ。了自身、面白いとは思ったが、これで困った事にもなった。何故なら…。

「何考えてるか、解らなくなりましたね。」

 そうなのだ。

「知能レベルが計測不能になっちゃったね。本当に気持ちだけで動いていそうだなぁ。」

 悠長に言うが、了も同意するところだった。

 黒崎も言っていたが、感情でしか動いていないのだろう。

「困ったね。彼女を外す訳に行かないし。何を企んでいるのかなぁ…。」

 漏洩被疑者、言わずもがな、それは三笠だ。

 今朝の一件で、高遠や了の窺い知れぬところで動いている事が確実となった。

 恐らく、先日『療養所に何故か居た』という件も、独自に動いている証拠だ。ユリに例のイヤリングを渡したのも、了の留守中にマンションを訪れたのも、きっとそれに関連する事だ。

 ただ、何を目的とした行動かは、不明な点が多い。

「泳がせておく?」

「まだ、大丈夫かと…。」

「じゃあそうしよう。」

 無用な刺激をして、完全に予測不能な行動を取られても困る。調べなければならない事が積み重なりすぎている今、正直なところ手一杯であるのも確かだった。

「で、秋山佳澄だね。」

「はい。」

「意外っちゃ、意外な人物と繋がってたなぁ…。」

「そうですね。」

「エランと付き合ってた…というのも、嘘と見るか。」

 そもそも、先の裁判でエランが主張していた通り、偶然出会ったというのは本当のようだった。これは、当時一緒にいた佳澄の友人から証言が取れている。友人はシリングや大鳥とは何の接点もない極めて普通な一般人で、偽証をする理由は見出せなかった。偶然と見せかけたのならば畏れ入るが、この点については疑う余地はないと言うのが調査室の見解である。

「どうなんでしょうね。この点については、両者とも『相手は恋人』という証言は一致していますからね…。」

「口裏を合わせるような仲なら、そもそも裁判なんて起こさない…とは思いたいけど。」

 後ろに見え隠れする組織や国が、それを許さない。

「取り敢えずは、一致している証言は総て真実として捜査を進めるしかないですね。」

 渋々と言った口調で言う了に、高遠も渋々頷く。

彼女(・・)に関しても、難しそうだね。」

 高遠が頬杖を突いた。

 渡部と日下部によって浮上した人物は、元々ちらほらと名前が挙がっていた人物だった。

 個人情報を探ろうにも、出生や勤め先からして一筋縄ではいかないのは明確で、秘密裏に動くとしても、漏洩事件に絡んで調査室の動きはそれなりに外に漏れてしまっているから、どこまで極秘に動けるかは探り探りになる。

 佳澄のように表沙汰になっている事件の関係者ならばどうとでも理由はつけられるし、捜査も粗方正当化出来るのだが、彼女の場合はそうは行きそうもなかった。

 彼女自身は、目立って何事も問題を起こしていないのだ。

 捜査をする理由がない。

 否、偶然か必然か調査室が手に入れている彼女に関する情報から、突っ込むべきところはあるのであるが、漏洩事件に絡んでは、高遠も了も少し及び腰ではあった。何より秘密裏に動いている事は絶対にバレてはならなかった。幾ら野外がいると言っても、その状況に胡坐を掻いて捜査が杜撰になるのでは元も子もない。巧く立ち回れるのが一番だ。

「加藤真美子…か…。

 登場当初はここまで面倒な人物だと思わなかったけれどね…。」

 そう。佳澄に改造端末を手渡した人物は、マミコだった。

 一見意外なようだが、マミコの勤務先、及び佳澄の経歴からするに、接点があってもなんら不思議ではない。

「…直接聞きますか…。」

 漏洩事件は”男爵”と接した事がある者を対象にしているらしい襲撃事件に関連性があると思われる。ユリの捜査に託けて、友人から聞き込みを行う事は不自然な事ではない。

「聞く内容が内容だけに、ユリちゃんにでも連絡されたら事じゃない?」

「……。」

 ユリはマミコの仕事を知らない。あの裁判以来会っていないようだし、マミコは海外だから連絡も取り合ってはいないだろう。例え一部でも一連の事件とマミコが関連していると知れば、ショックであろう。況してや、先日両親の事を話したばかりだ。了とて、ユリの耳に入らないように捜査が出来ればそれに越した事はなかった。

 だが、それも今更だ。

「ユリに気を取られて捜査に支障が出るのでは、意味がありませんよね。」

 三笠の件もそうだが、ユリが傷付く事を恐れていては、この事件は扱えるものではなかった。高遠だって、だからこそああ言った筈だ。

 了の一言に、高遠が微笑んだ。

「よろしい。」

 あとはマミコの帰国を待つのみだが…。

 そう思ったところで、ロフトにいた渡部が手摺から身を乗り出して叫んだ。

「加藤真美子、バンクーバーから成田への直行便に搭乗した模様です。到着予定時刻は二一時五八分。」

 願ってもいない帰国だった。

 渡部の声を受け、高遠の顔付きが変わった。

「帰国直後の加藤真美子を空港にて抑える。礼状はなし。飽く迄任意同行。拒否された場合は、直ちに退く事。」

「了解しました。」

 了が背筋を伸ばす。

 今の時間帯なら、調査室から成田までは車でも二時間かからないだろう。

 空港に向かう前に、会って置きたい人物がいる。今なら聞いた総ての話の辻褄が合う気がしていた。

「時間まで、地下にいます。」

 エランに会わなくては。


◆ ◆ ◆


 検事と被疑者の面会は、弁護士とのそれより遥かに手早く手続きが通る。

 立地の所為もあるのだろうが、どちらかと言うと『立場による信用度』が影響しているのではないかとふと思う。特に、検察庁舎の地下にある留置室に留置されている被疑者ならば尚更に早い。ここは、再審日が決まった被疑者や、任意同行の取調べで自白、ないし被疑者と判断された容疑者が一時的に留置される場所で、庁舎の地下四階に二〇室ほどある。同フロアには取調室もあり、留置被疑者や容疑者の担当検事ならば、手続きさえすれば基本的にはいつでも使用出来る。

「三日ぶりですね。」

 部屋に入るなり、声をかけられた。目を向けると、エラン・オドワルドが了を見て微笑んでいた。

 来慣れてしまった取調室は狭く、薄暗い。中央に小さな机と二脚の椅子が向かい合って置いてある以外、何もなく、壁はコンクリート剥き出しのままで、換気空調以外入れていないにも拘らず、真夏だというのにひんやりと寒い。

「野暮用があってね…。」

 了が言うと、エランは「わかっています」とでも言うように静かに頷いた。

「何でもお答えしますよ。」

 何度目か、エランと対峙する度に思った事であったが、彼は人の心を読む。超能力者、などと言うつもりはないのだが、こちらの胸の内をよく言い当てる。

 勘が鋭いのか、表情を汲むのが巧いのかは定かではないが、見透かされている気がして、腹の探り合いなど到底無意味に思えてくる。

 だからそのうち、本音しか言わなくなった。聞きたい事も、単刀直入に聞く事にした。

 何故か協力的なエランは、何でも話してくれた。

 恐らく、その総てが『真実』であろう。

 今日も、真実を語ってくれると信じてやって来た。

 理由は外でもない。マミコとの事だ。

 了は穏やかに笑みを浮かべるエランの向かいの席に腰を下ろすと、暫しエランを見つめた。どう切り出したらいいのか、何から話し始めたものか、迷った。要らぬ事は伝えたくない。例え見透かしていても、だ。どの程度の情報を出せば、どの程度の情報を返してくれるのか。悩みどころだった。

 エランはその間…、時間にして凡そ三分弱の間、たじろぎもしなければ表情を一切変えず、了を見つめ返していた。

 やがて、小さな溜め息とともに、了が切り出す。

「あなたが日本に来る少し前、あなたがシリング国内でとある日本人女性と数度会っていたという目撃証言がある。」

「ほう。」

「この目撃証言は、シリング司法警察からICPOの捜査官経由で俺の元へ来た情報だ。」

「ほう。」

「この日本人女性について、そして、この女性から受け取った物について、話を聞きたい。」

「…。」

 了が言い終わるなり、エランは笑みを口端に湛えたまま俯いた。その姿は、初めて見る姿だ。何か、言えぬ事情があるのだろうか。

 だが了の推測とは裏腹に、エランは了に視線を戻すと、表情ひとつ変えず答えた。

「それ、私じゃないですよ。」

 了がぴくりと眉間に皺を寄せた。嘘か本当か…。

 了の内心を伺っているのか、エランがほんの少し笑みを大きくした。

「蕪木さんが探している人ですよ。」

「…!」

 了が静かに息を飲んだ。

 探している人…。

 了が探している人間など、この世に一人しかいない。

「…エル…シ…。」

「はい。」

 確認するように呟く了に、エランは笑顔で頷いた。そして、ただ呆然と、信じられぬと言う表情で驚く了に、「蕪木さん。」と呼びかける。

「私の顔をよく覚えておいてください。

 私の瞳の色、オッドアイの方向も…。

 この総てが、エルシに繋がる情報になります。」

「どういう…事だ…。」

 声を搾り出すように尋ねると、エランは一瞬邪悪な顔をし、目を細めた。

「私と、エルシ。

 持っている姿は同じです。

 肌の色、髪の色、瞳の色…。」

 ぱっと思い浮かんだ言葉は、『一卵性双生児』だ。

「当たりです。」

 何も言わないのに、エランはにこりと笑った。やはり、心を読めるのではないだろうか…。

「でも、記録には…。」

 バークレイに子供は二人。エルシとクレアだけの筈だ。だが、記録に残っていないだけなのだとしたら。あの国なら、有り得ない話ではない気がした。

 しかし、なぜ…?

「大人の事情ってやつです。実は、それを知っている日本人がいたんですよ。もう亡くなってしまったらしいですけれど。

 まぁ、今はこんな話、どうでもいいですね。

 とにかく、その日本人女性と会っていたのは、私ではないです。」

 エランは断言した。

 了には、嘘には思えなかった。例え、いつか吐く嘘のために今まで正直を貫いて来たのだとしてもその嘘は今ではない、そう思えた。

 了は座りながら、文字通り腰を抜かしていた。

 ここに来て…、こんなに事態が複雑化した今になって、この情報である。一体どれだけの秘密が、この事件から姿を現すというのだ…。


◆ ◆ ◆


 やっと気を取り直し、取調室を出た了に、丸で追い討ちをかけるかのように凶報が告げられたのは、午後二時を少し過ぎた頃だった。

 それは、菅野死亡という報せだった。

 襲撃事件から丸三週間。結局意識は回復しないまま、息を引き取ったらしい。

 死因は脳挫傷と脳幹出血。思いの外広範囲に渡って脳が損傷を受けていたらしかった。担当医の話では、三週間も生きていた事が驚きだと言う。

 高遠より報告を受けた了は、絶句したまま動かなかった。眉間には、深い深い皺が刻まれている。

 菅野の死亡により、エルシの件は全容解明は不可能になってしまった。エルシ本人すら知らぬ事が、多すぎた。

 高遠は、どう言葉をかけてよいかわからない様子で了を見守った。高遠とて、事件を了よりずっと前から追っていたのだ。ショックでない訳がない。だが、高遠の事件への思いと、了の事件への思いは、聊か種類が違う。

「……。」

 やっと思考が戻って来たのか、了が唇を噛み締めて俯いた。デスクの陰になり見えないが、腕の硬直具合からきつく拳が握られているのは明らかで、眉間の皺はより深くなっていた。

 やがて、 了の胸が大きく膨らみ、萎んだ。そして肩でもう一度深呼吸をすると、高遠を見据えた。

「…病院へは、明日向かいます。」

「うん。今日は、竜ちゃんに行っておいて貰うから。加藤真美子を優先して頂戴。」

「はい。で、その加藤真美子なんですが…。」

「うん?」

 いくらか声を出した事で落ち着いたのか、了の口調が元に戻った。

「ICPOの捜査官から来た報告、加藤真美子が接触していた人物は、エランではないと言っています。」

「どういう事…?」

 高遠が首を傾げたが、いつもわざとらしいと思うのだ。これも、知っていた事ではないのか…?

 勿論、高遠を疑うなどと言う事はしないが、どこからどこまで知った上で指示を出されているのか、疑問ではあるのだ。

 そんな事を思いながら、エランから聞いた話を告げる。

「エランは、シリングで加藤真美子と接触していたのは、エルシだと言っています。」

「捜査官が勘違いをしたと?」

「いえ、恐らく、見間違いかと思います。

 エランとエルシは、一卵性双生児だと言っています。」

 その言葉に、了と同じように高遠も暫し呆然としていた。が、案外と早く自我を取り戻した高遠は、顎を撫でながら「虚言という事…はなさそうかな。」と一人納得した。

「たぶん。」

 『多分』で証言を鵜呑みにしては問題があるのではあるが、了も高遠も、エランに対する一種の信用は、それなりに厚いものだった。

 この期に及んで嘘を吐く理由がないのだった。マミコと接触していたのがエルシでも、エランにメリットはない。つまり、嘘を吐いたところでエランの立場が好転する事はない。捜査を撹乱するのが目的としても、同じ事が言えた。当て付けか、マミコへの嫌がらせでもない限り、エランが嘘を吐く理由にならない。

「その辺の事、ちゃんと答えられるかしらね、加藤真美子ちゃんは?」

「…わかりませんが…。」

 正直、マミコの人となりについては知る由もない。一度会った限りではそれほど悪い印象は持たなかったが、果たしてその印象通りなのか…。

「聞くしかありませんね。」

 高遠も了も、納得しながらも深い溜め息を吐いた。

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