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男爵は微笑う  作者: L→R
再会
3/48

再会◆2

 この辺りは、高層ビルは多いが日陰が少ない。

 おまけに今日は晴天。気温も湿度も高く、灼熱地獄だった。

「あっつい…。」

「まったく、誰がこんなに暑くしていいって言ったのかしらね…。」

 ぐずぐずと文句を言いながら、ユリとマミコは東京駅を目指していた。

 拭いても拭いても吹き出てくる汗は、面倒なのでそのまま流しておく事にした。

 裁判所から出て暫く歩くと、少し大きめの交差点に出る。真っ直ぐ行けば東京駅、右に曲がると検察庁だ。

 ふと右を見ると、先程出て行ったばかりの了と三笠の後姿を見付けた。了は流石の暑さにジャケットを脱ぎ、脇に抱えている。

「ねえ、カブラギさんって言ったっけ、あの検事さん。」

 マミコがユリを覗き込んだ。

「うん。そう。”カブラギ トオル”。」

「年齢は?」

「え? …うんと…。」

 そういえば、結局きちんとした年齢は聞かなかった気がする。

「多分、八つか九つくらい違うはずよ。七年前に警察官になって、その前に大学院に行ってるって言ってたから、普通に計算すると、今三三歳くらい…?」

「三三歳かぁ…。」

「…なんで?」

「え? だってー。カブラギって、そうある名前じゃないじゃない?

 って事は、法務大臣の蕪木一穂と親類か何かでしょ?

 あの一族は法曹界じゃ幅広く活躍してるらしいし、うまく行けば、玉の輿でしょ。」

「…は?」

「だからぁ。

 狙わないの?」

 ユリの理解力の乏しさ、というよりも、無欲な反応に、マミコが単刀直入に言う。

「何言ってんのよ!」

 ユリが叱った。

 そういうのでは、ない。

「そういうんじゃないわよ。ただの知り合い! 家の事だって全く知らないんだから!」

「うそだー。

 あの人、三笠とか言ったっけ、あの女の人とユリの態度、全然違ったもん。」

「何見てたのよ。おんなじだったでしょ。」

「まったくー。

 ユリは鈍感すぎるわよ。」

 マミコは了とユリが知り合った経緯を知らない。ユリの両親の事故の事は知っているが、この件に了が関わっている事も、当然だが、知らない。

「そりゃ、同僚と他人じゃ態度も変えるわよ…。」

「む…。そうかなぁ…。」

「そうよ。下らない事言ってないの。」

「もー。」

 マミコが膨れた。

 了が未だにユリに肩入れしている事は、あのロケットが証明したようなものだ。

 ユリも理解をしていないわけではない。が、そこにあるのは明らかに、愛だの恋だのというものではないと思う。

 同情に近い、と思っている。

 だが、親身になってくれている事には変わりなく、特別ネガティブな印象は持たない。寧ろ有り難く、了の関与を受け入れた。

 だから、ユリにとっても大事な人ではあるが、やはりそういう感情は絡まない。

 ぼんやり考え事をしつつ、マミコと下らない話をしつつ、気付けば東京駅に着いていた。遠いようで、近い。

 昼過ぎという時間故、お目当ての店はそれなりに混み合っていたが、二組ほど待てば席が空くと言うので待つ事にした。

 待合用の椅子に座り、一息吐く。暑さのためかすっかり疲れていて、マミコも無言だ。ふと横に座っているサラリーマンを見る。手に持っている新聞の見出しが気になったのだ。

『中東シリング王国 王政崩壊寸前か』

 あれから三カ月。事件直後に了から聞いた話に因れば、”男爵”の目的は王妃である自分の母の死の真相を探り、その遺品を収拾する事だった。そして事件から派生したかのように、あれからシリング王家の信用も大きく崩れ、国内は小さなデモや紛争が絶えないと言う。

 時期が時期だけに、関連性を疑ってしまう。もし懸念する通り、自分が関わっていた盗難未遂事件の延長上に、一国の崩壊が繋がっているのならば、とてつもない罪悪感を感じる。

 国内での報道では、シリング王国の崩壊は反君主派によるデモが発端とされていた。続く国内治安の悪さや、格差に対する鬱憤が溢れたのだと言う解説を多く聞いた。そして、シリング王国のニュースに”紅い泪”が取り上げられた事も殆どなかった。

 本当に関係がないならば、それに越した事はない。ただ、単純に関連付けていないだけなのか、どこかで情報制限がかかっているのかは判らない。

 一方で民間企業が力を付け始め、国内では昨年に発見された油田の開発も軌道に乗り、国としては今、大きく成長する時期にある。

「…ユリ聞いてる?」

「えっ?」

 突然マミコが耳元で声をかけたので、ユリが飛び上がった。

「あ、ごめん。ぼうっとしてた。」

「もー。さっきすっごいカッコイイ人いたのにー。」

 むくれるマミコに、ユリが呆れた。

「マミコ、そんなんばっかね…。」

「いいじゃなーい。うら若き乙女よ私は!」

「乙女が肉か。」

「いいじゃない、肉! 肉も必要よ!」

 拳を作って堂々力説するマミコに、ユリが笑った。マミコに、様子がおかしいのを悟られていたのだろう。彼女は妙に、人の心を読むのが巧いのだ。

 ケラケラと二人で笑っていると、目の前で二人の人陰が「あ」と言って立ち止まった。

 マミコと同時に見上げると、また了がいた。ジャケットは置いてきたのだろうが、変わらずスーツ姿の了は後ろに、今度は三笠ではない、若い男性を連れていた。

「…。」

「…。」

 ユリと了は複雑な表情を浮かべてお互いを見た。

 マミコと、了の同伴の男性は、きょとんとしている。

「なんでこう…。」

 了が呆れて溜め息混じりに言うと、ユリがばっと表情を変えて突っかかった。

「あ、何か文句言うつもりね。罰として奢って貰うわよ。」

「何の罰だ。」

「私に文句を言う罰よ!」

「お前は何様だ。」

「お待ちの芳生様ー。」

 言い争っていると、店の店員がユリとマミコを見ながら呼んだ。

 すると、何かを思いついたマミコがユリと了の間に割り込み、了を見上げて「お昼ですか?」と訊ねた。

「…ええ…。」

 いきなりの問いに、了が少し身を引くと、マミコはにやりと笑って店員に向かい、

「あの、四人になっちゃったんですけど。」

 と言った。

 店員はにこりと笑ったまま、「大丈夫ですよ。四名様でよろしいですか?」と言った。

「はい。さ、行きましょ。カブラギさんたちも!」

 マミコはそう言って、さっさと店に入ってしまった。

 ユリと了は呆然とマミコを見、その後ろで、事態を把握した同伴男性は腹を抱えて笑った。

 致し方なく店に入る。マミコは既に席についていた。気を遣ったのか、下座に座ってこちらを振り返り、手を振っている。

 ユリが奥の席を指差し「そっちでいいよ」と言うと、「いいのいいの」と言ってユリを隣に座らせた。

 続いてやはり仕方なく着いて来た了と男性は、了がユリの前、男性がマミコの前に座った。

 男性は座るなり、「蕪木さんの負けですね」と言った。この言葉で、ユリとマミコは了と男性の上下関係を悟った。

「あ、私、ユリの友人の加藤真美子です。初めまして。」

 マミコがしをらしく挨拶をすると、男性が人懐こい笑顔を浮かべて身を乗り出した。

「初めまして。ボク、渡部(わたなべ)隆平(りゅうへい)と言います。こっちは上司の蕪木了です。」

「よろしくお願いしますね。

 渡部さんも、蕪木さんと同じ…、検事、さんなんですか?」

 マミコが”検事”だけを小さな声で言った。

 検事や裁判官などは、良く、外部者との接触を好まないと聞くからだ。

「ええ。ボクは補佐ですけど。

 しかし、”ユリちゃん”ときちんと会えるとは思わなかったなぁ。」

 渡部はそう言って、ユリを見た。

 了と睨み合っていたユリは、「え?」と驚いて渡部を見る。

「いや、だってカブ…。」

「渡部。」

 何か話そうとした隆平の声を、了が遮った。了は渡部をちらりと睨み、腕組をしている。

「余計な事は言わなくていい。」

「えー、気になりますよ!」

「そうでしょうとも! 蕪木さんはほんと照れ屋なんだから!」

 どうやらマミコと渡部はノリが同じな様で、口止めした了に二人で食ってかかった。

 了も、渡部だけなら未だしも、マミコもとあっては強く出られず、たじろぐ。

 そこへ、店員がオーダーを取りに来た。

「ご注文はお決まりですか?」

 正直、誰もメニューを見ていなかった。が、了と渡部は手馴れた様子でさっさとランチを注文してしまう。ユリとマミコは顔を見合わせ、食べる予定のものはどれだっけと言いながら何とか注文を終えた。

 忘れていたが、ここへはきちんと目当てを持って来たのだった。

 店員が戻ると、メニューを片付けながら、

「で、蕪木さんが何なんですか?」

 と、マミコが調子を戻して隆平を見る。

「そうそう。

 蕪木さんが一日一回は必ず”ユリちゃん”の名前を…。」

「渡部!」

「いいじゃないですかー。」

 さらに止めた了に、渡部が眉を顰めた。ここぞとばかりに弄っている様子だ。

「あ、三笠さんには言いませんよ。怒られちゃいますから。」

 渡部が何の衒いもなく言った言葉に、ユリがちらりと反応した。

 三笠。

 出会ったばかりなのに、何故か異様に気になった。

「三笠さんって、さっき蕪木さんと一緒にいた女の人ですよね?

 あの人綺麗ですね。蕪木さんの秘書さんなんでしょう?」

 マミコが言うと、渡部が頷いた。

「そうですよ。

 三笠さんは蕪木さんの幼馴染で、蕪木さんを追って司法試験を現役合格したような人なんですよ。」

「幼馴染…。」

「蕪木さんの事なら何でも知ってると言ってもいいくらいですね。

 蕪木さんが何も言わなくても、三笠さんには解りますから。」

「へぇ…。オトナの恋愛って感じですねぇ。」

 マミコが適当に頷く。ユリへの傾倒を期待していただけに、少し腹が立ったのもあった。

「…恋愛なんすかね? 蕪木さんは三笠さんに興味ないっぽいですけど。

 ね、蕪木さん?」

「うるさいよ…。」

 呆れる了に、渡部が頬杖を突いて説教を始める。

「駄目ですよ蕪木さん。若い女の子はこういう話大好きなんだから。

 そんな事だからおじさんとか言われちゃうんですよ。」

 最近おじさんと呼ばれる事があったらしい。

「おじさんなんですか?」

 マミコが笑いながら訊ねると、了が苦笑した。

「おじさんだね。キミらに比べれば。」

「おいくつなんですか?」

「三三。」

「三三歳じゃおじさんじゃないですよ。ねぇ、ユリ?」

「ん? ああ、うん。ね。」

 不意に同意を求められ、ユリが適当に返事を返した。三人の話を殆ど聞いていなかったユリは、ぼうっとしたまま口に水を含んだ。

 水は冷たくて、体中を冷やしながら胃へ流れ込んでいった。

 暑さのせいでぼうっとしていたのか、自分でも判らなかったが、いくらか頭がはっきりとした。それを見て取ったのか、了がユリを見て言った。

「匠さんに、言われて来たのか?」

「ん?」

 一瞬きょとんとして、すぐに意味を理解した。

「ああ、うん、そう。どうしても行けって。

 理由を言わないからずっと拒否してたんだけど。」

 マミコが同意したから、というのは伏せた。了を弄るのに飽きたのか、マミコと渡部は二人で盛り上がっているようなので、そのままにして置きたかった。

「そうか。」

「何でかは、どうせ了も知ってるんでしょ?」

「…ああ。ここじゃ答えられないけどな。」

「”ここ”じゃ?」

「近々連絡するって言ったろ? その話があったんだ。」

 なるほど。と言う事は、匠にあの箱を渡す序でに、その話もしようと思っていたのだろう。先にユリが来たので、渡した。ただ、話については匠を交えなければならない、という事のようだ。

 いずれにしても、また自分が知らない間に何かに巻き込まれて、という事ではなさそうだ。

「そう。いずれ聞けるのね。ならいいわ。」

 ユリが納得すると、了は少しだけ神妙な顔をして、小さな声で呟いた。

「…それまで…。」

「ん?」

 了に顔を近づけて覗き込むと、了はユリをじっと見つめて、

「それまでは、気をつけてくれ。」

 と言った。

 何に?とユリが首を傾げると、そのタイミングで料理が運ばれてきた。

「お待たせ致しました。ランチのAとBでございます。」

 そう言って、店員が了と渡部の前に料理を置き、足早に去って行く。

「どうぞ、冷めない内に。」

 とマミコが促すが、二人は揃うまで待つと言って箸をつけなかった。が、ユリとマミコの分もすぐに来た。

「お待たせ致しました。ご注文は以上でお揃いでしょうか?」

「はい。」

 マミコが頷くと、店員は「ごゆっくり」と言って伝票を置き、去った。

「いただきます。」

「いただきまーす。」

 マミコと渡部が揃って挨拶をして、食事が始まった。

「お二人はよくここに来るんですか?」

「たまーに。あまりゆっくり食事の時間は取れないので、いつも各自バラバラに取ってるんですけどね。今日は蕪木さんとボクの予定が合ったので、ここまで来ました。

 普段は、職場の辺りで済ませてますよ。」

「へえ。じゃあ、帝都ホテルのロビーカフェとか。」

「ああ、そうですね。空いていれば。

 あそこは、ホラ、優雅な奥様の憩いの場なので、席が中々空かないんですよね。」

 そう言って渡部が笑った。

「お二人も、ここへは良く来るの?」

 渡部が逆に尋ねると、マミコが首を振った。

「とんでもない。こんな高いところ。

 普段は遊ぶ場所もこの辺りじゃなくて、都の端まで行っちゃうんです。その方が色々あるし、安いし。」

 「ね」とユリを見る。

「今日はこのお店に行こうって決めてここに来たんですよ。」

 腹に物を入れたからか、若干余裕の戻って来たユリが答えた。

「お店一気に増えたので、まだ周ってないところいっぱいあって。」

 東京駅は数年前から大改修を行っていて、レストランからアパレルショップ、土産売り場まで幅広く店が充実した。その割りに、それなりの金額を出さねばならない場所も多々あり、気軽に周るには少し敷居が高い。

 なので、マミコと相談し、何かしか理由をつけて少しずつ周る事にしたのだった。

 その後、ユリとマミコの新しい物探索の話でそれなりに盛り上がり、食事も終盤に差し掛かった辺りで、渡部が満足げに言った。

「やっぱり女の子だなー。流行り物とか新しい物とか好きなところ。」

 マミコがふふと笑う。

「三笠さんとは大分違うし。」

「そうなんですか?」

「三笠さんはもう、達観しちゃってるというか…。

 気に入ったものしか手にしない、みたいな安定期に入っちゃってますよね、蕪木さん。」

「ん?」

 一足早く食事を終え、コーヒーを啜っていた了に、隆平が同意を求めた。了はまるで興味なしという顔をして、「知らん」と答えた。食事を始めて、初めての会話だった。

「チームメイトの観察くらいしましょうよ、蕪木さん。」

 渡部が呆れて突っ込む。

「ボクだって蕪木さんの趣味くらい知ってますよ。」

「蕪木さんの趣味って、何ですか?」

 マミコが興味深々に問うと、了が素っ気無く「仕事だね」と答える。

「またまたぁ。

 ちゃんと趣味あるじゃないですか。

 蕪木さんはね、馬に乗るんですよ。」

「へぇ! カッコイイ! 乗馬するんですか!?」

 マミコの感嘆に答えない了の変わりに、渡部が自慢話をする。

「そうなんですよ。この人、馬の事となると夢中になるんです。ボクも初めて見た時、びっくりしましたもん。

 ちなみに、小笠原流の免許持ってるんですよ。」

「持ってないよ。なんだよ免許って…。」

「あれ? 免許制じゃないんですか?」

「違うよ。」

「小笠原流?」

「『弓術・馬術・礼法・軍陣故実』の流派ですよ。茶道にもありますよね。」

「あ、鎌倉とかでやってる『流鏑馬』の?」

「そそ。馬に乗って弓を射るやつですよ。」

「すごい、かっこいいじゃないですか! 自分の馬とか持ってるんですか?」

「持ってるんですか?」

 マミコの問いに渡部が乗っかった。無粋にぶっきら棒を通すと地雷を踏みそうだったので、了は仕方なしと答える。

「一応いるけど。厩舎に預けて、時間があれば乗りに行ってる。

 乗馬クラブを経営してる厩舎だから、馬が足りなくなったら、会員が乗ったりしてるみたいだけどね。滅多には乗らせないとは言ってたけど。」

「ええー! 馬持ってるなんて!

 乗馬と言えば、言う事聞かないと鞭で叩くんでしょう?」

「鞭は使うけど、大抵の馬は鞭を見せるだけで言う事聞くよ。

 馬は痛覚が鈍いから、叩いても痛みを感じる訳じゃないし、あれは気付け道具だから。言う事聞かせるためのものじゃなくて、だれてる馬に今から命令するって合図をするための道具。」

 「すごいすごい」とはしゃぐマミコの隣で、ユリは呆然とする。

 ただの生意気な検事ではなかった事に驚きだった。そんな特技を持っていたとは…。

「って事は、弓も?」

「一応は。」

「すごーい。生きてる世界が違う…。」

 マミコの言うとおりだった。

 あまりに違いすぎだ。

 その後、結局了の趣味の話を、半ば強引にマミコと渡部が穿り返し、気付けば店に二時間ほど居座っていた。

 了が合図に腕時計を見た。

「あ、ごめんなさい。

 お仕事中なんですよね。

 そろそろ出ましょうか。」

 そうマミコが言うと、四人は「そうですね」と同時に立ち上がった。

 入り口に近いマミコが真っ先にレジに向かい、ユリもマミコの後ろで会計に立ち会った。

「一三三〇〇円頂戴します。」

 と店員が金額を言い、マミコとユリが財布に指を入れた時、ユリの後ろから手が伸び、銀色のマネートレイに黒い色のカードがカランと音を立てて落ちた。

 マミコとユリが驚いて振り向くと、了が涼しい顔で店員を見ていた。

 店員も「カードお預かりいたします」とさらりと言い、会計を始めてしまう。

「払いますよ、自分たちの分…。」

 マミコが言うと、了は唇にそっと人差し指を当てて、

「いいよ。

 でも内緒ね。

 俺らは、誰かに奢るとか奢られるとか、思わぬところで揚げ足になっちゃうから。」

 読み取りの終わったカードを店員が差し出した。了はそれを財布に戻し、さっさと店を出た。

 レシートを受け取ってマミコとユリが追うと、一足先に店を出ていた隆平が、了ににんまりと笑って「ご馳走様でした」と言った。

「お前はあとで払え。」

 眉間に皺を寄せて言う了に、ユリが歩み寄る。マミコも申し訳なさそうにユリの後ろに立っていた。元はと言えば、マミコが誘った訳なので、後ろめたさは半端がない。

「それじゃ尚更、払わなきゃ駄目じゃないの…?」

「ん?」

「いけないんでしょ?」

「いけない訳じゃないよ。何かあった時に、ムカツク事言われるだけ。」

「でも…。」

 中々退かないマミコとユリに、隆平が笑ったまま、

「女の子は素直に奢られとくといいよ。」

 と言い、了も無言で頷いた。

 マミコとユリは暫し顔を見合わせた後、深々と頭を下げ、「ご馳走様でした」と礼を言った。

「どこか寄るのか?」

 頭を上げたユリに、了が問うた。

「うん。ちょっと買い物してく。」

「そうか。」

「じゃあ、ボクたちはここで。」

 渡部が片手を挙げた。

「はい、本当に有難うございました。」

 もう一度二人で頭を下げると、今度は了も少しだけ笑って、「じゃあな」と言い、渡部とともに立ち去った。

 二人を見送り、マミコとユリは同時に溜め息を吐いた。

 マミコは満足感から、ユリは緊張感からだった。溜め息の出所が違うので、溜め息を吐いてから立ち直るまでに誤差が出た。

 先に気分を切り替えたマミコがユリを見ると、ユリは真顔で、了の消えた方を見つめていた。

「いい人じゃない。」

「ん? うん。いい人だよ。」

 ユリは身動ぎもせず、答えた。いい人。優しい人。

 了を語る言葉なら、山程知っている。つい三か月前だって…と、浸ろうとしたユリの耳に、

「あと、いい匂いしたよ?」

 と言う少々その場、というかユリの内心にそぐわない言葉が聞こえた。

「は?」

 がっかりとして、眉を顰めてマミコを見ると、マミコがにやけた。

「いい匂いしたってば。」

「何言ってんのよ。」

「うんとね…。

 柑橘系とハニーと、ちょっとローズも入ってたかも。」

 それは…。

 ユリも知っている香りだ。

 そう言えば、事件後に聞いた話で、バークレイが付けていた香水と同じものを作ったと言っていた気がする。

「多分、香水使ってる、と思うよ。」

「お洒落さんなのね。

 あのスーツも、『atelier sub』の新作だもん。」

「……。」

 そんな観察をしていたのかと、ユリは呆れた。

「よくわかるわね…。」

「わかるわよー! 女の子だもん!」

 マミコが威張った。

「ユリちょっと老けた?」

 突然の言葉に、ユリがむっとした。

「え!?」

「老けたよ。食事の間に。」

 面と向かって言われると、腹が立つより段々不安になって来る。

 了と会った事で、少し気が滅入ったのは確かだ。

「マッサージいこっ!」

 そう言うと、マミコはユリを引っ張って、東京駅の駅ビルへ走り込んだ。

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