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男爵は微笑う  作者: L→R
面影
21/48

面影◆7

 〇時を過ぎて、仕事の都合で帰らねばならぬ覚と至、紗綾を見送り、了は携帯電話で調査室へ連絡を入れた。

 何度か呼び鈴が鳴ったあと、高遠が出た。

『はい、調査室。』

「蕪木です。」

『はぁい。お疲れ様。

 早速だけど、預かった青いあの箱の中身、黒崎クンに回しておいたから。』

「ありがとうございます。」

『よく返さずに持ってたね。しかも巧い事持ち続けていたよ。状態も良好。未だに使われている形跡があるようだから、黒崎クンも張り切って受けてくれたよ。』

「それは、よかった。」

 一穂から、先日預かり物をした。青いビロードの小箱で、中身を調べるよう言われた。

 進行中の事件に関わるものではないため、私的に調べなければならなかったが、頼める人物は限られた。そこで科学捜査研究所の黒崎という男に頼んで貰ったのだった。黒崎とは了の方が仲がいいのだが、手が離せない事情もあり、高遠に頼んだ。

『で、どう?』

「何とか、話は終わったみたいです。」

『そう。大臣には、お手数をおかけして申し訳なかったね。』

 そもそも、ユリに両親の話をしようと言うのは、高遠の提案だった。匠もカナエも知らぬオオトリ・ケミカルの話については、匠に洗い浚い話し、ユリに話すなら自分ではなく別の役者を立ててくれと言われ、当事者として名を連ねる一穂に頼む事になって、今に至る。

「いえ、いずれは、話さなければならなかったでしょうから…。」

『…そうだね…。

 ユリちゃんの様子は、どうかな?』

「特に変わった様子は…。

 ただ、まだ整理が付いてないだけだと思います。」

『そっか、そうだね…。

 強い子のようだから、心配はないと思うけど、何かあったら、頼んだよ。』

「はい。」

『追跡車の件は、だいぶ調べ終わったよ。

 ちょっと気になる事があったので、明日詳しく話すよ。

 それから、”例”の件、とーるちゃん独りで動いて貰わなきゃならなくなったから。

 どうやら、こちらで認識している以上の状況みたい。細かい事は、追々相談しましょ。』

「解りました。」

『今日は遅い。ボクもそろそろ上がるし、とーるちゃんも早く寝なさいな。』

「そうさせてもらいます。」

『じゃ、また明日。』

 そう言って、高遠が電話を切った。

 了は携帯電話を閉じ、ソファに横になった。稜が遊び散らした玩具が足元でがちゃと音を立てる。

 ユリに両親の事を話そうと言われた時、どうして良いのか解らなかったのが正直なところだった。

 知りたがっているようには見えないが、隠すべき事なのかと言うと違う気がした。

 ただ、自分がユリの立場なら、気に病むだろうと思った。

 躊躇いつつ、父にそれを任せた。

 父は当然という顔をし、「知るべきだろう」と言って二つ返事で引き受けてくれた。

 兄弟を集めたのは、これらの調査を行ったのが、一穂と兄たちだったからだ。

 まだ了が警察官になる前の出来事だったし、短時間で調べるには厄介な捜査相手だった。何より、その当事者と、捜査をした当人たちだ。情報整理は彼らに任せるのが適格だというのは、了でなくともそう判断するところだろう。

 了は高遠に大まかな話を聞き、父と兄たちから、細かな説明を受け直したという状態だった。

 思い出話をするように優しい声で話す父と兄たちをみていて、良くも悪くも”蕪木家”と言うものについて考えた。

 法曹界で大なり小なり影響力を持つ我が家は、頼もしくもあるが、極めて危険なもののようにも思える。

 小さな頃から、この”蕪木”の名は、重く肩に圧し掛かった。

 苦い記憶しかない家に頼るのは躊躇いもあるが、頼れる唯一の場所でもある。複雑な心境で、ユリをここへ連れて来た。

 結果はどうだったのだろう。

 正解だったのか…。

 答えが出るのは、もう少し先だ。

 ふとユリが気になった。稜も心配だし、部屋を少し覗く事にした。

 ユリと稜が眠っているのは了の自室だ。弥と駆は各自の自室で既に眠っている。了はユリと稜のいる自室の隣、覚の部屋を使う事になっていたが、何となく一階にいたかったので、先ほどの部屋のソファで寝る事に決めていた。

 自室の扉の前で、慎重にノックをする。廊下に響かぬよう、音を極力抑えてノックをするのは、とても難しい。

 返事がないのでノブをゆっくりと回し、少しずつ扉を開ける。

 規則正しい小さな寝息が聞える。

 廊下も部屋も明かりは付けていないが、窓から月光が指している分、廊下のほうが明るい。扉の隙間が開くたび、ベッドを月明かりが照らして行く。小さい山と大きな山が二つ、こんもりと見える。

 扉を半分ほど開け、体を滑り込ませる。

 扉は少しだけ開けっ放しにし、部屋の中が暗闇にならないようにして、ベッドに近付く。

 稜は珍しく暴力的なまでに悪い寝相が出ずに、すやすやと眠っていた。

 反対側のユリも覗く。マンションで既に見慣れた寝顔を見て、ふと笑みが毀れた。

 が、その瞬間、ユリの目元から、きらりと何かが落ちた。

 しゃがんでよく見ると、睫毛と鼻筋が少し濡れていた。

 これも、マンションで何度も見たのだった。

 朝起きて、顔を覗き込むと、睫毛が濡れていた。涙が流れた跡がくっきりと残っている事もあった。

 何か悪い夢でも見ているのだろうかと思ったが、問えなかった。

 了は床に腰を下ろし、ベッドの縁に凭れながら、そっと親指の腹でユリの目元の涙を拭った。

 と、ユリが、ゆっくりと目を開けた。

「…了…?」

 寝起きで声がしゃがれていた。

 そしてユリは目元の涙に気付き、「あれ」と呟きながら涙を拭った。

「嫌な夢でも見てたか…?」

「…わからない…。覚えてないの。

 でも、たまにあるの…。起きると、泣いてる…。」

「……。」

 まだ、心の傷は癒えていないのか。そんな気がした。

 明るく振舞っているが、どこか奥の方で、きっと哀しんでいるに違いない。

「ねえ、了…?」

「ん?」

「聞いてもいい?」

「…何を?」

「了は、後悔してないの…?」

「後悔?」

「うん。

 本当は、検事じゃなくて、他の仕事に就きたかったんじゃないの?

 私ね、了のお父さんに、うちのお母さんとお父さんの話聞いて、心配になったの。あの事件に巻き込まれて、仕方なく検事になったんじゃないかって…。

 だとしたら、うちの両親が了の人生壊しちゃったんじゃないかって…。」

 暗闇の中で、表情が見えない分、声や耳は鋭く機能し、素直だ。問うユリの声は囁いているように聞えるが、よくよく聞けばやっと搾り出している様子だったし、心なしか震えてもいた。

 そんな事を心配させたのかと、了は居た堪れなくなった。同時に、想像力の幅広さに感心する。

 了は小さく苦笑して、まだ残っているユリの目元の涙を親指で拭き取った。何だか手を離せなくなって、そのまま頬に手を添える。

 そして、静かに語る。

「…俺、小さい頃から、何をやっても二番だった。

 受験結果も、資格試験結果も、習い事も…、次席合格、次席卒業、準師範、二等賞…。

 冷めた性格のせいで、飄々として見えたんだろうな。トップのやつから怨まれたり、目を付けられる事もしばしばだった。

 特にうちは、兄貴たちが出来が良かったし。何やらせても大概トップだったんで、そのせいもあったと思う。子供の頃にはすでに親父もそれなりに有名だったしな…。

 ”蕪木家”の人間だから、手を抜いてるんだろう、加減してるんだろう、ってね…。

 それでついたあだ名が”次席の末っ子”。

 大抵は、皮肉だった。」

「…。」

「…でも、本当は違うんだ…。

 二番が俺の精一杯だった。いつだってそうだった。どう頑張っても、二番にしかなれなかった。

 だから、”蕪木”の名前が重くてね…。何度も”蕪木”を棄てようとした。

 俺が大学を受ける頃には、兄貴たちはみんな法曹界へ向かってたし、一度は、別の道を模索したりもした。

 でも、逃げ切れなかった。逃げ切る勇気がなかったんだ。

 ”蕪木”を完全に棄てる度胸もなかった。

 周りが期待するとおりに法学に進んで、司法試験も通った。でも、足掻く様にして受けた国家I種にも合格して…。

 中途半端に警視庁に逃げた。

 でも、俺が考えていた以上に”蕪木”は大きくてな…。結局、警察官になっても、”蕪木”の名前からは逃げられなかった…。

 ずっと”蕪木”から逃げる事ばっかり考えて生きてた。どう生きたいかとか、夢とか、そんなもの、最初から持ってなかった。大学の滑り止めだって、本気じゃなかった…。

 ただ逃げる事だけ考えて生きて、どうしたらいいか解らなくなって…。

 そんな時に、空港でユリを見付けて、あの事件を見て…。」

 了の親指が、ゆっくりユリの頬を撫でた。

「生きてて初めて、何かのために、誰かのために生きようって思った…。

 それまで、生きてる事に何の価値も見出せなかった俺に、何もかもを与えてくれたのは、ユリなんだよ。

 あの事件に感謝をするなんて事はしないけど、あの事件は確かに転機だったし、こういう言い方が赦されるか解らないけど、あの事件のお蔭で、俺は自分がどうしたいか決められるようになった。

 貴重な切欠だったと思ってるし、結局は感謝してるとしか言えない。」

「……。」

「ユリは、俺にとって、命よりも大事だ。

 何があっても、守ろうと思ってる。

 すべて終わらせて、ユリがもう辛い思いをしないようにしてやりたいと思ってる。

 俺が自分で、そう決めて思ってる。」

 もう一撫でした了の親指に、ユリの涙が零れ落ちた。

「だから、ユリは何も心配しなくていい。少なくとも、申し訳ないなんて気持ちを持つ必要は、どこにも、少しもない。

 それに、俺が検事になると決めたのは、俺自身だもの。

 ユリの両親を恨まなきゃいけないなら、まず俺は、親父を恨まなきゃいけない。

 親父が政治家になった事、それよりもっと前、俺を生んだ事を恨まなきゃ…。」

「そうだろ?」と問いかける了の手に、ユリが自分の手を添えた。

 因果応報を呪うなら、生まれた事そのものを呪わねばならなくなる。

 ユリが、添えた手で了の手をぎゅっと握った。

 ユリはいつぞや、匠が言っていた言葉を、漸く理解した気がしていた。

――いつも、心配をしている…。

 理解をすればするほど、了から出て来るのは自分への慈悲だ。我が身のように想い、何よりも優先して手を差し伸べてくれる。

 脳裏に、一穂の言葉が過ぎった。

――あなたが予想だにしない答えが、返って来ると思うよ…。

 こんなに率直に、すべてを告げてくれるとは思わなかった。

 そしてこんなにも、心が満たされるとは思わなかった。

「ユリはそのままでいればいい。

 ユリがそこにいる事が、俺にとって重要な事なんだから。」

 そう言って微笑む了のすべてが優しくて、ユリは涙が止まらなかった。

 握る手は相変わらず大きくて、冷たい。するすると頬を撫でる親指の感覚は、くすぐったく、しかし心地好く。

 これがずっと続けばいいと思う。

 そのためにも、了には傷ついて欲しくない。

 もうすぐ終わる。

 何もかも。

 ユリがさらに了の手を強く握り締めた。どうやっても涙が止まらない。

 空いている手で涙を拭い続けるユリに、了が苦笑した。

「明日、目腫れて大変だぞ…。」

「…うん…。」

 返事はするが、一向に止まる気配のないユリの涙に、了もさすがに戸惑った。

 了にとっては何がそんなにユリを泣かせているのか、解っていなかった。

 どうしたものか、溜め息を吐くと、ユリのうしろで稜の声がした。何か夢で大変な目に逢っている様だ。

 起こしてしまったのかと二人で驚いたが、寝言だとわかってつい吹き出した。やっとユリも泣くのをやめた。

 了がもう一度親指でユリの頬を撫でると、それを合図にユリの手の力が緩んだ。

「もう、大丈夫。」

 言いながら、まだ潤んだ目で笑うユリに、了も頷いた。

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