表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男爵は微笑う  作者: L→R
面影
20/48

面影◆6

 話が終わり、一穂はそのまま都心へ戻ると言うので、支度を待って部屋を共に出ると、一穂が「そうだ」と切り出した。

 一穂が書斎の手前にある四枚の襖の前に立ち、ユリを見た。

「是非、挨拶をしていってやってくれないか。」

 そう言って、一穂が細く襖を開けた。廊下に漂い出していた香の様な匂いが、強くなった。ユリは一穂に続いて襖の前に立ち、隙間をそっと覗く。

 中は綺麗な十二畳ほどの和室だった。畳は昔の大きなサイズを採用しているので、とても広い。奥の床の間には高そうな骨董品の壷や掛け軸が見える。部屋の二面が窓のようで、障子戸が綺麗に閉まっていた。香の香りが部屋中に立ち込め、その中で一穂がこちらを見ていた。

 その後ろ。ユリの家では簡略化してしまっているのもあり、滅多に目にする事がない仏壇があった。

 ユリがそろそろと和室に入ると、一穂が仏壇の戸を開いた。香の香りが一層強くなる。

 一穂に歩み寄り、覗き込むと、仏壇には三つの位牌と、一枚の写真が飾ってあった。ちょうど灯りが反射して誰かまでは見えないが、写真は小さな写真立てに収められ、仏壇の中央に飾ってある。白と黄色の花が両脇に飾られ、供え物も幾つか見える。

 既に煙も立ってはいないが、線香もあげられている。立てられた線香は八本。

 一穂が退いて、無言でユリを見た。

 どうやら、線香をあげてくれという事の様だ。ユリは一歩進み、仏壇の写真を見た。

 朗らかに笑う女性が映っていた。遺影にしては、その笑顔はあまりに大味だったし、モデルのような美しさはないのだが、何故かユリはその女性を一目見て、美しい、と思ったのだった。

 可愛らしい口を横に大きく開け、女性は満面で笑っていた。

 その笑顔には愛情が満ち溢れ、カメラを構える者へ注がれているように見える。

 だいぶ色褪せてしまっているが、古い写真なのだろうか…。

 ユリが一穂を見ると、一穂はふと笑って「家内だよ」と言った。

「奥…様…。」

 つまり、了の母親か…。

「家内は、了を生んですぐに死んでね。

 了は母親を見ずに育ったんだ。

 あまりに不憫で、私も兄らもこれでもかと甘やかしたので、あんな捻くれ者になってしまったが…。」

 一穂が面白そうに笑った。言葉ほど、そうは思っていないと思えた。

「本当なら、了も双子だったんだが、家内の体力が保たなくてね…。」

「…。」

 ふと思い浮かんだのは、エルシだった。

 もしかすると、了はどこかで、エルシに弟を見ているのではないのだろうか…。

 思い耽るユリの横から、一穂が蝋燭に火を点けた。

 ユリは線香の器から一本、線香を摘み上げると、火を点けて線香を一振りした。火は瞬時に消え、程なくして細い煙がすっと立つ。それを香炉に立て、手を合わせる。

 普段やっている事なので、体が勝手に動いた。

 一呼吸置いて、写真を改めて見る。

 はっきりとは見えないが、写真の切れ端に細い髪の毛が疎らに生えた、小さな頭部のようなものが見えた。それは恐らく、赤ん坊の頭だ。

 ユリが、すぅっと鼻から息を吸い込んだ。

 遺影は、亡くなった最近の写真を使う事が通例だろう。ならば、映り込んでいる頭は、了のものだろう。

 何だか、胸がいっぱいになってしまった。

「…了さん…。検事になって、満足なんでしょうか…。

 もっと、別の仕事に就きたかったんじゃ…?」

 ユリが呟くと、一穂がふふと笑った。

「それは、あなたの口から聞いてみるといい。

 あなたが予想だにしない答えが、返って来ると思うよ。」

 ユリが少し驚いて振り向くと、一穂は自信満々に笑っていた。

「私も、罪悪感がない訳ではない。勿論、騙して調査室に入るよう手回しをした訳でもないが、計算の中に入れてしまったのは事実だからね。

 だが、最終的に決めたのは、了自身だ。」

 ユリは眉を下げたまま、頷いた。

 理屈ではそうだろうが、煮え切れない思いは残っている。

 問えば答えてくれるだろうか。答えを聞いたら、納得出来るだろうか。

 再び振り返って、了の母の写真に、心の中で詫びる。せめてもの罪滅ぼしのように。

「ありがとうございました。」

 ユリが一穂に礼を言うと、一穂も「ありがとう」と言って仏壇を閉めた。

 一穂に続いて和室を出、先ほどの部屋まで戻ると、兄たちと了が、各々自由な体勢で座りながら話をしていた。

 了たちは一穂を見るなり立ち上がった。

 その一瞬の切り替えに、ユリはこの親子たちの間にある上下の力加減を知る。

「戻るよ。」

「秘書が車の準備をして下で待ってるよ。」

 一穂が言うと、兄の一人が歩き出しながら言った。

 兄に続いて一穂も歩き出す。その後ろを、他の兄たちもぞろぞろと続いた。了は一番最後に着き、ユリをちらりと見た。

 一応、着いて来い。そんな風に言われた気がしたので、ユリも着いて行く事にした。

 玄関に着き、先頭を歩いた兄が先に靴を履いて玄関の引き戸の前に立ち、一穂が靴を履き終わるのを待っていた。他の面子は一穂を後ろから見守る。そこへ、見知らぬ男性が引き戸を開けて入って来た。男性は、了や兄たちと全く似ていなかったので、秘書か何かと判断出来た。

「先生。」

 男性が一言言うと、一穂は「ああ」と言って靴を履き終え、了たちを振り返った。

「すまなかったな。遅い時間に。」

「親父もな。気をつけて戻ってくれ。」

 兄の一人が言うと、一穂はふと笑ってユリを見た。

「ユリさんも、今夜はゆっくり休むといい。不都合があったら、何でも彼らに言いなさい。」

「あ、ありがとうございます。」

 ユリが礼をすると、一穂は一つ頷き、秘書と思しき男性を連れて出て行った。

 靴を履いていた兄だけが見送りに出、他はまたぞろぞろと部屋へ引き返していく。

 残った了は、ユリを手招きして、階段を昇って行った。そして、二階の一室へ案内する。

「今夜は、ここを使ってくれ。」

 扉を開け、中に入ると、一穂の書斎よりは狭いが、十分な広さの部屋だった。

 飾り気のない大きなデスクが壁際に置かれ、同じ色合いの大きな本棚が並ぶ。クローゼットの扉も横幅が広かったので、相当広そうだった。窓すら大きい。

 部屋の中央には、了のマンションにあるベッドと引けを取らぬほどに大きなサイズのベッドがあり、左半分が小さくこんもり山になっていた。

「稜と一緒だけど…。」

 忘れていたが、そういえば了承したのだった。

 ベッドに近付いて覗き込むと、稜がすやすやと眠っている。自然と笑みが毀れた。が、心配な事もある。自分の寝相だ。踏み潰さないかと不安になる。

「で、風呂どうする?

 男ばっかりだから、大した準備はしてないが、シャワーくらいなら問題ない。」

「あ、うん…。」

 今日も動き回っていないし、外に出る事もなかったのでそれほど汗は掻いていないが、人様のベッドを借りるので、少しでも身奇麗にした方がよいと思った。それに、汗は掻いていないが、ここに来るまでに妙な汗は掻いた。どちらにしろ、シャワーくらいは借りたほうがよさそうだ。

「借りる。」

「ん。」

 ユリの返事を聞いて、了が頷き、斜め下を指差した。すぐ行こう、という事のようだ。

 夜も遅いしその方が有り難かったので、黙って着いて行き、一通りの説明を受ける。

 風呂場は階段を下りて玄関と真逆へ行った先にあった。階段を下りたすぐそこにはダイニングキッチンがあって、トイレと風呂場はその隣だった。洗面所兼脱衣スペース、浴室を合わせると、広さはユリの個室ほどあった。雰囲気は和風だが、木はほとんど使っていなかった。

 新品のタオルを手渡された。着替えはないが、一晩だし、特に気にしない。

 了が出て行った後、手早く服を脱ぎ、シャワーを浴びる。髪は洗わない事にしたので、五分ほどで入浴は済んでしまった。

 都心より気温が低いのか、浴室の扉を開けると同時に、武者震いが起きるほどの冷風が入り込んで来た。ユリは身を縮めてタオルを掴むと、さっさと体を拭いて服を着直す。

 少し首筋の髪が濡れてしまったので、タオルはそのまま部屋まで持っていく事にして風呂場を出ると、キッチンから男性が出て来て鉢合わせになった。

「おっと。」

 男性はユリを見て一言そう言った。書斎にもいた男性だ。みな顔が似ているから確信はないが、サヤの手を取った”たるおじちゃん”だと思われる。

「あ、えっと…。」

 既に会っているので”こんばんは”というのは不自然で、かと言って何といえば適切なのか考えあぐねていると、男性がふふと笑った。

「ご挨拶がまだだったね。」

 手を差し出し、握手を求めて来る。握ると、了や駆と同じように大きな手に包まれた。近くで見ると、当然の事だが、至は了にそっくりだった。了が年を取ると、こんな感じになるのだろうと思うほどだ。

「兄の(いたる)です。」

「は、初めまして、芳生 ユリです。」

 ユリがぺこりと頭を下げると、至はぎゅっとユリの手を握り直し、ぱっと離した。

「サヤとは会ったかな?」

「あ、サヤちゃん。はい。至お兄さんのお子さんなんですよね?」

「うん。紗綾(さあや)と言うんだけど、サヤでいいから。

 妻が親馬鹿でね、育て方間違えて少し生意気なんだが、仲良くしてやっておくれ。」

 にこりと笑う至も、親馬鹿丸出しな様子が窺える。しかし…。

「はい。

 そういえば…。」

「ん?」

「稜くんが、”たるおじちゃん”って…。」

 一穂が言うには、兄弟は名前を二文字にして愛称にしているらしい。了が”とお”なら、至は”いた”ではないのだろうか、という素朴な疑問だ。ごく下らない事なのだが、気にあった。

 ユリが訊ねると、至は「ああっ」と言ってくすくす笑った。

「あれね。

 ボクたち、名前を二文字にして呼び合ってるのは、聞いてるかな?」

「はい。さっき、一穂さんに…。」

「うん。これ、最初に始めたの、了なんだけどね。

 了が、『三文字呼ぶのは面倒だから、省いちゃおう』とか言って。

 で、ボクには”板”と”樽”とどっちがいいか選べって…。」

「え…。」

 至が指先で形まで作って言うので、恐らく本当に了はそのつもりで聞いたのだろうと思われた。

「”板”よりは”樽”のほうがよくない?

 で、”たる”になったんだ。」

 了なりのユーモアだったのだろうか。それとも捻くれた苛めか…。

 ユリが眉を顰めていると、至はフォローでもするように、「ああ、でも」と続けた。

「一番上は覚で”さと”、三番目は弥で”わた”だけど、二番目の駆は響きが悪いとか言って”ける”だし、感覚で決めただけかも知れないけどね。」

 至はそう言って、まだ眉が歪んでいるユリにふと微笑んだ。

「あれでも、気は優しい子なんだよ。」

 そう言われて、ユリが真顔に戻る。

 それは、知っている。

「…はい。」

 否定はしない。する訳がない。

「ボクらはみんな、母親の思い出があるけど、とおにはないからね。

 小さい頃は、ボクらは母親を失った悲しみとか淋しさで荒れたりしたけど、とおはそんなもの自体がないから、荒れようがなかった。無い物強請りをする訳にもいかなかったしね…。

 だから、とおはボクらの中で一番大人びてた。

 家の事も進んでやったし、とおが中学に入る直前くらいから、食事の支度をしてたのは、いつもとおだったな…。

 ボクらは受験を控えたり色々大変な時期だったのもあって、ほとんどとおにまかせっきりにしてた。

 とおも自由にさせてたけど、大概何か家の事をしなきゃいけないとき、とおが進んで請け負ってくれてね…。

 本当は、一番淋しいのは、とおだったんだけどね。あの頃のボクらは気がつけなくて。

 だからボクらは、今更その恩返しをしてる。」

 懐かしそうに目を細めて笑う至は、ふぅと溜め息を吐いた後、ユリを見つめて一層目を細めた。

「ユリちゃんの一件を聞いた時、ボクらは凄く驚いた。

 とおがあんなに他人に肩入れする事なんて、なかったからね…。

 でも、今日会って、納得が行った。」

 至はそう言って、ユリの顔を覗き込んだ。

「ユリちゃんが似てるから…。」

 言いかけて、背後から声がかかった。

 至の後ろに、了がいた。

「たるにぃ、余計な話はしなくていい。」

 やや不機嫌そうに、了が言った。至はくすすと笑って「はいはい」と言うと、ユリに「おやすみ」と手を振って行ってしまった。

 一体誰に似ているというのか、話を遮った了を見るが、了は素知らぬ振りをした。

「風邪ひくぞ。この辺は寒いから。」

「あ、うん。部屋、戻るね。」

「ああ。

 明日は朝ゆっくりも出来るけど、九時くらいには一度起きてくれると助かる。」

「うん。

 じゃあ、おやすみ。」

「おやすみ。」

 了に見送られ、二階へ戻る。

 ベッドでは、稜が先ほどと少しだけ姿勢を変えて眠っていた。寝返りを何度か打ったのだろうか、かかっていたシーツも少しずれていた。

 ユリはベッドに入り、稜にシーツをかけ直して、横になった。

 目を閉じ、両親の話を反芻しようと思ったが、まだ心が追い付いていなかった。

 了の事もある。

 とても頭がいっぱいで、当面整理出来そうもなかった。

 溜め息を吐くと、稜が寝返りを打った。

 今夜は、寝るに限る…。

 ユリはそう思い、稜に邪魔にならぬようベッドの端に寄り、稜に背を向けて目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ