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男爵は微笑う  作者: L→R
面影
18/48

面影◆4

 庁舎を出、先日クレアのいる療養所へのルートを途中まで辿る。道中は、高遠の話で少しだけ盛り上がるなど他愛のない雑談をしながら、時折無言になったりしながらのドライブとなった。気付けば窓の外がオレンジ色になっていた。それからさらに空が薄暗くなり始めた辺りで、ふと了と高遠の会話を思い出した。

「ねえ」と口を開いた。

「ん?」

「…クレア、どう?」

 先ほどの高遠と了の話がクレアの事だとしたら、という思いは、まだ残っている。盗み聞きした訳ではないという事を悟られないように、端的に質問をする。

 了は暫し真正面を見詰めながら黙っていたが、やがてふぅと口から息を吐き出した。その時、一瞬眉を顰めたのを、ユリは見逃さなかった。そこにどう言った心理があるかは解らないが、これにより、ユリはあの話がクレアの話だと確信したのだった。

「相変わらず…、みたいだな。たまに三笠が様子を見に行っているが…。」

「そっか。」

 歯切れ悪い了の答えに、ユリはさっさと納得した。了の答えは、取って飾ったものである事は明白だった。一方で、了はユリがそこまで考えを廻らせているとは思っていない様子で、答えたきり、また無言になってしまった。

 三鷹市を過ぎた辺りですっかり夜になり、同時にルートが微かに先日と変わった。

 住宅街から一変、田んぼの広がる地区を抜け、再び住宅街に入った車は、車二台がぎりぎりすれ違える幅の路地をひたすら行く。

 街灯も少なく、人通りも車通りも少ない。

 いつのまにか無言になった了の横顔をちらちらと見ながら、ユリも無言で過ごした。

 が、暫くして、了がユリをちらりと見た。

「シートベルトしてるな?」

「してるわよ。」

「…うん。」

 唐突にそんな事を訊ねられ、怪訝な顔で了を見ると、了の横顔が心なしか緊張していた。

「どうしたの?」

 さらに訊ねると、了は答えない代わりにさらに表情を緊張させた。普段と変わらず眠そうだが、目つきが鋭い。

「どこかにつかまってろ。」

「え?」

「あと、喋るな。

 舌を噛む。」

「は…。」

 ユリが声を出すや否や、了が思い切りアクセルを踏み付けた。車の速度が一気に上がる。

 やや広めではあるが、それでも狭いには変わりない路地を、猛スピードで走る。直角な曲がり角もほぼそのスピードで曲がるので、体が大きく揺れた。ユリはドア淵のハンドルを握りながら、了を見た。

「ちょ…と、どうしたの…?」

「喋るな。」

 そういう了は、前方とルームミラー、サイドミラーを素早く見ながらハンドルを切っている。

 ふとルームミラーを見ると、後続車のヘッドライトがきらりと光った。

 だが、よくよく見ると、後続車との距離は開かない。

 追われているのか…?

 再び了を見ると、了は左手を体の後ろに回し、ごそごそと何かを探りながら、片手で器用に運転していた。この状況でよくも片手運転が出来たものだと感心したのも束の間、前方に行き止まりが見えた。

「ちっ…。」

 了は舌打ちをすると、アクセルを踏んだまま一気にブレキペダルを踏み込み、ハンドルを切った。車体は反時計回りに回転しながら道を塞いで行く。タイヤが大きく金切り声を上げた。

 一瞬の事だったが、衝撃は大きく、ユリは思わず目を瞑った。頭を屈め、体を硬直させると、ガガガと何かが擦れる音がして、回転が止まった。

「じっとしてろよ。」

 了の声がして顔を上げると、了はドアを半開けにし何かを構えた。暗くてよく解らなかったが、体勢から考えるに、銃であろうという予想は付いた。

 パスッという妙に小さな空気の抜けるような音がしたと同時に、追って来ていた後続の車が急ブレーキをかけた。車は勢いに乗って九〇度向きを変えると、了の車の手前にある曲がり角を左へ曲がって去って行った。

「外に出るなよ。」

 了はそう言うなり素早く車から降り、後続車を追って走って行った。曲がり角で一旦身を隠し、向こうを窺った後、さらに走って行ってしまった。

 突然の出来事に、ユリは暫く放心状態だったが、周りを見渡し、一般住宅の門扉の横で切れ掛かった街灯を見て我に返った。

 何があったのだ。

 何故追われていたのだ…。

 と思ったところで、漸く自身が狙われの身だという事を思い出した。

 自分が狙われたのか…?

 そう思うと背中を悪寒が走った。

 了は…。

 了はまだ戻らない。

 まさか、何かあったのでは…!

 ユリは堪らず、了の忠告も忘れてドアを開けた。車を降り、改めて車体の状態を確認する。車は見事に道を塞ぐように反転していた。車のヘッドライトとテールランプ付近のボディに傷が出来ていたので、壁に擦れながら反転したのだろう。ただ、人が通るスペースは空いていなかった。

 あの状況で、擦り傷だけで済んだのは、了の機転とテクニック、そしてこの車が小さなスポーツカーであったお陰だろう。こういった動作を考慮に入れての車選びだとしたら、恐れ入る。

 ユリはテールランプ付近のボディの傷を撫でた。

 生意気な車だが、愛着も持っていた。よく見れば、可愛らしい「顔」をしているし、色も綺麗だと思っていた。

 ユリが哀しくなって溜め息を吐くと、曲がり角から了が現れた。

「出るなって言ったろ…。」

 仕方なしと言った口調で注意しながら歩み寄る了を、ユリが見上げた。その哀しげな顔を見て、了が首を傾げる。

「傷…付いちゃった…。

 かっこいい車だったのに…。」

 ぼそりと呟くユリに、了が苦笑した。

「もう戻って来ないと思うが、危ないから。」

 言いながらドアを開ける了に倣って、ユリもドアを開け、車内に戻る。

 運転席では、了が左手を下から背中に回してごそごそと何か探りながら、空いている右手で携帯電話を取り出し、どこかへかけていた。

「…蕪木です。」

 繋がったのか、了が話し始めた。相手の声が大きいのか、ところどころで漏れ聞えて来る声を聞く限り、通話相手は高遠のようだった。

「接触しました。取り敢えず、発信機は付けましたが、巧く行くかどうか…。

 …はい。…はい。あと一〇分も行けば、着きます。…そうですね。急ぎ、目的地まで向かいます。」

 了はそう言った後、何度か返事をして、「了解」と言って電話を切ると、「行こう」と言いながらシートベルトを締め、エンジンをかけた。

 ユリもシートベルトをし、高遠かと訊ねると、了が頷いた。

「後で説明出来ればするけど、道中、襲撃される事は予測してた。」

「…。」

「発信機を車に撃ち込んだので、巧く行けば、犯人について居場所かその近辺までなら探知は出来ると思う。」

 つまり、囮でもあったという事か。

 護衛はついていないようだ。つまり、襲撃されるが命の危険はないと予測した上での、この状況なのだろう。正直なところ、博打に近い。予測が当たったから良かったものの…。

 ユリとて了を信用していない訳ではないし、了の保護を受けた以上、了に従うつもりではいる。だが、致し方なかろうと、賭けであろうと、現実に起こる事でどうしても目を潰れぬ事が、ユリの中にある。

 ユリが無言でいると、了が項垂れながらゆっくり息を吐いた。

「…すまん。餌にしたのは事実だ。」

「…。」

 ユリは黙って了の横顔を見つめた。

 街灯だけの夜の路地の、了の顔すらまともに見えない暗闇の中の賭け。

 了が何も考えず安易に提案した事ではない事は、今までの素行で良く理解しているつもりだ。元より、提案はもしかすると、高遠だったかも知れない。

 そんな事はどうでもいいのだ。

 それを実行するのに、相当な覚悟と気力が必要だった事だろう。心配なのは、了の身体的、精神的な負担だ。

 銃を撃つのに躊躇わずドアを開けた。

 今思えば、相手も銃を持って、了を狙う事だって十分有り得た筈だ。

 高遠の言葉を思い出す。

『生きる事を止めてしまう。』

 形振り構わないのではなく、死を覚悟するのでもなく、自分が生きる事が二の次になるという意味なのだろう。

 そう思うと、了を叱りたい気持ちでいっぱいになる。だが、どう叱っても、この状況を責めている風にしか受け取ってもらえぬだろう。

 ユリは唇を噛んだ。

 傍にいたって、何も変わらない…。

「ごめん。」

 俯くユリに、了が言った。

 このまま誤解をさせておくのも可哀想で、ユリはふっと顔を上げて、左手をぐうに握り、了の肩を殴った。力加減は敢えてしなかった。そのせいで、自分で予想していたより遥かに力強く殴ってしまう事になったが、了は痛いとも何とも言わなかった。

「…いいわよ。赦してあげるわ…。」

 ユリが俯いたまま呟くと、了は突き出したままのユリの握り拳をそっと下ろし、甲を二度、ぽんぽんと叩いた。

 そしてハンドルを握り、車を発車させる。斜めの体勢を手際良く整えると、追ってが曲がって行った曲がり角を曲がる。

 その後は、二度曲がり角を曲がっただけで、一〇分ほどほぼ直進をした。

 すると、目の前に大きな屋敷が見えた。

 暗闇で、路地の街灯も弱く、周りの一軒家も雨戸を閉めてしまっているので光がない中でも、その屋敷は存在感を存分に放っていた。

 中央右手半分に、横幅の広い黒い口が開いていた。即、駐車スペースと解る。中央には階段があって、その上に門扉がある。階段手前まで来ると、この屋敷の前の道だけ妙に広い事に気がついた。了は道で車の向きを切り替えながら、駐車スペースにバックで車を入れ、エンジンを切った。

「降りていいぞ。」

 シートベルトを外し、キーを抜き取ると、ドアを開けながら了が言う。ユリはそそくさと車を降りると、駐車スペースを見回した。了の車は駐車スペースの一番端に留められ、運転席の方には、屋敷の物なのか、来客の物なのか、車が二台留まっていた。つまり、この駐車スペースは合計三台分ある。車間スペースも人がそのまま通れるので、かなり広い事が解った。

 呆けていると、背後で了が呼んだ。

 振り向くと、了は車の後ろにある扉を開け、手招きをしていた。

 ユリが慌てて走り寄ると、了は扉脇のボタンを操作し始める。駐車スペースのシャッターが閉じ始めた。動作が手馴れている。よく来る場所のようだ。

 了はシャッターが閉まり切るのを見る事もなく、ユリのために扉を大きく開け、進んで行った。扉の向こうには上り階段が八段あって、それを上ると、広大な庭に出た。路上からでは解らなかったが、門扉付近以外は人の背の高さほどの植木で囲われていて、暗闇でも解るほどに調えられた芝生の中心を、蛇行しながら飛石が並び、駐車スペースと反対側は庭石や背の低い椿の木や胡麻石を使ったベンチなどで囲われた池があった。

 屋敷は奥まったところにあるので道から見たより数倍大きく、二階建てでとにかく横幅が広かった。古典的な日本の建築様式を取り入れつつ、要所に洋風な雰囲気のある変わった造りだが、全体的に非常に落ち着きのある、重厚な印象の屋敷だ。

「…ここって…?」

 ユリが訊ねると、了は玄関の引き戸に手をかけながら振り返って、「俺の実家」と答えた。引き戸を引くと、ガラガラと大きな音を立てて戸が開く。何も言わずに入る了に続くと、中は見事に和風で、オレンジ色の照明が良い雰囲気だった。玄関前は広く大きな廊下兼待合スペースがあり、籐の椅子とテーブルがこじんまりと置かれている。よく気を遣われた調度品はどれも大きく、一目で高価なものだと解る。

 了が「入っていいぞ」と言いながら靴を脱ぎ始めると、廊下の奥でばたばたと走る足音が聞えた。次いで現れたのは小さな少年で、少年は了を見るなり「とーちゃん!」と言って走り寄り、了の首に抱き付いた。

(…『とーちゃん』…?)

 ”とーちゃん”が、父の意味だと理解したユリは、子供がいたのかと唖然とする。

 了は少年を邪険にするでもなく、笑顔にもならず、平然と靴を脱ぎ終えて、少年を首にぶら下げたまま二段ある玄関を上がった。

「なんだ、お前、来てたのか。」

 了が言うと、少年は「うん!」と首にしがみついて頷き、にんまりと笑う。が、呆然と二人を見つめるユリを見つけると、くいと首を傾げた。

 それでやっとユリを振り返った了が、「どうぞ」と言う。

「ああ、はい…。お邪魔します…。」

 ぼそぼそと言いながら引き戸を閉め、靴を脱いで揃えると、了を追う。

「だれー?」

 少年の問いに、了が答える。

「ユリちゃん。」

「ゆ()ちゃん?」

「ユ()ちゃん。」

「ユリちゃん!」

 やっと理解した少年が、ユリを見てにこりと笑う。ユリも笑い返すが、頭の中は『とーちゃん』でいっぱいである。

「みんなは?」

「うんとね、奥に行っちゃったよ。」

 と少年が指差したのは、玄関前の廊下を左へ曲がった先に続く廊下の突き当たりから、やや右に逸れた辺りだった。

「あのね、お昼にここついてね、それから○×△□◎…。」

 舌足らずすぎて、最後は何を行っているのか聞き取れなかったが、了は構わず「ふぅん」と適当な返事をする。だが、少年はそれでも満足なようで、にんまりと笑った。

「”いつ”は寝ないのか?」

「眠くないもん。」

「もう寝る時間だろ。」

「寝ないもーん。」

 了と会って上機嫌なのか、少年がおどけた。その様子に、了もやっと苦笑する。

 そして、ユリに手招きをして、廊下の左の部屋に入る。

「ちょっと、ここでこいつを見ててくれ。」

 少年を下ろしながら、了が言う。

「うん。」

 ユリが頷くと、了は少年の頭をぽんぽんと叩いて部屋を出て行った。

 ユリは部屋を見渡す。位置的に庭に面した部屋であろうが、窓は雨戸と障子戸が引かれている。横長の部屋には入り口が二つあり、ユリ側の入口付近にはレトロなソファセット、奥側にはこれまたレトロなダイニングテーブルと四脚の椅子があった。

「ユリちゃん、遊ぶ?」

 少年が、ソファによじ登りながら訊ねて来た。

「うん。」

 まだ若干戸惑っているユリは、小さく答えながら少年の足元に座り、顔をまじまじと見つめた。

 了に似ている。

 が、それ以外の誰かにも似ている気がした。

 少年はテーブルの上に散らばった玩具を幾つか掻き集める。

「お名前は?」

 ユリが問うと、少年はユリを見てにこりとした。

「かぶらぎ いつる。」

「いつるくんね? いつるくんは、いくつ?」

「うんとね…。」

 ”いつる”はやり辛そうに三本指を作って、「みっつ!」とユリに見せた。

 その様子がユリの心をぐっと掴んだ。元々子供は好きだが、親類もあまりおらず、友人の子供はいるが多くない。子供と接する機会は少ないので、目の前のいつるは可愛くて仕方なく思えた。

「よくできました。」

 ユリがいつるの頭を撫でると、いつるも満足そうに笑って、かき集めた玩具の中から比較的大きなボードを取り出した。

「ユリちゃん、チェスやる?」

「えっ…!?」

 予想外のチョイスに、ユリが一気に笑顔を引っ込めた。

「チェス、出来るの…?」

「うん。とーちゃんに教えてもらったの。」

「…そう…。ユリちゃん、チェス出来ないんだけど…。」

「じゃあ、ぼくが教えてあげる!」

 いつるはそう言うと、チェスの駒を持ってユリに見せた。

「白と黒どっちが好き?」

「え…と…、白…。」

「じゃあ、ユリちゃん白ね。

 ユリちゃんはこっちの半分に、白い駒を並べるの。

 ポーンがここで、ナイトがここで…。」

 舌足らずながらはきはきと喋るいつるに驚いていると、廊下から「あら」と声がした。

 見ると、今度は少女が立っていた。小学生くらいだろうか。ゴシック風のおめかしをした少女が、ツンと澄ましてユリを見ていた。

「あなたがユリさんね?」

「え…、ええ。」

「まったく…。」

 ユリが返事をすると、少女が溜め息混じりに言い、いつるを見た。

「いつ。とおるさんは?」

(とおる…さん…?)

 人間相関図が作れないまま、眉を顰めるユリの横で、いつるが答えた。

「あっちに行ったよ。」

「そう。」

 少女は素っ気無く言い、いつるが指差す方へ行ってしまった。

「…。」

 ユリは少し思案した後、いつるに訊ねた。

「今のは、だれ?」

「サヤねーちゃんだよ。」

「サヤ…ちゃん…。いつるくんのお姉ちゃん?」

「ううん。サヤねーちゃんは、たるおじちゃんちの子なの。」

 知らぬ名前が出て来た。

「たるおじちゃん…?」

「そうなの。

 ユリちゃん並べ終わった?」

 いつるに話を早々に切り上げられ、ユリは慌ててチェス盤に視線を戻した。

「ああ、うん。終わった。

 あってる?」

「うん。だいじょうぶ。

 じゃあ、ユリちゃん先でいいよ。」

「え…。ああ、有り難う…。

 えと…。」

 ユリが指先を彷徨わせながら動かす駒に迷っていると、いつるがポーンを指さした。

「うんとね、最初はポーンを動かすといいの。

 ポーンはね、こういうふうに動かせるの。」

「こう、ね…。」

 ユリがおどおどと中ほどにあるポーンを一マス前に進めた。いつるが素早く端のポーンを動かす。二手、三手と時間のかかるユリに対し、いつるは駒の動きを話しながらも手早く駒を進める。

 そうして二〇手目。

 どうにか駒の動きを覚えたユリが、いつるの執拗な追跡からキングを逃がしているところだったのだが、あまりにユリの一手一手が遅いため、いつるが小船を漕ぎ始めた。

 部屋の中に立派な柱時計があったので見ると、そろそろ二二時になるところだった。

 いつるはソファの背凭れに横向きに凭れて、ユリから奪った駒を握りながら、睡魔に負けていた。

 ユリがふと笑うと、了が戻ってきた。

 了はいつるの様子を一目見るなり呆れて、ソファに歩み寄っていつるを抱き上げた。その拍子に、いつるが目を覚ました。

 瞬時にベッドに連れて行かれる事を悟ったいつるが、鼻を鳴らす。

「いやぁ…。ユリちゃんと遊ぶ…。」

「お前、寝てただろ?」

「寝てないぃ…。」

「駄目。もう寝る時間。」

「じゃあ、ユリちゃんと一緒に寝るぅ…。」

「無理だよ…。ユリちゃんがゆっくり寝られないだろ。」

「やだぁ…。」

「もー…。なんで今日そんな我侭なんだ?」

 困惑する了に、いつるが愚図り出すのを見て、ユリが声をかける。

「ねえ?」

「ん?」

「今日、泊まらなきゃいけないのよね?」

「ああ。」

「なら、いつるくんと一緒でいいわよ、私。」

「でも…。」

「大丈夫。ね?」

 いつるは小さいし、それほど狭くはないだろう。自分の寝相が気になるところだが、最悪寝ずに夜を明かしたっていいのだ。

 ユリが微笑むと、了は少し困った顔で寝惚けながらも嫌々をするいつるを見た後、いつるの頭をぽんと叩いた。

「ゴネ徳だぞ、いつ…。」

 溜め息混じりに言って、ユリを見る。

「悪いな。」

「ううん。大丈夫。」

 にこりとユリが笑うと、了も漸く微笑んで「ちょっと待っててくれ」と言い、いつるを連れて部屋を出た。階段を上がる足音がしたので、寝室は二階にあるのだろう。

 少しすると了が戻って来て、廊下でユリを手招きした。

「話をして貰いたい人間がいる。」

 そう言って、了はユリを、いつるが了に行っていた廊下の奥へ連れて行った。

 ユリたちがいた部屋の、隣の引き戸の前を通り、曲がり角を曲がると、左手に美しい襖が四枚並んでいる。その前を横切ると、ほのかにお香のような香りがした。

 その奥は突き当たりになっていて、両開きの扉があった。和風の屋敷の中でも違和感のない意匠の扉ではあったが、廊下の照明が少し弱い事もあって、何とも異様な雰囲気を放っていた。

 了は扉の前で立ち止まると、ユリを少し振り返った。

 だが何も言わないので、ユリが「ん?」と首を傾げると、了は一瞬哀しげな顔をして視線を戻すと、扉をノックした。

 中からくぐもった男性の声が聞えた。

「どうぞ。」

 その声に、了は丸く濁った金色のノブを掴み、一呼吸置いてこう言った。

「気を、確かにな…。」

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