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男爵は微笑う  作者: L→R
再会
15/48

面影◆1

 了のマンションで待機する日が、その後二日続いた。

 先日膨張に出向いた裁判の再公判準備やら、別件の裁判や捜査も入ったため、暫く調査室が無人になる事が多いためだった。

 四日目ともなると家にも慣れてしまい、昼間は掃除や洗濯、簡単な片付けをし、あとは気ままにテレビを観ながら過ごし、夜は了の夕食の支度をしながら待つ。

 了は帰り時間は区々だが、いずれも〇時に近かった。だが、ユリ自身は時間の工面など幾らでも出来るので、昼に寝るなどしながら食事は一緒に取れるようにした。

 朝もユリは比較的普段より早起き出来るよう意識をしていたが、了はそれよりも早く起きてしまうため、結局毎度支度中に目が覚め、寝ぼけながら見送る事になった。

 ただ、この部屋に来てから四日。そのうち二日ほど、朝、了がユリの顔を心配そうに覗き込んでいるのを目の前に目を覚ます事があった。

 何かと問うと、特に何も言わないのだが、とにかく心配そうに覗き込んでいるのだった。

 妙な寝言でも言っているのではないかと逆に心配になったが、そういう訳でもなさそうだった。

 訳も解らぬまま、しかし普段はいつもどおりに接してくるので、特別気にする事は止め、ユリも普段どおりに振舞った。

 そして五日目。

 今日は、久しぶりに調査室へ同伴出勤する事になった。 調査室に着いた時には既に、高遠も渡部も日下部もいて、三笠のみが所用で出かけていなかった。

 高遠と了が話しこんでいる間、ソファに座っていると、渡部と日下部が代わる代わる声をかけて構ってくれた。

 気を遣わせるのも嫌だったので、何か読む本を探していると、暇潰しになるだろうと渡部が分厚いハードカバーのファンタジー書籍を貸してくれた。

 黙って熱中していると誰も声をかけて来なくなったので、ユリの気もやっと落ち着いた。

 ソファにいると相変わらず、高遠と了の内緒話も聞えて来てしまう。

 読書に集中しているつもりでも、ついつい耳がそちらに傾いてしまった。

 が、完全に聞き取る事は難しく、「仕方がない」とか「暫く様子を見て」とか、そんな当たり障りのない会話しか理解が出来なかった。

 了は高遠と話をしていない時は、自分のデスクの上に詰まれた書類をソファまで持って来て読んでいた。デスクにいるのは電話をするかメールチェックをする時くらいで、ねるべくソファにいるように気遣っている様子だった。

 了の部屋で悩んでいた事を、ふと思い出した。

 やはり、了の邪魔になっているのではないだろうか。

 ここにいるのが致し方ないのなら、せめて何か手伝いが出来れば良かったのだが、素人のユリに何が出来るはずもなく、そんな声も当然かけられなかった。高遠が了をデスクに呼んで小声で話し始めたので、ユリはエントランスのコーヒーメーカーの前でのそのそとコーヒーを入れ、そのまま窓辺で啜った。

 一〇分ほど経ったか、すっかり冷めたコーヒーを揺らしながら、そろそろソファに戻ろうと思っていると、了に呼ばれた。ソファまで戻ると、高遠がデスクまで来るよう手招きをするので、テーブルにカップを置き、了の隣に並んで立った。

「ユリちゃん、悪いんだけど、ちょっととーるちゃんのお仕事を手伝って貰いたいの。それと、今日夕方過ぎに、とーるちゃんととある場所まで出かけて欲しいのよ。」

「え? あ、はい。」

「ごめんね。のんびり出来るといいんだけど、ちょっととーるちゃんが直接出向かなきゃいけないところがあってね。

 帰りは夜遅くになって戻れそうもないのと、ユリちゃんもここととーるちゃんの部屋だけじゃ退屈だろうから、ね。」

「え、そんな、大丈夫ですよ! でも一緒に行った方がよければ、着いて行きます。」

「悪いね。とーるちゃん、これからちょっと出かけるので、帰って来てから手伝いをして貰って、そのあとすぐに出るようになるから。そろそろボクも出かけなきゃいけないんだけど、ここにいる間は独りになる事はないから。」

「はい。」

 ユリが頷くと、高遠は了を見上げて、「じゃあ、よろしく」と言った。

 了も頷いて、「では、行って来ます」と言い、調査室を出て行った。今日はスーツではないラフな格好なので、手荷物もほとんどないようだった。何故かいつもグレーを基調にしているが、好きなのだろうか。

 ユリがそんな事を思いながら見送っていると、高遠が笑った。

「とーるちゃんが相手出来なくて、すまないね。」

「え!?」

 ユリが驚いて振り返る。

「いえ。だって、お仕事ですから…。」

「そうなんだけどね…。」

 そう言って、高遠がさびしそうに笑った。

「我々が不甲斐ないのもあるんだよ。早く犯人を捕まえられれば、ユリちゃんは普段どおり生活出来るんだからね。」

 確かにそうであろう。だが、そんな事を言っていては切がない。高遠なりに気を遣ってくれたのだろうが、それは不要と言うものだ。そして勿論、わざわざ不要と言う必要もない。高遠はすべてを理解した上で、敢えて言っているのだ。

「…あの…。」

「ん?」

「私…、感謝してます。」

「感謝?」

 高遠が、意外と言う顔をした。

「はい。

 了とはもうあれきり会えないと思ってましたし、それに、色んな話が出来るようになったし…。

 こんな事でもなければ、こんな風に知り合えなかっただろうなって。

 それに…。」

「?」

「高遠さんにも会えたし。」

「ボクに…?」

「はい。だって、高遠さん、私の両親の事、ご存知でしょう?

 三ヶ月前、高遠さんの事聞いて、凄く会いたいと思っていました。」

 ユリが言うと、高遠の目が微かに潤んだ。

「…すまないね…。」

 悪戯好きと聞くから、わざとなのかと一瞬戸惑ったが、どうやら本心からのようだった。ユリは慌てて首を素早く横に振った。

「大丈夫です。」

 そう言ってにこりと笑うと、高遠が淡い笑顔でユリをまじまじと見つめた。

「ユリちゃんはお母さん似だね。」

 唐突に言われ、ユリがきょとんとする。

「そうですか…?」

 写真で見る母と自分は、確かに似ているかも知れない。だが、父親に似ていると言われる事が多いので、自身は父親似だと思っていた。

 が、言われてみれば、父と二人で出かける事のほうが多く、それ故だったかも知れないと思う。

 母は娘が言うのも何だが、結構な美人だった。だから、母親に似ていると言われると、嬉しい。

「笑い方が、そっくりでね。大学時代を思い出すよ。」

「…初めて、言われました、そういう事…。」

「そうかい?

 まぁ、ユリちゃんのお母さんは、あまり人前に好んで出る人ではなかったからね…。」

 大学の先輩と後輩。でも、言い回しを聞いていると、それ以上の関係だった気がする。

「母の事、聞いても…?」

「ん? いやぁ、仲は良かったけど、ボクはあんまり知らないのよ。

 でも綺麗で明るい人でね。

 女神のように優しいかと思えば、何構わず赦す訳ではなく、厳しい一面もあったり。

 不思議と一目見て人を惹き付ける魅力を持ってた人だったと覚えてるよ。」

 高遠の声が和らいだ。知らぬというが、そこまで知っていれば十分ではないか。

 家での母しか知らないユリには、こんな何でもない話も、胸が満ちる話になる。

「…母が…。」

 溜め息混じりに呟くと、高遠がふと笑った。

「だから、ユリちゃんはお母さん似だと思ったの。」

「…え…。」

「ユリちゃん、人に嫌われる事少ないでしょ?

 肌の合う合わないじゃなくて、ぱっと見て嫌われたり好かれなかったりする事はないんじゃない?」

「…そう…かな…。」

 思い返せば、確かに初対面で嫌われた事はなかったかも知れない。

 話し始めて、合う合わないを感じる事なら幾らでもあったが、事、出会ったばかりの人に好きか嫌いかを結論付けられた事は、少なくとも記憶にない。人懐こいとまでは言わないが、人との出会いに甲乙を付ける性格ではないので、自分から人を嫌う事は滅多にない。だから、それを理由に嫌われる事もない。

 そう思うと、人に嫌われる事の方が圧倒的に少ない事に気が付いた。

 否、そう思っているだけで、本当は嫌われているのかも知れないが…。

「お母さんの面影だよ。

 良いものを受け継いだね。」

 高遠の表情が、一層和らいだ。

 その顔つきで、ユリは悟る。母と高遠との間にあった、何かを。

 だが、それはユリにとって蟠りになる事はなく、寧ろ、胸いっぱいに深呼吸したくなるような、そんな想いを抱く事だった。

 非常な事件に巻き込まれた母であるが、普通の人である過去が明らかになるのは、嬉しい事だ。

「有難うございます。」

 ユリが礼を言うと、高遠はくすくすと笑って、「そういえば」と話を切り替えた。

「とーるちゃんとの生活は、どう?」

 高遠は、まるで女子高生のようにデスクに両肘を突き、頬杖を突いてユリを見上げた。

「え…。どう…って…?」

「とーるちゃんね、あれでも結構純情なオトコノコなのよ。

 普段も無愛想なんだけど、家だとどうなのかなって。

 ホラ、ボクらは彼のプライベートを覗けないから。」

 むふふと笑う高遠は、本当に女子高生のようだった。彼氏が出来たばかりのクラスメイトに、塩梅を聞く様な感じだ。妙な事だが、親近感を覚える。

「純情…。

 ああ、でも、そうかも…。

 了って、普通の男の人だなって感じる事が多いです。」

「やっぱり?」

 高遠の瞳が輝いた。

「ええ。

 車も、あんなスポーツカーでしょ…? 趣味が普通の男の子というか…。

 あ、そういえば、マンションは格安で借りてるとか言ってたけど、車は高級ですよね…?」

「ああ、それね…。」

 高遠は当然と言う顔で頷いた。

「?」

「うち、銃の通常携帯が許可されてるのは聞いてる?」

 確か、以前了が言っていた。

「はい。」

「通常携帯が許可されている理由は、つまり発砲の可能性が高い任務が多いと言う事。追う容疑者がその分凶悪、という事だけど。

 それを理由にね、生命保険費用が支払われるの。これ、内緒の話ね。

 我々はその費用を使って、自由に多額の生命保険をかけられる代わりに、国や組織を訴えないという取り決めがあってね。」

 万が一死亡しても、金を前以て払って置く事で、余計な訴訟が起こらない様に”保険をかけている”という事か。

「直ちゃん、美香ちゃん、隆ちゃんはちゃんと保険かけてるらしいんだけど、とーるちゃんはかけない主義みたい。

 その分を車とか、仕事に必要なものに使ってるみたいよ。」

「え…、でもそれって…。」

「うん?」

 首を微かに傾げる高遠を見るユリの顔が曇る。

 それはつまり、死なないと高を括っているか、死んでもその保障は受けないという事か、何れか…。何だか、背中がぞくっとした。

 ユリの表情を見て、高遠が姿勢を変えた。背凭れに凭れ、ポケットに手を突っ込む。

「…とーるちゃん、たまに、生きる事を止めちゃうんだよね。」

「生きる事を、止める…?」

「ユリちゃん、とーるちゃんの首の傷、見た事ある?」

 ユリが拳を握った。

「…あります…。”男爵”に刺された…。」

「そう。

 あんな怪我をしても、平然とこの仕事続けてるでしょ。

 おじさんも心配でね…。」

 高遠が苦笑した。だが本当は、笑ってなどおれない心境なのだという事は、ユリにも解った。

「だからね。」

「はい…。」

「ユリちゃんが傍にいる事が、大事なの。

 ずっとユリちゃんのために生きて来たからね。」

「…。」

「野暮な事を言うけどさ、とーるちゃんにとって、今、ユリちゃんという存在は、生きる事そのものなのよ。もしかすると、今やユリちゃんだけでなく、エルシもそういう存在かも知れないけれど。

 悪い意味ではなく、ユリちゃんがいる事で、あの事件も生きてくる。その事件のために、とーるちゃんは生きてる。

 今更、止めるわけにいかない。」

「…でも…、それじゃ…。」

「言ったでしょ? 悪い意味ではないって。

 どういう事かは、そのうちとーるちゃんが話すと思うけどね。

 だから…。」

 高遠が、また頬杖を突いた。

「あんなだけど、懲りずに仲良くしてあげて。」

 ウィンクまでする。

 ユリは一瞬「う」と身を引くも、了の寝顔を見ていて思った想いを思い出し、深く頷いた。

 了のために出来そうな事がある事が、嬉しい。

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