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第ニ話 出せない船




 俺達は水の神の若い神官、ウルクに紹介された『水龍亭』に宿を取った。


 古いが掃除の行き届いたこの宿には、船が出せないことで母国に戻れない人達が溢れており、宿の部屋はほぼ埋まっている。

 これは『水龍亭』だけでなく、どこの宿も似た状況のようだ。


 顔の効く水の神官の仲介がなければ一見である自分達だけでは宿を取ることは難しかったかもしれない。


 三国協定が破られて一ヶ月。

 手持ちの金に不安があったり、足止めを受けたりしている者達の顔には焦りの色が濃い。何も出来ないことも彼等の苛立ちに拍車を掛けているようだ。


 そんな怒声混じりの話し声の聞こえる『水龍亭』の食堂で、俺達は昼食を取りながらウルクから貿易都市エールの状況を聞こうということで、四角いテーブルを囲んでいた。


 女性と間違えられて怒り狂っていた彼は、今は冷静に、時折眼鏡の位置を直しながら俺の対面に座っている。



「いや本当に見苦しいとこを見せて申し訳ない。間違われること多いんすよ」

「髪切ればいいんじゃない?」



 しょんぼりと肩を落としているウルクにシーリアが頭の後ろに手を回し、ハサミで切る仕草をしながら不思議そうに聞く。

 全体的に女性っぽい彼だが、確かに一番目を引くのはその長い髪だ。


 ウルクは、はぁ……と大きくため息を吐いて答える。



「結婚するまで切れないのが、うちらの風習なんすよ」

「『湖の民』の?」



 喧嘩をしていた男の言葉を思い出し、確認の意味を込めて横から口を出した。

 そんな俺に対してウルクは気を悪くする様子もなく、こちらを向いて小さく頷く。



「そうそう。『湖の民』の風習なんすよ。若いもんはみんな切りたがってるんすけどね」



 彼は苦笑いしていたが、切ろうとしないあたり風習は大事にしているのだろう。


 『湖の民』は三国協定に大きく関わっているはずだから、その一族である彼から正確な情報を聞くことが出来るのは有り難いことなのかもしれない。


 これからの行動の指針が立てれそうだ。



「それじゃ……貿易都市エールの状況を聞かせてもらっていいかな」

「あ、すんません。本題からずれてたすね。ケイト達はこのエールについてどのくらい知ってるんすか?」



 彼からの質問に、俺は一ヶ月前の貿易都市エールの情報、元々は三国で湖に関する協定を結び、それを『湖の民』が中立の立場で証人になっていること等を説明した。


 俺からの説明を聞くと、ウルクはむむむ……と下を向いて唸り、顔を上げる。



「よく調べてるなあ。一ヶ月前までなら完璧すよ。だけど、何を血迷ったのかディラス帝国が協定を破棄しやがったもんで、大混乱状態ってところなんすよね」

「しかし、協定を破るにしても理由が……」

「それなんすよっ! やつら言うにことかいて……」



 ウルクは怒りに身体を震わせ、だんっ! とテーブルを叩いた。

 いきなりのウルクの激昂に、シーリアはびくっと飛び上がったが、クルスは反応せずに落ち着いて水を飲んでいる。



「俺達『湖の民』に湖賊の疑いがあるから信用出来ないって言いやがったんすよ!」



 余程腹に据え兼ねているのか、ウルクは声を震わせながら現在起こっていることを口早に説明していく。彼にとって『湖賊』という言葉は侮蔑の言葉らしい。


 主観も混ざっていそうだなと俺は思いつつも、現在、この貿易都市エール……いや、エーリディ湖に起こっている問題を彼の話から把握していた。


 ウルクの説明を簡単にまとめると、ディラス帝国が『湖の民』を『湖賊』……すなわち、湖で盗賊を行う者であると決めつけることにより、協定を破棄。


 貿易都市エールが所属するピアース王国や湖を物流の要として利用しているヴェイス商国は抗議を行うも、実力でディラス帝国を排除しようとすれば、湖だけでなく、陸においても全面戦争に繋がってしまうために、『湖の民』を二国の合同艦隊が守るに留まっている。


 協定の証人である『湖の民』が害されれば、完全に協定は破棄されてしまう。

 そうなれば三国を中心として戦乱が始まる。両国の首脳達はそれだけは避けたいと考えているらしい。


 だが、一触即発の状況のようだ。不満は抑えきれなくなっている。


 エーリディ湖周辺で最も信仰されている水の神『エルーシド』の幹部が間に入って交渉を重ねているが、ディラス帝国の姿勢は強硬で協定破棄を撤回する様子は無いらしい。



「ディラス帝国の言い掛かりを何とかするために『リブレイス』……俺達のような少数部族を支援してくれてる互助組織も動いてくれてるんすけど、どうなるやらで」



 心底困ったという様子でウルクは苦笑する。

 『リブレイス』……俺達と戦ったゼムドやサイラル達の所属する組織の名前だ。


 この名前を聞くだけで胡散臭いと思う俺は疑いすぎなのだろうか。

 それとも、今回のように彼等を助けようとしている姿こそが本当の姿なのか……。



「それで、ヴェイス商国に船は出そう?」

「軍隊がディラス帝国に釘付けすからね。湖賊がやりたい放題なんすよ。みんな怖がって船なんてとてもとても。その結果がこの宿の状況。見てくださいよ」



 ウルクは昼間から不満そうな顔をしながら酒を飲んでいる男達でひしめく店内を見渡して肩を竦める。



「陸路はどうかな? 湖に沿って歩くとか」



 船には問題なく乗っていけるだろうと思っていた。

 だが、そうでないならば多少時間が掛かろうとも他の道を選ぶ必要がある。


 湖に沿って歩いて向こう側まで行くことは出来ないのだろうか。

 俺は知ってそうなシーリアの方を見たが、彼女は首を横に振る。



「自殺行為よ。湖沿いの道は魔物と盗賊の無法地帯になっているわ。陸路の安全な道を選ぶならかなりの大回りが必要になる。大河も何本も超えなくちゃいけない。何ヶ月掛かるか……」

「でも、ここで待ってもいつになるかわからない」



 クルスもシーリアも難しい顔をしながら考え込む。

 そんな重い雰囲気を吹き飛ばしたのはウルクだった。彼は眼鏡を一度触り、不安を吹き飛ばすように明るく笑う。



「ま、明るい話もあるんすよ。『リブレイス』の人達がディラス帝国の水の神官を通じて交渉してくれて、ディラス帝国が妥協案出してくれたらしいんで、今日の交渉次第では解決なんす」

「その組織は信用できるの?」



 クルスは不思議そうにウルクに訊ねる。

 俺達にとってはあまりいい思いのない……というか、完全に敵だと思っている組織だが、彼の口振りではその組織を疑っている様子はない。



「そりゃそうすよ。うちら少数部族は立場弱いすからね。助け合いは大事なんすよ」

「なるほど」



 何を当たり前のことをといった雰囲気でウルクが答えたため、俺はクルスに目配せし、追求しないよう合図する。

 俺達に害を為す相手が彼等に害を為すとは限らない。


 『リブレイス』の話題になったため、何かを思い出したのかウルクがあ……そうだ! と声を上げて、俺の方を見る。



「そういや今日来る『リブレイス』の人達の代表の名前、ケイトに似てるんすよね」

「へー……何て名前?」



 何だか嫌な予感がした。いや、確信というべきか。



「カイル・アルティアって人なんす」



 クルスがコップを落としそうになり、シーリアは驚きで目を見開いでいた。俺は動揺する心を何とか表に出さないようにしながら深呼吸をする。



「兄だよ」

「まじすか! ケイトも獣人に偏見ないし、もしかしたらって思ってたんすよね!」



 ウルクは、がたっ! と椅子を倒しながら立ち上がり、俺の手を取ると「あー嬉しいなぁ」と満面の笑顔で喜びの声を上げていた。


 俺は苦笑いを返すのが精一杯だったが。




 現状の説明を終えるとウルクは仕事があるらしく、明日また、様子を見に来ますと言い残して楽しそうに去っていった。


 人と話すのが好きな青年なのだろう。水の神の信徒として、人々の不満を聞く、不安を出来る限り取り除いていくのだと彼は言っていた。

 良い神官なのかもしれない。


 彼が去った後、俺達は宿の周辺を探索し、ある程度、道を把握すると港の方まで歩いていく。日は傾き始めているが『水龍亭』は湖の近くにあるため、まだ時間は大丈夫だと思う。



「広いね」

「魚の生臭い匂いがする。きついなぁ」



 クルスが楽しそうに呟き、鼻が効くらしいシーリアは顔をしかめている。

 魚の臭いも俺には微かしか感じられないが……遠くに漁場が見えるため、そこから匂いがこちらまで届いているのかもしれない。


 目を細めて水平線を見ながら、本当にエーリディ湖は海ではないのだと感じる。

 懐かしい記憶……海の……潮の香りが一切しないからだ。


 船を出せないため、人通りのまばらな港で俺達はエーリディ湖を眺める。


 動揺が過ぎ去ると俺達は落ち着いて、新しい街に来たことを楽しめる気分になっていた。色々なことに巻き込まれ、良くも悪くも図太くなったのかもしれない。

 サイラルを斬ったことへの後悔は今でもあるが、切り替えは出来ている。


 城塞都市カイラルの学院で前もってヘインから仄めかされていたこともある。ゼムドやサイラルとの事件を通じて、俺はある程度覚悟をしていた。


 カイル兄さんや俺達よりも先に村を出た幼馴染のホルスが……俺達が敵対した組織に所属していることを。あの時一緒にヘインから話を聞き、ヘインが二人を疑っていることを怒っていたマイスがここにいたら、どんな顔をしただろうか。


 兄さん達がどんなことを考えて、そこに所属しているのかはわからない。


 数年の間に何があったのか。

 もしかしたら、会う機会もあるかもしれない。その時には、確認しなければならない。


 彼等の考えを知ってどうなるのか……そんな思いはあるが。

 もし、二人と闘うことになればどうか。


 完全に敵意を持っていたサイラルですら躊躇し、後悔が残っている俺に二人と闘うことは出来るのだろうか。無理かもしれないと苦笑いする。


 そんなことにだけはなって欲しくない。


 クルスやシーリアには話していなかったのだが、彼女達も落ち込んでいる様子はない。

 付き合いの少ないシーリアはともかく、クルスの強さは凄いと思う。



「船ってこんなのなんだね」



 クルスが無邪気に杭に触りながら興味深そうに船を観察している。

 そんな姿がクルスにしては珍しく歳相応に思えて、俺は穏やかな気分でそんな彼女を見ていた。


 繋がれている船……それは俺の知っている船に似ているようで随分違う。

 大きな船になると、小さめの家くらいの大きさがあるが帆はないし、漕ぐためのオールも見当たらない。どうやって動かすのか検討も付かない。



「どうやって動かすんだろうね」

「それはね……むぐぐっ! ぷはっ! 何するのよ。クルス!」



 待ってましたとばかりにシーリアは説明しようとしたのだが、クルスがシーリアの背後から口を抑えて黙らせてしまう。

 シーリアは尻尾を逆立てて怒っているがクルスは悪びれる風もなく、船の方に向きなおして小さく呟く。



「乗る時の楽しみ」

「ぷっ……そうだな。シーリア。知らない方が面白いこともあるよ」



 俺も笑ってクルスに同意する。シーリアは拗ねたようにそっぽを向いてしまったが、こればっかりは俺もクルスの味方だ。出来れば自分で調べてみたい。


 クルスはしばらく船を見て廻り、俺達はそれに付いて歩く。

 一段落調べ終えたのだろう。クルスは振り返り、俺を見た。



「ケイト。カイルがいるということは……ホルスがいる」

「誰それ」

「俺達の親友だよ」



 俺はシーリアにそう、短く答える。



「クルス。ホルスを見つけたらどうする?」

「締める。カイル共々」



 クルスは無表情のまま宙に両手を伸ばし、きゅっと締める真似をする。

 彼女の仕草がなんだか可愛くておかしくて、俺は笑いながら頷いた。





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