第一話 貿易都市エール
貿易都市エールは、海と見間違うほどの広さを持つエーリディ湖の北部に位置している、名前の通り、他国との貿易によって栄えている街である。
もちろん、この街の産業は貿易だけではない。
湖の豊富な水は漁業や農業にも大きな影響を与えている。
エールの低い城壁が見える付近では水路が整然と何本も引かれ、一面に農地が広がっていた。
城塞都市カイラルもそうだが、ピアース王国では農業に力を入れているのかもしれない。
大きな荷物を荷車や馬車に積んだ商人、肌の色が違う旅人などとすれ違いながら俺達は貿易都市エールの城門を潜る。
「うーん、他国と接している割には城壁が低いな」
「それがどうしたの?」
俺は潜った城門を振り返る。クルスは俺の独り言を拾って、不思議そうに首を傾げた。
「この都市は重要な都市のはずなんだよ。戦争を想定してないのかなと思ってね」
「想定されているわよ?」
俺の疑問に自信あり気に微笑みながら答えたのはシーリアだ。
シーリアは腰に手を当てて割とある胸を反らせ、尻尾をゆっくり振りながら自慢げに説明する。
「軍港と貿易港を分けているの。エールを挟むように二つの軍港……要塞が作られているわ。この二つを無視して攻めることは難しいの。そして城壁が低いのは……」
「万一奇襲されて落とされた時に取り返しやすいようにかな」
俺がそう推測し、答えるとシーリアは「うっ」と少し呻いて耳を伏せ、拗ねたような、非難するような目で俺を見る。合ってたらしい。
街の成り立ち方はその時代時代の権力者達が、知恵を絞って考えているのだろう。
俺が考えていること、シーリアが学んできた街の成り立ちの理由、それらが全て正しいとは思わないが、一つ一つの街に特徴があって面白い。
「最後まで説明させてよ……」
「あ、ごめんごめん。流石、学院で学んでいるだけあるね」
「まぁいいわ。守られているエールにそれでも城壁があるのは、治安上の理由。ただでさえ色んな国の商人や旅人が集まる街だからね」
なるほどね。と、俺は呟いて街の方を見る。
カイラルも様々な人種が集まっていたがそれはあくまで少数派で、ピアース王国の出身者の特徴を持つ者が人口の大部分を占めていた。
この街は違う。明らかに外国の人間らしき肌の濃い商人や、俺達の国の服装とは全く違う肌の露出が多い服装をした者達が同じくらいの割合で歩いている。
人間だけでなく、ドワーフや獣人のように明らかに人間ではない者も多い。
「もっとも……ピアース王国、ディラス帝国、ヴェイス商国は三国協定を結んでいるから戦争なんて起こらないと思うけど」
「三国協定?」
クルスはシーリアの態度にむっとしながらも、興味があったのか人通りの多い街の中を歩きながら彼女に質問する。
シーリアは余裕そうな態度で人差し指を立てて振りながらクルスに答えた。
「簡単に説明すると三国の間で決めた、エーリディ湖の使用に関するルールね」
「なるほど」
「エーリディ湖にある島々に住んでいる『湖の民』が三国から中立の立場に立ってこの協定の証人になっているの。その協定のお陰で貿易が盛んになっているのね」
すらすらと説明するシーリアに、クルスは納得したように頷く。
出発が急だったこともありエーリディ湖に関してシーリアが調べる時間は無かったはず。
ということは、彼女は普段からしっかり学んでいたのだろう。
「ふふん。私が役に立つってわかったでしょ?」
「うざい」
悔しそうなクルスの捨て台詞を聞いたシーリアは楽しそうに笑う。
だが、貿易が盛んで発展している割には……。
「何だか活気がないね」
俺の呟きにクルスが頷いて同意する。
確かに色んな人が街を歩いているし、国際色豊かな色々な物を売り捌いている様子は見てとれるのだが、どことなくピリピリしている気がするのだ。
シーリアが「あれぇ?」と首を捻り、クルスは彼女に「適当なこと言った」とジト目で見つめている。
俺はシーリアの説明は正しいと思う。
前もってある程度調べていた情報とも一致しているからだ。
そんな風に三人で雑談しながら宿を探すため、木材と土で作られた建物や屋台、布を引いて物を売っている商人達の隙間を縫うように歩いていると、目の前から怒鳴り合う声が聞こえてきた。
「ふざけんなっ! この野郎!」
「な、な、言い掛かりだ! 許可は取っている! 俺に何の関係があるってんだ!」
どうやら喧嘩のようだ。状況がよくわからない俺達は立ち止まり、集まった野次馬達に混じって様子を窺う。何やら様子がおかしい。
「やっちまえ! どうせディラス野郎のせいだ!」
「おーおー! いいぞ! ディラス野郎に商売させるなっ!」
ピアース王国の人間らしい筋骨隆々の大男が地面に荷物を並べている肌の色の濃い錆色の髪の細身の青年を相手に言い争いをしている。ここまではまあ普通の光景だろう。
だが、野次馬達は大男に難癖を付けられている青年ではなく、全員が大男の味方をし、罵声を飛ばしている。これは異常だ。
このままいけば集団リンチになってしまうかもしれない。
「どうする?」
「状況が掴めない。ちょっと待って」
小声で俺に確認したクルスに俺は同じように小声で返し、罵声を飛ばしていない小太りの中年の男の肩を叩く。
彼も罵声は飛ばしていないものの青年を憎々しげに睨んでいる。
「おじさん、あれは何してるのかな?」
「見たらわかるだろ。ディラス野郎を締めたくもなるさ。ざまあねえぜ」
「俺達は今日街に来たばかりなんだ」
俺は銅貨を一枚取り出し、その男に握らせる。
小太りの中年の男は一瞬驚いた素振りを見せたが、にやりと笑う。
「礼儀を知ってる小僧だな。一ヶ月くらい前、ディラス帝国が三国協定を一方的に破棄したんだ。他二国は抗議しているらしいが一向に解決しねえ」
「え、そんなことなったら、貿易商は……」
荷が止まる。それは他国と商いを行う者にとっては致命的なことではないだろうか。
戦争が起こっていないことが不思議ですらある。
ディラス帝国は軍国主義で、軍事力は確かに高いが二国で当たれば湖の主導権を取ることは不可能ではないはず。
「廃業したやつもいるな。貿易商だけじゃねえ。この国と他の国の航路をディラス帝国が塞いでいるせいで、そっちにゃ船も出せない状況さ。みんなイライラしてんだよ」
国同士の関係は確かに重要だが、俺達にとって大きな問題はこちらだ。
当面の目的地はヴェイス商国。争ってはいない国だが、下手をすれば船が出せないかもしれない。どうしたものか……。
そんなことを考えている間にも、言い争いはヒートアップしていく。
青年は大男や野次馬達相手にも一歩も引くことなく、言い返している。
このままではまずい。俺達は険悪になっていく空気を感じていた。
危険だが助けるか? だが、助ければ俺達も感情の赴くままの暴走に巻き込まれるかもしれない。
俺は迷いながらも前に出ようとして……後ろから来たがっちりした法衣姿の山のような大男にぶつかられ、横に押されてしまう。
「お~っとすまんね、はい通して通して~」
背も高いが横にも大きい。ぶつかった俺に頭を下げた時に見えた表情は穏やかそうだった。そんな彼は野次馬を掻き分けながら、言い争いを続けている男達の所へと歩いていく。
「ありゃ、水の神の神官様か。解決解決」
俺に説明をしてくれた中年の男はそう言って野次馬から離れていく。
どういうことだ? と思いつつ、俺はクルスとシーリアと共に、最前列まで野次馬を掻き分けて移動した。
俺を押しのけた法衣姿の大男は言い争いをしている二人の中央に立ち、穏やかに微笑んでいる。当事者の二人は戸惑っているようだ。
野次馬達の罵声も止み、全員が大男に注目する。
彼は落ち着いた様子で筋骨隆々な男と錆びた髪の色の青年の肩に手を置いた。
「水の神はこのような争いを望んではいない」
「カリフ様……」
錆びた髪の青年は法衣の大男を知っているらしく、先程まで抱いていた怒りも忘れて呆然と呟いている。
「おい、水の神はディラス野郎の肩を持つってのか!」
しかし、もう一人の男の方はカリフというこの神官を知らないのか、突如自分の邪魔をした彼に対して激昂した。
だが、法衣の神官カリフは錆色の髪の青年を自分の後ろに隠した上で首を横に振る。
「どちらの肩も持たん」
「それなら邪魔だ。引っ込んでろっ!」
周りの野次馬達が騒めく。先程のように喧嘩を望んでいる様子ではない。
戸惑うような、畏れるような……そんな感じか。
この街ではエーリディ湖があるために、水の神の信仰者が多い。
書物から得た情報だが、本当なのだろう。
「湖の恩恵を受ける者は皆平等……だが、君達の怒りをわしは理解しているつもりだ」
カリフは激怒している男よりも一回りも二回りも大きな巨体を彼の方に向けると、どっしりと座り込む。
「ディラス人の代わりにわしを殴るといい」
彼は緊張もせずゆったりとした雰囲気でじろりと男を見上げる。
男は呻いて迷っていた。だが、余程の怒りを抱えているのか暗い笑みを浮かべる。
野次馬も止めたがっている雰囲気のため、今度こそ俺は止めようとしたのだが、今度は勢い良く背中から誰かにぶつかられ、転けてしまう。痛い。
「いい度胸だぜ」
「やめて、だめだめ、やめてくださーい! カリス様何してんすかっ!」
俺に勢い良くぶつかった華奢な法衣の女性……いや、男性か?
不思議な髪だ。カイラルでも見たことがない不自然な程に……空のような青。自然の色なのだろうか。
華奢で育ちが良さそうな、眼鏡を掛けた長くて青い髪の美しい青年は、息を切らしながら走ってきて山のような大男に縋り付くようにしがみついていた。
「今日も交渉あるんすよー。立ってください!」
「む、しかしだな。大事なことなのだ」
なんだか、顔と口調にギャップがある気がするが……声を聞くと男性であることがわかる。
座っている大男、カリフは青年を見て困ったように呟いていた。
一方、無視された筋骨隆々の男の顔は赤黒く染まり、足を踏み鳴らしている。
「てめえ、『湖の民』か! お前等にも言いたいことがあるんだ!」
「え、え、えー! なんすか?」
問答無用で事情がわかっていなさそうな青年を殴ろうとしていた男の腕を、俺は青年の前に出て受け流し、男の背中に腕を廻して傷つけない程度に締め上げた。
俺は怒声を上げ続けている筋骨隆々な男に背中から、ゆっくりと囁く。
「水の神の神官を殴るのはこの街では危ないのでは? 周りを見てください」
「なんだと! う……」
俺の声に促され、男は周りを見渡す。
初めは彼に味方していた野次馬達も困惑した表情をしていたり、神官達を助けようとしている。放置していては、先程のディラス帝国の青年と同じようになりそうだ。
俺は他からは見えないように背中で軽く締めている手に銅貨を握らせる。
「貴方の気持ちもわかります。これでお酒を飲んで憂さを晴らしてください」
「う……しょうがねぇ。わかった。だが、俺だけじゃねえぞ」
手を離すと、男は「見世物じゃねえ」と野次馬に怒鳴りながら去っていった。
俺だけじゃない……か。
身の安全を考えればこの街には長居をしない方がいいのかもしれない。
クルスとシーリアとも話し合う必要がありそうだ。そう考え、落ち着ける場所を探そうと二人に声を掛けようとした俺の背中を、重い衝撃が走った。
「ごほっ! な、なんだ?」
咳き込みながら後ろを振り向くと、法衣姿の山のような大男、カリフが人の良さそうな笑顔を浮かべて立っていた。どうやら背中を叩いたのは彼らしい。
カリフは深く腰を曲げて、俺に頭を下げる。
「感謝する」
「大したことはしていません」
俺は小さく作り笑いを浮かべた。
早々に立ち去るべきだろう。水の神はこの街では一定の力を持っていらしいし、現状がわからない今は何に巻き込まれるかわからない。
「中々の手際であった。見たところ旅の者のようだが」
「はい。今日来たばかりです」
「ふむ……」
カリフは少し考える仕草を見せた後、青い髪の青年の腕を掴んで俺達の前に出す。
「ウルクに街を案内をさせよう。本来ならわしがやりたいのだが、用事がな」
「ええっ! 何でですか!」
「なら、わしが案内しても良いか?」
若い華奢な青年は抗議の声を上げたが、落ち着いたカリフの楽しんでいるような脅しに、屈するように肩を落とした。
俺としても彼の案内は出来れば遠慮したいのだが。
「お気遣いなく。俺達は大丈夫です」
「ほ、ほらカリフ様。彼等もこういってますし!」
案内が面倒なのか、ウルクと呼ばれていた青年も俺に同調する。
だが、カリフは重々しく大きく首を横に振った。
「いかんいかん。今の情勢では何に巻き込まれるかわからんのだ。旅の者の安全を確保するのも我等、水の神の信徒としての仕事だ」
「命令ですか?」
「うむ」
諦めたウルクの問いに力強くカリフは頷く。
これはまずいと今度は拒否しようと思ったのだが、カリフは俺に向かって笑みを浮かべると、俺ではなく、俺達の様子を見守っていたクルスとシーリアの方を向いた。
「どうだお嬢さん方。我らは湖のことならば何でも知っておる。安全な宿も美味しい店も……湖に接している外国のことも」
クルスとシーリアは顔を見合わせる。
そんな二人にカリフは茶目っ気のある笑顔を浮かべた。山のような大男なのに、そんな和ませるような笑顔が妙に板に付いている。
「そっちの少年が喜びそうな、お嬢さん方に似合う服やアクセサリーの店もな」
「……私は別に構わない」
「服とかはともかく、宛てもなく宿を探し回るよりはいいかもしれないわね」
俺は左手で髪の毛をわしゃわしゃと掻いた。
水の神の神官達は悪そうには見えないが……宿を教えてもらい、早めに宿を変えられるようにすればいいかと、俺もカリフを見て頷く。
「ありがとうございます。お世話になります」
「うむ。これも水の神のお導きだ。ウルク、しっかりな」
「わかりました……カリフ様、交渉任せますよ。ほんと……」
泣きそうな顔でウルクはカリフに頼み、カリフも真剣な表情で頷いた。
「今の状況が続けば危ないからな。それでは、ああ、自己紹介を忘れていた」
立ち去ろうとして、カリフは振り向いて俺達の方を向く。
「わしはカリフ・ライグ。そっちの若いのはウルク・エルード。水の神『エルーシド』様に仕える神官だ。お前達は?」
俺はクルスとシーリアの前に立ち、少し考えて彼に名乗る。
「ケイト・アルティア。仲間の二人はクルスとシーリアです。よろしくお願いします」
「うむ、また機会があれば酒でも飲もう。では、またな」
俺はわざとクルスとシーリアを名前しか紹介しなかった。
クルスはともかくとして、シーリアは……ラキシスさんに迷惑を掛けてしまう可能性があったからだ。あの人……いや、エルフは色々と旅をしているらしいし、相手が知っていないとも限らない。
そして、彼はウルクを残し、今度こそ何らかの『交渉』を行うために去っていった。
「本当に申しわけない。ウルクさん、よろしくお願いします」
「あ、いや、いいんすよ。何時ものことだし、カリフ様の言ってることも正しいんで。あ、俺のことはウルクでいいんで。よろしく。ケイトさん」
「俺もケイトでいいですよ」
華奢な青くて長い髪の青年、ウルクはやれやれと肩を竦め、眼鏡を弄りながら気分を切り替えるように「よし」と小さく声を出すと俺達に人懐こい笑顔を見せる。
「ま、どうせなら楽しくいきやしょうや。まずは何処行きますかね?」
「宿をお願いします。泊まる場所は確保しないと」
「了解了解……ん? なんすか? クルスさん……だっけ?」
明るそうな笑顔を見せたウルクを何故かクルスがじっと見つめる。
彼女が初対面の人間に対し、こんな反応をするのは珍しい。
シーリアも何だろうと不思議そうな顔でクルスを見ている。
クルスはウルクを見つめ、ぽそっと呟いた。
「男?」
「男っすよ! 正真正銘! ここで証明しやしょうかっ!」
確かに彼は男にしては背も低めだし、女顔だが……流石にそれは可哀想ではないだろうか。
余程間違われるのが嫌なのか、謝っているクルスの前で法衣を脱ごうとしているウルクを必死に宥めながら俺は苦笑していた。
面倒なことには巻き込まれないようにしないとな……と。