閑話 故郷にて
村に戻ってから数日が経ったある日、俺はマイスに誘われて、とりとめもない話をしながら村の中をゆっくりと歩いていた。天気は良く、初夏の静かな風が心地いい。
マイスが初めに俺を連れてきたのは、俺達も子供の頃よく遊んだ村外れの草むらだった。
背の低い草が一面に広がった草むらでは俺達がそこで遊び回っていたように、今は新しい世代の子供達が楽しそうに追いかけ合ったりして遊んでいる。
昔の俺達もきっと、こんな風に無邪気で楽しそうだったのだろう。
そう思うと、自然に笑みが溢れる。
「おぉ~い! ケイトを連れてきたぜ!」
「あ、マイス兄ちゃん。ほんとだ!」
「ケイト兄ちゃんだ!」
マイスが手を振って大きな声を上げると遊んでいた、子供達が俺達の立っている場所へと集まってきた。村中の子供が集まっているのでは……と思うほど今日は子供の人数は多い。
男の子が多いが女の子も混じっている。皆一様に好奇心を抑えきれないといった感じのわくわくしているような表情で俺達に注目していた。
俺はどういうことかとマイスに視線を向ける。
「こいつら俺の話じゃ信じねえんだよ」
「だって、マイス兄ちゃんいちいち大袈裟なんだもん!」
「そーだそーだ!」
子供達の非難にマイスは笑いながら肩を竦め、ばしっと俺の肩を叩く。
「お前らもこいつの話なら信じるだろう?」
大袈裟に胸を反らせてマイスが子供達に向かって問いかける。
周りに集まっている子供達は、そんなマイスを見て楽しそうに声を上げて笑った。
「ケイト兄ちゃんならなぁ」
「なんか嘘とか付けなさそうだしっ!」
「マイス兄ちゃんと違って真面目だもんねっ」
「ひでーな、俺だって真面目だぜ?」
マイスは草むらに座り込んでしょんぼりと肩を落とし、落ち込んでいる振りをする。すると、子供達の中でも幼い少女が転びそうになりながら彼に近づき、ぽんぽんと背中を叩いた。
「わたし、まいすにーちゃ、しんじてる!」
「おう、ありがとな!」
笑顔でその子にマイスは礼を言って、膝の上に載せた。俺はそんな彼の隣に座り込む。
子供達も俺達に倣うように俺達の前に座った。
こうやって冒険のことを話すのは初めてではない。俺もマイスもクルスも……そして、シーリアも話をしている。だけど、子供達の好奇心はまだ満たされていないらしい。
子供達にシーリアは特に人気だった。耳と尻尾が好奇心の対象らしく、彼女は本気で逃げ回り、子供達は楽しそうにそれを追いかけていた。
今回はマイスをだしにして、俺から話を聞きたかったのだろう。
マイスはおそらく俺よりも子供の信頼を掴んでいると思うし、子供達は彼の話もきっと信じていると俺は思っている。
俺はそこまで考え、わざとらしく大袈裟に咳払いして子供達に笑いかける。
「よし、じゃあ今日は俺がマイスの大袈裟な話とは違う、本当の冒険の話をしよう!」
「おいおい! 酷いなケイト」
マイスは苦笑しながら頭を掻き、子供達はそんなマイスを見て楽しそうに笑っていた。
「それじゃまず何から話そうか……」
「迷宮! 迷宮っ!」
「えーっ! 城の話がいいー!」
「わたし、えるふさんききたい」
子供達のばらばらな要求に、俺はゆっくりと答えていく。
時には楽しく、時には子供達の好奇心をさらに煽るように、そして、迷宮や魔物など危険を伴う話では少し怖がらせることを意識しながら。
「こんなものかな?」
「なぁケイト兄ちゃん。マイス兄ちゃんとどっちが強いの?」
一通り話を終えた俺に、身体の小さな少年……確かカースという名の少年だ……が真っ直ぐ見つめて、唐突にそんなことを聞いてきた。
子供達を見回すと全員が気になっていたのか興味深そうに俺達を見つめている。
俺は内心とんでもないことを聞いてくるな……と苦笑しながらマイスに助けを求めた。
だが、マイスは何か企んでいるのか、にやっと俺に笑みを返してくる。
「馬鹿だな……お前らは。俺に決まってるじゃないか。身体のでかさが違うだろ」
「うーん確かに~ケイト兄ちゃんちっこいしなぁ」
マイスは膝の上に座っている子供の頭を撫でながら笑って胸を反らし、子供達も首を傾げながらも納得するように頷いた。俺に聞いてきたカースはしょんぼりしている。
(こいつは……)
俺は左手で頭を掻いた。確信犯だろう。
マイスは本気で言っているわけではない。誘っているのだ。
この説明では俺は子供達の教育のためにも逃げるわけにはいかない。
困ったやつだ……そう思いながらも、俺はマイスの誘いに乗る。
「カース。身体の大きさが強さではないよ。マイスより俺の方が強いんだから」
「え、ケイト兄ちゃん、本当?」
「ああ。身体が小さくても、戦い方が上手い方が勝つ。よく見ておくんだ」
疑っている小さな少年に俺は頷き、立ち上がって身体に付いた草を払う。
それを見たマイスも幼い少女をゆっくりと降して立ち上がった。
「そうこなくっちゃな。ケイト」
「子供が真似したらどうするんだ。この馬鹿」
「ははっ! 元気でいいじゃねえか」
全く悪びれずにマイスは笑い、子供達を見回す。
「おい! お前らはどっちが勝つと思う?」
「マイス兄ちゃん!」
「ううー……ケイト兄ちゃん!」
子供達は真剣な表情でどちらが勝つかを考え、声を上げる。
どちらかというとやはりマイスが多いか。
「ケイトと組手をするのも久しぶりだな」
「後悔するぞ。マイス」
俺達は昔の修行の時のように距離を空けて構え、笑いあう。
そして、マイスはその辺に落ちていた小石を拾い、高々と空に向かって投げた。
それが地上に落ちた瞬間、俺達は距離を詰めてお互いの拳をかわす。
「すっげー! ケイト兄ちゃーん負けるなー!」
「マイス兄ちゃん! やっちゃえっ!」
急に始まった俺達の戦いに子供達が歓声を上げる。
俺達はそんな子供達の応援に答えるかのように本気で殴り合いを続け、気がつけばそんな声も気にならないほどに集中し、戦っていた。
夕方になると俺達は子供達を家に返し、修行をしていた頃によく五人で雑談をしていた傾斜のある場所に二人並んで寝転がり、空を見ていた。
久々の本気の組手に身体は痛んで火照っているため、涼やかな風が気持ちいい。
「引き分けか。あー痛てぇ」
「子供の教育に悪そうなことさせるんじゃない」
「おっさん臭いこというなよ。お前が弱いもの虐めだけは絶対に駄目だ! って言い聞かせてたから大丈夫だって」
マイスは寝転びながらぐっと身体を伸ばして笑う。
「面倒なことは俺に任せて楽しむだけ楽しんだだろ。マイス」
「まぁ、そう言うな。お前も楽しんだろ。こう、退屈というか、もやもやした気持ちが溜まってるって顔してたぜ。お前。溜め込むタイプだからな。昔から」
マイスにそう指摘され、俺は自分の顔を触る。
確かに気分はすっきりしているだけに、マイスの言葉を否定しきれない。
そんな顔をしていたのかと左手で頭を掻いた。
「あいつらはお前のそういうところには気が付かないからな」
心配だぜ。と、呟き、マイスは上を向いたまま苦笑いする。
あいつらというのはクルスとシーリアだろう。
「そういや、カイラルに着いたばかりの時もそうだった」
「懐かしいな。もう何年も経ったみたいだぜ」
俺は街に着いたばかりの頃、緊張して、用心しすぎて、視野の狭い考えになっていたことを思い出す。
あの時もそれに気付く切欠を与えてくれたのはマイスだった。
「俺は残るからな。ケイトも自分で気をつけろよ?」
「ああ、わかった。ありがとう」
寝転がっていたマイスは身体を半分だけ起こし、夕日を見て目を細める。
微笑んでいるが寂しそうな、そんな表情に俺には見えた。
「あーくそ、俺も行きてえなぁ。黙って行ってしまうか」
「おいおい。本気か?」
思わず慌てて俺は身体を起こす。マイスはそんな俺を見て笑っていた。
そしてもう一度、頭の後ろで手を組んで草むらに寝転がる。
「冗談だって冗談。リイナも子供も放って行けねえよ」
「焦らすなよ」
俺は非難するようにマイスを見たが、彼は俺を見ず、遠くを見るように空に視線を向けている。
しばらく何も話さず、空を見続けていた。
何と無く俺も、もう一度寝転がって空を見る。やがて、マイスはぽつりと言った。
「見知らぬ街に行き、不思議な物を見つけ、新しい出会いを楽しんで生きる」
「ジンさんの家にあった『グルーク冒険譚』だな」
ああ。と短くマイスは肯定する。子供の頃にジンさんの家で、俺がマイスに勉学への興味を持ってもらうための教材に選んだ本だ。
「リイナは大事だ。ずっと一緒にいたい。だけど、お前と一緒に馬鹿をやりながら胸が踊るような冒険を続けていたいって気持ちもあるんだ。俺は変か?」
物事は単純には割り切れないこともある。
一つの決断をしても、他の答えを完全に忘却することは出来ない。
「いや、変じゃない。俺もマイスと旅できれば楽しいと思ってる」
「そっか。へっ……ままならねえな。自分で選んだことだってのによ」
マイスは答えを既に出していた。村に残るということを。
俺にとっても簡単に割り切れることではない。幼い頃から共に修行し、笑い合い、時には喧嘩をし、命懸けの冒険も共に乗り越えてきた親友と別れるのだ。
それを思い出すだけで、胸は締め付けられるように痛い。
「おい、ケイト」
「何?」
顔を少し横に向けてマイスを見ると表情を引き締め、真剣な表情をしていた。
「絶対に死ぬなよ。俺とリイナの子供、見せるからな」
「ああ、死なないよ。子供に自慢できる、最高の冒険者になってみせるさ」
それを聞くとマイスは大笑いして、からかうような顔でこちらを向いた。
「美女二人の尻に引かれていることで有名になってんじゃねえか?」
「あーえー、そ、それはない……はず!」
「何でそんな自信ないんだよっ! 無いって断言しろよ!」
俺達は赤に染まった草むらで顔を合わせ、声を上げて笑いあう。
思いの外長くなる親友との別れの時は間近に迫っていた。