外伝 七話 その後
大量に襲いかかってくる雪は濁流のような勢いで、氷の中位精霊である『ヘルムート』でもその勢いを押し留めることは無理かもしれないと、私は逃げながら考えていた。
魔力も最早無く、動くことは出来るものの傷は痛むし疲労も濃い。
まずいとは思いつつも、私は諦めることなく必死に山を駆け下りる。
結局、私は何とか雪崩からは逃げ延びた。
それが可能だったのは、周囲の雪が『イルファータ』に集められたため、逃げる場所には雪が無くて走りやすかったこと、そして『イルファータ』が私にくれた青い石の力のお陰である。
上位精霊のくれた青い石は私が危険に陥ると急に輝きだした。
すると目的地に到着するまで私達を襲っていた、狂った下級精霊達の様子が変化し、私を助ける為に集まり、雪崩の勢いを削いでくれたのである。
そして、雪崩からなんとか生き延びた私を待っていたのは……。
「まずいわね……ここは何処なのかしら」
半分以上の荷物を雪崩を失い、雪山の中、帰り道もわからないという現実であった。
私は困惑して思わず空を見る。透き通るような青空……天気だけは良かった……。
「ま、まぁなんとかなるわよね。登ってきたんだし、真っ直ぐ降りればいいのよ!」
無理をしたせいか魔力は三日間回復せず、迷いに迷い……私が山を降り、来た時とは違う獣人達の集落に付いたのは二週間後のことであった。
集落が見えたとき私はふらふらになりながら、次はちゃんと帰り道のことも考えよう……そう心に誓っていた。
何とか無事に城塞都市カイラルに戻り荷物を置いて身体を清めると、私はすぐに仕事の報酬を受け取るため、冒険者ギルドへと向かった。
喧騒に溢れていた施設が一瞬で静まり、私に視線が集中する……が、何時ものことなので気にせずカウンターに向かう。
そこには、依頼を受ける前にいた若い役人ではなく、何度かやり取りをしたことがある中年の役人が書類の処理を行いながら、依頼の受付も行っていた。
中年の役人は私に気付くと驚きで目を見開く。
「うぇぇっ! やっとくたばった……いや、お亡くなりになられたと……」
「危なかったけど生き延びたわ。ということは、報告は受けているわね?」
「は、はい。それで『イルファータ』は?」
愛想笑いを浮かべ、揉み手しながら中年の男は私を見上げてくる。
難しい依頼だ。失敗していたら聞きにくいとでも思っているのかもしれない。
失敗だなんて……私がギルドの評判をしたことがあるだろうか。いやない。
私は余計な心配をしている職員に微笑み、報告をする。
「ちゃんと解放したわ。消滅しているし二度と暴れることはない」
「本当だったのか……たまげたな。はぁ……助かったぜ」
上位精霊の存在にギルドはそれほど困っていたのだろうか。
何だか彼等を何時の間にか助けていたらしい。
私は護衛分の依頼と、シーリアの両親の依頼の報酬を分けて受け取り、鞄に直してカウンターを見ると、ふとあることに気が付いた。
「そういえば、前にいた若い役人がいないわね」
そう、私に依頼を説明してくれた若い役人……彼の姿がギルドから消えていたのだ。
依頼の説明も丁寧でよかったし、これからも贔屓にしてあげようと思っていたのに。
それを聞いた中年の役人はふぅ……と、何故か大きな溜息を吐く。
「あいつは俺達のために……遠いところにいっちまったんだ……遠いところにな」
「……?」
そして、中年の役人は私から視線を外し、目頭をそっと抑えた後、遠い目で前に若い役人が座っていた椅子を眺めていた。
他の役人も仕事の手を止めて、似たような視線を向けている。
彼に何があったのだろう。事情はわからないけれど……。
「そう。残念ね……また、来るわ」
ギルドに大きな関わりを持たない私に言えるのはそれだけだ。
踵を返すと私は冒険者ギルドを出た。私にはまだやることがある。
護衛の報酬だけでは税金に足りない。
シーリアの両親のお金はシーリアのために使うべきだろう。
「面倒だけど、ダンジョンに潜ろうかしらね」
報酬は少ないし、失った荷物のことを考えれば赤字だった。
だけど、私は爽快な気分で家路に着いていた。
私の実力に相応しい、満足する仕事が出来たと思いながら。
依頼を終えて一ヶ月経った。
ダンジョンに篭ってお金を稼いだ私は無事に税金を納め、のんびりとベッドに寝転びながら本を読む生活を、久しぶりに満喫していた。
寝間着のまま寝転がって甘い果物を齧りながら流行りの恋愛小説を読む。
人間の恋愛は面白い。
私には感情のままに愛するとかはわからないけれど、人は様々な理由で恋愛し、結婚し、子供を産んでいく。人間だけではない、寿命の短い種族は皆そう。
憧れるというわけではないけれど、私も一度は経験してみたい。なんだか、幸せっぽいし……って……。
(あ、こら、何で主人公そっちの子に浮気するの! ないない! ありえない!)
思わず私は本を思いっきり投げ捨てる。本は壁に当たって、ばさっと落ちた。
そして、床に散らばった大量の本に紛れてしまう。
「しまった。どこ行ったかな……」
投げてしまったものの先が気になるため、渋々ベッドから立ち上がり、無数の本の海から引き上げようとする。
その時、家の扉を乱暴にノックをする音が響いた。
「ん……?」
私は自分の部屋で首を傾げる。家の扉を開ける音がしたからだ。
勿論鍵は占めているし、私の家に盗みに入る命知らずがいるとも思えない。
私のいる二階へと軽快な音を立てて階段を登る音が聞こえる。
私はいつでも、戦えるようにベッドに座りながらも精神を集中させた。
そしてついに、部屋のドアがばしっ! と開けられる。
「久しぶりね。ラキシス」
家の中に入ってきたのは知っている女性。彼女なら確かにこの家の鍵を持っている。何故なら、この家は彼女と二人で購入した家だから。
本来ならこの街にいるはずのない女性。長い髪を後ろに縛り、簡易な旅装に剣だけを腰に差している……穏やかそうな雰囲気の三十代くらいの……久しぶりに会う人間唯一の私の友人。
「貴女、服は着替えなさいと……部屋は何時も片付けなさいと言わなかったかしら?」
「マリア……どうしてここに……」
マリアは微笑んでいた。だが、目は笑っていなかった。
私に説教するときの表情だ。寒くもないのに……身体が震える。
引退した今でも彼女の怒りに身体が反応するのは癖になっているからだろうか。
「貴女、シーリアにって……高そうな宝石を送って着たわね?」
「は、はい……彼女の両親のお金だったので……そ、それが何かっ!」
彼女はにこやかに微笑みながら、本をかき分け、ゆっくりと私に近付く。
「そう……彼女の両親の……命懸けでシーリアを助けたのは褒めてあげましょう。私だってそうすると思うしね。そこは責めない……本当に偉いわ」
「うん、そ、そうよね?」
助けたことに怒っているわけではないらしい。
だけど、彼女の表情からは怒りが消えていない。一体何に怒っているのだろう。
「だけどね……貴女は自分は家族だとシーリアに言って置きながら、最初から最後まで私に育てさせようと思っていたわね? 宝石だけ送って」
「あぅ……で、でもね! 私ってほら、子育てなんて出来ないしっ!」
「そんなことは知っているわ……私が怒っているのは」
マリアの笑みが消え、無表情になる。
自分の血の気が引いて行くのが聞こえた気がした。
「自分の言葉の重さに気付かずに、子供を放置する馬鹿さ加減に怒っているの」
「うううぅぅ……でも……」
「シーリアはずっと不安そうに貴女を待っていたのよ」
私はマリアの家にいた方がシーリアも安心だと思っていたのだけれど、どうやら違うらしい。それだけ、私を慕ってくれているということ?
家族か……。
「う……それでシーリアは何処に?」
「連れてきているわ」
「ちゃんと会って話をするわ。それで私には無理って納得してもらう」
「貴女ね……」
そのことで怒られるなら仕方無い。
ちゃんと話をして、私には育てられないから納得してもらって……。
マリアは何故か頭が痛んでいるように抑えながら話を続ける。
「まあいいわ。そのこともまとめて話せばいいし……それに、それだけじゃないのよ」
「え?」
まだあるらしい。他に彼女を怒らせるようなことを私はしただろうか。
全く覚えがないのだけれど……。
「貴女には本当に言いたいことが沢山あるのよ。隣国、エルクルスの事件で国際問題起こしそうになったのとか……他にも貴女が問題を起こすたびに私に連絡が……」
「え、え! い、いや……私は真面目に働いているわ! 誤解よ!」
必死に弁解する。私はちゃんと事件を解決しているし、何も問題を起こしていない。
多少の犠牲は難事件の解決には付き物だし、犠牲に身分は関係ないし……。
そ、そうだ!
「シーリア連れて来ているんでしょう? ここで私達の喧嘩を見せるのは良くないわ」
「信頼できる衛視に預けているわ。今日は貴女と久しぶりにゆっくりと話したかったから」
お見通しらしい。私は逃げ道を探すが、入り口は塞がれている。
マリアはベッドに座る私の肩に手を置いて微笑む。
「座りなさい」
「座ってますっ! って痛い痛い!」
「ラキシス。人の話を聞くときはどうしろって教えたかしら?」
肩にマリアの指が食い込む。どういう力をしているのだろう。肩が砕けそうだ。
結婚してから上品で穏やかになったと思っていたけど、私の勘違いだったらしい。
彼女の荒っぽさは何も変わっていない。目付きも迫力も……。
「誰がベッドに座って聞けって言った? ……座るのは床だ」
「……はい」
表情を消し、現役時代の威圧するような柄の悪い口調でマリアは私に命令し、長い……長い説教を始めた。力いっぱい耳を引っ張らないあたり、ひょっとしたら丸くなったのかもしれない。
だけど、私はマリアの性格は理解している。この長い説教が終われば、
「それで、今回の冒険はどうだったの?」
と、いつものように楽しそうに話を聞いてくれるのだろう。
彼女もまた、胸の踊るような冒険が大好きなはずなのだから。
私はそんなことを考え、痺れる足に涙目になりながら、五年ぶりになる彼女の耳の痛くなる説教を聴き続けていた。