外伝 五話 儀式
アルカイン山脈の奥、儀式が行われる場所……私達が向かっている目的地に近付くにつれ、気温は下がっていき、息も凍るような寒さになっていた。
足場の雪も氷のように固く、ちらちらと舞っている柔らかい雪がその上に降り積もっている。
気温が下がっているのは山を登っているからということだけが理由ではない。
氷の精霊達の暴走が原因である。
ここまで来ると生物は何も姿を見せず、実体化している狂った精霊だけが、まばらに生えている木々の間を歩き回っていた。
「ああくそっ! 数が多過ぎるぜ。ラキシスさんも魔法使ってくださいよ! 使えるんでしょ! 頼みますよっ!」
「おい、エルフ! 魔法を使えるなら何故全力をださないんだ」
「出し惜しみかね?」
次々に現れる私の腰くらいの大きさの、子供が作った泥人形のような形をした狂った氷の下級精霊を斬り倒しながら、魔法剣士であるジェイドも、若い剣士、グランも頭の硬そうな中年の剣士、セインも不満げにこちらを見る。
ゼムドだけは子供を背負っている為、そんな余裕も無いのか周囲を用心しながら、私達を援護するように棍を振っていた。
シーリアにはお守りがあるから、私達と離れて置けば大丈夫だとは説明したのだけど、彼が納得しなかったのだ。確かにゼムドの武器は叩き潰すから、憑代が形を失うと消えていく下級精霊相手なら有効ではあるのだけれど……シーリアの安全の方を優先して欲しいものである。
最も彼が戦いに参加しているのはシーリアが、
「わたしこわくないよ! さいきょーだから!」
と、ゼムドを止めなかったのも原因なので、私も余り強くは言えない。
私は先頭に立って目的地の方に向かって歩きながら、正面から襲いかかってくる自分の受け持ちの敵を次々に剣で切り裂き、三人に言い返す。
「あら、貴方達と同じくらいには働いているつもりだけれど?」
「ぐっ……!」
私は可能な限り穏やかに微笑んで言った。
魔法を今、無駄に使うわけにはいかない。私の魔法は小物相手ではなく大物相手に使わなければならないのだから。
事実を彼等に伝え、丁重に断ったつもりだったけれど……何故かジェイドは泣きそうな顔になり、残る二人は怒りの表情を浮かべていた。
「貴方達の腕はこのくらいの相手に手間取る程度なの?」
不思議に思い、私はそう続ける。彼らの実力は低くはない。
ゼムドも他の三人も一流とまでは言わないけれど、それに近い実力はある。
「貴様……!」
「やめておけ。グラン。彼女は我々より敵を倒している」
敵より私を攻撃してきそうなグランをセインが宥める。グランも彼の言葉を聞いて悔しそうに押し黙った。
「しかし、この精霊……かな? こいつらの攻撃はいつまで続くんですかねっと!」
また一匹、ジェイドが氷の精霊を斬りながら悲鳴を上げるように叫ぶ。
「もう少しで目的地に到着するはず。私の予想が正しければ」
「ほんとですかい?」
「そうよね?」
後ろを振り向き、獣人族の無愛想な案内人に確認すると彼は頷いた。
「もうすぐ着く。前を見ろ。遠くに一本だけ枝が全て落とされた木が見えるだろう。あれが目印だ」
「あれかーってか、あの目印……よく雪とかで倒れないな」
自分達に襲いかかってくる精霊だけを私達は倒しながら、まばらに生えた背の低い木の隙間を歩き、雪山を登っていく。
目的地に付いたのは一時間後のことだった。
私は目的地に到着すると、ゼムドに耳打ちする。
ここからが本番だ。
「ゼムド。シーリアを案内人に渡さないように。この『装置』を私が調べ終わるまでは」
「む……わかった」
そして、私は全員に休憩を提案する。獣人の案内人はすぐに儀式を始めるようにと慌てるように言ったが、ゼムドが私に同調し、ジェイドも私に賛成した。
残り二人は顔をしかめていたが、やはり疲れていたのだろう。
少しだけ時間を置いて頷いた。
「だが……急がなくては精霊に襲われるのではないか?」
セインが辺りを見回しながら言ったが、私は首を横に振った。
私は両耳に付けたイヤリングのうち、右耳の物を外すとそのイヤリングに魔力を通す。
「我が呼び掛けに答えよ氷の精霊『ヘルムート』」
イヤリングの宝石に仮住まいしてもらっていた氷の中位精霊『ヘルムート』を私は呼び出し、周囲を警戒するように命令する。
氷で出来た巨大な狼の姿を持つ中位の精霊は、吠えるような仕草をして、少し離れた場所に座り込んだ。
「なるほど。魔法か」
「一時間くらいは持つでしょう」
納得したようにセインが頷く。ジェイドは微妙な表情をしていたし、グランは私の魔法を見て、怒りの表情を浮かべたが……怒る理由が分からないので、どうしようもない。
二十分ほど休憩を取り、私はその間に儀式の場所……魔法の装置を注意深く調べていく。
事前に調べていた魔法の術式と照らし合わせ、私は出来れば外れていて欲しかった推測が殆ど当たっていることを確信していた。
魔法の装置を調べている私を獣人の案内人は嫌がるように見ていたが、時間が経つにつれ、彼は徐々に焦りの表情を見せてくる。
「どうしたのかしら?」
「わ、我々の神聖な場所を荒らさないで頂きたい!」
「ふふ……どうして?」
怯える彼の様子がおかしくて私は思わず笑った。
他の冒険者達は何事かと私に注目する。
私はゼムドの隣で毛布を引いて座っているシーリアに、もう少し座っているようにと言い、剣の柄に手を掛ける。
「獣人は魔力を持たない種族だと思っていたのだけれど……そうではないみたいね」
「……!」
目に見えて、獣人の案内人が動揺する。
「どんな言い訳を考えていたのかは知らないけれど、私にまやかしは通じない」
「ラキシス殿、どういうことじゃ?」
ゼムドはわけがわからないと言った雰囲気で、霜の降りた髭を不快そうに触りながら、首を傾げる。私は他の三人に注意を払いながら、目の前の案内人を見つめる。
「この魔法の『装置』はね。三つの巨大な術式で成り立っているの。一つは精霊を封印すること。一つは魔力を吸収し、封印を維持すること」
私は剣を抜き、案内人に突き付ける。ゼムドはシーリアを庇うように立ち、他の三人は状況がわからないながらも私に武器を向けた。
「最後の一つの術式は……稼働した者の魔力を、普通の術者なら制御できない程に増幅させるものよ。この術式を発動させれば、術者であるシーリアは魔力を制御できずに暴走して……彼女は魔力だけではなく、全てを封印を維持する装置に吸収される……そうね……恐らく死体も残さず完全に消滅することになるはず」
「なんじゃと! それではまるで生贄ではないか! どういうことじゃ。ガルフ殿!」
私に剣を突きつけられて、案内人……ガルフは怯えて後ろに後ずさり、雪に足を取られて尻餅を付いた。
「そ、それは! だが、我々がこれをしなくてはっ!」
「氷の上位精霊『イルファータ』が復活するのでしょう」
「なぜそこまで……ゼムド! お前は知って派遣されたんじゃないのかっ! この女を排除しろっ!」
慌ててガルフは叫ぶが、ゼムドは困惑したように動かなかった。
私はゼムドも疑っていたのだけれど……本当に知らなかったらしい。
「どういうことじゃ……組織は知って……?」
「カイラルと取引でもしてるんでしょう。ここの精霊に生贄を渡して暴走させない代わりに、ゼムドの組織とカイラルが儀式のために必要な資金を出す。後は……アルカイン山脈周辺の獣人達の集落に対する自治権が絡んでる……というところかしら」
「そのために、幼子を生贄にするというのかっ!」
ゼムドは今までにない怒気を発し、鉄の棍の柄で地面を思い切り叩く。案内人の中年の獣人は慌てながらも立ち上がって私を怒鳴りつけた。
「封印し続けなければこの辺り一帯の集落が滅ぶんだっ! 城塞都市カイラル周辺も冷害は免れない。どれだけの死者が出るか……犠牲は仕方がないんだ……」
私は彼の弁明を聞き流しながら、呼び出した中位精霊にシーリアを守らせる。
「つまらない男ね。シーリアはこんな風になっちゃ駄目よ。狼は誇り高くて優雅でなくてはならないのだから」
ゼムドはシーリアを守るように立ち、他の三人は私に困惑の視線を向けていた。
彼等の視線を私は気にせず、ゆっくりシーリアに近づくと屈んで彼女の頭を撫でる。シーリアは気持ちがいいのか、くすぐったそうに笑った。
子供らしい無邪気な笑い。彼女に触れていると私の心もなんだか暖かくなる。
こんな子供を大人の都合の犠牲にするなど、とんでもないことだ。
私はシーリアを抱えて立ち上がるとゼムドの方を向き、彼女をゼムドに渡す。
「ゼムド。貴方は私に何かあればカイラルの東……クルト村に住む、マリアという女性の所にシーリアを連れて行きなさい。私の親友の彼女ならシーリアを幸せに出来る」
「お主……何を考えておる?」
怪訝そうな顔でゼムドは私を見た。何をする気か?
そんなこと、わかりきっているでしょうに。
「『イルファータ』の封印を解き、精霊の暴走を止める。元凶を潰すのよ」
「しょ、正気か! 失敗したら……滅ぶぞ! カイラルも!」
「黙りなさい」
睨み付けて私はガルフを黙らせ、ゼムドへの説明を続ける。
「シーリアの首に掛かっている袋には、そこにいる氷の中位精霊が住んでいるわ。危ないときには呼びかけなさい。ゼムドの命令を聞くように頼んであるから」
「相手は伝説に残るような相手じゃろう……お主本気かの?」
「当たり前よ。貴方達は下山しなさい。一時間後から……作業を開始する」
全員に向けて私は宣言し、カイラルで準備した魔術の術式を弄るための道具の準備を始める。そんな私に真面目そうな中年の剣士、セインは剣を向けた。
「止めるんだ。君はカイラルを滅ぼすつもりか? グラン! 氷の中位精霊を牽制しろ。ジェイド! ゼムド! 君達もこんな暴挙には加担するな!」
「暴挙? 面白いことを言うのね」
ゼムドは私とやり合う気はないのだろう。シーリアを担ぎ、守るように立ったまま動かない。
それでいい。私も無益な殺生は好まないから。
「貴方を直ぐに殺してもいいのだけれど……まだ時間には余裕があるし、昔話をしましょう。ダグラスという男の話よ」
「大魔術師ダグラスのことか?」
私に剣を向けながらも、話を聞く気にはなったのかセインが答える。
「彼は学院に論文を残していたわ。題名は『日用品に魔力石を組み込むことにより、利便性を高めることが出来る可能性について』。内容はやる気のないお粗末な物よ」
「……何が言いたい」
恐らく彼はわかっているのだろう。堅そうだけど頭は悪く無さそうだし。
「私の推測も入るけれど、もし本当に精霊使いが氷の上位精霊を暴走させたのだとしたら、ここにあるような巨大な術式を作れるはずがないのよ。これは精霊を呼び出す前に準備されたもの。つまり……」
私は剣先を魔法の装置のある方角に向ける。
「なんらかの実験が失敗した場合に、即座に封印出来るようにしたものなの。これだけの規模と精度の術式なら、国が関わっていないということは無いでしょう。そして、実験は見事失敗。哀れ関係の無い学生は生贄にされちゃって英雄になったのよ。どうかしら。この予想は。暴挙というのはカイラルのやり方でしょう?」
「だが、無関係な人間が巻き込まれることは変わらない」
彼は私の説明を聞いても剣を収めなかった。グランも私に斬り掛かれるように身構えている……ジェイドは中立……か。彼には悪いけれど敵対したら魔法を使える彼には真っ先に死んでもらうことになる。
「彼女には悪いが儀式は進めさせてもらう」
「ふふ……貴方はそういうと思っていたわ。カイラルのスパイの貴方なら」
予想通り。ゼムドが組織から派遣されているように……国の方から確実に儀式を進めるために、冒険者を装って監視をしていると思っていた。
誰がそうなのかはわからなかったが、恐らくセインがそうなのだろう。
私は自分の推理の怖いぐらいの完璧さに酔いそうになりながらも、止めを指すべく二人に剣を持っていない方の指をびしっと向けた
「セイン、グラン。冒険者は正義の味方なのよ。子供の夢にならないと。カイラルの犬になるなんて冒険者の風上にも置けないわね」
「は……? 君は何を言っているんだ?」
セインは本当に困ったような表情で私を見た。正体がばれたからに違いない。
私は余裕を見せるように微笑み、話を続けようとして……急に怒り出したセインに阻まれた。
「大体さっきから黙って聞いていたら、君の言ってるのは滅茶苦茶だっ! 大体、カイラルが本気で介入しているとしたら、冒険者なんて雇わず、自分達の子飼の部下だけでやるはずじゃないか! 私もグランもただの冒険者だ!」
空気が静まり返る。何を言い訳を……と思いつつ、私は話を聞いていた全員を見回す。
「……………あれ?」
何故か全員が私に呆れたような白い目を向けていた。
自信満々で向けていた指を、宙にさまよわせ……私はセインの言葉を咀嚼する。
カイラルは独自に騎士を持っている。
そういえば、自分達だけで何とでも出来るような……。
(……あれ、どこで推理を間違えたんだろう)
確かに彼の言うとおりかもしれない。
私は指を引っ込めて、口元に手を当て……咳払いをした。
誰も一言も喋らない。う……どうしよ。いや、か、構わない!
私はもう一度セインの方にびしっと指を突き付ける。
「セイン、グラン! 冒険者は正義の味方なの。子供を犠牲にするような暴挙は見過ごせないわ。どうしても私の邪魔をするなら……死んでもらう。幸い、証拠は残らないし」
「な! なんなんだ……この無茶苦茶なエルフはっ!」
「失敬ね。理性的にちゃんと考えているわ」
「どこがだっ!」
セインが狼狽えるように呻く。私は頑張ってマリアから人間の常識を学んだのだ。
人間の知識は完璧だし、大人らしく、しっかりと弁えている。
「ちゃんとシーリアに残酷なのを見せないように魔法で綺麗に殺すわよ。剣で斬り殺してしまうと子供には刺激が強いらしいから」
「どこを気にしているんだ! そこじゃない! 君は大勢が死んでもいいのかね!」
どうやら、グランはともかくセインは私とやり合う気はないようだ。殺気がない。
ただ、私のやることを止めたいだけのようだ。少し安心した。
そして、彼の問いに答える。
「まずは目先の子供が優先よ。後のことは後で考えなさい。何とかなるわよ。貴方は本当に細かいことを気にするのね」
「……っ! …………っ!」
セインが剣を落として怒りの表情を浮かべながら崩れ落ち、何度も悔しそうに拳で地面を叩いている。グランも氷の中位精霊と睨み合っていたが……諦めたように剣を収めた。賢明だ。
「セイン。小さいことをちまちま気にしていると、老け顔が更に老けるわよ?」
「余計なお世話だ! 君は上位精霊を何とか出来るのかね!」
「そう……可能性は半々といったところかしら。余裕ね」
「狂っている……」
失礼な……とは思ったが、口には出さなかった。
「後は任せなさい。必ず成功させてみせるわ。シーリア……遠くから見ていなさい。ラキシス・ゲイルスタッドの実力を」
「おねえちゃんかっこいいー」
「……本当にこのエルフの親友は大丈夫なのかの……」
私は剣を納めるとシーリアに微笑みかけた。彼女は喜んでくれたが、ゼムドは呆れるような表情のまま小さく呟いた。どこかおかしかっただろうか。
何にせよ……セインが戦意を完全に失ったのようなので、私は魔術の構成を弄るための準備を再開する。がっくりと力尽きた彼にグランは心配するような表情で駆け寄っていた。
「いいんですか? あの女放っておいて」
「あいつはエルフだ。それなのに剣技であの強さだぞ。魔法は間違いなくそれ以上……化け物だ。我々では勝てん。どうすることも出来ない……成功を祈るしかない……」
……化け物……。
これまで色々言われてきたけど、酷い言われようである。
私は周囲の無理解には負けない。そう心に誓いながら、準備を続けていた。