エピローグ 幼い日の夢
結局、シーリアは俺達と一緒に旅をすることに決めてくれた。
キスをした……いや、されたことは、シーリアがクルスにばらし、大荒れになってしまったのだが、変に隠すよりは良かったのかもしれない。それでも、クルスが彼女の同行を認めたのは、
「ケイトも貴女がいいって言ってるんだし、自信があるなら構わないでしょ。もしかして自信ないの?」
と、いうシーリアの堂々とした悪びれない挑発が原因だろう。
本当はラキシスさんも旅に行きたがっていたが、事件の後始末が残っているために残らざるを得なかったらしい。彼女は俺達に、何かあればすぐに連絡するようにと、何度も何度も繰り返して念を押し、俺達を笑顔で見送った。
本当に頼りになる大人だと思う。
あの日からシーリアは色々と吹っ切れたらしく、サイラルに狙われる前に明るさを取り戻して……いや、それ以上に明るくなった気がする。
クルスとの言い争いも真正面から受けて立つようになり、どことなく楽しそうにクルスをからかっている。仲良くなったんだろうか?
シーリアの告白に対する答えは、旅が一段落するまで保留で構わないと言われた。
俺は既に答えを出しているつもりだったのだが、駄目らしい。
そんな風に、出発までどたばたしてしまったのだが、なんとか城塞都市カイラルを出発した俺達は、目的地に向かう前にマイスをクルト村まで送ることにした。
クルト村は南のエーリディ湖を目指す場合、通り道にあるため、ついでに何日か村で休んで行こうということになったのである。
こうして俺達はクルト村を目指したのだが、マイスは村に近付くにつれて落ち着きが無くなって行き、到着するや否や恋人のリイナを探して走り去っていった。
「本当にマイスは恋人が好きなのね」
「仲良い」
抱き合う二人を見つけたシーリアとクルスは片や呆れたように、片や無表情にそう感想を漏らした。俺もクルスと再会したときあんな感じだったんだろうか。
いや……流石にそんなことは無かった……気がする。
恋人と再会して喜んでいるマイスはそのまま放置し、俺達は久しぶりになる村の中をゆっくりと歩く。一年も経っていないため、穏やかで牧歌的な雰囲気の村はあまり変わっていない。
時折すれ違う村の住人達に挨拶をしながら三人で自宅を目指していると、シーリアがふと立ち止まり、村を見廻して怪訝な顔をしていた。何かあったのだろうか?
村の人達の視線が気になるのか……と思っていたがどうも違うようだ。
「ケイト。何だか私この村に見覚えがある気がする」
「ん? でも俺は会ったことないと思うんだけど」
「私もない」
シーリアの外見は目立つ。一度でも見れば、忘れるはずがないと思う。
旅で寄るならうちに寄らないはずはないし……。
「気のせいかなぁ」
家に着くまでシーリアはそんな様子だったが、家に着くとシーリアは、はしゃぐように俺の肩を叩き、大声を上げた。
「あ、絶対知ってる! 私、ここに住んでたことある!」
「は?」
クルスが取り乱しているシーリアを無視して、扉をノックする。
しばらくすると、中から夕食を作っていたのかエプロン姿のマリア母さんが出てきた。
マリア母さんは俺達を見ると少しだけ驚き、すぐに目を細めて嬉しそうに微笑んだ。
「お帰りなさい。ケイト、クルス……それに、貴女はシーリア……よね?」
「は、はい! こんにちはっ!」
シーリアは緊張している様子で顔を強ばらせながら、マリア母さんに深々と頭を下げた。母さんはシーリアに近付くと、優しく頭を撫でる。
「大きくなったわね。貴女には息子がお世話になったみたいね」
「いえ、ケイトには私が世話になってしまって……ケイトが命賭けで守ってくれたし……その……あ、そうだ。ラキシス様から手紙を預かってます」
あたふたしながらシーリアは鞄から手紙を取り出し、にやりと笑って俺を見ているマリア母さんに手紙を渡した。マリア母さんはエプロンに手紙をしまい、シーリアの方を複雑そうな表情で見る。
そして、言葉を選ぶように間を空けて口を開いた。
「ラキシスは……ちゃんと親が出来てた?」
「え? はい。最高の親だと思ってます」
「信じられ……いや、それなら良かったわ。さ、いいときに帰ってきたわ。貴方達。すぐに食べる物を用意するわ。クルスは家に戻りなさい。ガイ達が喜ぶわ」
シーリアの返事を聞き、母さんが微妙に眉をよせたが……誤魔化すように笑って、クルスの方を向く。クルスは頷き、自分の家の方に荷物を担いで歩いていった。
マリア母さんによると、正式にラキシスさんの養女になるまでの間、一ヶ月ほど家で預かっていたらしい。俺とクルスが知らないのは、まだ赤ちゃんだったからのようだ。
その際は何か大変なことがあったのか、マリア母さんはぼかして苦笑いしていた。
思い返すと、俺だけでなく次兄のカイル兄さんやエリー姉さんも、ラキシスさんと俺が初めて会ったとき、初対面だった。彼女は村まで引き取りに来たわけではないのだろうか。
謎は深まるばかりだ。
しかし、一ヶ月もここで過ごした割に俺と初対面の時、嫌われていた気がするのだが……後で聞くと、名前は覚えていなかったかららしい。ラキシスさんも説明してくれればいいのに。
一番上の兄、トマス兄さんはちゃんとシーリアのことを覚えていた。この分だと、シーリアと同じ年の姉も覚えているかもしれない。
シーリアは徐々に昔のことを思い出したのか、笑顔でマリア母さんやトマス兄さんと楽しそうに話し、リラックスした様子で家で過ごしていた。
マリア母さんに誘導尋問され、キスのことまでばらされた時には困ったが。
母さんはクルスとのことを知っているはずなのに、彼女にも頑張れと煽っていた。面白がるのはいいが、正直勘弁して欲しいものである。
翌日、俺とクルス、そしてシーリアは南の山の頂上で昼食を食べていた。
ここはクルスとの思い出がある場所だ。
子供の頃は辛かった山も、今では楽に登ることが出来る。
これほど小さい山だっただろうか……と、懐かしく思う。
体力のないシーリアは息を切らせて、クルスに手を引かれてなんとか登っていたが。
「絶景ね! こーんなに広いんだ……エーリディ湖ってっ!」
しかし、その素晴らしい風景は成長した今も変わらない。
終始涙目だったシーリアも頂上に着くと元気を取り戻し、眼下に広がる果てが見えないほど広い湖を見て、目をきらきらさせて感動したように声を上げていた。
俺は座って落ち着いた気持ちで湖を見る。いつかはあそこに行きたいと……子供の頃から思っていた。意外と早かったな……と思う。
クルスが子供の時と同じように俺の隣に座って、背中の後ろに付いている俺の手に、そっと自分の手を重ね合わせる。
「ケイト。船乗れるね」
彼女も覚えていたのだろう。
照れたように頬を赤く染め、湖の方を見ながらクルスが小声で言った。
「大人になったら……乗れるか」
「うん、ケイトと一緒に乗る」
幼い俺達は大人になった俺達が、こうして本当に船に乗ることを決めたことをどう思うのだろう。喜ぶだろうか、子供から変わらないことに呆れるだろうか。
そう思うとなんだかおかしくなって、俺は小さく笑った。
当時は自分一人で船に乗るつもりで話していたが、彼女は彼女なりに本気で冒険したいと考えていたのだろう。
彼女は自分のやりたいことを、自分で決めたのだ。
「何二人でいい雰囲気になってるのよ」
シーリアは苦笑いしながら俺の隣に腰掛ける。クルスは慌てるように重ねた手をどかせ、真っ赤になって顔を背けた。
「ケイトが世界を見て廻りたいって言ったのもわかるわね」
「あの湖の向こう側はどうなっているんだろうね?」
「さあ。わからないわ。でも、面白そうね!」
シーリアがくすりと笑ってすぐに口を閉じ、水平線の彼方を見るように目を細める。
クルスも彼女に同意するように頷いた。
俺達は先に待ち受けている冒険のことを考えながら、三人並んで雄大な風景を静かに眺め続けていた。