第三十五話 次の目的
部屋に一つだけ置いてある椅子にはラキシスさんが座り、俺はベッドに腰掛ける。あとの三人は床に座っている。狭い部屋ではないが、流石にこの人数は多い。
「そこの三人も盗み聞きしていたとおり、俺はカイラルをすぐにでも発つつもりでいる」
盗み聞きと言う部分に三人がうっ! と呻く。まぁ散々苛められたしこれくらいの反撃は許されるだろう。ラキシスさんも手を口に当ててくすくすと笑う。
「さて、ケイト君より楽な相手に手こずった情けなくて不甲斐ない、そこの三人は彼が街を出ることに決めた理由はわかるかしら?」
「マイスを村に送り届ける」
ラキシスさんのからかうような言葉に、一番に反応したのはクルスだ。確かにそれも理由の一つだが、ラキシスさんが考えた理由ではない。
その理由なら『今すぐ』とは言わない。少し悩んで俺は首を横に振った。
「ん? 違うのか。まさか、またサイラルの仲間に襲われるのか?」
「それはないね。彼等の拠点は一掃されたはずだよ」
マイスの答えはすぐに否定する。これは確実だ。この街の彼らの組織は俺達が来たばかりのときはゼムドが、その後はサイラルが指揮を採っていたことは掴んでいる。
非合法なことを大規模に行える組織だ。二人がいなくなれば後は蜥蜴の尻尾にできるようにしているだろう。証拠を可能な限り残さないように。
残っても黒幕である者達に追求が及ばないように。
いや、裏で領主のカイラルと繋がっている可能性すらある。お互いに利用し合うために。
権力者を信じてはならない。個人では利用されるだけだ。
「じゃ、じゃあ、この街に嫌気が差したとか?」
「シーリア……貴女ね……学ぶというのは知識を身に付けるだけじゃないのよ?」
なんだか不安げなシーリアの答えに、ラキシスさんは指を眉間に当てて、深い苦悩の表情を浮かべた。流石にこの答えには困惑しているようだ。
というか、シーリアは貴族を警戒していたはずじゃ……?
俺も苦笑いするしかなかった。
「答えは目立ちすぎたから。俺は確実にカイラルにマークされてるはずだよ」
「なんでえ。カイラルは味方になってくれたじゃねえか」
「今回はね」
不思議そうな顔をして、頭に手を置いて素直に疑問を口にしたマイスに俺は答える。そう、今回は味方になってくれた。
「俺の能力はまずい。サイラルと戦って痛感したよ。これがカイラルに知られれば、確実に利用されるはず。彼等なら俺の能力を、俺よりも効率よく使おうと考えるだろう」
「えっと……それってまずい? 危害はないんじゃない?」
シーリアはわたわたと慌てながら、そう問い返す。ラキシスさんという後ろ盾のあるシーリアには危険がないかもしれないが……。
「ないかもしれないけど、楽観は出来ないというところかな」
「う、う、でもでも……」
「仕方無い。他にも迷宮はあるし、冒険が出来るのもここだけじゃない」
クルスはシーリアを見て、冷静にそう言い聞かせる。そして、シーリアはクルスを睨み……ああ、そうか……と、そこで俺はようやく気が付いた。我ながら鈍い。
俺は髪の毛を軽く掻き乱して、苦笑した。
「シーリアは学院があるし、ラキシスさんもここに住んでいるから強制はしないよ。シーリアも自分で選んで欲しい」
「うん……わかった」
しょんぼりと耳をシーリアは寝かせて落ち込んでいる。俺も寂しいがこればかりは仕方がない。俺達全員が、自分で選んでいるのだから。
恐らく彼女は残るのではないだろうか。
そうすれば、次に会えるのは何年後かわからない。俺も辛い。
だが、貴族に巻き込まれれば、村もマイスもクルスも危なくなる。
本当の理由は言えない以上、何か理由がいる。
「カイラルに利用されると街から出にくくなる。そうなれば、俺の冒険の目的が果たせなくなるんだ。それが一番の理由」
「ケイトの目的って?」
シーリアが顔を上げる。赤い瞳には好奇心の色があった。
そういえば、彼女にはちゃんと話したことがない気がする。俺の本来の目的。
「世界中を廻ること。迷宮に潜っていたのもその準備なんだ」
「世界を廻って……どうするの?」
不思議そうにシーリアは首を傾げる。ただ単に、この不思議な世界を見たいだけ……とか言ったら怒るだろうか。だけど今は他に理由はない……我ながら無計画だ。
「興味があるんだ。この不思議なことが溢れている世界に。それだけだよ」
「本当に変わってるわね。ケイトは」
だが、シーリアは俺の予想に反して、くすくすと笑った。
そんな彼女をラキシスさんは少し寂しそうな表情で見ていたが、話が途切れたところで俺の方を穏やかに微笑んで見た。
「ケイト君、世界を廻るにしても、何か当面の目的とかはないの?」
「それなんですが……世界中の『呪い付き』の伝承を集めてみようかと。サイラルが少し気になることを言っていたので。滅ぼして元の世界に戻る……とか」
「うへぇ、いかれてやがるな」
マイスが嫌そうに顔を歪め、なるほど、それで伝承ね……と、ラキシスさんは難しそうな顔をして呟く。
「昔、私とケイト君のお母さん……マリアが戦った『呪い付き』も似たことを言っていたわ。元の世界とかはなかったけれど、この狂った世界を滅ぼす力を見つけたとか。あ、ゼムドの組織とは関係なかったわよ? 彼の所は元々、人間以外の種族の助け合いのための組織だから」
「世界を滅ぼすとか……そんな力が実際にありえるんですか?」
ラキシスさんは俺の問いを聞いて考え込み、首を横に振った。
「現実的ではないわね。私達が戦った相手が使おうとした力も、発動すれば街が一つ消えるくらいの威力はあったけど世界とまでは」
「でも、街一つ消えるような力はあるんだ」
ラキシスさんの話にシーリアが頬を引き攣らせて苦笑いした。
俺も驚いて声が出ない。そんな力がもし他にもあれば……。
ラキシスさんは嫌なことを思い出したといった風に眉をひそめて続ける。
「二度と利用出来ないように、それがあった施設は封印したわよ。壊せなかったから。場所も今となっては私とマリアしか知らないしね」
「なるほど。壊せない施設……迷宮の建物みたいな感じなのかな」
「そんなところね。そう考えれば他にある可能性はあるけれど」
誰かが知ってたら、壊すなり利用するなりされている。それがラキシスさんの答えらしい。俺もそうは思うが、不思議な物はある……というのは間違いないようだ。
ラキシスさんは一度、話を止めて、あ……と小さく呟いて俺を見る。
「忘れていたわ。伝承を探すなら南に行きなさい。エーリディ湖を超えて更に南に行ったところに私の故郷、ザーンベルグ大森林があるわ。紹介状を書いてあげるから、そこを訪ねてみなさい。無駄に長生きしているのが住んでるから」
「……嫌そうですね」
「退屈なとこだったのよ。しきたりがどうの、エルフの誇りがどうのと……全く……流行らないのよ。だけど、古い知識なら確かに豊富だからね」
まるで、やんちゃな子供みたいなことを言いながら、ラキシスさんは微笑んだ。
それが嫌で故郷を飛び出した人の紹介状で大丈夫なんだろうか、と思わなくもなかったが、短期的な目的地があるのはありがたい。
「有難う御座います。そうしてみます」
「うん。あ、西のディラス帝国は絶対に近づいては駄目よ。ゼムドの組織の本拠があるから。あの組織も昔はただの助け合いだったのに、どうなってるやら」
困りきった表情でラキシスさんは目を閉じる。何故そんなことを知っているのか……。
異種族の組織なら、彼女に声を掛けないはずはないか。
そんな風に考えに耽っていると、シーリアが何かを言いにくそうに声を掛けてきた。
「ね、ねえ。ケイト」
「何? シーリア」
床に座っているため、シーリアは俺を見上げるように……少し泣きそうに顔を歪めながら、先を続けた。
「カイラルをいつ出るの?」
「もう動けるし、今日の治療で完治すると思うから……明日は、お世話になった人に挨拶をして、道具を揃えて……明後日には」
「そ、そんな! 早すぎないっ?」
シーリアは立ち上がって、俺の顔を間近に見るように詰め寄ってくる。俺は背中の後ろに手をついて思わず仰け反ってしまった。
銀色の髪が顔に掛かり、息遣いも聞こえてきそうな距離だ。
自分の状態に気付いたのか、シーリアは真っ赤に顔を染めて後ろに飛び下がる。
「ごめん。ちょっと考えさせて」
彼女はそう言って俺に背中を向けると、部屋から出て行った。ラキシスさんは、俺をちらっと見て、シーリアを追いかけるように部屋を出ていく。
彼女達が出ていったあと、クルスは俺をじぃっと見て、
「良かったの?」
と、ぽつりと呟いた。
非難しているわけではなさそうだ。確認といった感じか。
良かったかどうかであれば、考えるまでもない。俺は頷く。
「お互いのためだよ。ラキシスさんもいるしね。でも……」
俺はクルスに笑いかける。
「来てくれたら嬉しいよね。クルスも仲がいい見たいだし」
「っ……ケイトの目はおかしい。あんな駄目狼、どっちでもいい」
少しだけ顔を赤くしてクルスは顔を背けた。
本当に嫌いならクルスは相手にもしないだろう。そんな彼女の照れたような顔を見て、俺はマイスと二人、声を上げて笑った。