第三十三話 裏切りというもの
魔法を発動させる瞬間、サイラルから飛び退こうとした。だが、自由になっている左手で足を掴まれ、俺は自分の魔法の暴走に巻き込まれていた。
「……っ! あああぐぅぅぅぅっ!」
「ケイトっ!」
手を放したサイラルから離れてしゃがみ込むと、俺は歯を食いしばる。
だが、感じたことの無い種類の、あまりの激痛に我慢しきれず、声が漏れてしまう。
背中からはシーリアの悲鳴が聞こえるが、気にかけることすら出来ない。
依代になった松明が床に落ちていたお陰で、炎の蜥蜴も低い位置で顕現してくれたため、火傷をしたのは足だけだ。炎も一瞬、足を燃やしただけで消えてくれた。
だが、両足とも靴は焼け溶けており、痛みを感じる限界を超えてしまっているのか、歩くだけでも痛いというよりも吐き気がするような感覚に陥ってしまう。
特に掴まれた右足は酷く、足の大部分の皮膚が溶けているのがわかった。
倒れ込みたい……もう駄目だ。立ち上がれない……なぜ俺がこんな目に……。
そんな思いが頭をよぎる。
離れていた俺でさえ、こうなのだ。サイラルは生きてはいないだろう。
俺は……人を殺したのか。
身体だけでなく、心にも嵐のような……大事なものを失ったような焦燥感が生まれ、恥も外聞もなく、大声で喚きそうになる。
そんな俺の精神を引き戻したのは目の前に転がる母さんから貰った剣だった。
「冒険者は……大事なものを守るために闘う……まだだ……終わってない」
そのために冒険者は命を奪うこともある。覚悟はしたはずだ。
辛くても、戸惑っても、泣き言を言いたくなっても……出来る事を逃げずにやるのだと。
サイラルに応えたように戸惑いなく人を殺せれば、どれほど楽だろう。
だが、俺はそんな風にはなりたくない。他人の人生を終わらせることを簡単なことにはしたくない。
他人の人生の重さに後悔することになっても、俺は俺のやり方で生きていくのだ。
悩み、苦しみながら……それでも前に進む。一歩ずつ。
俺は剣を掴み、杖代わりにしながら、震える足を叱咤して立ち上がる。
そして愕然とする。
「嘘だろう……?」
「まだだ……俺の復讐は……復讐は終わらないんだ」
サイラルは上半身を焼け焦がせながら、それでも立ち上がっていた。
軽い火傷ではない。鎖帷子の下の服は溶け、地肌に鎧が当たっている。整っていた顔も右半分は焼け爛れ、殆ど原型を留めていない。
うわ言のように独り言を呟きながら、サーベルはこちらを向けている。
かろうじで焼け残っている左目には光が無い。
「元の世界に戻るんだ……この世界を滅ぼして……絶対戻るんだ……」
俺もサイラルを侮っていたのではないか。どれほどの恨みが……望郷の念が彼にはあるのだろうか。彼も俺のように心残りを残して死んだのかもしれない。
しかし、滅ぼすというのは……。
「死ぬわけがない……特別なんだ。俺は……俺の邪魔する奴は皆殺しにしてやる」
サイラルの目に光が戻る。対峙しているだけで、汗がとめどなく流れていく。
痛みによるものか、恐怖によるものか……自分にも判断がつかない。
獣染みた殺気をサイラル放っている。サーベルを持つ手も焼け焦げて、炭のようになっているのに……痛覚を感じていないのだろうか。
一歩……また一歩と近づいてくる。
俺にはもう打つ手がない。手札は全部切ってしまった。
相手が失敗するまで耐えるしかないか……俺はそう考えて剣を構える。
だが、今の足でどこまで戦えるのか。いや、そもそも動けるのか?
いや、俺はどんな理由があれ、ここでは負けられない。
絶対に。
「サイラル。降伏しろ。ゼムドがいる……今なら生き延びられるはずだ」
出来れば殺したくはない。だが、これが最後だ。
もし、これ以上迷えば……目の前の手負いの獣に喰い殺されてしまう。
奴は答えなかった。ぶつぶつと何かを呟きながら剣の間合いに入ると、サイラルはサーベルを振り上げた。
「くっ……!」
痛む足を前に踏み出し、相手のサーベルに合わせて自分の剣を振るう。
だが、剣がぶつかる金属音は響かなかった。
相手が剣を振り上げた瞬間、鋭い炎の矢が俺の顔の横を走り、サイラルの顔に命中したからだ。見覚えはある……シーリアの得意な魔法だ。
困惑はしなかった。思わぬ援護を生かすべく、途中で狙いを変えた俺の剣はサイラルの右腕を切断し、連続で放った突きが相手の首を貫いた。
「くうっ……はぁ……はぁ……何で効いた……ううぅぅっ! いつぅ……! ラキシスさん! サイラルは倒したっ!」
叫んでから剣を手放す。からん……と、軽い音を立てて剣が落ちた。
勝った。だが、全然嬉しさは感じない。ついに本当に人を殺してしまった。心の中はそんな後悔だけだ。俺はこの感触にもいつか慣れてしまうのだろうか。
今はただ、肉を裂く気持ち悪い感触のせいで、吐き気が止まらない。魔物相手にしろ、人間相手にしろ、絶対この感触には慣れそうにない……そう思った。
「大丈夫っ! ケイト! なんてことをっ!」
「俺より、他の連中の援護を……降伏を勧めて……」
「う、うんっ!」
もう、魔法の制限はない。これ以上は一方的になる。
相手もそれくらいはわかるだろう。
サイラルを生かして捕まえられなかったのは無念だが……仲間の無事を祈りながら、俺はシーリアが戻るまで、荒い息を吐いていた。
結局降伏させることが出来たのは一人だけだった。
クルスは爆発音で相手が驚いた隙を付き、一人を切り捨てていた。
それを見たもう一人は勝ち目なしと見て、クルスに降伏。
そのまま彼女はすぐ近くで戦っていたマイスの相手、ザグの背中から短刀を投げて隙を作り、マイスはそれを利用してザグを切り伏せたらしい。
「おいおい、ケイト。その怪我っ! すげえ火傷じゃねえか」
「マイス……悪いけど動けない。肩を貸してくれ」
まだ、ラキシスさんが残っている……行かなければ……そう思いつつも立てずに膝を着いていた俺に肩を貸し、立たせてくれたのはマイスではなく、クルスだった。
彼女の横顔は少し怒りを感じさせる。
「無茶しすぎ。後で説教」
「う、わかった。だけどそれより今は先にゼムドを」
「わかってる」
クルスは重そうにしながらも、絶対に譲らないという雰囲気で俺を支え、よろよろとラキシスさんとゼムドが見える場所まで歩く。
シーリアはラキシスさんが気になるのか先に向かっていた。
二人は向かい合って立っていた。但し、ラキシスさんは剣を納めており、ゼムドの鉄の棍は床に転がっている。ゼムド自身は植物に全身を絡まれ、動くことは出来ないようだ。
ラキシスさんは無傷だが余裕だったわけではないようで、髪の毛が汗で顔に張り付いているし、呼吸も荒い。
縛られているゼムドは全身に細かい切傷がある。ラキシスさんとゼムドの能力を考えると、どんな戦いだったかなんとなくは想像が出来る。
ゼムドは俺の顔を見ると、ばつが悪そうに苦笑いした。不思議と彼には憎しみが湧かなかった。自分でもその理由はわからない。
「サイラルは負けたか。ここまでのようじゃの」
「手強かったよ。お陰で死にそうなくらいに」
俺とゼムドは何も話すことなく、静かに見つめ合う。
「ゼムド……約束は守った。シーリアは守りきった」
何を言えばいいのかわからない。どんな顔をすればいいのかも。
だから、俺はシーリアを見て、淡々とかつて彼とかわした約束を守ったことを告げた。
ゼムドはしばらくきょとんとしていたが、弾けるように笑う。
シーリアはえ? え? と何のことかわからずに、おろおろしていた。
「わっはっはっは! ドワーフよりも融通が効かん男じゃの。お主は」
「性分でね。これからどうする?」
俺は動けないゼムドにそう問いかける。
「情けは無用。拙僧はお主たちを裏切った。殺そうとした。悪事も知っていて、放置した。お主達の情報を組織に流した……十分な罪じゃ」
「裏切り……か。そうなのかな」
裏切りと聞いて思い出すのは、今となっては大昔の……幼馴染と友人だ。だが、ゼムドを見ていて思う。本当に彼等だけが悪かったのかと。
あの時は幼馴染の言い訳も聞かず、一方的に悪と決めつけていたが……彼等にも彼等なりの言い分があったのかもしれないと。
幼馴染や友人を許すことはできないが、少なくとも彼女を追い詰めたのは自分の態度も理由の一つだったことは間違いない。
「拙僧を見逃せばいつかお主等の敵になるやもしれん。禍根は絶つことじゃ。甘さはお主だけではなく、仲間の危険を招くことになるぞ」
俺を諭すような表情でゼムドはそこまで話し、どかっと勢い良く座った。
確かに彼の言うことには一理ある。ゼムドが関わっていることを知りながら、俺は放置し続けていた。もっと不利な段階でサイラルが襲ってきていれば……。
今回もだ。俺はゼムドが俺達の敵に回らないという一縷の望みを賭けて、ラキシスさん以外の援護を頼まなかった。他の者がいては、サイラルとの関係を誤魔化すことができないからだ。そうなれば、彼が敵に回らなくても捕まってしまう。
ラキシスさんはそれがわかったんだろう。だから甘い……と言った。
俺は少し考え、ゼムドには応えず、シーリアの方を向く。
「何か彼に言いたいことはある?」
「え、そうね……」
急に話を振られてシーリアは驚いていたが、うーんと唸って悩んで……顔を上げる。
そして、つかつかとゼムドに近づくと右手を振り上げ、ぽこっ、と軽く殴った。ただ、彼女としては全力で殴ったようで、涙目になりながら痛そうに手を振っている。
「一発殴りたかったの。馬鹿にするんじゃないわよっ! 私があのくらいのことで、助けてくれたゼムドを軽蔑するとか思われるなんて心外なの。後、私が守られるような女だって思われるのも。私は一緒に戦ってるのよっ!」
一気に叫ぶようにシーリアは言い切り、ぜーはーと肩で息をする。
「む……あ、むう……そりゃ見くびっておった。すまぬ」
「ならよしっ!」
ゼムドは何だかよくわかってない様子だったが、とにかく謝り、シーリアは強気そうな顔にすがすがしい明るい笑みを浮かべて頷いていた。
彼女が恨んでいないなら、まあいいのだろう。
「ゼムド。貴方には死んでもらうつもりはないんだ」
「ほう……どういうことかの」
胡散臭気にゼムドは俺を見る。彼の言うことも理解している。
だが、俺は彼を殺さない。そんな楽をさせる気はない。
俺は、ラキシスさんの方を向いた。彼女も俺の方を向いて頷く。
「私に協力してもらうわ。ゼムド」
「拙僧に仲間を売れと?」
ゼムドが初めて怒気見せた。そんな彼にラキシスさんは首を横に振り、微笑む。
「貴方はただの神官。気がついたら街に居なくなるの。そして……ケイト君や娘の安全に関わる情報だけ、不思議なことに私に届くようになるのよ」
「虫のいい話じゃの」
疑っているゼムドに、くすくすとラキシスさんは笑う。ただ、俺達に向ける穏やかなものではなく、氷のように冷たい……そんな笑みだ。
「私は貴方の命に価値など認めていないわ。異種族の組織もどうでもいいことよ。死んだのも冒険者。仕事で命を落とすなど良くあること……恨みもない」
ラキシスさんは一度そこで話を区切り、クルスに俺を下ろすように言って、壁を背に座らせ、水の精霊を召喚して俺の足を冷やす。
そうやって火傷の処置を行ってからラキシスさんはゼムドに向きなおす。
「友人や娘のために貴方を生かすの。それに、貴方は私に借りがあるでしょう?」
「ケイト殿といい、シーリア殿といい、お主といい借りだらけじゃな。その条件飲もう」
ふぅ……と大きな溜息をゼムドは吐いた。
「もう一つ。こちらの方が重要なのだけど……貴方の魔法でケイトの足を治療して欲しい。これが私が貴方を見逃す一番の理由ね」
「拙僧が神の力を振るわぬということはお主も知っておろう。神の御心に反することにも手を染めておるでな。神にも合わせる顔が無いのじゃ」
ラキシスさんは俺の足の様子を確認し、もう一度ゼムドの方を見る。
「それでもよ。このままだと切断するしかなくなるの。私の貸しはそれで帳消しにしてあげるわ。貴方もこんなつまらないことで、ケイト君を再起不能にするのは本意ではないでしょう」
「なるほどの……やむを得ぬな……承知した」
ゼムドは苦々しげな表情で同意した。
俺の足は思いの外、危ない状況だったようだ。
マイスやクルスやシーリアの目が怖い。
後が大変そうだ……俺はそんな風に考え、痛みで脂汗をかきながら苦笑した。