第六話 異常
次の日をいつもどおり川で過ごす。
昨日はあんなことがあったおかげで様子はどうだろうと不安に思っていたが、クルスに劇的に変わった様子は見受けられない。微妙に釣りをするときに座っている距離が近くなっている程度である。
ちなみに釣り竿は自分用とクルス用を作ってある。はじめは彼も餌になる虫を自分で触ることに、気持ち悪いからか躊躇していたが今では普通に餌をつけれるようになっていた。
流石に毎回釣りだけではどうかと思っていたので気になっていたことを聞いてみた。
「クルスは文字の読み書きは出来るか?」
「……」
首を横に振る。この村の識字率はそれほど高くない。
ましてや5歳らしいクルスだと知らなくても当然だろう。
この世界の本はなぜか日本語で書かれているため、俺自身は全く困っていない。
大学レベルの知識は一応あるわけだし。少なくとも家にある本では困らなかった。
「……覚える気はあるか?」
と聞いてみると少しだけ考えて、
「……」
少し考えて首を縦に振った。こうして彼の基本的な教育も二人の時間の日課になった。
クルスはあまり覚えは良くなかったが熱心に文字や簡単な計算を学んでいた。
その翌日、俺はガイさんから頼まれて村の薬師の所へと訪れていた。薬師は前世でいうところの診療所の役目も担っている。村の健康管理は殆ど彼の手で行われている。
ガイさんによると気難しいが勉強家で大量の本を持っており、薬学に関してはかなり詳しいらしい。 冒険者のときは魔力がなかったせいで魔法は使えなかったらしいが、剣士兼薬師としてパーティの要だったそうな。
一年前のゴブリン襲撃時に一度会っているが無愛想でとっつきにくそうな人だった。技術を教えてもらう人にガイさんを選んだのもその辺に事情がある。
レベルは16。比較対象が少ないので判断は難しいがやはり強いのだと思う。
ゴブリン襲撃以後、渋い感じのいい男でもあるので縁談がたくさん来たそうだがすべて断っている。村では女嫌いで有名だ。
しかし、彼が自分に何を頼もうというのか。
どんどんとドアをノックすると、
「はいはいー。今開けますー!」
何故か中から聞き覚えのある明るくて高い声がした。どう間違っても男の声には聴こえない。この声は……。
「どちら様―ってあら。ケイトじゃない。ジンさんに何か用?」
「いやいや、それは僕の方が聞きたいんだけど」
何故か薬師の家にはエリー姉さんがいた。
「来たか。入れ」
困惑する俺を正気に引き戻したのは奥から聴こえてきた渋い声だった。
姉は掃除の途中だったのだろう。箒を持っていて、俺を薬師の私室に案内すると掃除に戻って行った。
「よく来たな。ガイから話は聞いている」
薬師の部屋はハーブに近い薬草の臭いがシミ付いていて、悪い臭いでは無いが慣れていないと少し辛い。薬草や本は部屋にきちっと整理されており、掃除は行き届いているようだ。
部屋の主であるジンさんは錆びた茶色の髪を持った筋肉質な細身の青年で、顔には大きな傷が走っている。眼光は鋭く、自分にも他人にも厳しい。そんな印象を受ける。
「お久しぶりです。ケイトです」
「君は目がいいらしいな」
「はあ……」
ガイさんにもステータスの詳しい話はしていない。目がいいということで納得してもらっている。薬師のジンさんは立ち上がり足を引きずりながら棚まで歩いて一本の薬草を取り出した。
冒険者時代に片方の足に致命的な怪我を負ったらしい彼は、生活には問題ないものの歩くには不便な体になってしまっていた。それでも、ゴブリン相手にはまったく歯牙にもかけない強さで戦っていた記憶がある。
「これは、傷の消毒に使う薬草でな。ハクベという。消毒草というのが通称だ。次に商人が訪れたときに交換材料か売り物に使いたいと考えている」
「なるほど在庫が足りないんですね」
なるほど。塩などの生活必需品は月に一度くらいに訪れる商人から買うか、臨時に必要なときは体力のあるガイさんが三日かかる街から仕入れているらしい。商人が来ているときに薬草を売り、代わりに何か仕入れるのだろう。
ジンさんは暫く黙って何かを考えているようだったが、
「……確かにガイの言ったとおりだな」
そう呟いた。射ぬかれるような視線をジンさんから受ける。何か変なことをいっただろうか。
「今の話を理解したか」
「何かおかしかったですか?」
「理解できるのがおかしい。とは思っている」
「!!」
そうか。5歳で商売に関してなんて普通はわかるわけはない。
今まで意識してなかったが、明白におかしい。冷や汗が背中を流れた。
「村の大人たちはお前の事を天才だと言っている」
「そんなことはないと思うけど……」
これは本心だ。人並みといったところのはずだ。
物覚えも良くはない。ということは、ぼろぼろと大学生の延長のような態度をとっていたのだろうか。
「ガイは違うと言っていた。うまく言えないが…とな。俺も違うと思った」
「はあ」
「天才ではないが不自然……そう異常だ」
暫く重苦しい沈黙の時間が過ぎる。ふっと、小さく笑って彼が空気をゆるめてくれた。
「ああ、心配するな。ガイは大雑把なようで勘のいい男だ。一年付き合いのあるあいつが信用できると言っていたから俺も信用する。クルスも世話になっているようだしな」
「ありがとうございます」
頭を下げた。色々と気をつけないと変なことに巻き込まれるかもしれん。
この人もクルスのことは気にかけていたらしい。
「今後は気をつけることだ。この村ではお前の立場なら大丈夫だが……特に他所の人間に会うときはお前の異常さは隠しておけ。出来るか?」
「はい。ご忠告ありがとう御座います」
俺は神妙に頷いた。それが原因で平和な生活に厄介ごとを持ち込まれても困る。
「それでだ。話を戻すが知っての通り俺は足が悪い。この薬草の特徴を見て同じものを指定しただけ次にガイと森に入ったときに取ってきて欲しい」
「見せてもらってもいいですか?」
そういって草を表に向けたり裏に向けたりして確認する。ステータスを見ようと意識するときちんとハクベと表示された。これで探すことは難しくないだろう。
「で、報酬だが」
「あ、子供なのでそれはちょっと……」
「仕事をすれば対価が出る。それは当然のことだ」
ジンさんは5歳の自分が相手でも子供扱いせずに、対等の姿勢で俺を扱っている。
第三者的にはおかしな構図だろうが、当人は真剣である。融通がきかないからなああいつは~というガイさんの笑い声が聞こえてきそうだ。
しばらく悩んだが、
「ではもし成功したら報酬として技術を教えてください。ガイさんにもそうしてもらってます」
「ふむ……。字は読めるのか?」
「うちにある本をすべて読める程度には」
うーむと腕を組んで暫く困惑したように彼は唸り、
「わかった。ガイも教えているならあいつと相談して決めよう。それでいいか?」
「わかりました。有難う御座います」
これでまた新しいスキルが鍛えれそうである。嬉しい限りだ。
うちにはない本もたくさん読める。いい娯楽になるだろう。
「他に質問はあるか?」
交渉も成立したし忠告もした。用は済んだのだろう。
ジンさんがそう振ってきたので気になっていたことを聞くことにした。
「なんでエリー姉がいるんですか?」
「……一年前ゴブリンから助けてな。それ以来断っても追い払っても怒鳴っても二日に一度はうちに来る。半年は頑張ったがいい加減諦めた。まあ子供だからすぐに飽きるだろう」
それは姉の思惑通りなのでは……と思わなくもなかったが、黙っていた。
家事能力が料理も含めて凄い勢いで上がっていると思ったらこんな事情があったのか……。
ちなみに家に戻ってから姉に同じ質問をしたところ。
「やだ、ケイトったら。未来の奥さんなんだから家事をするのは当たり前じゃないのー。六年後が本当に楽しみよね」
と体をくねらせて恥ずかしがっていた。
なんだか少し冷や汗が背中を流れた。9歳児と思ってエリー姉さんを侮っていると将来ジンさんはロリコンと呼ばれることになる気がする。きっと成人する頃には色々と仕込みが終わっているに違いない。
あの異様な家事スキルの上がりっぷりは……この姉、絶対に本気だ。