第十八話 水と油
薄暗い迷宮の中をドワーフのゼムドを先頭に進んでいく。
初めて潜るクルスに気負っている様子は見受けられない。左手に松明を持ちゼムドの少しだけ後ろを歩きながら、時折、おっかなびっくり壁の不思議な石のような素材の感触を確かめたりしている。
心配はなさそうだ……どちらかというとシーリアの方が心配かもしれない。
彼女は気が強そうに見えて……案外と気が弱い……のかな。今もクルスから逆に掛けられたプレッシャーのせいなのか、緊張していて動きが堅い。
「シーリア?」
「ひ、ひゃいっ! な、何?」
後ろから声を掛けると、シーリアが耳と尻尾をピンッ! と立ててびくっと震えて此方に振り向いた。何事かと前を歩く二人もこちらに振り向く。
驚きすぎじゃないかな……と、苦笑する。
「いつもどおりで大丈夫だから」
「う、うん。そうだよね」
シーリアは強ばった笑顔で頷いた。少しだけましになったようにも思えるけど……大分、力んでそうだ。肩に力が入って白い耳と尻尾も立ったままの彼女を見ながら、初日の彼女を思い出して溜息を吐いた。
どうもまずい気がする。薄暗い迷宮の中を歩きながら頬を人差し指で掻き、そう考える。
しばらく進むと探知に飛蝗の集団が引っかかる。正面だしこのまま歩けば戦闘になるだろう。
「何かいる」
クルスがまだ見えていないはずの位置で声を小さく上げ、剣を構える。ゼムドもほう……と、呟いて両手で鉄製の棍を構えた。
マイスが何でわかるんだ? と呟いて俺の方を向く。
「ケイト。俺達は?」
「必要ないかな……飛蝗五匹」
「お手並み拝見か。俺も剣振りたいんだがなあ」
小声でマイスと声を交わしながら一応油断せずに剣を抜いておく。
飛蝗はバッタのような虫で声は上げないが、中型犬程の大きさがあるため近づけば音がする。クルスが遠くから気がついたのもその小さな音を拾ったんだろう。
やがてクルスが照らしている松明の炎に、巨大な飛蝗の姿が照らされる。クルスが身長差があるゼムドを見下ろす。
「ゼムド」
「ありゃ飛蝗じゃ。体当りに気を付けて……好きにやるといい」
「了解」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる飛蝗をクルスは落ち着いた様子で観察し……勢い良く飛び込んできた一匹を上段から一撃で頭部を真っ二つにした。連続で死骸を乗り越えて飛んできたもう一匹を下から突き上げるように串刺しにする。
まるで無駄がない……流れるような動き。
「くっ……『炎の理』『風の理』『矢の理』……行け!」
シーリアが焦るように杖に魔力を集めて魔法を詠唱する。
彼女の魔法は杖を媒介に魔力を自分の思い通りに変換していく。詳しくはわからないが、『理』には数多くの種類があり、その『理』に込める魔力の量で魔法の種類が決まるらしい。
覚えれば魔力がある者なら誰でも使えるようだが、応用するには専門的な知識が必要になるという話だった。彼女は慌てながらも魔法を暴発させないように制御し、後ろから迫っている二匹を狙って魔法を打ち出したが……外れる。
「やるのぉ。負けておれんな……っと!」
ゼムドが重量のある棍で飛蝗を叩き潰す。残り二匹……クルスとゼムドは顔を見合わせるとそれぞれの相手に向かって行った。
結局、飛蝗はクルスとゼムドの二人で全滅させてしまった。二人とも疲れている様子は無かったため、魔力石を集めると再び歩き出す。
最近悩んでいることが多かったゼムドは今日は朗らかな顔でクルスの隣を歩いていた。
「クルス殿の腕は話に聞いておったが、大袈裟に言っておるのだと思ってたわ」
「それほどでもない。普通」
和やかな雰囲気で話をしている二人と違い、シーリアは耳をぺたんと寝かせて落ち込んだように歩いている。普段なら殆ど外さないのに……。
何故そこまで……?
「何であんなにシーリア焦ってるんだろう」
「お前……わかんねえのかよ? 俺でもわかるんだが」
小声で思わず呟くと、マイスが呆れたような顔をして俺を見た。幸い前の三人にはさっきの言葉は聞こえていなかったようだ。
理由が分からないと問題の解決も出来ないのでマイスに無言で続きを促す。
「重症だな……どうしたんだケイト。お前が狙われてるって話があったからだろ。当事者のお前がなんでそこまで落ち着いているんだよ。逆におかしいぜ」
「ああ、すぐに危ないわけじゃないだろ。今すぐ危ないならラキシスさんやクルスが迷宮に潜るのを止めてるはずだし。今日からいきなり危険に……というわけではないと思うよ」
迷宮の中では俺の特殊能力があるので不意打ちは出来ないし、街を一人で歩く時は気を付けないといけないかもしれないが……。
そう思ったのだが、疲れたようにマイスは長い溜息を吐いた。
「はぁ……そういうことなのか。緊張して損したぜ。ちゃんとわかり易く説明しろよ。俺だけじゃなくて絶対シーリアも今日も危ないと思ってるんだぜ」
「あ、そういうことか」
ようやく理解できた。ようするに今のシーリアはクルスに挑発されたのもあるだろうが……それ以上に見えない脅威を警戒しているわけか。
俺を守るために……かな。やっぱり。俺は苦笑いしながら、耳と尻尾を立てて警戒しているシーリアを見ていた。本当にお人好しないい獣人だと思う。
結局、クルスが初日ということもあり、今日は早めに切り上げて地上へと戻った。
平然としているクルスと違って、シーリアは明らかに疲れた表情を見せて街の中を歩いている。
クルスは一番浅い階とはいえ殆どの敵を軽く倒していた。自分だけで戦うのではなく、ゼムドを援護したりと内容的に問題は全く無かった。
問題は……シーリアの方かもしれない。
普段は冷静に的確に敵を倒していく彼女が殆どの魔法を外してしまい、あまり敵を倒すことが出来ていない。気にしているのか肩を落としてしょげていた。
「シーリア。大丈夫?」
「うん……ごめんね。役に立たなくて」
雰囲気がどんよりとしていて、いつもは生命力で溢れて輝いて見える白い髪もただの白髪に見えるくらいにシーリアは落ち込んでいる。
半分は自分のせいだからなぁ。どうしたものかと悩む。
「俺達は普段のシーリアを知ってるから心配ないよ。今回は危険がそこまである探索じゃないし、次があるから。すぐ慣れるよ」
「あっはっは! そうそう、ケイトの言うとおり! らしくねえぜ。シーリア」
シーリアの肩をバシバシ叩いて、笑ってマイスも同意する。
彼女は痛そうに顔をしかめて、マイスを睨みつけた。
「痛いわねっ! 放っておいてよ!」
「そう……放っておけばいい」
いつの間にか俺の隣を歩いていたクルスが不機嫌そうに呟く。彼女がここまで他人に敵意をあらわにするのは珍しい気がする。
彼女は端正な顔を俺の方に向けると、咎めるようにこちらを睨む。
「ケイトはこの女ばかり気にしてるし。ずるい」
「……今日は調子が悪そうだったからね。普段は凄い魔法使いなんだ。手紙にも書いたような。出来れば二人とも仲良くしてくれればと思うんだけど」
納得してくれるかと、クルスを見たが……彼女は頷いてくれなかった。
「私は別にこの女を嫌ってない。どちらかというと……」
「どちらかというと?」
「どうでもいい。どうせ長く一緒にいない」
思わず足を止めてしまう。クルスは思いの外、厳しい表情をしていた。シーリアはその言葉でカチンと来たのか、足を止めてクルスと正面から睨みあった。
「どういうことよ。ケイトは私の友人なんだから狙われてるからって見捨てないわよ」
「……そうね」
クルスは落ち着いた様子で、彼女にゆっくりと話す。感情的になっているシーリアに比べて冷静に。俺の方に一度向き、俺へも告げるように。
「しばらくは大丈夫。だけど、危険」
「……どういうこと?」
「ラキシスは貴女の心配をしている。この街にずっといるのも……ケイトは危ないと思う。その時、どうするの?」
なるほど……と、クルスの言いたいことが少しだけわかった。意外と俺の立場も自分で考えていたより危ないのかもしれない。
そして、学院に在籍し……義理の母でもあるラキシスさんがいるシーリアに無茶をさせるわけにはいかないということか。今日の迷宮については関係ないらしい。
ちゃんと、クルスなりに客観的な事情を考えてのことらしい。夜にクルスからそう考えるに至った話は……しっかりと聞いておく必要がありそうだ。
シーリアは驚いたように口を開けていたが、胸元の首飾りを弄り目を瞑り暫く考え……目を見開くとクルスにはっきりと言い返した。
「何度も言わせないで。私は友人を見捨てないって言ってるのよ」
「……やっぱり嫌い。こいつ」
マイスが俺の肩を叩いてニヤニヤと笑う。俺はマイスを殴ると、大きく溜息を吐いた。
とりあえず、話を聞くことにしよう……。