外伝 第十話 青い鳥
心が決まると私は数少ない同性の友人であるエリーとリイナにも旅に出る事を告げた。
二人とも複雑そうな表情ではあったけど、
「そっか。ヘイン君と弟のことお願いね……私みたいに素敵な人探すのよ?」
「うう……やっぱそうなっちゃったか。寂しいし残念だけど……クルスが自分がやりたい事なら仕方ないよね……だけど、絶対に元気でいてね?」
と、それぞれ苦笑いしながらも私が旅に出ることを納得してくれた。
あんまり女らしいことがわからない私のために彼女達はいろいろ考えてくれたし……相談にも乗ってくれた。私も二人の幸せを心から願った。
本当はすぐにでも旅に出ることは出来る。だけど私はケイトと……ついでにあのエルフへの手紙を書いたり、マリアとの訓練を続けながら時を待っていた。
あの事件から二週間程の時間が流れた頃、いつも通りマリアと訓練をしていると遠くから馬の鳴き声が聴こえてきた。私が待っていた……ようやくその相手がきたようだ。
私の前で剣を構えていたマリアもそれに気付いて剣を納めて微笑む。少しだけ疲れているのか用意している手拭いで額の汗を拭いていた。初めは私とケイトとマイスの三人を相手にしても汗ひとつかいていなかったことを考えると……腕は上がったのかなと思う。
「動きに迷いが少なくなったわね。教えるのも今日までか……残念」
「ありがとう。マリア」
「どういたしまして。元気でやるのよ? それから……」
マリアはにやっと獰猛な獣を思わせるような迫力ある笑みを浮かべて私の肩を叩いた。
「貴女は私の弟子の中では一番よ。負けたら許さないから」
「わかった。誰にも負けない」
「ならよし! さ……グルード様が待っているわ」
私はマリアと笑いあうと、訓練の道具を二人で片付けて客人を迎えるために歩きだした。
グルードとモルト村長の話が話をしている間にマリアに水を借りて体を拭き、服を着替える。服は……マリアが色々と用意してくれたけど、結局、動きやすい服を選んだ。
三十分ほどすると話が終わったのか、部屋で待つ私をマリアが呼びに来てくれた。
私は彼女に連れられて、グルードが待っている客間に向かう。
「こんにちは。久しぶり」
「ああ。最近忙しかったものでな。報告も遅くなってしまったよ」
モルト村長に頭を下げて、グルードに外で話そうと声を掛ける。彼は一瞬きょとんとしたけど、ああ、といつもどおりに力強く頷いた。
私が歩くのを選んだのは初めて案内した村の西側。作物が刈り取られた後の畑がある場所だった。深く考えてのことではなく、なんとなく……だけど。
初めて歩いたときのように二人で枯れ草の匂いがする小道をゆっくりと歩く……彼と会ったのもつい最近のはずなのに、もう随分前のように思える。不思議な気分。
グルードはそんな私をしばらく太い眉を寄せて怪訝そうに見ていたけど、そういえば……と、こちらを向いて口を開いた。
「クルス。君にも報告は必要か?」
「お願い」
短く答える。村を出るにしても……聞いておきたい。彼等はケイトを探していた……場合によっては彼が危険に巻き込まれる可能性もある。
グルードは仕方ないなと苦笑して、話してくれた。
あの日、村に来た残りの傭兵はマリア、グルードとその部下、お義父さんが指揮した三十人近くの村人達とで協力して被害なしで捕らえることに成功したらしい。
だけど……。
「捕まえた奴らは何も知らなかった。『呪い付き』を探してたってことだけだ」
「そう……」
「詳しいことはウィルスって男と君が殺した男だけが知っていたようだ」
お金で雇われているだけで詳しくは知らなかったらしい。
グルードは難しい顔をして、だが……と続ける。
「君が聞いた話を村長から伺ったが……この事件は意外と根が深い。私も国と近郊の領主に報告書は出したが……大きな力が動いているようだ」
「大きな力?」
「個人や小さな組織が出来ることじゃない。やり口も……狂ってるとしか思えん」
嫌悪感を顔に出して言い捨てる。生真面目そうなグルードには不快なんだと思う。
彼は常にまっすぐで正々堂々だから。そこが彼のいいところだけど。
「君の友人にも手紙か何かで注意を呼びかけた方がいいかもしれない。危険だ」
グルードは真剣な顔でケイトの心配をしてくれていた。
彼が本当に私と結婚するというなら、ケイトは敵ではないんだろうか……不思議に思ってグルードをじっと見つめる。
「な、なんだ? クルス」
「ううん……グルードはいい騎士なんだなと思って」
意味もわからず首を傾げているグルードが少し可笑しくて、私は微笑む。
「だけど、ケイトは大丈夫」
「ほう……随分と信頼しているのだな。それほどの男か」
「違う。私が守るから」
グルードが驚いたのは一瞬だけだった。
すぐに穏やかな笑みを浮かべて……グルードは、そうか……と、遠くを見て呟いた。
「恐ろしい腕を持っている……あのマリア殿の弟子の君が守るのなら安心だな」
「ごめんなさい」
私がグルードに頭を下げると、彼は明るく大声で笑った。
こちらは真剣なのに……失礼じゃないだろうかと、軽く睨むと彼はすまないと謝り、
「どちらにしろ二年待たなければならないんだから……聞いた時は驚いたよ」
「年齢聞いたら……子供扱い?」
少しだけ怒りを感じる。だけど、彼は微笑んで首を横に振った。
「結婚して欲しいという言葉を撤回はしない。今は駄目そうだが……君が旅に出てケイト君をもし見限ったなら……二年後、私にもう一度結婚を申し入れる機会が欲しい」
「……正気?」
「くくっ! またそれか。正気だよ正気」
呆れたように見る私にグルードは男らしいからっとした笑いで応えた。だけど、あまり嫌な感じはしない。彼のような男にそう言われるのは多少は嬉しい。けど、
「大丈夫、グルードの心配は杞憂。多分……だから、いい人を探して」
「まあ、未来に何があるかはわからんからな。お互い頑張ろう」
そういってグルードは右手を差し出した。私もしっかりとそれを握る。
「ありがとう。グルード……貴方に会えてよかった」
暖かい春の太陽のような性格の彼には湿っぽい別れは似合わなさそうだ。
だから、私は出来る限りの笑顔を彼に見せた。
グルードとの別れを済ませたことで私が村にいる理由は完全に無くなった。
ケイトへの手紙も、もう出してある。
手紙の内容は悩んだが、結局短く済ませた。話したいことは山ほどあるけど……手紙には書ききれそうもない。それなら直接会って話せばいい。
リイナのことも……彼女には悪いけど、私は話す。マイスが心配なのはわかるけど私は友人として彼を信じている。自分で答えを出してくれるはず。
旅の準備も済ませた。後は……明日、村に別れを告げる。
眠れないかと思ったけど、睡魔はすぐにやってきた。
気付いたら不思議な空間に私はいた。
足元に地面は無いのに立っている感触があり、暗闇で周りが何も見えないのに目の前に立っている女性は……ぼやけているけど見える……この感覚を私は知っている。
これは私の夢。昔に見ていた悪夢の残骸。
「久しぶり……ずっと見ていた。大きくなったね」
「久しぶり。助けてくれてありがとう」
目の前の彼女に頭を下げる。彼女は落ち着いた表情で微笑んでいる……と思う。
私の前に立っているからは昔の憎悪や狂気はまるで感じられない。でも、この前出た時は昔の狂気を感じた……よくわからない。
「どうして助けてくれたの?」
「そうね。貴女の憎悪に引きずられたのもあるけれど……」
彼女はしばらく考えるように黙って、
「そう……まだ、貴女が頑張る姿をまだ見ていたかったから」
「私は貴女じゃないって、消えてって……酷いことを言ったのに?」
私は彼女のぼやけている顔をまっすぐに見る。敵意は感じないけど……意図がわからない。彼女には私を助ける理由が無いように思える。
「怒りに我を忘れて、狂っていた私の方が貴女に酷いことをしていたしね。あの言葉でようやく目が醒めたのよ……冷静になれたの」
「冷静になった?」
「ええ。私は自分が嫌いだったから……自分と違う貴女ならもしかしてと思ったの」
目の前の彼女は、落ち着いた様子で続ける。
「それに私は醜いの。その時は様子を見てればいいと思っていたわ。『私』だから、すぐ不幸になるって。そしたら身体を奪えばいいって……そうやって笑っていたのよ」
「今は……違うの?」
彼女の告白を聞いても自分は意外と冷静でいられた。私の問いに彼女は頷く。
「優しい両親、素敵な友達……私にはなかったものを貴女は手に入れた。私にぼろぼろにされた心を強くして、頑張って。それを私は中から見てた」
私を諭すように、羨むように彼女は続ける。
「それは当たり前にあるものじゃないの。だから、私は嬉しかった」
「そう……」
「暖かいものを教えてくれた貴女に感謝してる……それと、本当に御免なさい。消えてあげたい……貴女に合わせる顔もない……だけど消えられないの……」
見えにくいけど、多分頭を下げたのだと思う。彼女と向き合ってると心が伝わってくる。彼女の後悔と謝罪は真実なんだと思った。
「構わない。私はもう気にしてない……お陰で色々な人に出会えた。ケイトとも会えたし、お義父さんもできた……命も助けてくれたし、おあいこ」
「ありがとう」
ふっ……と、ぼやけている彼女の姿が私に近づき、私を抱きしめる。
私の身体に涙が落ちている……そんな気がした。
「言っておかなければいけないことがあるの」
「……何?」
抱きしめながら彼女は落ち着いた静かな口調で大事なことだから……と話す。
「前の力は多分もう自由に使えるはず。でも、今回は上手くいったからいいけれど……私は余り助けてあげられない。体を乗っ取るといけないから」
「本当に……乗っ取りたくないの?」
「私は貴女も気に入っているの。それに……私のたった一人の大事な人はもういないから」
彼女の表情はわからないけど……その言葉は寂しそうに私の耳に響いた。
「クルス……これから旅にでるのね」
「うん。そう……青い鳥を探しに行くの」
ケイトがくれた鎖の付いた幸せの青い鳥。それは壊されてしまったけれど……悲しいけれど……あの青い鳥は私を広い空に羽ばたかせるためにあったんだと思う。
「そうね……クルス。私と違う貴女なら縛られていない……本物の青い鳥を見つけられる」
「ありがとう、もう一人の『私』。私、頑張るから。強く……幸せに生きてみせる。安心して中から見てて。絶対に大丈夫だから」
私は敢えて……目の前にいる、かつては否定した自分を苦しめていた人を……そして今は私の中で見守ってくれている人……助けてくれた人を『私』と呼んだ。
きっと彼女は私の中で罪悪感を感じながら、辛い思いをしながら見守ってくれていただろうから……それが心を通じてわかってしまうから。一緒に幸せになれれば……そう思った。
彼女は驚いて押し黙ったけど、しばらくして嬉しそうに笑った。
「ふふ……中で楽しみにしてる。頑張ってね……もう一人の『私』」
私は私の自分の幸せを、自分の力で掴みに行く。
もう一人の自分と笑いあう私の心に、今までにない晴れやかな気持ちが満ち溢れていた。