外伝 四話 警戒
朝起きると私は部屋で身支度を整えた。今日はいつものように川には行けない。
傭兵らしい一団が村に泊まっているため、一人で人気のない場所に行くことは止められている。
お義父さんも泊まっている男達をかなり警戒していて、皆が寝静まった昨日の夜の内に緊急用の連絡を村中に回し、自身は村の何人かの大人と交代で離れの見張りをしていた。
グルードに変わるまで徴税官は本当に取り立てるだけの人で、頼りにしようとは誰も思っていなかったこともあり、私達の村では自分達の身は自分達で守ろうという想いが強い。
一年前にゴブリンの巣を潰した後、さらにそれが強くなっている。
村人に死人を出したこと、私やケイト、マイスといった成人していない者が命の危険を晒して戦ったことが原因……かな。農具を警戒のたびに使うことはできないので、全ての家には硬くて長い棒が最低一本置かれている。
一週間に一度、男達はお義父さんの指導でそれを振ってるそうな。
村長宅へ向かうため、私は剣を腰に下げ、弓を持っていくかどうか迷い……結局、弓と矢筒を背中に担ぐ。何か言われたら猟に行くとでもいえばいい。
「まあ……怪しいが戦いになると決まったわけじゃねえ……もしそうなったら、お前はマリアさんに任せて隠れてろよ。絶対に無茶はするんじゃないぞ」
「うん。わかってる」
お義父さんが真剣な表情でそういって、心配そうにこちらを見た。マリアを除くとお義父さんは一番強いから……今回も夜間の見張りとか危険な仕事を引き受けている。
私が心配する方だと思う。
「俺はメリーとセレナをジンの所へ連れて行ってから、村の人間をまとめとく」
「わかった。じゃ、行ってきます」
「おう」
私は頷くと不安そうなお母さんに手を軽く振って家を出た。
寒い冬空の下、村長宅に行くために村の広場を歩いていると黒髪の疲れた顔をした青年……騎士を名乗ったウィルスが、井戸で水を汲んで顔を洗っていた。
酒の匂いはしない。飲んでいないのだろう。素通りするのもおかしいので頭を下げる。
「おはよう……ございます」
「ああ……あ、おはよう……ってどうしたんだい。その格好」
「猟に行く」
決めておいた答えを彼に告げると、驚いたような声を上げた。弓はともかく、剣はおかしいかもしれない……だからかな……と思う。
「びっくりしたよ。君は結構勇ましいんだね」
「変?」
そういえばグルードも私が猟をするのに驚いていた気がする。
ウィルスは水を入れた桶を置くと、私を見て笑いながら言った。
「いや、可愛いのに案外似合っているから驚いたんだ」
「そう……普通だと思うけど。生きるために動物を狩るのは」
家畜が少ないこの村では肉を食べるために、野生の動物を狩らなければならない。
猟師の一人や二人、どこにでもいそうだけど。まあ、もしかすると普通じゃないのかもしれない……他の女の子はこんなことしてないし。
「そういう意味じゃないんだけど……生きるため?」
「そう。生きるため。ウィルスは生きるために騎士をしているの?」
ふとした疑問。グルードは騎士であることに誇りを持っていた。
私の考え方とは少し違うけれど、彼は人を守るために力を振るうことを大切なことだと考えていたし、その生き方を彼は楽しみ、喜びを感じているようだった。
だけどウィルスはどうだろう。とてもそんな風には見えない。
「僕は……理想を……そう、理想を現実にするために……生きている」
彼は若くみえるのに、理想と語ったときにはまるで疲れた老人のようにも見えた。
何故だろう……どうしてだろう……。
「……後悔してるの?」
「たくさん……後悔してきたよ。だけど、僕はやらないといけない。そうでないと何もならない」
ウィルスは諦めたように微笑んでいた。
その顔を見て、私は……何かを言ってあげたいと思った。彼は私が答えを出すためのヒントを一つくれたし……恩は返しておきたい。
それにケイトなら……こんな人がいたら、きっと私には思いつかないような凄いことを言って励ますと思うし……私もそうしたい。
ケイトとの会話を思い出す。彼なら何て言うだろう……しばらく考えて私は彼に言った。
「ウィルス。貴方の理想が叶えられることを……私は信じる」
「……え?」
「自分で自分を……信じてなさそうだから」
ウィルスは聞いた瞬間ぽかんと口を開けていたが少し呆然とした後、微笑んだ。
年相応らしい明るい笑顔だと私は思った。
「私には貴方の辛さはわかってあげられないけど……私は貴方は嫌いじゃないから応援する」
「ありがとう……クルス」
少し元気が出たみたいで良かった……ケイトに近づけたかな?
うんと私は一つ頷いて少しだけ笑った。
「ウィルスはこれからどうするの?」
「……ああ、いや、そうだな……今日の昼に村を出ようと思う」
「もういいの?」
私にそう聞かれたウィルスは、真剣な表情で唇を引き締めて頷いた。
それも一瞬で、また彼は何かに悩んでいるような、諦めた表情に戻ってしまう。
「ああ、いいんだ。目的の人はいないようだしね」
「そう……青い鳥の話は参考になった……本当にありがとう」
そう頭を下げてから目的の場所に行こうとしたが、
「クルス!」
と、呼び止められた。ウィルスは呼び止めた姿勢で何かを言いたげな顔でしばらく黙っていたが……やがて大きく息を吐いて首を横に振った。
「いや、何でもない。こちらこそありがとう。世話になったね」
ウィルスは苦笑いし、私と握手し自分達が泊まっている離れへと帰っていった。
彼は何故あんなに辛そうな表情をしているのだろう……他の仲間と雰囲気が全く違う彼を見送りながら私はそんなことを考え、理解できずに悩んでいた。
私は太陽が真上に近くなるまで、マリアと話をしながら彼らが帰る時間をゆっくりと待っていた。マリアもいつもの普段着ではなく、軽い革製の鎧を着込んでいる。
横着だけどと彼女は笑っていた。対応はモルト村長に任せるようだ。
昼が近づいてお腹も空きはじめてきた頃、客間で待っている私たちの元へモルト村長がやってきた。彼の顔には緊張と疲れが見える。
「二人とも、グルード様がもう少しでお着きになるようだ」
「トマスが狼煙をあげたのね」
「どうやらその前に帰ってくれるようだがね。やれやれだよ」
ケイトの一番上の兄であるトマスは昨日、グルードを呼びにいっていたがどうやら近くまで来ているらしい。最も彼らが素直に帰ってくれたなら、グルードに無駄足を踏ませることになってしまう……その時は私も謝ろうと思う。
モルト村長は苦笑しているがマリアのいった彼らが騎士でなく、傭兵だということは信じているようだ。私が何故かを聞くと、
「マリアの勘を信じているのもあるが、彼等にはおかしな部分があるんだ。一番大きいのは彼らはカイラル騎士団を名乗ったことだ。何故かわかるか?」
「ううん」
首を横に振る。こういう難しい話はちょっと苦手。
でも、ちゃんと聞かなければ。モルト村長はどう説明すればいいのか考えるような仕草をしながら、ゆっくりわかり易く続けてくれた。
「このクルト村はカイラルに税を納めているが、貴族領ではない。徴税官は国から派遣されてくるのだよ。それがグルード様だ。彼は貴族で騎士だけれどもピアース王国の騎士であって公爵領であるカイラルの騎士ではない」
「でも、同じ国の騎士じゃないの?」
「そうだ。だが、同じ国といっても我々の国は王領という所領を持った一番偉い貴族の国と、公爵領という所領を持った大貴族の国の集まりでしかない。王と公爵の領土は大げさにいってしまうと別の国のようなものなのだ……まあ、ちょっと乱暴な説明だが間違ってはおらんはずだ」
自分も上手く説明出来ないと、モルト村長は苦笑した。
私はこんなこと全然知らないので知っているだけでも凄いと思うのだけど。それになんだが、私に教えてくれてるときのケイトの顔にそっくりで少しおかしかった。
モルト村長はここからが本番だと前置きを置いてさらに続ける。
「クルト村は王の土地だからな。ここで、カイラルの騎士がああいう捜し物をするときには、グルード様の許可が必要になるのだよ。そして、グルード様がこちらに向かってきてくれているということは、その許可を出していないということだ」
「なるほど……グルード偉かったんだね」
気難しそうに見えて気さくで明るいグルードを思い出す。彼は下級貴族は貧乏で一般人と変わらないと言っていたんだけど。こう話を聞くと本当なんだろうかと思う。
同じ国の騎士でもその関係はややこしいらしい。つまり、ウィルスはカイラルの騎士でも問題があり、勿論そうでなければ身分の詐称は犯罪だから捕まる……というわけらしい。
彼自身それがわかってでも仕事でやらないといけないから、疲れた顔していたのだろうか……と、礼儀正しい黒髪の青年に少しだけ同情した。
「私は彼等を道まで送って来る。森の中の道を使ってこれから東に向かうそうだ」
「モルト村長、気を付けて」
私が声を掛けるとモルト村長は笑ってああ。と頷いてしっかりした足取りで表に彼らの対応をするために出て行った。
「あの人、クルスのこと娘みたいに思ってるのよ。エリーもお嫁にいっちゃったし。さっきの嬉しそうな顔……妬けちゃうわね」
「そうなんだ」
くすくすとマリアは笑った。ケイトはモルト村長は厳しい父親だったっていってたけど、私にはそんな印象はない。人は見る人によって印象が変わるのかもしれない。
私はモルト村長を見送りながらそんなことを思った。
モルト村長が戻ってくると三人で食事を取り、もう大丈夫だろうということで母親がいるジンさんの家に向かって私は歩いていた。マリアがまだ鎧のままだったのは気になるのだけど……と、考えているとカランが必死な形相でこちらに向かって走ってきた。
余程必死だったのか、私の姿を見て止まると膝を手で抑えて息を切らせている。
「カラン、どうしたの?」
「ク、クルス……あいつら……あいつら……!」
「落ち着いて。息を長く吸って……そう……ゆっくりと吐いて」
カランの背中をさすりながら、彼を落ち着かせる。
「ごめん、クルス。あいつら、森の中で仲違いしてたんだ」
「……カラン。どうしてそんなとこに……いや、それは後……どんな喧嘩?」
カランの表情にあるのは怯えと……恐怖。彼は弱いけど気は弱くない方だと私は思ってる……何が……何があった……?
「黒髪の騎士っぽいやつが……斬られてたんだ。俺は遠くから見てたんだけど、怖くなって……逃げてしまった。た、助けられなかった……無理だ!」
「カラン……落ち着いて。そんなの貴方のせいじゃない。私でも無理」
「でもっ!!」
この村では人が斬られるというのを間近で見ることはない。ゴブリン退治のときもカランは参加していないし……取り乱すのも仕方がない。私は彼の両頬を両手で触ると顔を近づけて、カランの瞳をしっかりと見つめる。
「貴方にしか出来ないことがある」
「あ、ああ」
「マリアとお義父さん……ガイに連絡。グルードにも。お願い」
「わ、わかった」
カランが正気を取り戻してこくこくと何度も頷く。死んだようだった目にも光が戻っている……やっぱりカランは強い。私は少しだけ笑った。
「クルスはどうするんだ?」
「私は森で彼らを探る。心配無い、ここの森なら私の庭。村の中より安全。それより急いで!」
カランは口を引き締めて頷くと、村長の家がある方向に向かって全力で走っていった。
私はそれを見送ると……弓を左手に持ち、森の方角に向かって走った。黒髪の騎士……少しだけ話をしたウィルスが無事であることを祈りながら。