外伝 一話 日常
ケイトから二枚目の手紙が届いた。手紙には一月に一度手紙を送ると書かれている。
私からは正直に楽しそうでずるいと書いたのだけど、ケイトからの手紙によると楽しいばかりではないようで、苦労もしているらしい。
子供だから足元を見られてしまうんだとか。私がいれば相手にそんな態度、絶対にさせないのに……力尽くでも。
とりあえず、今はマイスと二人で迷宮に入っているらしくほっと安心する。
ケイトの手紙と一緒に気に食わないエルフからも手紙が届いていた。
あのラキシスとかいうエルフとの手紙のやり取りは昔から続いている。私は何故嫌いな相手と文通しているのかな……と、思わないでもないが、彼女も私の重要な情報源だ。
川辺で水を汲むための桶を置いて手紙を広げる。早朝でかなり寒いけど走ってきたこともあり、身体はまだ火照っていた。
ケイトからの手紙と違ってゆっくり読みたいものでもないし、いつも身体が冷えるまでの短い時間で読んでいる。後は、忙しい用事の合間とか。
「彼のことは私に任せて貴女は村に引き篭ってなさい……すぐに忘れさせてあげるからご安心をって………………あの女………………」
陰湿な性格に似合わない可愛こぶった丸っこい字で、彼の現在の生活が細かく書かれている。これを書きながらあのエルフが高笑いしていると思うと、怒りが込み上げて手紙を破り捨てようと思ったが、ぎりぎりで堪えて畳んで服の中に直した。
何歳か知らないが、いつもながら大人気のないエルフだと思う。お義父さんは『氷の魔女』とか言っていたがたぶん中身は子供に違いない。キスしてもらったって書いたときは荒っぽい字で純真な彼をどんな悪魔のような手を使って誘惑したの? とか、あれは面白かった。
エルフは年をとらないらしいから、きっと中身だけじゃなくて外見も子供みたいな女だろうし……彼女に関しては私はあんまり心配していなかった。
村にも井戸があるのに離れた川まで走っているのは鍛えるのと……一人になるため。
川で水を汲み、帰りは歩く。水は料理と……そして、私が身体を拭くのに使う。
秋はここで拭いていたけど、流石に今の季節では寒くて風があるから厳しいので家に帰ってから体を拭いている。
私は習慣になっているけど、話に聞いたところ私と同じくらい体を毎日拭いている人は友人である二人くらいしかいない。原因はケイトにある。
彼は綺麗好きで毎日きちっと体を拭いていて……清潔でいい匂いがした。私はそれが普通なのだと思って真似をしていたのだけど……その後エリーが私達の肌を見て、何か思うところがあったのか彼女も気を付けるようになった……彼女の場合はジンさんのためかな。
そして、リイナもエリーから話を聞いて清潔にするようになったらしい。好きな人を手に入れるための執念を私は二人から感じていた。
帰り道にいつものように現れたカランを殴って帰り、身体を綺麗に拭いて朝食を食べ、鍛錬のためにケイトの家である村長宅を訪ねる。
すると今日はドアの前に高価そうな仕立ての服を身につけ、剣を持った中肉中背の金髪の青年が立っていた。
ノックしようとして緊張しているのか太い眉を寄せ、口をへの字に曲げていた。
顔立ちは精悍で、背筋が伸びており男らしい。村の人じゃない。二十代前半くらいだろうか。体は鍛えているのか引き締まっている。
彼が立っていては入れないので声を掛けることにした。男の人達と多少は話(?)をするようになり、慣れたお陰かちゃんと声は出た。
「こんにちは」
「っ! し、失礼。貴女は村長のご令嬢かな?」
ご令嬢……? 自分に似合わない形容を聞いて、首を傾げてしまう。
「私はこの家の夫人に色々と教えていただいている者……です。貴方は?」
「私は新しくこの付近の徴税官に任命されたグルード・ヘイル・クラインだ。よろしく頼む」
青年は多分、礼儀作法なのか綺麗に頭を下げた。確かヘイル……というのは下級貴族出身の騎士の人が持つ称号だと聞いたような気がする。
「騎士様ですか」
「ああ。徴税官としてセイ村に赴任することになったので村長に挨拶をと」
セイ村はこの辺りで一番大きな村で、貴族の役人が住むための邸宅が建てられている。代々付近一帯の徴税官はその家に住んでいるし、彼もそこに住んで仕事を行うのだろう。
私の無愛想な受け答えにも彼は怒る風もなく、微笑んで答えていた。前の徴税官はもっと堅い高圧的な人だったけど……今回の人はそうでもなさそう。村にとってはいいことかもしれない。
「失礼しました。グルード……様……少々お待ちを」
「有難う」
彼の青い眼を見ながら丁寧さを意識して話す。敬語あってるのかな……と、悩みながらモルト村長を呼ぶと連絡が先に入っていたのか、応対するために外へと出て行く。
任せて大丈夫そうなので、私はマリアの所へと向かう……が、彼女も新しい徴税官に挨拶するために、今日は一人で素振りをしておいて欲しいと言われた。
仕方がないとはいえ、これは退屈である。
一時間くらいマリアとの戦いを想像しながら素振りをしていると、応対が終わったらしくマリアが私を呼びに来た。普段着のまま……今日は鍛錬無しのようだ。
マリアは珍しく困ったような表情で、
「ごめんなさい。クルスお願いがあるのだけど」
「……何?」
「グルード様に村を案内してもらえないかしら」
と、頼んできた。それは本来モルト村長の仕事ではないだろうか。
私には何もわからないのだけれど。マリアを見ると苦笑いしていた。
「先入観無しに村の様子を一度見たいそうなの」
「……構わない。ただ、私は礼儀を知らない」
問題はそこ。それを理由に難癖つけられると村全体が困る。それは望まない。
「クルス。貴女、女性としての礼儀作法とか教養を私に学んでると思われているわよ?」
「それは……困る」
どうも勘違いされてしまったらしい。
どうしようか悩んでいるとマリアが私の肩をぽんと叩いて真剣な表情で、
「多分……あまり喋らなければ大丈夫。絶対……絶対に殴っては駄目よ?」
「私はマリアより手は早くない」
私が好きで殴っていると思っているんだろうか……マリアは。本気で心配している彼女に私はちょっとだけむっとした。
私はマリアに正式に紹介をしてもらって、金髪の若い徴税官、グルードを案内することになった。モルト村長の顔をみるに結構疲れるやり取りをしたらしい。
厳しい取立てをしそうな人なのだろうか。
「グルード……様、西側が畑。果樹園はあっち……あちらです」
「なるほど……管理はしっかりされているようだ」
グルードは難しい顔をしながら農地を見て、分厚いノートに何かを細かく書いている。
私は案内するだけで、何も喋らずに言われたところを見せていた。彼は一通り回ると、疲れたのか首を回して、腰のポーチにノートとペンを直し、私の方を厳しい表情で見た。
「この村は家畜が少ない。畑と果樹園以外に産物が殆どないが……不作はどうやって乗り切ったのか……君は知っているか?」
「薬草を売り、猟をして保存食を作った……作りました?」
「ふむ……ああ、無理に敬語でなくてもいい」
彼は顎に手を当てて考え込んでいた。何か敬語以外でおかしいところがあったかな?
しばらく悩んでいたようだけど、彼は苦笑いして言った。
「いや、すまない。その人に会わせてくれないか?」
「複数人いる。そのうちの半分は村にもういない」
「一人でいい。確認したいだけだから」
どうしてそんなに難しい顔をして言うのだろう。ケイトならこういう顔の意味がわかるのかな……私にはわからない。首を傾げて、でも正直に言うことにした。
「私」
「……は?」
「そのうちの一人は私」
何故かグルードはぽかんとしていた。猟をするくらいおかしいことではないと思うのだけど。薬草もそこらに生えているから別に特別じゃないし。何か変? と思いながら真面目そうな彼の顔を見つめる。
彼は失礼といって私の腕をとって手のひらを見た。私の手はゴツゴツしててあまり綺麗じゃないからやめてほしいのだけど……大事なことみたいだから我慢する。
「……すまない、邪推だった。疑っていた……詫びる」
「よくわからないことで謝られると……困る」
「税の過少申告をしているのだと考えていたのだ」
堅物のモルト村長がそんなことするとは思えないけど、初めてだし仕方ないのかな。
「わかってくれてるなら別にいい」
「そうか。よかった……それにしても意外だな。君のような美しい少女が……」
……この人は何を言っているんだろう。
あまりにも不可解で少しだけ眉をひそめる。
「私は女らしくないから」
「それは違う。騎士である私相手に臆さず話せる芯の強い凛とした美しさがある」
そういってグルードは朗らかに笑った。仕事中の気難しそうな顔と違って、明るい惹きつけられるような笑みだった。だが、この人も私を知らない。
「買い被り。私は……別に強くないから」
「そうか」
少し気まずい雰囲気になってしまったけど、案内も終えたので村長宅に戻ろうとした。仕事も果たせたし、村の人間ではないからもう会うこともない。問題はない。
そう思って忘れることにして歩いていたのだが、前方から最近さらに立ち直りが早くなってきた同世代の背が高い少年……カランが走ってきた。遠くから私を見つけたのだろう。
「クルス! 勝負だ!」
「カラン……私は忙しい……グルード様、三十秒……いえ五秒待って下さい」
困った……周りが見えていない。グルードが見ているが仕方がない。不意打ちでもいいと言ったのは私だから。彼の攻撃に合わせて一撃で仕留める。
……そう思ったのだが、カランの拳を私の前に出たグルードが受け止めた。
彼はカランを睨みつけ、大声で怒鳴る。
「この馬鹿者がっ! 婦女子を傷付けようとするとは何事か……恥を知れ!」
「あ……」
止めるまもなく、グルードがカランを殴り飛ばした。
中々の強さ……流石は騎士。鍛えているのは飾りではないみたい。
グルードは男らしい太い眉をよせて、座り込んでいるカランを睨みつけて大声で、
「少年っ……女性は男が守るものなのだ。男の力は弱き者を守るためにあると知れっ!」
…………この人は何を言っているんだろうか。
客人がいるのに挑んできたカランも悪いけど、これ以上意味不明な理由で殴られるのは殴られ慣れているカランでも可哀想。止めよう。
「グルード様……やめて。私の責任」
「クルス嬢……のせい?」
「私と付き合いたければ、私をどんな手を使ってでも倒せと言った」
唖然としているグルードに続ける。
「卑怯なことをせず、真正面から負けても負けても向かってくるカランは立派」
「そ、そうか……しかし……」
「戦いに男も女もない。カランは恥知らずじゃない」
そう、怪物……あのゴブリンのような敵は女だからと容赦はしない。
私は戦いになれば誰にも負けるつもりはない。そして、ケイトをあらゆる敵から絶対に守る……そのための強さを得るために、鍛えている。
グルードには悪いけれど守るというのは余計なお世話。私が守るのだから。
「カラン……大丈夫?」
「う……クルス……うぅ……やべ、泣きそう」
「でも、もう少し強くならないと。弱すぎ」
カランの側に座って声を掛けると、泣きそうになりながら器用な顔で笑っていた。
私は立ち上がってグルードに頭を下げ、行こうと促した……が、グルードは留まってカランに頭を下げた。
「事情も知らずに失礼なことを言ってしまったようだな。すまない、少年」
「あ、いえ、こちらこそ……って、うぇぇぇぇ貴族様!?」
すみません! すみませんと頭を下げるカランと、鷹揚に気にすることはないと難しそうな顔で言っているグルードがなんだかおかしくて、私は少しだけ微笑んだ。
怒るかと思ったけど、意外と心が広い人なのかもしれない。
「……あ」
「む……」
二人が私を驚いて見る……なんだろう。
よくわからないけど、二人が和解してくれてよかった。
この日以来グルードはたまにクルト村に馬に乗って遊びに来るようになった。村に来ると特に何をするでもなくカランを鍛えたり、私の手が空いてるときは話をしている。
「グルード様。仕事は大丈夫?」
「心配無い。休めるように片付けている。それから……グルードでいい」
金色の髪を触り、照れくさそうに彼は笑った。
彼は笑うとちょっとやんちゃな子供っぽい。だから普段顔をしかめてるのかな。
新しい日常……新しい出会い……私の日常はゆっくりとその姿を変えていた。
不快ではない……だからこそ焦燥感が募っていく。変わることへの恐怖がある。
この焦燥感に押しつぶされる前に答えを探そう……私はそう心に誓った。
だが、日常というものが意外と脆いものであるということに……この時……私は気が付いていなかった。