第十五話 理想
大きな変化の始まりは、故郷からの一枚の手紙……そして、ゼムドの態度がおかしくなったことからだった。
ゼムドは迷宮に潜っているときは普段通りに明るく振る舞っているが、時折ぼーっと考え込むことが増えた。普段は俺が探知の能力を使って警戒しているし、戦闘中などは集中しているので問題は出てはいなかったが……。
「……ゼムド、大丈夫?」
「む? ああ、むっ……全く問題ないっ!」
地下三階までと異なり、ざらざらの砂のような壁で構成された不思議な地下四階を歩きながらシーリアも魔法の威力を増幅させる杖を胸に抱えて心配そうにゼムドに声を掛けている。
彼女だけでなくマイスも気がついているだろう。彼が何かに悩んでいることに。
「おい、ケイト。リーダーの仕事だぜ?」
「無茶を……いつの間に俺がリーダーに? だけど放っておくわけにも……いかないかな」
頼むぜと、にやっとマイスは笑って俺の背中をばしっと叩く。マイスには向いてないのかもしれないが、ゼムドの悩みを理解する努力はして欲しい気はするのだが。
痛いわとマイスの腕を殴り返しながら、慌ててシーリアに弁解しているゼムドを俺達は眺めていた。
その日の探索を終えると、今日はマイスにシーリアを家まで送ってもらい、ゼムドをいつも食べている『雅の華亭』ではなく、初めて入る酒場へと飲みに誘う……まあ、俺は飲めないんだが……ゼムドは客の少ない薄暗い酒場で、苦笑いしていた。
「珍しいの。お主が拙僧だけを誘うなど。姫を誘えばよいものを……物好きじゃの」
「マイスとシーリアも心配してるからね。迷宮で気を抜かれると安全に関わる」
ゼムドは長い髭をいじりながら、むむ……と唸って答える。
「しっかり戦ってるつもりじゃがの」
「戦闘中はね。それ以外はもうあからさまに変だよ」
俺も頭をわしゃわしゃかいて苦笑する。ゼムドの麦酒と俺の果実水が店のマスターに用意され、俺とゼムドが向かい合うテーブルに置かれた。
ゼムドは麦酒をグッと煽り、ふぅ……と息を吐いてジョッキを置く。
「……拙僧を疑っておるのか?」
「無条件で信用している……とは言わない。だけど力になりたい」
俺は他の仲間の命も……ある意味で預かっているのだから。
判断を誤れば……仲間全員が危険に陥る。それは避けなければならない。
「正直じゃの。それでいて、愚直……嘘でも信じているとでも言えばいいものを。まあ、それでこそお主か。初めはただの子供かと思うておったが……侮れん男じゃて」
「不器用だからね。俺は……ゼムド、何を悩んでいるんだ?」
「そうじゃの……何から話せばよいのか……」
ゼムドは真っ直ぐにこちらを見つめる。俺は目を逸らさなかった。薄暗いテーブルの炎がゆらゆらと静かに揺れ、しばらく沈黙の時間が続き……やがて、一杯目の麦酒を飲み干したゼムドがゆっくりと……重々しく口を開いた。
「ケイト殿……拙僧はの。叶えたい夢があるんじゃ」
「……夢?」
「そうじゃ。我が友と共に見た大きな夢……叶えるべき理想というべきか」
遠い過去を見るように小さな蒼い瞳を細め、髭を触りながらゼムドは続ける。
「友が死に、娘が理想を継いだ。拙僧も協力した。だが、何の運命かの……娘が理想を貫くために皆の反対を押し切って助けた一人の男は……偶然にも理想を形にする力と知恵を持っておった。そら恐ろしくなるほどにな」
「理想……か」
俺はゼムドの話を黙って聞いていた。悩みの理由はこの話に隠されているだろうから。
ゼムドは話し続ける……嘆くように……苦しそうに。
「男はバラバラだった異種族を援助している者達をまとめあげた。そして、今も友の娘の理想を実現するため……いや、己の目的のために神輿として利用しておるのかもしれん。拙僧にはわからん……あの『呪い付き』を纏める主は拙僧程度では理解することはできなんだのでな……」
「『呪い付き』?」
「そうじゃ。不思議な力と知識を持った……虐げられた人間。それが『呪い付き』じゃ」
不思議な力……特殊技能か?
そしてそれを持つ者が持つ不思議な知識……思わず息が止まる。まさか……いや、まだ材料が少ない。判断するには早い。慎重に調べなければ。
今はゼムドの話だ。俺は続きを促す。
「拙僧は今、そいつらと共に理想を現実とするための歯車として生きておる」
「ゼムドが悩んでるのはそのこと?」
「さよう」
二杯目が注がれたジョッキに目を向けながらゼムドは髭を触って考えこむように俯き、しばらく時間を置いてから苦々しい表情で頷いた。
「そうじゃの。理想と現実。頭の悪い拙僧には難しすぎるわい……自分は甘かったのかもしれん。現実は安物の麦酒よりも遥かに苦いわ……」
「……なるほど。現実は厳しい……か」
理想だけでは物事達成することは出来ない。現実にするには行動が必要になる……その行動がゼムドの性格では向いていないのならば、それは辛いことなのかもしれない。
そんな風に考えていると、ゼムドが今度は俺に疲れた表情で問いかけてきた。
「……お主はどうして冒険者をしておるのだ?」
「俺はただこの広い世界を見たい。それだけだよ。理想も何もない」
薄暗い店内で甘い果実水に口を付けて俺は正直に即答した。
「それもまた良いの。羨ましいわ……理想に縛られず、権力に媚びず、差別もしない……自由な旅人……といったところか。お主の性格じゃと女には縛られるかもしれんが」
「俺は英雄になれる器じゃないしね。身の回りの大事な人しか守れないよ」
そう冗談めかして笑う。ゼムドも少しだけ顔を綻ばせて笑った。
ひとしきり笑った後、がたっと立ち上がるとゴッ! とテーブルに擦りつけるように頭を下げた。
「ケイト殿。シーリア殿を守ってやってくれ。頼む……頼むっ!」
「大丈夫、絶対守るよ」
ゼムドの話からなんとなく想像は付いていた。今、彼は彼が所属する組織と俺達の間で何らかの事情で板挟みになったために悩んでいるのだろう。
大方あの『呪い付き』のサイラルが絡んでいるに違いない……話の内容、敵視している存在、特殊な力……奴しか俺の頭には思い浮かばない。ゼムドは俺の特殊技能を知らないから……自分がほぼ相手を断定していることには気づいていないはずだ。
「ありがたい……情けないが……拙僧もいつまで守れるかわからんのだ」
「どういうことだ?」
「拙僧の立場は不自由なものでな。全てを話すことはできん。すまぬ」
ゼムドの真剣な表情を見て話は聞けないと判断した俺は頭をわしゃわしゃかいて奥歯を食いしばり、溜息を一つ吐いて頷いた。
「ところでゼムド達の理想ってどんなのなんだ?」
「拙僧らの理想は、差別のない世界を作ることじゃ。拙僧らのような異種族だけでなく人間も含めての……遠い夢じゃな。年を取るほど遠くなるわ」
苦笑いしながらジョッキの中の麦酒を飲み干すと、ゼムドは帰ることを俺に告げ話を聞いてくれた礼だと二人分のお金を支払って店を出て行く。
俺が飲んでいる甘いはずの果実酒はどことなく苦く感じた。
晴れない気分のまま『雅な華亭』に戻り部屋で就寝する準備をしていると、マイスが俺の部屋の方へ訪ねてきた。相当気になっていたのだろう。ガタッと勢い良く扉を開けて中に入ってくる。
「ケイト! どうだった?」
「ごめん、駄目だったよ。どう言えばいいのかわからなかった」
首を横に振ってマイスに答え、ゼムドと組むことのできる時間は残り少ないかもしれないと伝えた。組織云々の話は彼にはしなかった。知ることは必ずしもいいとは言えない。ゼムドが積極的に敵に回る心配はない……彼にとってはそれだけでいいはずだ。
「そうか、残念だな……強いし面白いおっさんだったのに」
「ゼムドの言う所の運命があるならまだまだ大丈夫さ」
しょげているマイスの肩を叩いて笑ってそういうと、彼もそうだなと頷いて納得してくれたようだ。
そしてふと、マイスの手を見ると一枚の手紙が握られていた。
「マイス。それは?」
「ああ、クルスからだよ……今日来てたんだ。お前宛にな」
マイスは胡坐をかいて座り、にやにや笑って興味深そうにこちらを覗いている。
「部屋帰れよ。マイス」
「まあ、いいじゃないか。中身聞かせろよ」
苦笑して、帰りそうにないマイスを放置して手紙を読み進め……その内容に驚いて手紙を落としそうになってしまい、慌てて空中で手紙を掴み直す。
「……どうした?」
「明後日クルスが……来る。詳しく書いてないが俺達に直接伝えることがあるらしい」
「本当かっ! って俺もかよ!」
毎回クルスの手紙は長くは書かれていないが……彼女の意図が分からず、俺とマイスは手紙を二人で何度も読みながら困惑していた。
意外と早い再会の時は、心の準備も出来ないままに間近に迫っていた。