第四話 接触
とはいえ、どうすればいいのか。
釣り糸を垂らしながら悩む。声を掛けても先ほどのようにスルーされるだろうし。
さらさらと川の流れる音と風が木々を揺らす音だけが響く。
………ちゃぷ………
川面が少しだけ揺れる。慌てない。魚がしっかりと食いつくのを待つ。
しばらくするとがつっ!と釣り竿が引かれる。5歳の力しかない俺の体は魚に負けそうなくらい弱いため足を岩で固定し、てこの原理を利用して魚を引き上げた。
そこそこの大きさの鮎に似た魚。釣りで釣り上げる魚としては大きい。
釣り上げられた魚の鱗が太陽の光にあてられて一瞬七色に光った。
「………」
彼の顔が少しだけ魚に向いた。が、すぐに川に向きなおす。
俺も桶に魚を入れてエサを付け直し、もう一度釣り糸を垂らす。
長い戦いになりそうだった。
急がない慌てない無理はしない。関係を作る為には時間も必要、そう心に刻みなおした。
二人とも無言のまま、ときたま魚が釣れたりしつつ時が流れて太陽が真上近くに上っていた。そろそろ昼だ。
硬いパンを1本親に貰い、後は数本の串を用意している。本来は竹串を用意したいのだが、竹がこのあたりには生えていない。代わりに燃えにくい木で串を作った。
石で円を作り、周りに魚の口から串をいれたものを刺す、燃えるものを準備して火を起こす。はじめは手間取ったものの今では慣れた手順だ。
魚を焼く準備をしたら後は待つだけだ。塩は貴重品なので森で教えてもらった唐辛子のような実の粉末を気持ち程度にかける。
この実を見つけたのはガイさんの俺へのいたずらがきっかけだったが、俺にとっては有り難い調味料だった。毒はないし。
暫くすると食欲をそそるいい匂いが辺りに立ち込めた。
パンを半分に千切り、大きめの葉っぱを用意して釣った魚の半分と一緒に乗せる。
そして、未だ川を見ている少年に渡す。
「一緒に食おうぜ。一人で食べると不味いんだ」
少年ははじめは特に反応をしめさなかったが、暫くしてく~とお腹の音を鳴らすとこっちを少しだけ見て、小さく頷いた。
俺もそれ以上は何も言わず、隣に座って昼ご飯を食べた。
彼に対しての方便のつもりではあったが、二人で食べる昼食は一人で食べるそれよりも美味しく感じられた。ここにいるときの食事は味気ないといつもは思っていたのだが。
昼食を終えると、近くの適当な木に石を投げる。投石の訓練で、石が探すまでもなく沢山落ちているここはいい練習場所でもある。
食後の運動がてら無心に石を投げる。
少年はそんな俺を川を見るのと同じように興味なさそうに眺めていた。
それから何時間か経ち、家へと帰る時間になる。
荷物を整理していくが、少年が動く気配はない。
「俺帰るな。また明後日くる」
少年は再び川を眺めており、こちらに頷くこともなかった。
返事が帰ってくることは期待していなかったので、いなけりゃ探せばいいと思って俺は振り返らずに川を後にした。
二日後、再び川を訪れると同じ場所に彼は座っていた。
平らな岩に三角座りで腰を下しながら興味無さ気に川を見つめている。
「おはよう」
挨拶するとこちらを少しだけ向いてこくりと首をほんの少しだけ動かす。
そして一昨日より少しだけ近くに座ると前と同じように釣りを始めた。
今日の少年は糸の先を見つめている。無表情は変わらないが心無しか前よりも穏やかに見える。
この日も昼食を二人で食べて、帰宅した。彼は俺の後ろに距離を取って歩いていた。
その二日後も同じように過ごし、さらにその二日後。
「やってみる?」
「………」
じーっと糸の先に目を向けている彼に釣り竿を渡す。彼はぱちくりと一度大きく瞬きし、こくりと頷いた。
ぴくっ
水面が揺れる。それと同時に少年もぴくっと震える。
慣れない人の普通の反応をしてくれて思わず笑みが溢れた。
彼は気づいて慌てて釣り竿を振り上げるが魚はぽちゃっと針から外れて落ちた。
「………!」
何も言わずに餌の付いていない針にもう一度餌を付ける。しばらくすると、
ぴくっ
水面がもう一度揺れる。
……ぽちゃ。
針から魚が外れて慌てたように逃げていく。もう一度餌のついていない針に餌を付けた。
今度は近くで見守る。
ぴくっ
「まだだよ。しっかり食い付いてからじゃないと」
今度は手を重ねて慌ててあげようとする手を止める。一瞬びくっと体を震わせたが、拒絶はせずにされるがままにしてくれた。
そして魚を泳がして様子を見ているとぐっ!と沈みこむような手応えを感じた。
「今だ!」
声を合図に釣竿を引き上げるとばしゃっ!と川から魚が飛び出す。
「やったな。やるじゃないか」
彼は暫く呆然としていたが、やがてこくんと首を動かした。何時もより勢い良く首を動かしていた。
「もうすぐ昼だし、自分の分取ってくる」
気がつけば太陽は真上に上っており、もうすぐいつも食事にしている時間だ。
自分の分の魚も宣言してから数分後には銛で捕まえていた。
水のなかにいる魚の位置がステータスで見ようとすれば隠れている場所が丸わかりなのは楽でいいと思う。
「……何故魚全部それにしないの?」
あっさりと魚を取ってきた俺を見てぽつりと彼がつぶやく。鈴が鳴るような響きのいい高くて綺麗な声だった。
どんな内容にしろ初めて声が聞けたことは素直に嬉しいもんである。
「釣る方が楽しいから。魚との駆け引きがね。楽しくなかった?」
という俺の答えに彼は少しだけ考えるように首を傾げ、こくんと頷く。
多分楽しかったという方の意味だろう。
「なら良かった。そうだ、自己紹介してなかったね。俺はケイト・アルティア。君は?」
「……クルス」
小さくぽそっと名乗った彼の何も映さない絶望の瞳の色はその時少しだけ和らいでいるように思えた。
髪がぼさぼさなので見にくいが……よく見るとがりがりだった体の方もまだ細いが病的な細さではなくなり、初日よりはかなりましになっている。俺は手を取って強引に握手し、
「よろしくな」
と、大げさにぶんぶん握った手を振って嬉しさを表現した。相手が反応薄い分、少しでも明るく振る舞うつもりだった。
こうして、二日に一回の川での暇つぶしは二人で過ごすことになったのである。
それが自分も楽しみになってるあたり案外自分も寂しかったのかもしれない。相手が楽しんでいるかはわからないが……
その後日課になっている投石の練習を行った後、川を後にした。
この日の帰りは会話こそなかったものの、クルスが隣を歩いていた。
少しだけ距離が縮まったような気がする。いつか彼と友人として笑って下らない話ができる日が来るのだろうか。
何故今みたいな状態になったのか自分から話してくれるまでは慌てずに頑張ろうと思った。
現状を考えるとまだまだ先は遠そうである。