第十話 転機 後編
結局俺達は逃げまどって無関係の冒険者を巻き込みそうになり、命懸けで大量のゴブリンと闘う羽目になったというわけだ。短くも濃密だった二ヶ月、そして今日の失敗を振り返るのをやめて俺達を助けてくれた二人の方を見る。
巻き込んだ冒険者の一人、赤に近い茶色の髪、筋肉質でがっしりした子供くらいの身長の髭の長い『鍛冶の神』ガランに使える神官のドワーフ、ゼムドが加勢してくれなければ、負けたとは思わないが怪我くらいはしていたかもしれない。
そしてもう一人、ゼムドに声を掛けてくれたのは以前、俺達を学院に案内してくれた白い髪の強気そうな狼の獣人シーリアだった。俺達を嫌っているのに助けてくれたらしい。
ドワーフの胸ぐらを掴んで黙らそうとしている彼女に、頭を下げる。
「ありがとう。シーリアさん」
「ふん……このドワーフが勝手にやったのよ。私は知らないわ」
胸ぐらを掴んだままばつが悪そうにふいっとシーリアは横を向く。
掴まれているゼムドはがははっと豪快に笑った。
「今日はおもしろい日じゃ。神の導きというやつじゃな」
「……どういうことよ」
シーリアが手を離し、ゼムドを胡散臭そうに見る。
「くだらん人間の茶番には辟易させられたが、こうして姫に会えたしの。この若者達も拙僧の見るところ、実におもしろい運命を持っているように感じるのじゃ」
「馬鹿馬鹿しいっ! 初めて会うあんたが何を知っているのよ」
なるほど、神官らしい物の言い方だ。だけど、俺は神を敬ってはいるが信じてはいない。運命などという言葉も信用していない。というか、ゼムドとシーリアも初対面か。
「買い被りですよ」
「それを判断するのは拙僧じゃて。で、提案があるのじゃが」
いかつい顔のドワーフは長い髭を弄りながら顔に似合わない人好きのする笑顔を浮かべて続ける。
「拙僧らと今日は組まんか? お主らと同じようにこちらも仲間に見捨てられた口でな」
俺達の前に走って逃げていた男を見ていたのか……見捨てられたというのは。
拙僧ら──ということは、シーリアも一緒にということか。
彼女の顔をみると何か余程悔しいことがあったのか、ゼムドの言葉を聞いて顔を伏せて白い顔を怒りで赤く染めて拳を握りしめて震えている。
「ゼムド……同情しているつもり……?」
「ほっほ。まさか……拙僧のみるところお主は原石じゃろ。ドワーフは土に生きる種族。良い石見分けるのはお手のものじゃ」
飄々としているゼムドと、苛立っているシーリアのやり取りを聞きながらマイスの顔を見ると彼は頷いた。その意味を理解して俺も彼に頷く。
俺に任せるということだ。
「俺達は構いません、いや、こちらこそ頼みたい」
「ほう、即答か。拙僧らが見捨てられた理由は聞かないのかの?」
楽し気にゼムドが笑う。俺を試しているのか……青い瞳を細めて、見透かしているかのようにこちらの目を外さずに見つめてくる。
「貴方とシーリアが信用できるかは俺達自身で判断したい」
「拙僧らは異種族じゃぞ?」
「俺には関係ありません」
断言すると我慢できないといったようにげらげらとゼムドは大笑いした。何がそんなに面白いのか腹を抱えて彼は笑い続けている。
「甘い甘い! くっくっく……青臭いっ! いや、実にいい!」
「なんだとっ! 誰が青臭いってんだ!」
「マイス! いい。彼は馬鹿にしているわけじゃないよ。多分」
マイスの怒りも気にせず一頻り笑った後、ゼムドは目を瞑って神妙な表情で神に俺達との出会いに対して感謝の祈りを捧げた。
「いやすまん。殺伐としたこの街でお主らのような者に会うとは。白狼の姫はどうじゃ? 彼等と共に今日一日、一緒に迷宮を潜るのは嫌かの?」
「姫じゃないっ! ったく……私なんかと組んでどうしようっていうのよ……」
シーリアが顔を伏せ、耳を寝かせて力なく呟いた。
彼女とは一日しか顔を合わせていないが、らしくないなと思う。身分を気にする素振りはあったが、それもどちらかというとラキシスさんに迷惑をかけないためだろうし……彼女は気が強い女性だと思っていたのだ。
「シーリアは魔法使いでは?」
「……そうよ。けど……」
そこで言い淀む。言いたくないのかもしれない。
シーリアはきっ! と顔を上げると叫ぶような大声で言った。
「一緒に来た人間に、獣人の癖に非力な役立たずと罵られて置いていかれたのよ。ゼムド……貴方もそう思っているんじゃないの? 役立たずだって!」
「さてのう。拙僧は神の意思を信じておるからの」
これが悔しそうだった理由か。怒っているように見えるが……違うな。
友人と殴り合いをした時を思い出す。あの時の彼の顔だ。自分の力の無さへの憤り、悔しさ……自己嫌悪……そんな風に俺は感じていた。
彼女の事をよく知っているわけではない。別に魔法使いに力は要らないと思うのだが、彼女の価値観では違うのかもしれない。
なんにせよ彼女は────心が折れかけている。
学生の身分で迷宮の中にいるのは、おそらくラキシスさんと旅をするという夢を叶えるためだろう。ここで折れてしまえば絶望的になってしまう。
彼女の夢は……俺は諦めて欲しくない。
そして、大事な友人であるラキシスさんの娘にしてあげられることは……これが正しいことなのかはわからない。だけど、このやり方しか思い浮かばなかった。
本当は旅をすることを諦め平和に生活する方が彼女にとってもラキシスさんにとっても幸せなのかもしれないが……このまま終われば後悔が残るのではないだろうか。
悩む……彼女に対して好悪の気持ちはない……だがそれでも俺は歯を食いしばって拳を握った後、シーリアの方を見て薄く嘲笑するように笑みを作る。
「シーリアさん。貴女は……負け犬になる気ですか?」
「なっ!」
犬というのは彼女にとって、やはり最大の侮辱の言葉らしい。シーリアは俺を殺さんばかりに憎しみを込めて睨みつける。口からは鋭い牙も見えた。
マイスも驚いたようにこちらを見ている。俺は笑みを消し、彼女を見つめて続けた。
「そうでないなら……実力を見せつけるしかない」
「当たり前でしょ。やってやるわよ! あんたこそ足引っ張るんじゃないわ」
シーリアの目には敵意しかないが、姿勢がしゃんとして活力は戻っているように思えた。
ふぅ……と、彼女にわからないように溜息を吐いて彼女の側を離れ、マイスとゼムドに行こうと声を掛ける。マイスは慰めるように背中をぽんと叩いてくれたが、これでしばらくは自己嫌悪に自分自身も陥ることになりそうだ。
あんなことを言う資格は自分にはないだろうに。
一日に探索を終えて地上に戻ると、俺達を置いて逃げた奴らはもういなかった。恐怖で逃げたのならいいが……わざとであれば、なんらかの対処を考えなければならない。
……いや、間違いなくわざとだろう。やつらは俺達を自分達の手を汚さず、合法的に消そうとした。俺は自分の甘さのせいでマイスを危険に晒したのだ。
この悔しさは絶対に忘れない。
一方で、心配していたシーリアは迷宮の怪物相手に活躍することができていた。
途中からは自信が付いたのか張り切りすぎて魔法を使いすぎ、結局立つ事すら出来なくなるくらいに疲労していたが。今まで限界を知らなかったらしい。
帰りはマイスが恋人以外の女に触れるわけにはいかないと言ったため、シーリアは俺が背負って帰る事になった。軽いから問題は無いが、気恥ずかしい。
それに油断したら後ろから噛みつかれそうだ。
「換金して分配したら四人で食事にいこう。俺が間違ってたよ……シーリアさんは凄かった……あたっ! 噛まないでよ!」
「動けなくなったってのに……嫌味?」
背中の彼女は不機嫌そうに唸る。本心から凄いと思ったのに……遠距離から的確に相手を仕留めていく魔法の威力と精度は自分にはないものだ。
「まあ、いいわ。私の勝ちなんだし、あんた夕食奢りなさいよね」
「え、賭けだったの?」
「いいわよね?」
苦笑いして頷く。まあ、暴言の対価と思えば安すぎるくらいだろう。
彼女もそれほど怒っていないようだ。
さっきまでの不機嫌そうな感じではなく、言葉にはどこかほっとしたような……それでいて誇らしげな響きがあった。