第四話 白い魔法使い
その言葉は彼女への禁句だったのだろう。
殺してやるといわんがばかりに綺麗な赤い瞳から怒気を放っているシーリアを前にしながら、俺は自分の心のノートに獣人はプライドが高いと書き添えると同時に、後でマイスを殴る事を決意する。
人間よりも身体能力が高いとされる割に彼女の力が弱くてあまり痛くないのは救いだった。
「シーリア。そのくらいにしておきなさい」
「う、でも……ラキシス様!」
「シーリア」
「……はい」
2、3分罵詈雑言を続けたあたりでラキシスさんが止めてくれた。もう少し早く止めて欲しかったんだけど……と、ラキシスさんを見ると、真面目に怒っているように見えて反応を楽しんでいるように思えたが、気のせいだろうか。
怒られたシーリアは、しゅんとして耳をぺたんと寝かせている。年上っぽいからこういう言い方はまずいのかもしれないけど、なんだか犬っぽくて微笑ましい。
きっ! とこちらを睨んでるが、ちょっと怖いので目線を逸らした。こほんと小さくラキシスさんは咳払いして話を続ける。
「それでこれから……貴方達はどうするの?」
「あ、はい。長期的に泊まれる宿を探します」
ふむ……と彼女は目を瞑ってしばらく考え、うんと頷いてにこやかに微笑んで言った。
「私の家を使ってもらってもいいわよ。部屋は余っているし」
「ええええええっ!」
子供のころの自分に向けてくれた優しい穏やかな笑みだ。懐かしさと嬉しさはもちろんあるが、首を横に振る。嫌そうに叫んでいたシーリアがあからさまにほっと息を吐いていた。さっきから自分に正直な人だ……と、思いながら苦笑してわしゃわしゃと髪をかく。
「申し出は本当に嬉しいのですが、僕は昔の目標を忘れていないので」
昔のことだけど……なんとなく……ラキシスさんは数年前の夜のことをちゃんと覚えてくれていると確信していた。だから、これで通じてくれる……はず。
彼女は残念そうな表情をしたが、
「世界中廻るためには慣れておかないと……か……本当に成長したのね」
「びっくりさせるって約束しましたから」
「くす……そうだったわね」
ラキシスさんは口元に手をあてて上品に、そして嬉しそうに笑った。そして、彼女は俺に釘を刺すように続ける。絶対にこれだけは忘れないようにという意思が込もった真剣な表情で。
「冒険者になれば、二人だけじゃ対処できないこともある。そういうときは絶対に私に相談するのよ? 友達に頼る事は恥ずかしくないんだから」
「まだそう言ってもらえるんですね」
「当然でしょう? 嫌だった?」
小首を傾げてラキシスさんは聞き返してきた。当然そんなわけはない。
ラキシスさんの隣のシーリアの視線がさらにきつくなってきているが……ひょっとして、ラキシスさんが俺を構っていることへの嫉妬なのかな。
養女という立場なんだから、一番身近にいると自信を持っていいと思うんだけど。
「その時はよろしくお願いします」
「他には……あ、そうそう、ケイト君のお兄さん……カイル君はこの街にはいないわ。他の街で仕事を受けているみたい」
どうしてか理由をラキシスさんに聞くと、どうやらカイル兄さんは、この何年かでかなりの実力者になったらしく、見聞を広げるために依頼を受けながら諸国を回っているらしい。
一緒に旅にでた友人のホルスにも自分のやりたいことを先にやられていると思うと、少し悔しいが、同時に嬉しさも感じている。隣を見るとマイスも同じようで、微妙な表情で俺達も負けてられないなと呟いていた。
「後……ヘイン君だっけ? ケイト君の友人は学院にいるはずよ。シーリアに案内させるわ。この子も学院に入学している生徒だから」
「ええええっ! 私がですか! だってあいつのとこは!」
「シーリア」
「ううううう……わかりましたぁ……はぁ」
何故そこまで嫌がるのか。先程の自分を嫌っている嫌さとは違うような気もする。
しょげているシーリアの頭を嬉しそうに撫でているラキシスさんを見ながらそう思った。
それから十数分後、俺達はラキシスさんの家を後にしてカイラル内壁の中……第一市街西部一帯を占めている巨大な学院……カイラル王立学院に向けて歩いていた。ガイさんは先に宿を俺達の代わりに探してくれている。
本当は一緒に探したかったのだが……ガイさんは余程疲れたらしく一人にしてくれと虚ろな表情で呟いていたから諦めたのである。
おそらく昨日、話が途中で終わったせいで気になっていたのか案内してくれるという話の後、
「師匠が俺達を南の城壁の外を案内してくれるっていってたんだけど、何があるのか教えて欲しい。気になってたんだ。冒険者なら誰でも知ってるって師匠が言ってたんだけど」
とか、思い出したようにうっかり言ったせいで、女性二人から絶対零度の視線を受けたのが原因だろう。
案内してくれているシーリアは、不潔なものを見る目で今もこちらを見ているし。
シーリアは年上といってもまだ若そうだから仕方がないとして、ラキシスさんは母さんと同じくらいの歳……か、それより上なんだし、多少理解してくれても……と思わなくもなかったがどうだろう。
いや、そういう店に行く気はないけどさ。
「シーリアさん、先ほどの口振りだと……ヘインを知ってるの?」
「……」
前を歩くシーリアは答える気はないようだ。白い髪を揺らしながら振り向くことなく、早足でずんずんと歩いている。
「おい、ケイト。もういいじゃねえか。ほっとこうぜ」
「そういうわけにはいかないよ。ラキシスさんから仲良くしてくれって言われたしね」
「お前余程あの人好きなんだな」
呆れたようにマイスが言うが、俺の言葉は前を歩くシーリアに向けて言っていた。ラキシスさんからの頼み……という部分で白い髪と耳と尻尾がピクッと反応する。
分かり易い人(?)だ。
「……ええ、知ってるわよ」
シーリアは立ち止まって錆びたドアのようにぎぎぎっとこちらを振り向いた。
不本意そうだが、ラキシスさんの言葉を思い出したに違いない。感情を隠せないタイプのようで今も嫌々だが、ラキシスさんの言葉は絶対なのだろう。
「ヘインは親友なんだ。俺達と話すのは嫌かもしれないけど教えてほしい。頼む」
そう頭を下げて頼むとシーリアは諦めたように溜息を吐き、肩をがっくり落として絞りだすように口を開いた。
「はぁ……わかったわよ。変な人間ね……人間なんてみんな偉そうで、見下してて嫌なやつばっかなのに。これで断ったら私が悪者みたいじゃない」
「人間も異種族も……みんな人それぞれだと俺は思うけどね」
「それそれ、あんたの親友も言ってたわ……貴族相手にもそれでいってるから関わりたくなかったのよ。巻き込まれたらラキシス様に迷惑かかるし」
うーん、ヘインは何をやっているんだろうか。本人に聞けばいいと思っていたが本気で気になってきてしまった。まずいことになってなければいいけど。
「ヘインだけど、貴族に目をつけられちゃって今は女子寮の屋根裏部屋にいるの」
「なんだそりゃ。ヘインの奴なにやらかしたんだ?」
マイスが心配そうにいう。俺もどんな風に解釈すればいいのか判らずに困惑していた。
本当に大丈夫だろうか。何故女子寮なのだろうか。
「私もよく知らないわ。知っているのは私が在籍している魔法学部の寮に住んでるってこと。詳しいことは……私はラキシス様の家に住んでるから」
「本人に聞いてみるか……で、シーリアって魔法使えるんだ」
少し驚いてシーリアを見るとふふんと自慢げに胸を張って……結構ある……あ、いや、自信あり気に鼻を鳴らした。よく表情がころころ変わる娘だ。
今の表情が普段のものなのか、明るくて可愛らしい感じがした。
「魔法学部、攻性魔法学科……攻撃魔法の専門家なのよ」
「あれ? 攻性魔法? 精霊魔法は?」
「同じ魔法だったら将来ラキシス様と旅ができないじゃない!」
魔法は大きくわけて自然魔術と人工魔術に分けられる。俺が教えてもらった精霊魔法などは前者だ。
特別な知識はいらないがムラが大きく、細かい操作が難しい。また、自然を利用するために使用のための条件が厳しい。
人工魔術は、学問によって生み出された魔術で発動すれば決まった結果を生み出す魔術だ。一般的に魔法使いとはこちらを指す。
使用するためにはある程度の知識が必要で、薬を作る魔術、道具を利用する魔術、生活で使う魔術、戦闘用の魔術、他にも冒険者用の簡易の魔術など幅が広い。
その幅広さは生前の学問研究にも引けをとらないくらいの種類があるようだ。
どちらの魔法に共通しているのも魔力が必要だということである。
獣人族は身体能力が高いものは多い代わりに魔力を持つ者は少ないとされている。
ラキシスさんの養女になってることもあるし、結構生まれが複雑なのかと思ったが……彼女は魔法を使えることを喜んでいるように見える。
この学院に入る大変さはヘインを見ていて知っている。ラキシスさんも冒険が多くてシーリアをずっと見れたわけではないだろうし、彼女の立場で学院に入学しているのは……相当努力をしたのだろうか。
「本当に凄いね。シーリアは。驚いたよ」
「ふ、ふん! 人間に褒められたってっ!」
彼女は隠すのが本当に下手だ。顔が真っ赤で赤い瞳を逸らし、耳が動いて尻尾が忙しなく揺れている。俺はわしゃわしゃと髪をかき、苦笑した。こういうストレートに感情を出す相手は嫌いじゃなかった。
だから、多少の理不尽なら我慢できそうだ。
今は嫌われているが、いつかは普通に話せるようになる日が来るかもしれない。
「でもよぉ。魔法使いってこう……物語だと冷静で頭良くて知恵袋! って感じがするんだけどよ。なんかちょっと違うなぁ」
「う……冒険中はそうなるのよ! あんたいちいちうるさいのよ!」
「気になったんだからしょうがねえじゃねえかっ!」
マイスは一度口で酷い目に合った方が彼のためかも。
前に見える端から端までが見えないくらいに大きい学院を見ながら俺は溜息を吐き、その手前で口喧嘩を繰り広げている年上二人を見ながらそんなことを考えていた。