閑話1 ある日の薬師と悩める猟師
薬草の匂いが染み付いた部屋の中、俺は作業を行っていた。椅子に座り、足が動かない俺のために作業しやすいよう調整された机にすり鉢を置いて、適度に力を加えてハクベ……通称消毒草と呼ばれる草を擦り潰していく。
擦り潰した消毒草は乾燥させ、細かくして革の袋に詰めていく。実際に手当てをする時には、水を含ませて布に塗り怪我に当てるといった風に使われることになる。
応急処置用の薬として一般的な物であり、今の俺の生活における収入源の一つだ。
冒険者時代に治療費を削るために本を見ながら見様見真似で始めた薬の調合だが、本業になるとは昔は思ってもみなかった。足が悪くても出来ることを考えると……人生本当に何が役に立つか解らない。
きりの良い所まで作業を行い、薬を作る手を一度止めて休んでいると、どんどん! と大きなノックが家中に響く。来客が来たようだ……この音はガイだろう。
「ジンさん。ガイさんです!」
背中で三つ編みに括った生命力に溢れた可愛らしい少女……エリーがぱたぱたと音を立てて部屋に走って入ってくる。俺は彼女に頷くと、部屋に連れてくるように頼んだ。そして苦笑いする……子供に頼らなければ友人一人出迎える事が難しい現状に。
ガイは自身で取った革と俺の作った薬を持ち、歩けば三日掛かる城塞都市カイラルまで売りに行ってくれていたのだ。
「よおっ! ジン。帰ったぜ。薬も革もそれなりの値段で売れたぜ」
「それはありがたいな。助かる」
部屋に手を上げて入ってきた髭の大男は低い机を挟んで対面に座ると、にぃっと笑って荷袋から一本の壷を取り出しガタっと机の上に置く。
「見ろ! こいつは~っ!」
「失礼します」
ガイが満面の笑顔で解説しようとした時、一時的に席を外していたエリーが水差しと小さな棒、コップを二つ、保存食のチーズを切ったものを部屋に運んできた。にっとエリーはガイに笑いかけると、奴は苦笑いして頭を掻いた。
「ありがとう。今日は外してもらえるか?」
「わかりましたっ! また明後日きますねっ!」
「無理はしなくていい」
エリーは頭を下げると踊るように軽やかに部屋から出ていく。十歳くらいとは思えない聞き分けの良さだ。彼女は俺の話す事の真偽がわかるらしく、俺が本当に困る時にはごねることが無い。
「やれやれ、エリーちゃんは気が効くな。ありゃ、いい嫁さんになるぜ」
「早く相手を見つけて欲しいものだ」
俺のように終わった人間の元にいることはためにはならないだろう。俺とガイの師匠である彼女の母……マリアからは飽きるまで好きにさせてと言われているが何を考えているのか。昔から読めない人だ。
「お前さんがもらっちまえばいいじゃねえか」
「阿呆……で、そいつは、何の酒だ?」
げらげら笑うガイに注ぐように促す。とくとく……と杯に注がれると濃密な甘い匂いが漂ってきた。三分の一ほど杯を充たすと、今度は水差しから水を注ぎ掻き混ぜる。
「ワインか」
「南のグライドル産……らしい。いいもんだぜ」
「良く金が足りたな」
「ダンジョンに一日篭もったのさ。浅い階だけだがね」
ぐふふと笑う彼に苦笑で返す。恐らく土産を買うためだけに潜ったのだろう。昔からこいつはそうだった。金を自分のために使わず、酒代の他は仲間の装備や道具、俺の本の代金に自分の分のお金を充てていた。
こいつに言わせれば、代わりに強くなったり必要な知識を身に付けてくれるから楽でいいということだったが。
俺の足もガイがいなければ治療できず、切断しなければならなかっただろう。そのために掛かった金を考えると頭が上がらない。
そんなガイは酒を煽ってうめぇー! とからから笑っていた。
「ふむ。確かにこいつは旨い」
「だろっ! だろっ! いやあ、いい買い物だぜ」
チーズをたまに摘みながら暫く二人で雑談を交えて飲んでいると、ふと、ガイの目線がたまに揺れていることに気付く。こいつの癖だ。俺は小さく笑った。
「で、何を悩んでいる?」
「うぇっ! な、何でわかった!」
ガイは摘んでいたチーズをぽろりと落として驚きながらこちらを見て苦笑する。
「ガイは分かり易いからな。顔にすぐに出ている。またクルスか?」
「クルスも心配だが……もっとやべえのがいる。ほれ、お前の恋人の弟だ」
「誰が恋人だ……ケイトか?」
珍しく難しい顔をしてガイは頷く。エリーの弟のケイト……彼の噂は俺もエリーや患者から聞いている。
天才、神童……そして、化物では……という畏怖も混じっている。四歳で猟に興味を持つという……異常な子供だ。しかもそれが現在まで二年も続いている。
「そうだ。あいつには不可解な所が多い」
「一番付き合いのあるのはお前だからな。どう思うんだ?」
「天才……というわけではないと思った。俺は頭悪いからお前みたいに上手くは言えんが……元から知ってる……って感じか。あああもう、わかんねえ」
がりがりとガイは頭を掻く。話を聞きながら俺もふむ……と、考える。俺はこいつ自身が思っているほど頭が悪いとは思ってはいない。
知識……という点では確かに足りないが、直感で物事の本質を把握していくタイプだ。人間関係では困っているところを見たことがない。そんなガイが悩んでいる……。
「後な……本人は目がいいっていってんだが……」
「ふむ?」
「森の中の草むらにいる兎を、点でしか見えないくらい離れた場所から見つけるとかありえんだろ! 目が良い? んなわけあるかっ!」
どんっ!と叫びながら机を叩く。がしゃっと壷が撥ねて音をたてた。
「くっ……くく……いや、すまん。あはは……それで誤魔化されてると思われてるのか?」
「流石に心外だが……わからないと言っておくしかないからな」
憮然としてガイはそっぽを向く。
まあ、こいつとしてはそうするしかないだろう。それでもちゃんと教えているということは、ケイトは中々見所はあるというところか。
「しかし、ケイトには一度釘を刺して置くべきだろう。技術の方は真面目に学んでいるのか?」
「ああ、そっちはな。あいつほど真面目なやつは珍しい。ガキの癖に真剣そのものだ。生き物を殺す事に抵抗があるらしいが、無いよりはあったほうがいいだろう」
「まあ、そうだな」
俺は同意する。生き物を殺すのが趣味になったりしたら、本当に質が悪い。そういう奴に力を与えてしまえば碌な事にならないのは目に見えている。
「問題はその、目が良いって……それだろうな」
「ああ。ひょっとしたら……『呪い付き』かもしんねえ……」
「滅多なこというな」
呪い付き……死と破滅を望む呪われた人間。大抵、何かを憎悪している狂いきった奴らだ。正気でない……そして、圧倒的な力を持っていたり、特殊な能力を持っていたりする人間。知恵を持った化物。その殆どが害を為す存在だ。
俺達の仲間を殺し、俺の足を奪った敵も……この狂った『呪い付き』だった。
「例えそうだとしても……殺せるか?」
「無理だ。師匠の息子だぞ……それに、情が移っちまった」
「だとすれば……ケイトが狂わないようになんとかしてやるのが俺達の仕事だろう」
「俺『達』……ね」
くくっとガイが笑う。俺も声を出さずに口の端だけ動かして笑い、杯を相手に向けて掲げる。俺自身がどうするかは俺もケイトに会って直接判断すればいい。
「しかし、どうすりゃいいと思う?」
「まずは孤立させないようにすることだな……今のままではまずいだろう」
「だけどよ。あいつ子供で友達作ろうとしねえんだよ。違いすぎる」
ふむ……と、考える。同年代では難しいということか。エリーの話だと、可愛い弟といったイメージしか伝わらなかったが……友人に玩具にされたりとか、幸せそうにお菓子を食べるとか……。どうもガイの話がしっくり来ない。
そういえば友人の妹の世話もしっかりやっていたと言っていたな……む?
「……手が無いことはないな」
「どうすんだ?」
「クルスを任せてみよう」
「はぁっ! んな無茶なっ!」
クルス……俺達の幼馴染であるバルドスの……俺達が助けられなかった親友の娘は、原因が解らない人間不振に陥っている。
子供達も頑張っているし、ガイも他の大人達も関わっているが……改善していない。
「ケイトの性格は……悪いか?」
「いや……悪ガキっぽい所もあるが、師匠の躾がいいんじゃねえか?」
「それなら……俺も何とかなるとは思わないが……難しいだけに、あいつに出来ない事もあると他の者の心配を取り除けるだろう」
「あいつが……クルスを何とかしちまったら?」
困惑したように俺にガイが聞き返す。俺はワインの入った杯を煽り、笑いながら杯を持った手の人差し指をガイに向ける。
「嬉しいだけじゃないか。皆喜ぶ」
「……成程な」
ガイが笑って杯を置く。何時の間にかワインは全部飲んでしまっていたようだ。
少しの間ガイは考えるように黙っていたが、荷袋を担ぐと迷いは晴れたのか、立ち上がった時にはすっきりした顔に戻っていた。
「クルスに川へ行くように伝えてみる。聞いてくれるかはわからんが」
「そうか。では俺のところ来る理由は依頼だと伝えてくれ。あいつを計る」
「わかった……頼むぜ?」
「ああ。任せておけ」
ガイはにぃっと笑うと、背中を向けたまま手を上げて帰っていった。あいつが去ると部屋が広くなり、寒くなったように感じる。やれやれと、苦笑いして俺は杖を持つと、コップとチーズを乗せていた皿を片付けることにした。
あの師匠の息子が相手だ。これからきっと忙しくなるのだろう。静かな日々はもう残りわずかかもしれない。