第二十八話 別れの収穫祭
今年の夏は暑かったものの雨も適度に降り、作物にとっては好条件だったようで最近では一番の豊作となっていた。今年は冬の心配をあまりすることはないだろう。
父さんや村人達の表情も非常に明るく、農作業に向かう足取りも軽い。
俺とマイスとクルスは訓練漬けの日々を過ごしつつも、最近恒例になっている収穫祭のための狩りを行ったりして過ごしていた。
明日には収穫祭が行われる。
それは、住み慣れた故郷との別れの日を意味している。
収穫祭の準備を終えた帰り道、俺は今日までの長い年月を思い出しながら複雑な気持ちで空を見上げていた。
翌日の昼頃には広場はこれまでの年にはない盛り上がりを見せていた。
昨今に例をみない豊作だったこともあるが、カイル兄さんからの祝いの品として贈られた大量の酒の効果でもあるだろう。
届けてくれた商人によると兄さんとホルスは若手の出世頭としてうまくやっているそうだ。
活躍していることも嬉しいが、何より二人が元気そうだという事実が俺には嬉しい。
母さんが毎年収穫祭のときに用意してくれる新しい服に袖を通して俺も広場で食事を摘む。
「ケイト兄―。こんにちはっ!」
年少の子供たちの元気のいい挨拶を受け、俺も彼らと目線を合わせるように屈み、笑顔で挨拶を返す。
そうすると、彼らは嬉しそうな顔をして仲間の子供たちと走り去っていった。
ゴブリン退治の武勇伝は子供たちでは有名になっているようで、俺達は憧れのような眼でみられることが多い。
俺やマイスが邪険に扱わないのもあるのかもしれないが子供たちに懐かれ、たまに話をしたり、物語を話したりするようになった。
クルスは子供達の羨望の視線が苦手なのか、そういうときは遠巻きにみている。
そんな日の彼女は少し機嫌が悪くなり、周りに誰もいなくなると暫く二人でいることを要求してくるのである。
からかうように子供扱いすると、嬉しいのかされたくないのか微妙な葛藤があるようで、見ていて微笑ましい。
しかし、こうして楽しそうに無邪気に走り回る彼らを見ていると、自分も大人に近づいているんだなぁとしみじみ思う。
俺は身体だけかもしれんと、左手で頭を掻いて苦笑しながら。
そんな風にとりとめもなく、考え事をしていると急に周囲の村人たちからどよめきの声が聴こえてきた。
あれ誰だ!といったような驚きの声が多いようだ。
前に彼女の着飾った姿を見たのはいつだったか……クルスの普段の飾り気の無さとあまりに差のある美しい姿を見ながら懐かしい記憶を思い出す。
彼女の髪は腰近くまで伸び、その綺麗な黒髪を白いリボンで飾っている。
今日の彼女は前のような子供っぽいワンピースではなく、綺麗な刺繍を施したドレスのような服を着ており、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
貴族の娘といっても通用するのではないだろうか。
「ケイト」
「ああ、似合ってる。……ごめん、驚き過ぎて他に何も思いつかないよ」
「いい」
少しだけ彼女は微笑んで、俺の腕を取って自分の腕と絡めた。
数年前の同じ日に感じた嫌悪感のようなものが今では少ししか感じられない。
これはきっとあの日から彼女と自分なりに真正面から向き合ってきた結果だ。
ある時は笑い、ある時はからかいすぎて喧嘩したりもしたし、命懸けの戦いも二人で乗り切ったりもした。
いつも彼女は俺の隣にいてくれたし、友人や幼馴染というものに不信感を持っていた自分の心を癒してくれていた。
お陰で、この世界でも友人も持つことができた……そのことに、本当に感謝をしている。
「いこ」
彼女が少し子供っぽい仕草で、この一年間に背が一気に伸びた俺を上目遣いで見上げる。
大人っぽい格好をしても彼女は彼女だ。
俺は頷いて今年も収穫祭を楽しむために歩きだす。
昔も今もこの村の祭りは変わらない。
変わるのは人だけでそれも緩やかなものだ。
この村の姿はいつまでも変わらないのではないか……現実的に考えてそんなわけはないのだろうが、そう思わせるのはこの村を故郷だと思っているからか。
難しいことを考えるのはやめて、クルスと手をつないで料理を食べたり、音楽を聞いたり、いきなり踊るように引っ張りこまれたりしつつ楽しみ、時はメインイベントであるキャンプファイヤーまであっという間に過ぎてしまう。
西の方角に太陽は沈み、踊りが始まるのを村のみんなと静かに待つ。
ふとマイスのことを思い出して辺りを探すと、成人の儀で飲まされすぎたのかふらふらな足取りでリイナさんに手をひかれて広場から抜け出していた。
「マイスのやつ……大分お酒飲んでたみたいだけど大丈夫かな」
「心配無い。リイナがいる」
クルスは二人の方を見て微笑んで手を振っている。
広場から去るまでに、リイナさんはこちらの方を一度振り向き、クルスの方を見て手を振ってマイスを彼女の小さな身体を一生懸命使って引っ張っていった。
そして広場から、踊りの始まりを告げる大歓声が上がる。
「今年も始まったか」
「踊ろう」
二人で頷き、炎に近い広場中央までクルスの手を引いて小走りで駆け寄る。
周囲の大人たちから冷やかすような声が、子供たちからは拍手と歓声が上がった。
「やれやれ、クルスと一緒だと目立って仕方ないな」
「ケイトに言われたくない」
冷やかしなども一時のことで、次第に皆相手を探したり、決まった相手と思い思いに踊って楽しんでいる。
俺達もまた時を忘れて、少しはうまくなった踊りの腕をクルスと一緒に披露していた。
そして、緩やかな音楽へと変わった時に、俺は彼女を人気の少ない隅に移動を促し、口を開く。
「明日マイスと行くよ」
「……黙ったまま行くのかと思ってた」
意外そうにクルスは応える。
当然彼女には俺が旅に出る事はばれていたのだろう。
しかし、それでいい……それは意識的に彼女に伝わるようにしたのだから……もう様々な準備は終わっている。
「それを考えなくもなかったけど……クルスから逃げないって約束したから」
「私も行く」
一度手を離し、こちらを上目で見つめる。
「それは出来ない」
「知ってる。ずるい」
ずるいというのは母さんやガイさん、メリーさんの力を借りてクルスが旅に出ないように説得してもらったことだろう。
俺は自分だけでは彼女を納得させることはできず、どんな手を使っても俺と一緒にいようとすると考えた。
クルスが俺のことを何よりも大事にしてくれていることくらいはさすがに解っている。
彼女は俺を守るために何でもしてくれるんだろう。
だけど、それでは駄目だと思うのだ。
だから、彼女にばれないように他の人の力も借りた……そして、勿論最後は自分で決着をつける。
「どうして……私だけを何故置いていくの!」
普段は大きな声を出さない彼女の振り絞るような叫びを聞いて内心揺れそうになるが、しっかりと彼女の眼をしっかり見て語りかける。
「マイスは成人になったけど旅をするには俺達は若すぎる。騙そうとする人間も多いはずだ……自分だけで精一杯なんだ。クルスまでくれば今の俺じゃ対応できない……それに……」
「それに?」
「こっちの方が大事なんだが俺達も一度離れてお互いの事を考えるのが、二人ともにとって大切なことだと思うんだ」
今のままでは俺もクルスもお互いが近すぎて人間関係が閉じているため、共依存的な関係になりかねない。
それはこの村で人生を終えるならそれでもいいのだろうが……冒険にでるなら致命的になってしまうだろう。
正面から彼女と向いあうために、一度離れるという選択を取る。
矛盾かもしれない。その結果俺の心が変わるかもしれないし、彼女の心が変わるかもしれない。
それが自分で選択した結果であるならば、これまでの生活も楽しかった思い出と出来るようになるのではないだろうか。
今度は間違えない。
子供のころの延長として恋愛をするのではなく、一組の男女としてしっかり考えたい。
目の前のクルスは涙を流していた。
心が痛む。
本心をいうなら、俺とて彼女とは離れたくないのだから。
「っ……私の心は変わらない」
「それならそれでいいし俺も嬉しいよ。大事なのは考えて、いろいろ見て……悩んで、結論を出すことだと思う……俺自身も」
嗚咽を零すクルスの肩に手をまわして、力強く抱きしめる。
胸に顔を埋める彼女の体は、鍛えていても柔らかかった。
「お互いに答えが出たら、またこうやってちゃんと話そう」
「うん……」
「それまではお別れだ」
「やだ!」
クルスが整った顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら叫ぶ。
「クルス……」
「わかってる……ケイトやお義父さん達の言う事が正しいってわかってるんだけど……納得できないし……ケイトが危ないときは……誰に反対されてもすぐに助けに行く。絶対に」
顔を真っ赤にしながらそれだけは譲れないといった感じに強い視線をこちらに向けられ、頭を左手で掻いて答える。
「その時はよろしく頼む。それから……お互い逃げずに頑張ろう」
俺達は昔の収穫祭のときのように……今度は俺の方から軽く唇を合わせて離れる。
彼女の涙はもう止まっており、顔を真っ赤にして何時もの意思の強そうな瞳でこちらを見つめていた。
俺の顔もさぞかし赤くなっているだろう。
彼女と再会できるのかどうかは、今の俺にはわからなかった。