第二十話 兄と弟
元々喧嘩したわけではなかったが、川で遊んだ後、きちんと仲直りした俺とクルスは昔のように自然体で接することが出来るようになっていた。
自分はそう思っているが本当に昔のようかはわからない。
何だか他の三人の視線がおかしいのと……なんとなく、クルスの笑顔が増えた気はしているが。
しかし、考えなければならないこともある。
今はたしかに幸せだが、俺はいつかこの村を出てしまう。
旅に出るその時にどういう選択をするかは考えておかなければならないだろう。
覚悟はできている。
とにかく楽しい日々を過ごしていた夏も終わりに近づき、夏の激しい太陽の日差しも幾分緩やかになった頃、俺はカイル兄さんから部屋に呼び出されていた。
これだけであれば次兄に限らずうちの兄弟にはよくあることなのだが、いつもは暇であればトマス兄さんやエリー姉さんも呼ぶので二人きりというのは珍しかった。
なんの用事かはわからないが、以前ちょくちょく暇なときに木を彫って完成させた将棋を間に置いてカイル兄さんと向き合う。
兄の部屋は陽気で大雑把な性格に似合わず整理されており、掃除も行き届いている。
パチッ、パチッ……
普段は底抜けに明るい兄はいつもと違い口を真一文字に結んで将棋盤を睨んでいた。
迷っているのかむむむと唸りつつ、一手、また一手と手を進めていく。
そんな兄に対し、俺は冷たい目で盤上を見つめ、す……っと駒を進める。
「王手」
「あ……ま、まった!そこいかれたら飛車が!!」
「まったは無しだよ。もう三回も待ったじゃない」
そう残酷に宣言をすると、降参降参と兄は吹きだすように明るく笑った。
カイル兄さんは将棋が兄弟の中でも一番下手だった。
だけど、一番好きかもしれない。
そして負けても怒るでもなく明るく楽しそうに笑っている。
心の広い人なのだろう。
陽気で男らしい頼りになる兄だ。
俺とは全然タイプが違ってとにかく前向きで、似ているのは髪の色くらいかもしれない。
俺も普段から兄に頼っているつもりだが、彼に言わせると頼ってくれなくて寂しい思いをさせられる出来すぎの弟らしい。
やれやれと左手で頭を掻いていると、兄は姿勢を正してゆっくりと話し始める。
「俺は将棋弱いな」
「そうかもね」
「俺はケイトやトマス兄さんほど頭の出来はよくないからな。だから将棋の強い奴と組むことにしたよ」
カイル兄さんは落ち着いた笑みを浮かべて、楽しそうに言う。
だが、比喩的表現なんだろうが俺には言っている意味がわからない。
「僕はカイル兄さんは賢いと思ってるんだけど」
「ははっ!僻んでるわけじゃないぞ?まあ事実って奴だ。ようするにあれだ」
カイル兄さんは一度言葉を止めて、正座していた足を崩してリラックスするように床にあぐらをかき、自分の指を両手で搦めあわせて手を足の上に乗せる。
そして、衝撃の一言を紡ぐ。
「ケイト。俺は冒険者になる」
一瞬息が止まり、片付けようとして掴んでいた駒を思わず手からこぼしてしまう。
ぽかんとして思わず兄の顔をまじまじと見てしまう。
「お、その顔その顔。それが見たかったんだよな!!」
呆然とする俺を見て、カイル兄さんはげらげら笑った。
その顔に悲壮感や寂しさといったものは微塵も見られない。
一大決心といった雰囲気すらなく、当たり前のことを言っているように思える。
「ほ、本気なの?」
「本気も本気。もうすでに父さんと母さんには話を付けてある」
「良くあの二人納得したね?」
楽しそうに話す兄に思わず苦笑してしまう。
暫く見ていなかったカイル兄さんのステータスを見ると、野外活動のスキルは殆ど育ってないが、いつのまにか剣術のスキルを取得していた。
カイル兄さんは冗談めかしているが冒険者になると考えたのはかなり前だったのではないだろうか。
修練で身につけたであろうスキルは一朝一夕で身に付く数字ではなかった。
「親父とは拳で語ったけどな。母さんは……なんかわかってた見たいだなあ」
「そっか」
エリー姉さんほどではないがカイル兄さんも母さんに似ている。
姉さんは恋愛方面で似て、兄さんは冒険心という形で似たのだろうか。
「カイル兄さん。理由を聞いていい?」
「前にエルフの……ラキシスさん来たろ?」
確かに兄は好奇心旺盛で村での暮らしは退屈そうだなとは思ってはいたのはあるが……
だけど本当に冒険に出るとは欠片も予想していなかった。
農作業そのものは真面目に打ち込んでいたし、冒険に必要な技術にも興味はなさそうだったからだ。
「よく覚えてるよ。兄さんがちがちに緊張してたよね」
「ば、馬鹿やろ。その……まあ……、あのエルフの姉さん見たときにさ……外の世界ってすげえ面白いんじゃないかって思ったんだ。あんな美人が普通にいるんだぜ!?」
「えーっと……じゃあカイル兄さんは美人探すために冒険者に?」
あんまりといえばあんまりな理由に、驚いてしまう……今日は驚いてばかりだ。
兄は確かにもてるし女好きではあるが、人生までそれで決めるんだろうか。
「いや、それだけじゃない。何か他にも知らないものが沢山あってさ、一生退屈しなさそうだ」
「危ないよ。死ぬかもしれないよ?」
書物やガイさん達、足が実際動かなくなったジンさんを見ているとその危険さは容易に想像が付く。
それは考えているのかと疑問に思ったので問いかける。
「危険なのは当たり前だろ。それでも冒険者はいるんだから俺だってやれるさ。勿論死なないように油断はしないし注意はするけどな」
「カイル兄さんは、怖くないの?」
「怖いけど楽しみなのが強いな」
にっと人好きのするいたずらっぽい笑みを浮かべながら、どれだけ楽しみなのかを話を続けていく。
その間、兄の手の指は力がこもっているように、赤くなっていた。
「まあ、偉そうにいってるけど、お前ほど計画的じゃないんだよな。結局は」
暫く一方的に話した後、苦笑しながら頭を掻く。
だけど、そこには恥ずかしいという気持ちはあっても後悔の色はない。
それを見て決心は固く止めることはできないと俺は思った。
元々止める資格なんて自分にはないが。
「どうしても行くんだね」
「ああ。行く」
「じゃあ、止めないよ。でも死んだら許さない。絶交」
真剣な表情のカイル兄さんに冗談めかして身体の前で手を交差させてバツを作る。
すると彼は一瞬ぽかんとして大笑いした。
「おいおいそりゃ絶対死ねないな。俺には野望もあるし」
「何それ」
「うん。冒険者として先に成功して、お前が苦労する前に頼らせるって野望だ。兄貴らしいこと全くお前には出来なかったからな。」
兄は自信満々に胸を張る。
その姿は滑稽でお世辞にも格好いいものとは思えなかったが、本気でやってくれようとしているのだけはわかった。
「ありがとう。カイル兄さん」
「ああ。出来のいい弟を持つと大変だぜ。それと冒険者になるのは俺一人じゃない。ホルスが一緒だ」
がたっ!と思わず俺は立ち上がる。
兄はそんな俺を座りながら穏やかに見つめている。
「俺は将棋は弱いからな。強い奴が代わりに将棋を指してくれるらしい」
「ホルスが……なんで」
「それは本人から聞いてくれ。あいつは年下だが頭がいいし魔法も使える。あいつの経験不足は助けになるかはわからんが俺が補うつもりだ。俺はあいつを認めている。……お前もだろ?」
俺はなんとか頷いたがたぶん鏡で顔を見たら酷い顔をしているに違いない。
あまりにも急で、あまりに驚かされる答えだった。
「それに迷ってた俺の背中を押してくれたのはあいつだからなぁ……。」
そういってカイル兄さんは苦笑した。
大事な別れはひとつではなく、一人の友人とのあまりにも急な別れでもあったのである。