第六話 男子会と神の御心
ローウェン大学は広い道が寸分違わず真っ直ぐに引かれている。
素材はわからないが、溶かした石を敷き詰めたような踏み心地だ。
なかなかにいい道である。行き交う馬車も凹凸が無いからか、殆ど揺れていない。
「たまにはこういうのもいいっすね。気楽で」
「む……否定はせん」
隣を歩くウルクが頭の後ろで手を組んで機嫌良く笑い、ゼムドが難しい顔で肯定している。
点在する庭付きの住居や人が集まる商店が並ぶ、それでいて圧迫感の無い……言い方を換えれば、城塞都市カイラルやヴェイス商国の街に比べて、人通りが極端に少ないわけではないが混雑はしていない道を、珍しく男だけで歩いていた。
「こういうときは買い食いしながらなんてのが乙なんすけどね」
「この都市で買い食いするのは遠慮したいなぁ……本当にここは世界一飯がまずいかも」
「否定できないのが辛いっすねー」
ケラケラとウルクは笑っているが、俺も完全な冗談を言っているわけではないのが、この街の凄いところである。
「ドワーフはこの街では衰弱死するかもしれん」
ゼムドも苦笑して頷いている。
「この間のウルク殿では無いが、拙僧もクルス殿に命を握られておる。恐ろしい国じゃて」
「アリスさんは料理出来ないんすか? あ、好き嫌い多いし無理すかね」
「いや、あれで料理の腕は良いんじゃよ。そう、アリス殿は料理も出来るが……面倒くさがって拙僧のためにはやってはくれんのじゃ……」
孫娘のことを嘆くお祖父さんのような寂しい表情で彼は溜息を吐き、
「かと言って拙僧だと出来上がる頃には何故か食材が消えておるでの」
と、続けて肩を落としていた。
案外アリスが断固として料理をしないのは、嫌いな物を無理やり食べさせられている彼女の仕返しなのかもしれない。
食材をそのまま食べろとかいった感じの。
しかし、相変わらずこの街の食べ物の店は、表現し難い匂いを醸し出していて、食欲が全く誘われない。
料理とは実験するものではないと思うのだが……しかしながら、ローウェンの住民のチャレンジ精神は旺盛なようで奇抜な食べ物もそれなりに売れているらしい。
せめて食べられる物を作って欲しいものである。
「まあ、こっちは問題ないんすけど、あの三人は大丈夫すかね」
雑談しながら歩いているとふと、ウルクが思い出したようにぽつりと漏らした。
今の時期にしては暖かい太陽と、程よい冷たさの晩秋の風の中、俺達が向かっている先はゼムドが信仰する鍛冶の神、ガランの神殿とウルクが信仰する水の神、エルーシドの神殿だ。
男だけで神殿の並ぶ一角を目指している理由は簡単。
アリスが神官の話は長そうで面倒とごねたからだ。
大勢で一箇所を廻るのも効率が悪いということで、今回は男女で別れたのである。
「シーリアなら何とかしてくれるんじゃないかな。不思議とアリスも敵意を持っていないし。それとも、やっぱりウルクが代わりに残りたかった?」
「あの二人に挟まれて一日過ごすなんて拷問は嫌っす。仲悪すぎなんすよ……全く、いつ殺し合いを始めるか……」
俺が冗談めかして茶化すと、ウルクは勢い良く首を横に振った。
アリスに一番敵意を持っておかしくないのは、実際に半殺しの目に合わされた彼だと思うのだが、大物なのか全く気にしている様子はない。
クルスにも腕を飛ばされたりと悲惨な仕打ちを受けているのだが、問題はそこではないようだ。未だにアリスとゼムドを信用していない俺は、彼の心の広さを見習ったほうが良いのかもしれない。
「いやいや、そんなことより!」
眼鏡を人差し指で抑え、眉間に皺を寄せてキッと俺を睨みつける。
「ケイトさんは結局誰がいいんすか!」
「クルス」
「うわ、即答……いやいや、違うっすよケイトさん! 男はそうじゃないっす!」
正直に答えたのだが、ウルクは俺に詰め寄って胸ぐらを両手で掴み、やれやれと溜息を吐いた。
何かが違ったらしい。
彼は俺の服を放して続けた。
「男ならロマンに生きないといけないっす。例え危険でも」
「というと?」
「アリスさんを口説き落として、男の魅力で仲直りさせるんす」
「本気で出来ると思うか?」
旅のおかげか男らしくはなっているが、まだまだ傍目には女に見えるウルクが、下品な笑い声を上げながら両手をわきわき動かしている。
今日は男しかいないからか遠慮無しらしい。
「そこをやるのがケイトさんの度量じゃないすか。一号さん、二号さん、一緒にえろえろやってればいいんすよ。うちの神様は一夫一妻なんてケチなこと言わないっす」
「何を言うかと思えばおっさんみたいなことを。ああ、四十歳越えたおっさんだったか」
「ちょっとちょっと! それならエルフはどうなるんすか! 大体、湖の民の年齢なら若いっすよ。そして、哀しみに暮れるシーリアさんは自分がそっと慰めるんす。ああ、可哀想なシーリアさん……」
「それで?」
道行く人々の奇異な視線も気にせず、胸の前で手を組んで演技を交えて天を見上げる。
殴りたい衝動にも駆られたが、少し前はアリスアリスと煩かったウルクの心境の変化が気になり、俺は続きを促した。
するとウルクは力強く拳を振り上げて、再び俺に詰め寄る
「自分は気付いたんすよ。クルスさんとアリスさんには大事な物がないことに!」
「大事な物?」
「胸っす! あの二人真っ平らなんす! シーリアさんはボンッ! クルスさんとアリスさんは、スラッ! スラッ! きっと同族嫌悪してるんすよ! ねぇ、ゼムドさん! 胸っすよね?」
「お主は一時も黙っておれんのか? 拙僧とお主らでは美的感覚が違うじゃろう。知らんわい」
楽しそうに三人の胸の大きさを手の平で表現しているウルクをよそに、思わず俺は周囲を見まわしていた。幸い、偶然女性陣とかち合うということは無かったらしい。
ウルクの為に俺はそっと胸を撫で下ろしていた。
「それに拙僧には妻がおるでな」
「「え?」」
男同士で馬鹿話をしながら小一時間も歩くと、まるで歓楽街のように無数の宿屋や食堂、酒場、露店などが並んでいる賑やかな一帯に行き着き、それを過ぎると神殿らしきものが立ち並ぶ場所へと出た。
「うわぁ……」
「むう」
「さっきの宿屋や酒場の意味がわかったね」
異様な光景だと俺達は眉を寄せる。
あらゆる宗教施設が、俺達が今立っている中央からは外れた郊外の一帯に、無造作に建てられているのだ。
宗教同士の相性等は一切考慮されていない。
カオスとしか言い様が無かった。
他国では邪教として迫害されている宗教も認められているようで、頭から全身を覆う独特のローブに身を包んだ者も一般人に混じって堂々と歩いている。
「これじゃ布教は中々難しそうだ」
「幾ら何でもこれはあんまりっす……」
「神学は学問と認めるが、信仰は学問では無い。というところかの」
ローウェンに邪悪認定をした正義を謳う一神教の神殿の隣にそんな邪教の神殿があるのは、仕返しか何かなのだろうか。嫌がらせとしか思えない。
住民達は対して気にはしていない様子で、思い思いの神殿に参拝しているようだ。
寺社が立ち並ぶ観光地といった印象。
それにしては、宗教の種類が豊富すぎるが。
人が集まれば需要が生まれる。
歓楽街のような雰囲気が周辺に作られたのは、宗教施設が固まっているせいなのだろう。
普段の態度はあれだが、水の神の敬虔な信者であるウルクは泣きそうになっており、ゼムドは神殿の前でも開かれている露店に鍛冶の神に仕える神官が混ざり、大声で売り口上を叫んでいるのを見て、髭を触って困惑していた。
鍛冶の神、ガランの神殿は少し大きめの邸宅といった程度の建物である。
城塞都市カイラルの神殿しか他にはしらないが、石造りの荘厳な建物だったカイラルの神殿とは違い、こちらは木製の普通の建物だ。
「ローウェンの指導で宗教施設は他に建てられないのですよ。信者の獲得もこの激戦です。恥ずかしながら、商売をしなくては施設や郊外の工房の維持も出来ない有様で……困ったものです」
「難儀をしておるようだの」
他の神殿では神殿内に工房も備えているそうだが、木製の建物が多いローウェンでは認められなかったと、神殿を案内してくれている初老の神官は苦笑いしながら首を横を振っていた。
鍛冶の神にとって、工房は信仰に繋がるらしく、ゼムドの表情も厳しい。
「まぁ、他も事情は同じ。いや、うちは技術の開発にも力を貸しておりますので、優遇されている方ですかな。最新の知識は回して頂いておりますし」
「信仰が守られねば意味はあるまい」
「精一杯交渉はしているのですよ。ですが通りはしないでしょうな」
生真面目なゼムドの不機嫌な言葉に、案内の男は肩を竦めていた。
全ての信仰をローウェンは平等に認めているが、法律を護る限りという前提が付いている。それは個々の宗教の事情に優先しているのだそうだ。
一つを優遇しすぎれば問題が起きるというのもある。
何にせよ純粋な宗教家はこの都市では生きにくいに違いない。
「こちらです。ゴーラン司教。カイラルの司祭、ゼムド様をご案内しました」
「御苦労」
神殿というよりは教会に近い建物の礼拝堂から奥に入り、階段を上った先にある小さな執務室らしき部屋に俺達は案内された。
部屋は整理整頓が行き届いており、大きめの机では生真面目そうな痩せ気味だが、軍人のように体格のしっかりした老人が、書類にペンを走らせている。
「久しいな……ゼムド。少し待て」
「構わんよ。拙僧達は急いでおらん」
彼は手元にある最後の一枚にサインを入れると、顔を上げて俺達を見た。
眼光は鋭く威圧感もあり、とても神殿前の露店を許すような柔軟な人物とは思えない。
「カイラルでは色々とあったらしいな」
「やれやれ、耳が早いの」
「私はお前が何をしようが知ったことではない。だが、信仰を穢すことは許さん」
「肝に銘じておこう。じゃが、表を見ればお主も大きな事は言えまいて」
二人が黙り込み、部屋が沈黙に包まれる。
空気が重い。
どうやらこの老人とゼムドは知り合いのようだが……。
「お互い、思いどおりにはいかないものだな」
先に表情を緩めたのはゴーランと呼ばれた司教の方だった。
「ははは! この街は一筋縄ではいかんか。お主も苦労しとるなぁ」
釣られるようにゼムドも豪快に笑う。
まるで親友のように仲良さげに笑い合う二人に呆気に取られていた俺とウルクに、鍛冶の神の司教は礼儀正しく、深々と頭を下げた。
「失礼した。私は鍛冶の神、ガランに仕える司教、ゴーラン・ドルムだ。遠き国からようこそ。運命に導かれし客人よ。私は君を待っていた」
「待っていた?」
言うまでもなく初対面である。ゼムドは街に来たことを伝えてはいたようだが……リブレイスとは違い、俺は鍛冶の神とはほぼ無関係な人間だ。俺のことまではゼムドも話してはいないだろう。
しかし、職人らしい固い印象の、目の前の白髪の老人が嘘を吐くとも思えない。
訝しげにしていた俺に、ゴーランは真剣な表情で頷く。
「ガラン様が私に神託を降されたのだ。『話、助言せよ』とな」
「なにっ!」
「ゼムド。何故お前が驚く。お前はその少年の従者に選ばれたのではないのか?」
驚愕したゼムドに彼は困惑して反対に聞き返していた。
俺自身は以前に獣人の神と話をした経験もあるために驚きはしなかったが、厄介な事になったなとの思いは強まっている。
以前、水の神の神託が降ったから旅に同行するんだという話をウルクがしていたが、俺はそれを彼を罪に問わない為の方便だと考えていた。
だが、あれも真実だったのかもしれない。
よく考えれば……神の言葉を騙ることは神官には出来ないのではないか。
俺は物語の勇者みたいなものには確実に向いていないと思うのだが……。
「私は宗教を信じていませんし、旅の目的も利己的なものです。神に選ばれる人間では無いと思うのですが」
「神のお考えとは深淵なものだ。少年よ」
ゴーランは口の端を僅かに上げる。恐らく笑ったのだろう。
厳しい面持ちの中に、優しさを感じるのは流石は聖職者といったところか。
「君自身が気付いていなかったとしても、君は大いなる宿命を背負っているのだ。望む、望まざるに関わらず……な。そして、私もまた、神の意思に従うだろう」
隣で嬉しそうな表情で何度も頷いているウルクには悪いが、非常に迷惑な話である。
俺は命を賭けた大冒険なんて、欠片も望んでいないのだから。