第五話 呪い付きの報告書とクルスの感想
アルシアの話を聞き終えた俺達は、死屍累々の道場に汗も流さす一人だけ満足そうに立っていたクルスや、怪我の手当に走り回っていた他の仲間達を連れ、三十年前の報告書が保管されている書庫へと向かった。
「これは……よく怒らなかったわね」
紙を一枚一枚捲りながら、最後にそれを読んでいたシーリアが眉をひそめ、呆れるように呟く。表情を見回せば、アリス以外は多かれ少なかれ皆同じ感想のようだ。
ただ、シーリアには他にも考えがあるようで、「うーん」と唸っている。
「でも、嫌がらせとは違うような……」
「いやいやいやシーリアさん。どう読んでも悪意の固まりっすよ!」
一番嫌そうにしていたウルクの言葉に反応し、シーリアの三角な狼の耳はパタパタと動いていた。彼女もどう判断すればいいのか迷っているらしい。
「どういうことかの?」
この屋敷に来てから殆ど黙り込んでいたゼムドが重々しく口を開く。
彼もシーリアの言葉に納得は出来ていないようだ。
「もし、意図的に貶めようとしたなら何処かに作り物めいた不自然さが残るはず。でも」
「内容というか思考に一貫性がある。正直良く書けている」
自信なさげなシーリアの言葉を淡々と引き継いだのはアリスだった。
一人だけ顔色一つ変えなかった彼女だけはシーリアの言いたいことを察したらしい。俺もアリスの言葉でようやくシーリアが迷っている理由に気付く。
「この報告書を作った人は本気だったってことかな?」
「性格は捻じ曲がってそうだけど、多分……こら! クルス寝るなっ!」
程よく身体を動かし、倒した護衛達のおやつを賭けという名目で分捕って食べていたクルスは頭を使うことに拒否反応を起こしていたようだ。
身体が大きく跳ねたから言い訳のしようが無い気もするが……本人も不味いとは思っていたらしく、気まずそうな表情を隠しきれていない。
「寝てない」
「嘘を吐くんじゃないわよ。じゃあどうして目を閉じていたの?」
「め、瞑想?」
苦笑いを必死に抑えつつ、俺は頭を掻いた。
ただ、尻尾を逆立てて怒っているシーリアへのクルスの苦し紛れの言い訳は、重苦しい報告書を読んで澱んでいた空気を、少しだけ日常の側へと引き戻してくれている。
これがクルスの可愛いところと思えるのは贔屓のし過ぎだろうか。
「拙僧も疲れたし、一度休憩にしてくれんかの?」
「そうしよう。俺も疲れたよ」
「う、ごめん」
恥ずかしそうに真っ赤になって縮こまるクルスの肩を軽く一度叩き、俺は書庫に用意されてあった背もたれ付きの椅子に深く座る。クルスを理由にした形にはなったが疲れたというのは嘘ではない。
不快な書類を読むことがこれ程に気力を奪うのだとは知らなかったのだ。
無関係な俺達ですらそうなのだから、当事者であるミリーティアの受けた衝撃は想像も付かない。
彼女であればシーリアやアリスが気付いたようなことは見逃すはずは無く、調べたものは誠心誠意、本心から書いたことは理解しているのだろう。
学術都市の住民から学長と慕われる彼女が間違っていると断言出来なかったということは、それだけの説得力も彼女にとってはあったということでもある。
しかし、有り得るのだろうか。
ミリーティア・ローウェンがカルヴァス・ローウェンをそもそも愛してなどおらず、彼を否定……いや、彼女自身が愛せる程の男だったと自分を騙すためにこの街を作り上げたなどということが。
報告書を書いた男は相当に詳しく調べていた。
何も知らなければ、それこそが真実としか思えない程に。
伝承に残っている場所には隈なく足を運び、資料についても自国のみならず、他国の資料も完全に揃えており、俺が事前に読んだ資料等はそこには全て含まれている。
当然、ミリーティアだけではなく、当時の護衛や魔王の関係者を含む多くの者への聞き取りも怠ってはいない。手抜きが一切ないのだ。
そうして集めた情報を更に整理し、一つ一つの言葉に注釈を付けた上で証拠を添付し、推論を立ててあるという念の入れようである。俺達のような『呪い付き』の中でも相当几帳面かつ、能力の高い男だったのだろう。
「ケイト。これからどうするの?」
「そうだなぁ」
背もたれの無い簡易な椅子をクルスは近くに持ってきて座り、両手を頭の上で組んで猫のように背筋を伸ばしてから問い掛けてきた。
「ふゎ……ぁ……」
退屈そうに欠伸をしている彼女を見て、ふと自分が同じ年代だった頃を思い出す。
16歳と言えば高校一年生。遊び盛りだ。仕事なんて長期の休み以外では考えたことも無かった気がする。様々な悩みは抱えていたが、今を思えばその内容も気楽なものだ。
そう考えれば苦手な分野の仕事をせざるを得ない彼女の反応は、あるいは自然なのかもしれない。
「ふむ」
「ふむ?」
俺が頷くと、クルスは小首を傾げる。
「クルスはどう思う?」
「ふむ?」
彼女は繰り返した。何だか嬉しそうだ。
ちょっと気に入ったらしい。
「ミリーティアは旦那さんを愛してたと思う?」
「うん。逆は知らないけど」
「どうしてそう思う?」
クルスが迷うことなく答えたことに俺は少し驚き、思わず理由を聞いてしまう。
「私は昔のこと一つ一つ覚えてる。釣りをしたり、狩りをしたり、一緒に泳いだり……手を繋ごうとして、迷ってどきどきしたり」
「うん」
「収穫祭の……も……多分ずっと忘れない。好きな人との大切な思い出だから」
彼女らしい飾らない真っ直ぐな言葉だった。
気恥ずかしいが村での生活は俺にとっても大切な記憶である。収穫祭の話は聞くだけでも確かについ昨日のことのように恥ずかしさが蘇るようだった。
暗闇の中、炎が照らす美しく着飾ったクルスの横顔は忘れられるわけもない。
「私はケイト以外嫌だから。ケイトが他の人を好きになっても忘れないと思う」
だから、ミリーティアも。
クルスは最後まで言うことは無かったが、目を閉じて穏やかに微笑んでいた。
「なるほどね」
先日見たばかりの夢での後輩とは印象は全く違う。
だけど同じくらいの想いが伝わってくる気がした。
それは決して不快ではない。
胸に感じるのは春のような暖かさ。
例え逆の立場になっても、俺も忘れないに違いない。
いや、現に忘れていないのではないか……?
前世の幼馴染との思い出ですら。
「ちっ」
「こら、若い娘がはしたない」
中々の説得力かもしれないと考えていると、甘い台詞を嫌いそうなアリスの不機嫌な舌打ちと、それを嗜めるゼムドの説教が聞こえ、俺は吹き出しそうになるのをなんとか堪えた。
同時に俺は今後の方針を決める。
「報告書の内容は忘れよう。俺達が俺達の足で回って考えて結論を出す」
確かに良く出来た報告書だが、俺達が踏襲しなくてはいけない訳ではない。
調べるうちに見えるものもあるかもしれないのだ。
「私も賛成。お義母様に退治されたような悪党を信じる必要は無いしね。でも……クルスもきちんと考えているじゃない」
「当然」
皮肉を込めて笑うシーリアに、クルスは偉そうに胸を張って答えていた。
難しく物事を考えない彼女はある意味、素直に真理を掴んでいるのかもしれない。