第十六話 収穫祭 前編
準備も終わり、後は収穫祭の開催を待つだけになった朝、我が家も普段より賑やかな朝になっていた。
女性陣はお洒落に着飾り、男性陣も身だしなみの確認に余念がない。
俺は普段通りで行こうと思っていたのだが、姉に見つかり俺のために作ってくれていたらしい新しい服を着ることになった。
「今日は楽しみね」
姉が何故かこちらを見てにやにや笑う。
なぜ俺の方を見て……と、その時は理解できずに首をかしげた。
村の広場では昼ごろには宴会は始まり、にぎやかな音楽と陽気な踊りで盛り上がっている。
美味しそうな色々な料理の匂いが鼻をくすぐった。
俺がそんな中を歩いていて一番初めにあった知り合いは男女の二人組だ。
「やあマイス……とリイナさんだっけ」
「ああ。ケイト」
「こ、こんにちは!」
昨日と違ってポニーテールは地味な色から明るい赤色のリボンに変えられていて、服装は落ち着いた色で整えている。
それが背が低く、子供っぽくみられがちな彼女を昨日よりちょっとだけ大人っぽく見せていて似合っていた。
だが、緊張して固まっている様子を見ると彼女には悪いが兄と妹にしか見えない。
「今日はゆっくり一緒に回りなよ」
「わかってる。行こうぜ。リイナ……さん」
「リ、リイナでいいってば」
なんか、相性良さそうだなぁとそんな二人の様子に安心する。
二人っきりにしてあげる方がいいだろうと思ったので、俺は約束があるからと場所を変えた。
そういうわけで、村の中をゆっくりと歩いていると珍しい組み合わせに出会う。
カイル兄さんとホルスだ。
まだ遠いので話はわからないがなんだか仲はよさそうに見える。
接点はなかったはずだが……。
「ケイト」
後ろから聞きなれた小さな、だがはっきりした声が掛かる。
この声はクルスだ。
毎年のことだが、俺は彼女と祭りを回っている。
今年も特に約束はしなかったが、夜……というか夕方から始まる踊りを一緒に踊る約束をしていたので今年も一緒に回ろうと考えていた。
そして、彼女を一目見て絶句する。
彼女が初めて女の子と知ったとき以来、彼女は多少身だしなみに気をつけるようになったがこれまで殆ど女の子らしい格好はしてこなかった。
髪の毛が伸びたくらいでまだまだ中性的な感じがしていたのである。
それが今日は綺麗に梳いた黒髪に白いリボンを付け、フリルの付いた可愛らしいワンピースを着ている。
彼女はいつもの無表情ではなく、顔を真っ赤にして俯いていた。
普段との差もあり、本当に驚く。
年相応の少女らしい格好をした彼女は贔屓なしに、同世代で一番可愛らしいと思えた。
「ケイト……?」
黙ってまじまじと見ていた俺の顔をクルスが不安そうに窺う。
「ほんと可愛くなったなぁ。」
「ケイトも何時もより格好いい。」
うまい言葉も出ずに左手で頭を掻いて少し苦笑いしながらしみじみと呟く。
そんな俺の様子にクルスはたまに二人でいるときだけ見せる微笑みを見せて喜んでいた。
俺は騒がしい場所は好きではない。
祭りは楽しくて見るのは好きだが、どうにも自分の居場所でない気分になるからだ。
こんなとき、普段はすっかり馴染んだと思っていても異邦人のような気分になってしまう。
あまりこういう暗い気分の散歩にクルスを付き合わせたくはないのだが、元々騒々しいのは苦手な彼女は別にいいと一緒にゆっくりと歩いてくれていた。
その代わりと、何度か躊躇して手を彷徨わせた後、はにかんで笑って手を繋ぐ。
呼吸が止まりそうになる……笑顔も大分上達したようだ。
「マイス達上手くいきそう」
「見てたか。クルスがそう思うんなら大丈夫そうだな」
雑談をしながら手を繋いで歩く。
会話が途切れることも多いが、途切れても気持ちのいい沈黙といった風で不安感はない。
適当に歩いたところで串肉を二人分もらい、広場の隅で急作りの木製のベンチに座って齧りながら村の人々を観察する。
客観的に眺めてみて、村の人々はみな一様に楽しそうで幸せそうで今日という日を楽しんでいるように思えた。
「楽しそうだね」
「だなぁ」
クルスが嬉しそうにぽつりと呟き、俺はそれに答えて返事する。
「クルスは俺といて楽しいか?」
「楽しい」
俺はあんまり面白みがない人間だと思っている。
だけど、クルスは即答した。
彼女がそういうからにはそうなんだろう。
本当は俺は俺以外の人とクルスも楽しんで欲しいと思っていた。
俺とこのままいれば人間関係がほとんど広がらないまま、普通の子供時代がなくなってしまう。
将来、数少ない仲の良い人間である俺は村からいなくなるのだ。
だけど俺たちはこうして二人でいる。
俺も彼女をあまり拒まない。俺は彼女を守っているつもりで甘えているのだろうか。
ただ、今彼女は幸せそうな表情をしており、俺も幸せを感じている。
「ケイト。口についてる」
「あ、いいって。汚れるぞ」
気分が悪くなったのは急のことだった。
服とお揃いの刺繍が入った白いハンカチで口元をやさしく拭いてくれる……そんな行為に何故か鳥肌が立つ。
自分でも良く解らない。
自分では嫌ではないと思っているのに。
これは何だろう。
「ケイト?」
「あ、ああなんでもないよ。ありがと」
理由のない、理解できない、吐きそうになるような不安を咄嗟に取り繕って笑う。
クルスに余計な心配をかけたくなかった。
理由を考えずに思考を放棄する。
わからないことは考えない、それが俺の主義だ。
本当はわかっているのに……逃げて思い出すことを拒否しているのだろうか。
気分が悪かった。
「ケイト。大丈夫?」
「あ、うん。立ち眩みしただけだから。また少し見て回ろう。夕方まで時間あるし。」
嘘が通じたことがない、何かを見抜くような明るく美しい瞳でクルスは見つめ、言葉を探すような仕草をする。
適当な言葉を言わないための彼女の癖だ。
ワンピース姿の可愛らしい彼女にまじまじと見つめられると見慣れているはずなのに新鮮で照れてしまう。
「ケイト。悩みがあるなら私は聞く」
「その時は頼むよ」
俺の冗談めかした返事に怒る様子もなく彼女は決意したような表情できゅっと手に力を入れて頷き、村の方に向き直る。
握られた手の暖かさに幾分癒されて気分がましになり、雰囲気で顔色がよくなったのが判ったのかクルスは安心したように微笑んで力を軽く抜く。
再び二人の間を穏やかな時間が流れていた。
「私は幸せになりたい」
暫くぼーっと楽しそうに踊る男女の方を見つめていたが、唐突に彼女は小さく呟く。
誰にも自分にも言っていない感じで無意識で呟いたような空虚な言葉に思える。
「クルスは幸せになるよ」
「そう………だよね」
弱々しく、だけど語尾と繋いでいる手に力を込めて彼女は頷く。
俺がいなくとも……という言葉は流石に言わなかった。
そして何をするでもなく、ゆったりとした気分で椅子に二人並んで座っていた。
空は徐々に朱さをまして、昼から夜へとその姿を変えようとしていた。