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第三話 忠実な獅子




 八百年前の事柄を調べるのは容易なことではない。

 その時代の一人一人の心を見つけるのは、広大な海から目印の付いた貝殻を一つ探すようなものだと、静謐な道場で汗を流しながら俺は思う。


 対する相手は同じくらいの体格の、精悍な顔立ちをしている丸い獣の耳の女性。

 彼女の身を包む質の良い革鎧は新しい小さな傷が無数に付いており、彼女が現在も第一線で活躍していることを証明している。



「うぉぉぉぉぉぉぉっ!」



 咆哮を上げながら余裕の無い表情で激しく攻めてくる獅子の獣人の剣を、俺は冷静に受け流す。彼女の一打一打は腕が痺れる程に重いがその攻撃には警戒と迷いがあった。


 『神の恩寵』……経験を積むことで、等しくどんな者でも強くなれる現象を、城塞都市での修行期間だけでなく、俺はこの旅の最中にも何度も得る事が出来ている。


 速さや腕力は獣人である彼女に負けているが、圧倒的と言う程ではない。



(一瞬で決着が付いた一戦目の搦手を彼女は警戒しているかな。計算通り)



 先程の一戦目が脳裏に残っているらしい。

 俺は今回は正攻法だけで戦うと決めているが、彼女にはわからないだろう。


 考えていた以上に厳しい戦いにはなったが、彼女……ミリーティア・ローウェルの護衛隊長であるアルシアが出した条件はクリア出来そうだ。


 獣人族の立場からカルヴァス・ローウェンの話を聞きたいと彼女に頼んだ返答が、「私に勝てれば」というものだった。腕には自信があったのだろう。非常にシンプルでわかり易い。


 精神的な優位はある。冷静に。冷静に。



「くぅ……っ!」



 俺は躊躇った末に放たれた鋭い突きを紙一重で避けると、すれ違いざまにアルシアの胴を軽く抜いた。



 訓練が終わると他の護衛達が俺達にタオルと水を用意してくれた。

 少し俺より年上の彼女達は皆、好奇心に満ちた表情で俺を見詰めている。騒がないのは、護衛の総責任者であるアルシアの前だからなのかもしれない。


 何処か居心地が悪く、俺は礼を言うと受け取ったタオルで顔を隠す。



「隙あり。そんなところは普通の少年のようだな。女は苦手か?」



 そんな俺の頭に軽く手刀を当てられていた。

 避けると思っていたらしく、アルシアが苦笑している。



「姉の友人に玩具にされていたものでして。年上は」

「ふふっ。なるほどな。玩具にしたい気持ちはわかる」



 張り詰めていた神経がほぐれて油断していたようだ。

 憮然とした態度で返すとアルシアは負けを気にした様子もなく、朗らかに笑った。元々敵意を感じた訳ではなかったが、俺に対する警戒心はもう無いらしい。



「堅物そうだと思いきや、戦い方は変幻自在だったな。一戦目のあれは礫か?」

「はい。石を投げ相手を怯ませます。旅の最中には鳥や兎取りにも役立ちます」

「相手を警戒させて、二戦目は正々堂々か。なかなかやるな」



 思ったよりもさばさばした性格をしているようだ。

 俺達を警戒していたのはミリーティア曰く『物知り』だったからか。


 だからこそ、ミリーティアは課題をこなすために、まずはアルシアに話を聞けと言ったのだろう。『物知り』即ち、他国で主に活動するリブレイスの一員だから。



「剣だけであれば、負けていました」

「謙遜だな。お前は私の動きが見えていた。結果は変わらないだろう」



 本心からの言葉だったが、アルシアは真剣な表情で首を横に振る。

 


「若いが天才というわけではない。感覚ではなく一つ一つの動きに意味がある。しかも、手の内をまだまだ隠している……確かに学長様が仰られたように学ぶ価値のある使い手だ。お前は」

「褒めすぎだと思いますよ。まだまだです」



 女性としては筋肉質なアルシアは、拳を作り、軽く俺の肩を叩き獰猛な笑みを浮かべた。

 ミリーティアとアルシアは一週間の間に俺達のことは調べ上げていたらしい。今のところはまだまだ彼女達の手の平の上のようだ。

 俺は苦笑いしながら頭を掻いた。



「これも学長様が仰られたことだが、お前も私から学ばねばならないことがある」

「どんなことでしょうか」

「くくっ! 私とお前の差だな。私は頭が悪いが貪欲に学ぼうとしている。お前が気付かないのはお前が私から学ぶ気がないからだ」



 自信に満ちた表情で彼女は胸を張る。嫌な感じはしなかった。

 戦士であろうと常に学ぶ。それは好ましいことだし、この街の気風なのだろう。



「今は私は負けているが、近々お前を超えるだろう。その時は再戦を絶対に受けろ。ボコボコにしてやる」



 アルシアは腕を組み、豪快に笑った。

 そして、一頻り笑った後、不敵に口の端を上げる。



「私はこの都市ではそれなりに名の知れた戦士だ。それを私に劣る身体能力で圧倒するお前はなんだ? だが、お前は本当にそれを当たり前だと考えている。そう考えれば見えてくるものもある」

「客観的な自分の実力を理解していない……ですか」

「若くて才能がある奴は疎まれるもんだ。お前がどう思っていようがな。過ぎた謙遜は敵を作るぞ。ケイト・アルティア。身に覚えはあるだろう」



 言葉が胸を突く。目を閉じると俺を貶めるために悪事に加担した男が思い浮かんだ。

 シーリアを誘拐しようとして最終的に失敗した中年の冒険者は、「努力すれば違った」と言った俺を憤怒の形相で呪い、「お前に石ころの気持ちがわかるか!」と罵った。


 それは、城塞都市カイラルでの……たった半年前の出来事だ。

 当時は理解できなかったのだが、今はどうか。


 自分ではわからない。

 少なくとも納得はしていない。



「忠告、有難うございます」



 ただ、言葉は心に留めておこうと思った。

 『呪い付き』としての優位は外からは見えないのだから。


 悩む俺にアルシアは頷くと、俺の背中を軽く叩いた。



「まあ、負けは負けだな。約束だ。さて、私はこいつと話があるから……次はエリス。行け。死んでこい。外の戦士の実力を知っておけ!」

「えええー! 無茶ですよー隊長っ! ベッドの上なら知りたいし、絶対勝てますけど……ケイト君。夜襲を期待してもいいんですよね?」

「私が行く」



 泣きぼくろが色っぽい、狐耳の茶髪の美女は俺に流し目をして、とんでもないことを口走っていたが、本気で怒っている様子のクルスに手を引かれていく。


 狐の獣人っぽいエリスさんに切羽詰った様子がないのはクルスが俺よりも与し易いと考えているからだろう。



「あらら、可愛い子。妬いちゃってるのね。つまみ食いくらいいいじゃない。彼が下手じゃ自分の時に困るでしょ?」



 まだ挑発しているということは、元々クルスと剣を合わせたかったのかもしれない。

 実力的には護衛の中でも二番手なので自信もあるのだろうが……からかう相手を間違っている。



「あー……クルス。お手柔らかにな?」

「大丈夫。魔法薬はたくさんあるらしいから」



 クルスの辞書に容赦という言葉はない。

 俺にはエリスさんの無事を祈ることしか出来なかった。




 アルシアに案内されたそれなりの広さの護衛の詰所には、日常的に使っていそうな台所があり、全体的に甘い匂いが漂っていた。

 普段はお菓子などを焼いているのかもしれない。


 さっきの狐の獣人、エリスさんはともかく、無骨で男顔負けの筋肉を持つ戦士以外には見えないアルシアがエプロンを付けてお菓子を焼く姿はどうしても思い浮かばなかったが……。


 椅子に座ってお茶の用意を、何故か付いてきたアリスと一緒に待ちながら、俺はとりとめもないことを考えていた。



「もう一人の『祝福を受けた者』もこちらに来るとはな。仲間は良いのか?」

「虐殺を楽しむ趣味はない」



 陶器製の美しいカップに淹れられた紅茶からは、良い香りがする。

 カップを置く時も、洗練されていて音を鳴らしていない。そして、その姿が剣を振るう姿と同じように様になっている。


 俺は心の中でアルシアに謝罪して、評価を変えた。

 彼女は繊細さも持ち合わせた女性らしい。



「あいつは別格とは思ったが……やはり、エリスでは勝てないか」



 腕を組み、思案するような表情のアルシアに俺は頷く。

 アリスの言葉は酷い表現だが概ね正しい。シーリアがやり過ぎないように見張っていると言っていたから、再起不能にはしないだろうが……。



「あの女から戦いと料理を抜いたら何も残らない」

「見た目は羨ましいくらい可愛い女の子なのにな。ま、自業自得か。エリスにはいい薬だろう」



 苦笑いしながら三人分の紅茶を出し、席に着くとアルシアは一口だけカップに口を付け、「さて」と小さく呟く。



「話を始める前に先に言っておこう。私は『リブレイス』から情報を収集した結果、君達を警戒するべきだと判断していた。だが、今は警戒をしていない。学長様が信頼すると仰られたからだ。だから、私も無条件で君達を信頼する」

「それいいのかしら?」

「私はそれでいい」



 彼女は薄ら笑いを浮かべているアリスの方を向き、迷いのない強い口調で言い切った。

 リブレイスに所属している彼女は最も警戒するべき相手が、俺ではなく同じリブレイスの『呪い付き』であるアリスだと理解しているのだろう。


 そもそもローウェンの獣人達は基本的には異種族の組織であるリブレイスからは距離を置いているらしい。アルシアが所属しているのもあくまでミリーティアの為に過ぎない。


 何故ならリブレイスの理想はこの都市の異種族にとっては、既に八百年以上も前に達成された『過去の理想』に過ぎないからだ。


 それがこの街においてリブレイスの力が浸透していない理由でもある。

 ただし、お互いに利用しあう必要性があり、否定はしていないようだった。


 彼等ローウェンの異種族達にとっては、明確に組織と敵対した俺よりも『呪い付き』の長、ジューダス・レイトの方が余程不可解に違いない。


 それでもアルシアはそれ以上を言わなかった。


 ミリーティアを盲信しているわけではなさそうだ。

 だた、間違っていてもそれでいいと言える程に信じているということだろう。


 そして、ミリーティアが窮地に陥った場合には何も言わずに命を賭けるに違いない。

 不器用な生き方をしていそうな彼女を見ていると、何となくそんな気がした。



「信頼には応えるよ」

「そうして欲しいものだな。さて、学長様は何と言っていた?」

「貴女が『物知り』だから話を聞いてみなさい。必ず役に立つからと」

「全く学長様は……」



 無骨な戦士は鼻の頭を掻いて照れくさそうに笑い、了解したと頷く。



「確か我等異種族から見たカルヴァス・ローウェン様と学長様の話……だったな。色んな奴が色んな想いを持っているだろうが……私の話でいいのか?」

「是非ともお願いします」



 彼女はミリーティアに護衛として以上の気持ちを持って仕えていることは間違いない。

 好意的な印象を持っているはずのアルシアの話を聞くことは、『楽天王』とミリーティアの記憶の欠片を集める依頼の第一歩に相応しいのではないだろうか。


 だから、俺は頭を深く下げ、嘘偽りなく本心から彼女に話を頼んだ。



「わかった。少し長い話になるが我慢してくれ。頭を整理してから話す」



 アルシアは微笑んで頷くと数分間、ミリーティアがそうしていたように黙考した後、ゆっくりとした口調で話し始めた。




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