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第二話 歴史を生きたエルフ




 俺達は今、他の国における首都に当たる、ローウェン大学に滞在している。


 ローウェンの都市は建物の密集度が低い。

 首都であるローウェン大学も例外ではなく、中央政庁や校舎、図書館などの各種施設を広大な敷地を使い、余裕を持たせて建設している。それが出来るのは首都ですら城壁が存在しないからだ。


 個性的な建物が立ち並ぶ市街も雑然とはしておらず、何処か余裕を持たせている。そして、街路には低い木や花が植えられており、学生たちの眼を楽しませていた。


 反面国境には計算しつくされた強固な防衛線が引かれている。

 それこそが本当の都市の城壁なのだろう。


 ミリーティア・ローウェンの邸宅は市街と政治中枢を隔てている小川を超えた先にある、中央政庁の三方を囲んでいる小さな森の傍に建てられていた。


 木製の邸宅は何処かシーリアの義理の母でもあるラキシスさんの邸宅の雰囲気を思い起こさせる。

 使用者が同じエルフだからだろうか。



「名誉学長からお話は伺っております。ケイト・アルティア様」

「よろしくお願いします」



 約束の刻限に俺達は邸宅を訪れ、若いが腕の立ちそうな獣人の女性の護衛にミリーティア・ローウェンから届けられた手紙を渡す。彼女は頷くと邸宅の中へと俺達を迎え入れてくれた。



「お母様の家に似ているわね」

「似ているね。懐かしい?」

「少しだけね。まだ、一年も経っていないのに……不思議」



 香木の薄い匂いがする廊下を俺達は護衛に案内されて歩く。

 廊下からは森が見渡せるように造られており、柱は加工していないそのままの木が自然な形で利用されていた。



「俺もあの頃が遥か昔に感じるよ」

「まだ帰りたいとかそんなのは無いんだけどね」

「わかってるよ。シーリアは楽しそうだし」



 俺は心配はしていないと笑って頷く。


 シーリアは故郷を懐かしむようにはにかんで微笑み、柱の一本を歩きながら軽く触っていた。その表情には言葉の通り暗い感傷は無い。

 むしろ、建物の持ち主への好奇心の方が強そうだ。



「学長様、お連れしました」

「ご苦労様、アルシア。中に入って頂いて下さい」



 ミリーティア・ローウェンの私室を訪れた俺は、その独特な扉を見て思わず息を呑む。俺以外で同じ意味を込めて驚いたのはアリスだけだろう。

 その変化を護衛のアルシアと呼ばれた獣人は、一瞬も見逃すまいと見詰めていた。



(まさかの『呪い付き』判別装置だな。失敗した)



 俺は苦笑して溜息を吐く。

 バレたのは間違いない。だから、慌てずに堂々と開き直った。



「シーリア。その木の板の手前で靴を脱ぐんだ」

「え……?」



 先に部屋に入ろうとしたシーリアを俺は制止する。

 光を取り入れた明るい部屋にはこの世界には無いはずの香りが漂っていた。


 横開きの障子と隙間から感じるいぐさの匂い。

 そして障子の手前に置かれたすのこ。



「面白いわね」



 アリスも俺の意図を察っしたのか靴を脱ぎながら僅かに口の端を上げた。ただ、こんなやり口は想像すらしていなかったのか、その昏い瞳は全く余裕の無いものになっている。


 この国では種族による差別は無いが、『呪い付き』はどうなのかはわからない。

 他の国なら間違いなく愉快では無い事態に陥るだろう。


 これがもし意図的なものだとすれば、中のエルフはいい趣味をしているのだと思う。

 色んな意味で。



「失礼します」



 どちらにしろ今更逃げ道はない。


 名前を手に入れたアルシアという護衛は幸いクルスはおろか、俺にすら実力が届いていないが、問題はミリーティア・ローウェン本人だ。



「どうぞ」



 俺は心臓の鼓動が早まる胸を抑え、覚悟を決めて障子を開いた。

 身体能力は不自然に低いが……物理的にも社会的にも彼女から逃げることは難しい。


 建物自体の構成が彼女に優位となる術式となっており、私室は特に厳重に結界が張られている。そして、単独でも精霊使いとしての実力だけなら、城塞都市カイラルでも最強の存在であったラキシスさんを上回っていた。



「お待ちしておりました。ようこそ、ケイト・アルティア様とそのお仲間様方」



 何かの魔力が込められた眼鏡。ショートに切り揃えた金色の髪からはエルフの特徴である長い耳が覗いている。硬質な美貌……見た目は怜悧な研究者といったところか。

 服に拘りはないのか、一般的な動きやすい服とズボンの姿である。


 容貌に見合った静かな、落ち着いた声だった。



「座ったまま失礼しますね」



 ミリーティア・ローウェンは安楽椅子に揺られながら、細い指で捲っていた分厚い本を、重そうに傍に備え付けられている机に置くと、俺達に小さく頭を下げた。



「無理はしなくていい。その身体で会ってくれただけでも嬉しい」



 いつも通りの自然体で傍にいたクルスが、淡々とそう言って頭を下げる。

 意外な行動に俺は内心で驚いたが、彼女にも思うところがあったのかもしれない。



「あらあら、鋭いのね。流石は炎の王に信頼された女の子」



 長い時を経てきたエルフは否定をせず、微笑んで薄い太腿の上で手を組んだ。

 俺も感じていた違和感をクルスは素直に口にしたのだろう。


 精霊の存在に気が付いたのは流石というべきか。


 ミリーティア・ローウェンは不老の種族であるエルフだ。現に目の前で椅子に座る彼女の美貌は僅かの隙も無く、若い頃と変わっていないのだと思う。



「長生きはするものではないのね。今では歩くだけでも護衛が必要なの。だから、アルシアも過保護になってしまって。あの娘の無愛想は許してあげてね」

「私は気にしてない」

「ふふ、いい子ね」



 なのに理解できてしまう。

 薄らと微笑んでいる彼女が老いているのだと。



「自己紹介が遅くなりました。私はミリーティア・ローウェン。色々と呼び名は頂いているけれど、ミリーティアで構いません」



 真っ白な灰のような笑みだと思う。

 活力に満ちあふれていたラキシスさんとはまるで違う。


 元々は違った性格だったのではないのだろうか。

 今の彼女は全てを使い尽くしたような……そんな穏やかさに感じる。


 仕方が無いのかもしれない。

 永遠に続くモノなど存在しないのだ。


 無限に思えるエルフの寿命ですらも。



「初めまして。私はケイト・アルティア。仲間のクルス、シーリア、ウルク、アリス、ゼムドです。お目に掛かれて光栄です。ミリーティア様」



 俺は拳に力を込め、気持ちを引き締めて頭を下げる。

 彼女は小さく頷いた。



「この部屋はね。夫が友人と一緒に考案したの。私も落ち着くから気に入っちゃってね。貴方はその友人と同郷の方なのね。そちらの小さなお嬢さんも」

「恐らくは。私とアリスはそうです」

「驚かせてごめんなさい。でも”学問の徒は皆同胞”。この都市は貴方達も受け入れます」



 そう彼女は言い切ると、俺達に座るように促す。

 俺とアリスは正座し、他の仲間達は慌ててそれを真似た。



「あら、綺麗な正座。崩してもいいのですよ?」

「有難うございます」

「さて、本題に入りましょう。旅人なのに面倒な私の課題を修了したということは、ただの珍しいもの見たさではないのでしょうし」



 ミリーティア・ローウェンは何処か楽しんでいる様子だった。

 深い知性を感じさせる緑の瞳の奥に好奇の光がある。



「私達は今、仲間のシーリア・ゲイルスタッドの義理の母親の故郷、ザーンベルグ大森林を目指しています。ご存知ではありませんか?」

「あんな退屈な場所に何の用事が……ゲイルスタッド?」

「お義母様を知っているの?」

「ゲイルスタッドが森を出ることは考えられない。娘かしら……そう、娘に会った気がする……何百年前……」



 彼女はシーリアには答えず、独り呟いて目を閉じた。

 俺達は静かに待つ……正座に慣れていない他の仲間達の顔が青くなっているが……ゼムドだけはドワーフとして、エルフに気を遣う気がさらさらないのか、早々に胡座を掻いている。



「『祝福を受けた者』である貴方達が森に向かう。他にも意味があるのね。だけど……」



 数分後、彼女は組んでいた手を解き、困惑したように手すりを指で少しこすりながら呟く。そして、また数分の間、思考の海へと潜った。

 情報を整理しているらしい。



「学長としては学生を導く義務がありますね……ごめんなさいね。大昔のことを思い出すのは時間が掛かるの」



 しばらくすると彼女は顔を上げ、真剣な表情で頷いた。



「ザーンベルグ大森林はエルフの聖地。簡単に教える訳にはいきません。ですが、貴方はそれでも諦めずに短い人の時を無駄にするかもしれない」

「普通に探しては見つからない場所……ということですか」

「そうです。時間の無駄です。だけど、貴方は他のエルフに認められている。教えても構わないのですが……私の予測では、それだけでは意味がない」



 生徒に対する先生のような、そんな言い方だった。

 ローウェンらしいと言えばそうなのかもしれないが。



「ですから、課題を出したいと思っています」



 手すりに置いていた手をもう一度軽く組み、彼女は笑みを作った。

 俺は思わず聞き返してしまう。



「課題……?」

「依頼と言ってもいいのかしら。私の悩みを解決してくれたら、聖地の主に紹介状を書くというのは。それだけでなく、貴方が”本当に”私に聞きたいことにも誠意を持って答えても構いません」



 穏やかな表情には、ある種の確信を感じているように思えた。

 彼女は何処まで深く考えたのだろう。そして、何処まで知っているのか。



「炎の王の信頼を得ているのはつまり、そういうことなのでしょう?」



 俺は動揺を悟らせないように唾を飲み込んだ。

 彼女に敵意はない。俺は小さく首を縦に振って何とか言葉を返す。



「依頼ですか」

「そう、極々私的な事。だけど、私にとっては大切な、そう……儀式」



 彼女は懐かしむように眼を閉じて微笑んでいた。

 幸せな宝物の話をするかのように。



「八百年という時はとても長い。そして、時の流れは残酷。どれだけ大切な思い出も、時と共に風化して後には何も残らない。あの人を愛した記憶も言葉も」



 言葉の一言一言には計り知れない感慨が込められていた。

 深い瞳に見詰められ、俺は思わず息を止める。



「だから私達は聖地に篭るか、永遠に外界を旅するのね。思い出を作らないか、作り続ける為に」

「ふむ。難儀じゃな。エルフというのも」



 ゼムドが髭を触りながら大袈裟に相槌を打つ。

 彼女は軽く「そうね」と笑った。



「三十年以上前、ある『祝福を受けた者』が同じ依頼を受けました。私は彼が調べた結果とその結論を、絶対に間違っていると跳ね除けることが出来なかったのです。調べ直すことも出来なかった……」



 その表情には悲しみと憂いがある。

 後悔と絶望、そして切実さも。



「怖かったのね。私は愛したはずの夫を信じることが出来なかったのです」



 淡々とした口調で彼女は過去に起きた事実をただ語っている。

 気にしている様子ではない。それなのに、何処か痛々しい。



「これはお互いにとっていい機会なのかもしれない。貴方には私と夫の真実の思い出を探して欲しいの。私が最期を迎える前に」

「最期……ですか」

「ええ。私はようやく夫の待つ場所へと向かえるの」



 俺には彼女の考えが理解出来なかった。


 一度頼んだ依頼をもう一度頼む気持ちも。

 信じられなかったと言いつつ夫と会うことを喜べる気持ちも。



「わかりました。最善を尽くします」



 しかし、俺は迷うことなく即座に依頼を引き受けた。

 興味本位からでは無い。


 彼女はこの依頼を課題なのだと言った。

 そして彼女と『楽天王』が生きた時代は、聖輝石が大天災を引き起こした時期と重なる。


 過去を調べることで何かがわかるのではないか、そんな漠然とした予感を抱いたからだった。


 ミリーティア・ローウェンは正答した生徒を褒めるように、満足そうに頷いていた。




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