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第一話 学術都市ローウェン



 学術都市ローウェンは興味が尽きない不思議な国だ。


 この世界では珍しく上下水道を完備していたり、建物は木製だったり煉瓦製だったりと個性的なのに、何処か整然としている街並みにはゴミが殆ど落ちていなかったりといった外観も他の都市とは一線を画しているが、本当に興味が尽きないのはその国としての在り方だった。


 国全てで五百万を超える人口と世界的に見て中程度の領土を持ちながら、国ではなく都市と名乗り、住人には国民ではなく『学生』と名乗らせている。


 学生には教育が強く奨励されており、ある意味それは強制の域まで達していた。

 公共の施設を利用するために、簡単な試験を要求するのだ。


 この都市で一般的な生活するためには知識が必須であり、だからこそ、必要最小限の読み書き計算はどんな者であっても覚えざるを得ない。


 そんな風に……安全の為に迷宮に潜ることすら筆記試験を課す一方、種族を問わず幼少時の教育を義務として都市があらゆる支援を行い、徹底するなど都市で過ごす学生が困らないような方策も取っている。


 識字率はほぼ十割。簡単な四則演算は最貧の層でも出来る。

 中世に近いように思えるこの世界において、これは異常に違いない。


 風土も隣のヴェイス商国とは異なり、温暖湿潤で穏やか。

 治水事業を施した複数の河川が大地を潤していて、食料も豊富だ。


 多くの国に強い影響力を持つ東の大宗教国家が人類の永遠の敵としている魔物達の王、魔王とも都市ぐるみで付き合っており、彼らの技術もこの都市には流入している。

 お蔭で他国からは神敵と看做されているが、幾度もの厳しい戦いをくぐり抜けてなお、建国精神を揺るがせてはいない。


”学問の徒は皆同胞である”


 初代都市長が高らかに謳ったその宣言を、歴代の学生達は八百年の長きに渡り、誇りを持って護り抜いていた。


 ただ、代々の都市長は豊富な国力を戦争に振り向ける気はなかったらしく、防衛戦を除いては平和の維持に力を注いでいる。

 いや、ここの都市長は印鑑を押すくらいしか仕事をしないそうだから、この国の指導者層がそう考えてきたのか。


 何にせよ、平和を愛するのどかな雰囲気の国柄である。


 魔物の留学生も多い。

 本を抱えた小奇麗なゴブリンが、子供くらいの大きさの二足歩行する謎の小型犬と談笑しながら堂々と街を歩く光景を初めて見た時は我が目を疑ったが、この都市の異種族への寛容さはこの辺りに理由があるのだろう。


 魔物に比べれば異種族などほぼ人間と変わらないのだし。


 宗教も同じように受け入れており、自らの都市を邪悪と断じた宗教すら取り締まることなく法律を守る限り布教を認めている。

 宗教も学問だ。ということらしい。


 一定の学問を修め、相応の実力を持つものであれば、この都市より自由で過ごしやすい場所は殆ど無いだろう。



「この街はヴェイス商国と違う意味で苦手……」

「いい機会だよ。クルスももう少し色々学んだ方がいい」

「ぅぅ……」



 しかし、表情を曇らせて隣を歩いているクルスのように、勉強が好きではない者にとっては優しくない街であるとも言える。

 半年掛けてようやく図書館の入館試験に受かった彼女は、天まで本棚が無限に続いている圧倒的な光景に感嘆する余裕も無く、半泣きで項垂れていた。



「ケイトの教え方が悪いんじゃない?」

「甘いっすよねー甘々っすよねー」



 銀色の髪にひょっこり犬耳の生えた女性、当たり前のように一発で試験をパスしたシーリアと三回目で受かった空色の髪の中性的な容貌の神官、ウルクはクルスではなく、俺に対して呆れ混じりの視線を送ってきている。



「二回目落ちた時なんて、シーリアさんに殺されると思ったすよ! それが五回も六回も落ちても……甘い甘い! イチャついてるんじゃないっすよ!」



 古びた紙の香りが漂う静かな図書館で迷惑にも腕を振り上げて力説する彼の非難は一面から見れば正しい。


 ウルクとクルスは初めは同程度の成績だった。

 しかし、シーリアの指導を受けた彼は二回目の試験をギリギリで落したものの、三回目は余裕で合格点を超えている。


 だからシーリアの言葉は正しいかもしれない。

 ただ、ウルクは少し勘違いをしていると俺は思った。



「俺は最善を尽くしたつもりだよ」



 だから、昔から勉強を彼女に教えてきた俺は堂々とウルクに反論する。

 確かに俺はクルスに厳しくは当たっていない。


 お金に余裕を持たせる為に午前中は迷宮に潜り、午後からは図書館で文献に当たる生活を俺達は送っており、その午後からの地道な作業に図書館に入る資格でもある第二種学生証を持たないクルスが参加出来なかったにも関わらず……だ。



「何事にも向き、不向きがあるからね。クルスは俺に教えられていても真剣だし、それに……彼女は時間を無駄にしていない」

 


 その理由にはこの街での目的である人物の面会するには、半年の滞在期間がそもそも必要だったことや、図書館でクルスが活躍できるとは全く思わなかったという事情もあるが、それ以上にゼムドと共に隈なく街の名所を歩き回ってくれていたことも大きい。


 俺達が文献に当たっている間、クルスは生のローウェルを見てくれたのだ。

 彼女の視点を通したローウェルの話は俺には興味深いものだった。


 それはある意味では俺とクルス共通の本来の旅の目的、即ち『世界を見て廻る』ことでもある。そして、もう一つ。



「俺は聞きたいんだけど、ウルク。君は本当にそれでいいのか?」

「うっ!」



 彼もそれほど本気ではないのだと知っていながら、俺は意味深な笑みを浮かべた。

 古今東西変わらず、クルスの持っている技術は大切なものだ。


 彼女はそれをこの半年でしっかりと磨いている。


 クルスは意味が分かっていないのか俯いたまま俺を見ていたが、気付いているウルクには効果があったようだった。即ち。



「クルス、ウルクは家事を自分で全部やるらしいよ」

「わかった。明日からウルクだけ調理無しの保存食」



 昏い瞳のクルスが地獄から絞り出したような低い声色でボソッと呟く。

 重苦しいその言葉には殺意すら込められていた。


 真面目に四則演算やローウェンの歴史、漢字などを勉強していたにも関わらず、一月に一度しかない試験に何度も落ちたことを彼女も気にしていたようで、からかっているのが明白なウルクには相当腹を立てていたようだ。



「いやいや、冗談すよ! 合格祝いにパーッとやるっすよ! ね、ね?」



 ウルクは一瞬も迷わず、慌てて白旗を上げた。

 今の彼にはクルスの背後に死神が見えているに違いない。


 ようするに何時の時代も胃袋を握っている者は強いのだ。


 俺がマイスと共に旅立った後の半年間、故郷で薬草学の師匠と結婚したエリー姉さんから指導を受けた彼女は再会した頃には家事全般を高いレベルでこなせるようになっていた。


 クルスの『呪い付き』としての特殊技能である天賦の才は戦闘以外には効果が無いため、相当苦労して身に付けたであろうその技能は旅の最中でも非常に役立っている。


 その腕前は偏食家であり、彼女を殺したい程に心の底から嫌っているらしいアリスですら、



「料理を恨むのは滑稽ね」



と、悔しそうに独白し、食事の時だけはクルスを敵視しなかった程である。


 彼女の手に掛かれば味気のない保存食も、真っ当に食べられるようになるのだから不思議だった。当然俺の料理の腕は彼女に足元も及ばない。



「マリアの訓練より残酷だった」



 そう遠い目をして真顔で語っていたクルスの言葉に偽りはなさそうだ。

 そうでなければ買い物の時に、唸りながら野菜の鮮度を考えることなどないだろう。


 天才的な剣技の冴えからは想像もできない所帯じみた一面を、彼女は持ち合わせている。


 そして、学問好きなこの街の食堂では食べ物も斜め上に進化した実験的なものが多く、まともな食生活を送ろうと思えば自炊は必須であった。



「ま、まあ、何はともあれこれで条件は満たしたっすね」



 掃除の行き届いた図書館の中を歩きながら、ウルクは話題を逸らす。

 クルスはまだ不服そうにウルクを睨んでいたが、シーリアが苦笑いしながら彼女の耳元で何かを呟くと不承不承といった面持ちで頷いていた。


 この二人は急速に仲良くなっている。

 何を言ったかは知らないが、良いことだ。



「半年の滞在。迷宮の二階層突破。全員の第二種学生証の取得。バッチリっす」

「ミリーティア・ローウェンか。エルフには驚くよ。本当に」



 指を追って条件を数えたウルクに俺は頷く。

 驚いたことに初代都市長の妻であった彼女は八百年が経過した今も存命であり、ローウェンの中央部の邸宅で暮らしていた。


 彼女は子孫である都市長一族とも距離を置いており、政治的には忘れ去られた存在だったが、学生達にとっては生きた伝説であるため、非常に大切にされている。


 彼女の護衛も寄付で賄われているくらいに。

 ただし、彼女自身も卓抜した精霊使いらしく、護衛はいらない強さらしいが。


 彼女は旅人には条件を付けた上で面会の希望に応えている。

 その理由はわからないが、それは会って確かめればいい。



 俺達はこの日、クルスが第二種学生証の試験に合格した翌日にミリーティア・ローウェンに面会を希望する旨を彼女の護衛に届けた。


 そして、一週間後。

 俺達は生きた歴史と言うべき彼女との面会の機会を得る。


 この時、俺は運良く情報が得られればいいと気楽に考えていた。



 彼女────ミリーティア・ローウェンとの出会いと彼女からの意外な依頼が、俺自身の傷跡を深く抉ることになるとも知らずに。





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