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プロローグ 懐かしい記憶




 夢の中で眠っている自分を認識している。

 意識は暗闇で包まれているのに……不思議だ。


 我が事ながら意味がわからない状態である。


 過去の夢がまた始まるのかもしれない。

 乗り越えた、気にしないと誓っていてもこうして夢に見るのは俺に未練が残っているからなのだろうか。それとも他に何か意味があるのか。


 ただ、以前とは大きく違う点もある。

 以前は刺されるばかりだった夢が、最近では出てくる場面の種類が増えているのだ。



(さて、今回はどんな過去なのかな)



 半ば他人事のように俺は始まりを待つ。

 夢の中の『俺』の意識が覚醒に近付いているらしい。僅かに瞼が明るくなっている。


 眼を開くと視界には程々に灰色がかった白い壁紙。

 親から引き継いだ使い古された小さい、それでいて作りの良い木製の机が部屋の端に置かれており、その近くには本棚が配置されている。


 机と反対側に置かれたテレビの台の中には当時の最新ゲーム機が入っていた。

 窓は北側と東側に付いているが、朝日はまだ部屋に差し込んでいない。


 六畳ほどの整理されたワンルーム。

 よく覚えている。大学時代の俺の部屋だ。


 冬だろうか。外はまだ薄暗い。

 潜っていた厚い布団から俺は顔を出すと、虎の目覚ましが鳴る前に止める。



「寒……くない? 暖房切り忘れたか……」



 六時。いつも通り。

 生暖かい空気の中でも体内時計は狂わないものらしい。


 今もそうだが、俺は前世でも朝は強かった。夢の中の『俺』はすぐに頭をはっきりさせると…………ああ、この日だったか。


 よくこの時『俺』は声をあげなかったものだと思う。



「何をしているんだ?」

「じー」



 ベッドの端を掴んで顎を載せ、わざとらしい擬音語を口にしながらこちらを至近距離から見詰めている童顔の後輩を、俺は軽く睨む。


 だが、何故か卒業した高校のセーラー服に身を包んでいた彼女は、悪びれる様子もなく、そのままの体勢で「ぬふふ」と変な笑い声を出した。



「ロマンです」

「不法侵入がか?」

「あんな鍵無いのと同じじゃないですか」



 針金を薄い胸元から取り出し、後輩は自慢げに笑う。

 こんな犯罪技、一体何処で身につけたのだろうか。



「次からは鎖を掛けるよ」

「やめてください。お願いします」



 慌ててぺこぺこ頭を下げるまるで小動物のような後輩は、普段の口数はそれほど多く無いのだが時折意味のわからない奇行をする。

 夢の中の『俺』は彼女の意図が理解出来ず、真剣に困惑して頭を掻いていた。



「俺にも理解できるように言ってくれ」

「美しい後輩に優しく起こされる。王道です。あ、もう一度眼を瞑ってくれませんか? 先輩の寝顔が可愛すぎたせいで起こしそびれました。減点です」

「俺が悪いのか」



 後輩は偉そうに大きく頷く。



「はい。罰として、先輩は私の手作りの朝食をモリモリ食べて、今日も私と一緒に楽しく大学に行かねばなりません」

「結局のところそれか。俺と一緒にいると無駄に敵を増やすから止めておけ」



 大学二年生の冬。俺は既に幼馴染に振られ、貶められ、周囲から孤立していた。

 味方は朝っぱらから部屋に入り込んでいるこの変な後輩以外にはいない。そして、当時の俺にとって彼女は無条件で護るべき大切な相手だった。


 いや、最後の拠り所だったのかもしれない。

 俺は当時、彼女を遠ざけようと努力していたが、彼女のためというよりは彼女にまで敵に回って欲しくないという逃げの気持ちもあったのだろうと思う。


 後輩は意外と人をよく見ていた。

 『俺』の心などお見通しだったに違いない。


 彼女は悪そうな笑みを浮かべると勢い良く『俺』の胸に飛び乗った。



「ごほっ!」



 何を……という言葉はかろうじて飲み込んでいた。

 この時の『俺』は彼女の瞳に圧倒されたのだ。そして、今の俺も。



「私の先輩への感謝は海よりも深いのです。先輩を裏切るくらいなら、私は死にます」



 冗談めかしたその言葉に秘められた重い感情は、どれ程軽い口調で覆い隠していても、鈍い俺にすら伝わっていたのだ。

 今の俺も、見下ろして笑みを浮かべている彼女の言葉が本気でないとは疑わない。


 情けない当時の俺を、彼女は深く愛してくれていた。

 子供のように無邪気で、時折そこらの大人よりも大人びて見える不思議な後輩は、見返りを求める事もなく、ただ『俺』の為に道化に徹してくれている。


 朝の弱い幼馴染を起こすのは子供の頃からの長年に渡る習慣だった。

 仕方ないと呟きつつ、『俺』は毎朝喜んで彼女を起こしていたのだ。


 徹底的に突き落とされたこの時でさえ、夢遊病のように起こしに行こうと思い立つことがあり、我に返っては自己嫌悪で心が押し潰されていた。


 今思えば後輩はそのことを知っていたのだろう。

 後輩はそうやって幼馴染の残した深い傷跡を一つ一つ、丁寧に埋めてくれた。


 俺の前世は辛いことが多かった。

 だけど、それだけではなかったのだ。


 後輩と過ごした日々は、本当に楽しかったのだから。



 辛いことを乗り越えるのは難しくない。

 我慢強さは俺の数少ない特技だ。



 だが、全てを乗り越えるには楽しいことをも忘れなければならないのだろうか?




 夢は俺が諦めて溜息を吐いたところで終わる。

 意識が浮上し、夢と同じように瞼の裏が明るくなった。今度こそ本当の朝のようだ。


 だが、いつもとは違う。

 ローウェンの朝はこれ程明るくはないはず。


 目を閉じながら深呼吸をして、右手に用意してあるモノを掴む。

 拘束はされていない。俺はいつでも飛びかかれるように身体に力を込めた。



「起きたわね」



 耳元で囁かれた鈴が鳴るような硬質の声に俺は身体を震わせる。

 傍にいるのは想定外の相手だ。


 彼女が用事も無しに俺の部屋に来ることはない。少なくともローウェンに到着してからの半年間でそんなことは一度もなかった。


 俺は狸寝入りを取りやめて目を開く。

 部屋は魔法の光で照らされていた。



「アリス。何をしているんだ?」

「油断していないか確認しただけ。ベッドに短剣を仕込んで、即座に戦える姿勢に入るなんて……腑抜けてはいないようね」

「いや、そうではなく」



 俺は褒められていいはずだ。

 思いの外近い距離に……お互いの息が掛かるくらいの所にアリスの精巧な人形のように整った顔があったのに、驚きの声を押し殺す事に成功したのだから。


 もし、隣の部屋で眠るクルスやシーリアが今の光景を見ていたらどんな反応をするのか想像も付かない。同室のウルクは……まあ、早々起きないだろうが。



「何故、俺の毛布を捲っているのか聞きたいんだけど」



 死んだ魚のように光の無いアリスの瞳と視線が絡み合う。

 至近距離から声が聞こえたのも当前だ。彼女は無表情のままベッドの端に乗り、両手で俺の毛布を捲っていたのだから。


 しばらくアリスは沈黙していたが、思い出したように毛布を綺麗に俺の身体に掛け直す。

 そして考え込んだ後、ベッドから降りて小首を傾げ、ボソッと呟いた。



「……様式美?」

「何処の様式だよ」



 俺も気まずかったが彼女も気まずかったらしく、珍しく視線を逸している。

 結局何がしたかったのか。


 俺は苦笑いして身体を起こす。

 今日のおかしな夢はどうやら彼女のせいらしい。



「それで要件は? 何があった?」



 聞きたかったのは同室のゼムドを放置してこちらの部屋に来た理由。

 彼女は基本的に無駄な事はしない。無意味な行動の裏にも何かしらの意味を持たせている。



「ええ、とても重要な要件があるの」



 予想通り、アリスは俺を嘲るように口の端を僅かに上げた。

 俺は緊張しながら彼女の答えを待つ。



「朝食が出来たわ」

「そいつは重要だね」



 どうやら今回は例外だったようだ。

 落ち着かない胸のざわめきを誤魔化すように俺は頭を掻き、そんな俺を見ていたアリスは小さく喉を鳴らして笑っていた。


 彼女は相変わらず邪悪である。




 ヴェイス商国から学術都市ローウェンへと無事辿り着いた俺達は、聖輝石のことや、恩人であるラキシスさんの故郷であるザーンベルツ大森林の情報を得るために、この都市の『学生』となっていた。


 そして、早々と半年以上の時が流れている。


 幸いに金銭に困ることはない。

 前回の報酬はかなりのものであったし、俺が道々で収集し、調合した薬も高値で売れている。


 また、『学生』だけが利用できる迷宮もあり、稼ぐだけでなく、腕を磨くことも出来た。学問の都市と名乗るだけあって魔術の研究も進んでおり、シーリアやアリスの魔法の効率化も順調らしい。


 滞在が長期に渡っているのはそのような便利さも理由の一つだが、何よりヴェイス商国で散々苦しんだシーリアへの偏見がローウェンには無く、非常に住みよい環境であることも大きかった。


 学術都市ローウェンの住人にとっては学問とその実践こそが全てであり、種族などどうでもいいのである。


 しかし、長期滞在の直接の理由は他にもあった。


 この都市の最重要人物の一人であり、俺達が求めるあらゆる情報に通じているかもしれない女性が、面会を希望するならまず半年はこの街で過ごすようにと門番を通じて俺達に告げたのだ。



 その人物の正体は初代都市長、『楽天王』ローウェンの妻。

 八百年もの時を学術都市と共に歩んできた歴史の生き証人であるエルフ。


 ミリーティア・ローウェンの趣味は旅人に試練を与えることだった。

 俺達は今、生に倦んだ彼女の遊び相手を勤めている────。




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