第二十八話 惜別と有難くもない再会
翌日は雲ひとつ無い晴天だった。
幸いとは言い難い。曇りくらいの方が旅はしやすいからだ。
とはいえ、乾季と雨季がはっきりとしているこの地方ではこの時期に曇ることはない。だからなるべく気温が上がる前の早朝に出発したかったのだが……。
頭を空にして眠れたお陰かすっきりと眼が醒めた俺は苦笑いして頭を掻きながら、呆れた様子で顔をしかめているゼムドの隣に立っている。
「お主らは何をやっとるんじゃ。はしたない!」
「聞かないで、喋らないで。頭に響く」
女性陣の部屋は酷い有様になっていた。
部屋は嵐の後のような有様で酒瓶は転がり、つまみがあちこちに散乱している。
シーリアは酒瓶を掴んだまま伸びており、クルスも服がめくれてお腹と下着が見えるだらしのない格好で、大の字になって眠っていた。
折角の可愛らしさも色々と台無しである。
唯一目を覚まして床の上で呻きながら横になっていたボロボロのアリスは、憎悪の視線を気持ちよさそうに眠っているクルスに向けると、這うようにしてベッドまで移動して枕を掴み、彼女に向かって投げつけていた。
何故か女性陣が二日酔いになっていたため、昼頃にハールマンの館を辞去した俺達は、ヴェイス商国の迷宮都市シェルバを経由し、評議員であるエルドスが居る首都、ヴァルヌークへと向かう前に、迂回してエーリディー湖に接している貿易港、クラウリディへと向かった。
その際、シェルバに入る前にゼムドとアリスとは別れている。
別れ際にアリスは俺にエルドスとの交渉時の注意点を助言し、
「きっと、『また』厄介事に巻き込まれるけど、死なないように」
と、目を細めて薄く微笑んでいた。
前よりも少しだけ自然に。からかうように。
旅の最中では幼いガルムを、さり気なく気遣っていた。
何を考えているのか全く理解出来ない不可思議な女性だが、冷たいばかりではないようだ。
近々再会することになるはずだが、その時は味方だろうか。敵だろうか。
時間を掛けてでもヴァルヌークを迂回してクラウリディへと向かったのは、ガルムを水の神殿に預けるためだ。
俺達の母国であるピアース王国のエールほどではないが、クラウリディの水の神殿も湖のもたらす莫大な恵み相応の力を持っている。
俺達はウルクの上司である神官、カリフの伝手を使い、水の神殿の力でピアース王国へとガルムを出国させ、エールにある元はウルクも働いていた孤児院に預けることに決めていた。
あそこであれば自力で学ぶことも出来るし、獣人への差別も少ない。エールの神殿の幹部を務めるあの食えない大男ならガルムを護りきる状況を作ってくれるだろう。
後は彼自身が良い未来を掴むことが出来るかどうかだ。
途中で放り出すようで無責任かもしれないが、これが俺に出来る精一杯である。
ガルム本人とも話合いは済んでいた。
彼にも葛藤があっただろう。それでもガルムは全てを受け入れた。十歳前後の幼さなのに、涙も堪えて必死に我慢したのだ。正直、大したものだと思う。
「一人じゃないから大丈夫。僕は沢山努力してケイト達よりも賢くなって、強くなるよ」
「ふふふ、心配不要。下僕一号には吾輩がついておるからな」
ガルムは少年らしい爽やかな笑顔で、力強く胸を張ってそう言った。初めて会った頃に比べれば、彼は本当に明るくなったとように見える。
そんな少年の頭の上では羽の生えたヨーキーが得意げに腕を組んでふんぞり返っていた。
「頼りにしてるよ。アルト」
「任せておくがいい。数百年生きておる吾輩の人生経験があれば、どのような難問もこうだ!」
シュッシュッ! とガルムの頭の上で彼は殴る真似をする……数百年も生きていたのか……いちいち大袈裟な彼のことだから、大分盛ってそうだが……。
プーク族のアルトはガルムと共にエールに向かうことにしたらしい。
『面白そうだからな!』と彼は言っていたが、その時の照れ臭そうな表情を見れば、単純にガルムが心配で助けになりたかったのだろう。
「ガルム、強くなれ。素質ある」
「元気でね。あんたなら大丈夫。私が保証してあげるわ」
「次会った時は女の子の口説き方を教えてあげるっすよ」
クルスとシーリアとウルクがそれぞれの想いを込めて、ガルムを激励した。クルスはいつもと変わらない表情だが、シーリアは僅かに涙を端に浮かべている。ウルクは何だか楽しそうだ。
「この旅の事、僕は一生忘れないよ。ケイト達も元気でっ!」
「俺も忘れない。いつかまた会おう」
最後に、俺はガルムと握手をしっかりと交わす。
命懸けの戦いを一緒にくぐり抜けた小さな戦友に、俺はしばしの別れを告げた。
別れがあれば再会もある。
最もそれほど望んだ再会ではなかったが。
商隊の護衛を勤めて小金を稼ぎながら、俺達は再びヴェイス商国の首都、ヴァルヌークへと足を運ぶ。この街からは早く立ち去れるように、クラウリディで準備は整えてあった。
正直何が起きるか予想が付かないからだ。
警戒しすぎかもしれないが用心に越したことはない。
(さてさて、相手はどう出てくるか)
俺達が寄り道したことは間違いなくばれているだろう。
その件に関しては後暗いことは何もないが、『リブレイス』の二人との接触の方は依頼主である評議員、エルドスはどう判断するのか。
俺達は以前も使ったヴァルヌークの砂風亭で二日間休養を取り、完全に長旅の疲労を抜いた。
ゼムドとアリスもこの街にいるらしい。接触は避けていたが、俺の能力の範囲内にわざと入って存在だけは示していた。
意図はわからない。気を付けろということだろうか。
エルドスの館を訪れた俺達は、今度も武器を取り上げられることは無かった。だが、館の護衛らしき反応の数は、前回の倍以上に増えている。
緊張する……警戒されているようだ。
(当然か)
俺は小さく溜息を吐いた。
俺達がリブレイスの力を借りたことは伝わっているはず。
俺達の前に彼が送ったこの国の探索者はリブレイスに殺されているのだ。警戒しない方がおかしい。
「お待ちしておりました。ケイト・アルティア殿」
応接室には白い礼装を着こなした褐色の肌の若い商人、エルドスが席に座って待っていた。
そして、俺達が部屋に入ると席から立ち、深々と一礼する。
報告はある程度受けているはずだが、目の前の細身の商人の態度は表面的には変わらず友好的な笑みを浮かべており、自信に溢れ、一つ一つの所作が洗練されている。
だが、それらは全て上辺だけだ。
その瞳は冷え切っており、俺達への疑念が渦巻いている。
「ご依頼の調査の報告に参りました」
エルドスは口元だけは自信に満ちた笑みを浮かべて頷く。
丁寧だが傲慢。圧倒的な強者としての自信がエルドスからは伺える。
俺は彼に飲まれないように意思を強く持ち、真っ直ぐに彼と視線を交わした。
「ガラル火山は如何でしたか?」
「報告書は用意してあります。調査に関しては学者ではないので完璧とは言いませんが、冒険者として出来ることはやったつもりです。これ以上はエルドス評議員も期待されてはいないでしょう」
再び席に着き、問い掛けてきたエルドスの前に、俺は意図的に重要なことを省いた十数枚の報告書を提出した。同時に書類を取り出すために鞄を探り、視線をエルドスから外しながら能力を数秒だけ発動させる。
(やはり、嘘を見抜く魔法の道具は用意されているか)
事前にアリスから名称を聞いていた魔法の道具の存在。俺はそれを把握し、用心するように気持ちを引き締めなおす。
一つのミスが俺だけでなく、仲間を危険に晒すことになるのだ。
アリエルやガランドフレイのこと、そして何よりも聖輝石のことはエルドスに知られる訳にはいかない。
報告の殆どを紙媒体にしたのも、可能な限り話さなくても済むようにだ。
交渉は苦手だが、ウルクには頼れない。
エルドスは先の『アリコルドの協定』のお蔭でクラウリディにおいても大きな力を持っており、水の神殿とは微妙な関係にある。彼がどんな圧力を掛け、ウルクの動揺を誘ってくるか想像もつかない。
目の前の強敵の相手は自分でするしかないのだ。
組織へのしがらみのない俺自身が。
「結論から言えば火山は噴火します」
「ほぅ……」
切り出した俺の言葉に興味深そうにエルドスは眼を細めた。
静かな佇まいの中にも圧力を感じさせる。三十代で評議員という要職に付いているだけあって、彼の纏う空気はハールマンとは明らかに格が違う。
感じるのは剣の達人を前にした時とは違う、粘りつくような重圧だ。
「何故か説明出来ますか?」
「炎の精霊が異常に活発化しています。頂上付近では狂った中位精霊とも戦いました」
「中位精霊……」
癖なのかエルドスは数度、手の指で膝を数度叩く。
言葉を吟味し、真剣な表情で続けた。
「それ以上の精霊とは? 例えば上位精霊のような……」
エルドスは疑問を投げ掛けるように質問し、俺は彼が全てを言い終える前に、続く言葉をさり気なく防ぐように答える。
「そうですね…………上位精霊とは戦っていません。少なくとも現時点ではガラル火山に上位精霊は存在しません」
考え込むようにゆっくりと。
俺はエルドスと視線を合わせて言い切った。
相手も俺の真意を図るようにジッと見詰める。嘘は言っていない。
戦ってはいないし、『現時点』では上位精霊は存在しない。
エルドスの指輪から魔法の道具に魔力の紐が伸びている。嘘がないことに驚いているのだろうか。指の動きが早まっている。
「中位精霊くらいでは噴火は……」
「はい。数年は大丈夫でしょう。避難計画を立てる時間は存在します。幸いに」
戸惑っている様子のエルドスに、俺は最後の言葉に力を込めて作り笑いを向けた。彼は俺に憎悪の視線を一瞬だけ向けたが、直ぐに繕って大きな身振りをしながら笑う。
「ははは、なるほど! 私の取り越し苦労でしたか」
「いえ、将来の厄災の芽に備える心は為政者として、素晴らしいことだと思います」
「商人としては三流ですがね。やはり未熟だ。私は」
顔を抑えてエルドスは天を仰ぐ真似をしていた。
「それに比べて貴方達は素晴らしい探索者だ」
「俺達などまだまだです」
「いや、いや……謙遜の必要はないよ。流石はあのディラス帝国の大商人ジューダス・レイトが『原石』だと認めるだけはある」
顔色の変化を俺は隠せただろうか。
穀物の取引やガラル火山への過剰な警戒から、彼らにある程度の繋がりがあることは予測できていた。それなのに、不意を突かれた気分だ。
ただ、勝ち誇った笑みを浮かべながら、その名を出した意図は見えない。
「しかし、君はまだ……」
口の端を上げ、エルドスは立ち上がる。
そして、何かを言おうとしたが……慌てた様子で部屋の中にエルドスの秘書、確かリイザとか言ったか……知的なイメージの女性が部屋に突然駆け込んで来て、エルドスに耳打ちをした。
瞬間、エルドスの表情に余裕が無くなる。
「やってくれる……狂人が……どうするか……」
小声で憎々しげに彼がそう呟くのが俺には聞こえた。
だが、彼は直ぐに切り替えたのか、俺に頭を深々と下げる。ただ、俺に対する興味、執着が一瞬の内に醒めたような、そんな感覚を俺は受けていた。
「申し訳ありません。ケイト殿と楽しい話を続けたかったのですが、事情が変わりました。約束の報酬は此方のリイザから受け取ってください」
「わかりました。任務は達成ということでよろしいですか?」
「当然です。十分だと私は判断しております。また、機会があれば依頼したいくらいですね」
頭を上げた後の彼には商人としての社交辞令の笑み以外、浮かんではいない。
俺達とのことよりも重大な何かが起きたのだろう。
それが何かまでは俺にもわからないが、ガラル火山の報告を受けても余裕を崩さなかったエルドスが、取り繕うことも出来ていない。その表情には明らかに焦りの色が浮かんでいた。
この場に長居したくない俺達には有難いことに。
しかし、幸運で窮地を乗り切ったような後味の悪さを俺に残して。
エルドスは部屋からそのまま立ち去ろうとしたが、扉の前で振り返った。
「そうだ。ケイト殿。貴方と『リブレイス』の関係を聞いても宜しいでしょうか?」
「敵です」
間髪入れずに俺は断言する。
本当はそんな単純な関係ではないが、これも嘘ではない。
事実、エーリディ湖でもガラル火山でも、俺はジューダスの思惑を潰している。
「なるほど……いや、そういうことか。冒険者でありながらこの歳で……私としたことが過信しましたかね……まあいい、信じましょう。ケイト殿、良い旅を」
エルドスは意外そうな顔をしていたが、苦笑いしながら小さく首を横に振ってそう呟き、戦場に向かうかのような真剣な表情で部屋から立ち去っていった。
エルドスの館を出ると、仲間達は首を回したりして身体を伸ばしていた。
皆、緊張して聞いていたのかもしれない。
「意味不明」
一番疲れきった表情を見せているクルスが力無くポツリと呟く。
いつも真っ正直に生きている彼女にとって、あんな誤魔化し合いは理解しがたいものなのかもしれない。俺もその方が楽でいいのだが。
「ケイトがあんな言い回しをしたってことは、嘘を見抜く道具があったってことすよ。まあ、高価とはいえ、ポピュラーな道具だしあって普通なんすけど」
「嘘ではないけど、本当ではない言葉には無力……ね」
ウルクが肩を回しながらクルスに答え、シーリアが淡々とした口調で引き継ぐ。
「でも、あいつも最後は気付いていたわね」
「俺が若いから油断してくれたんだよ。そうでなければ、『石』のことまで吐かされたかもしれない。何か知っていそうだったし……二度と会いたくないね」
どこか楽しそうなシーリアに俺は苦笑いしてそう答えた。
交渉の実力差があり過ぎて、これ以上の意趣返しなど到底俺には出来そうにない。今回逃げ切れたのは、能力である意味不意打ちした御蔭だ。
「行けない国が増えるわね。ディラス帝国にヴェイス商国と」
「気持ち悪い」
冗談めかして笑ったシーリアと同じタイミングでクルスは呟く。
自分に言ったとシーリアは思ったらしいが、彼女の視線は僅かにシーリアを逸れていた。
「何よ?」
「シーリア。そのまま。ケイト……あいつの差し金?」
歩みを止めずにクルスは俺に小声で確認を取る。
大通りを歩く俺達を監視する視線。
普通に生活をしている中で自然と向けられている敵意の篭らない視線……多すぎてそれが当たり前のことに思え、逆に俺が気付けなかったその異常さをクルスは獣並の感覚で感じ取ったらしい。
此方を伺う者達は獣人では無く人間。男性、女性、商人らしき者に芸人らしき一座、鎧姿、無数の住民がさり気なく此方を伺っている。
ヴェイス商国の探索者風の格好の者も中には混ざっていた。
まるでヴァルヌーク中の住民が敵に回ったような不快というよりは、落ち着かない感覚。本当は極一部なのだが、それでもとんでもない数が俺達を見張っている。
クルスは何時でも剣を抜ける体勢を取っていた。
そんな中、俺はクルスの頭をぽんぽんと二度軽く叩いて、リラックスするように耳元で囁き、俺自身も怪しまれないように自然体を意識して歩く。
「どうだろうかね」
知りすぎた者の強引な暗殺か。もしくは、冤罪を仕掛けての捕縛か。リブレイスの刺客の線も考えられる。可能性としてはどれも有り得ないことではない。
人の波に紛れている間は安全だろうが……。
「おっと! 気を付けろ!」
俺が表情を変えないように注意しつつ対処を考えていた時、小さな身体が俺にぶつかり、その持ち主が大声で怒鳴る。
避けられなかったわけではない。人通りは激しいが、道には十分な広さがある。
それでもわざと体当たりを受けたのは、相手が顔見知りだったからだ。
「よぉ。久々だなぁ。気前の良い兄ちゃん。代金分の仕事はしたぜ」
わざとらしく転けたフードを被ったリブレイスの伝令役らしい男装の少女は、俺を見上げるなりニヤリと強かさそうな笑みを浮かべる。俺のポケットには手紙が入れられていた。
「ご苦労様」
「今回は金はいいぜ。兄ちゃんのお蔭で重要任務を任されたからな」
「そうか。気をつけて」
「へへっ! そっちこそな」
偉そうに少しの間胸を張り、じゃな! と小さく、しかし、元気良く手を振って幼い獣人の少女は走り去っていく。
重要任務ということにどうやら彼女は誇りを持っているようだった。どんな仕事かはわからないが、彼女が上手くやることを俺は祈った。
手紙の内容は単純なものだ。
”西部、大通りに接した建物の地下から脱出する”
ゼムドからの伝言。建物の指定はない。
恐らく能力で彼とアリスを探せということだろう。
二人は状況を把握していると思っていい。
俺は眼を閉じた。
彼らが裏切っている可能性も僅かに脳裏を過ぎったが、ゼムドが現時点で俺を狙う理由は無い。アリスも今のところは大丈夫な気がする。
ゼムドは『石』を恐れているし、アリスは『姫』の直接指揮下にあり、手出しをせず監視することが役割となっている。それは嘘ではなさそうだ。
監視者の殆どが人間であることからも、黒幕の正体は異種族を主体とするリブレイスよりもエルドスの可能性の方が高い。
それに、俺達を嵌める気ならもっと前に上手くやっているはず。
アリスが何を狙っているのか理解は出来ないが、旅の最中の態度を考えると、まだ、敵対するほど利害は離れてはいないのではないだろうか。
「状況が見えない今は従うのが利口か」
群衆に紛れた誰だかの手先達は大通りで襲おうとする気はないらしい。
ヴェイス商国の評議員も一枚岩ではなさそうだし、大っぴらな司法権の乱用までは難しいのだろうか。俺は小声で手紙の内容を仲間に伝え、ゼムドとアリスの反応を探りながら歩き続けた。