第二十七話 悩む帰路
ガラル火山から下山しながら、俺は今後の方針について考えていた。
俺達の目の前には無数の選択肢が存在しているが、その全てを考えようとすれば思考の泥沼に嵌ってしまうのは避けられない。
一つ一つの選択肢が今後に与える影響が、どう考えても大きすぎるのである。
だから、俺は考えなければならないことをある程度優先順位を付け、単純化した。
仲間との話合いはアリスとゼムドには聞かせたくないため、後になるが……。
帰路は何事もなく、余裕を持って下山することが出来た。
そして、俺達は麓の作物商であるハールマンの館で旅の汚れを落とし、疲れを癒すために一泊し、彼にガルムの引渡しの契約書を書かせている。
交渉はウルクの担当だ。俺は彼の隣で置物になり、ハールマンの様子を伺っている。
「いやぁ、あの少年は実に役に立ったなぁ。『色々』教えてくれましたし。このまま、うちに欲しいくらいなんすよ」
「ははは。それは何よりで」
「彼がいなければ自分達も帰れなくなったかもしれないっすね。恩人っすよ」
帰還時には大喜びで俺達を迎え、ウルクの話も嬉しそうに聞いていたハールマンも、この話に内容が及ぶと僅かに苦渋の表情を見せていた。彼はウルクが言いたいことを理解したはずだ。
情報を意図的に隠したことは見逃す。代わりにガルムを寄越せ。そういうことだ。
まるで恐喝紛いなやり方だが、俺達を意図的に捨て駒にしようとした連中に遠慮する必要性を、俺は全く感じることは無かった。
ハールマンにとって俺達の依頼は立場上は無関係である。食料と水の援助は行なっており、情報を隠したからといって非難を受ける筋合いはない。
ガルムは安い奴隷だろうが、表情を見る限り、無駄に財産を引き渡すことを嫌ったのだろう。
「しかしですなぁ」
断る、もしくは対価を吹っ掛けることは簡単だ。ただ、そのために発生するリスクを彼は考えている。
有力な評議員であるエルドスとの関係、ウルクの所属している水の神殿との関係、俺達自身にやる気はないが、実力行使をされることも計算に入れているはずだ。
俺はある程度はそれを狙って武器を携えて交渉に望んでいるし、隣室にハールマンの護衛が待機していることも確認している。
だが、その護衛達は全滅した二組の冒険者がハールマンの財産に傷を付けることを防げなかった連中だ。まさか、あの火山から生還した俺達を止められるとは彼も考えていないだろう。
それ以上にアリスとゼムド、即ちリブレイスが俺達に協力していることも、腕利きの商人である彼をして、判断を迷わせている原因なのかもしれない。
「わかりました。こちらとしても必要な働き手なのですが、そういうことであれば仕方ありませんな。あの少年のことは忘れましょう」
「お、本当っすか! いやー言ってみるもんすね」
「ははは。優秀な冒険者の方と繋がりを作れると思えば安い投資です」
一見無邪気なウルクの喜びに、ハールマンは温厚そうな笑みを浮かべていたが、内心は腸が煮えくり返っているに違いない。ただ、それを自分の儲けに繋げようとしている強かな意思も感じる。
商人の世界というのも中々シビアなようだ。
「依頼主には本当に世話になったって伝えておくっす」
「いやいや、大したことはしておりませんよ」
「本当にすまないっすね。今回の件も依頼人に伝えるまで教えられないし、ハールマンさんには何も返せないんで、心が痛いすよ」
ウルクがあからさまな演技で大げさに落ち込む振りをして、俺は吹き出しそうになるのを我慢させられた。彼に対する意趣返しはこんなもので十分だろう。
彼が直接俺達にしたことは危険な情報を隠していたことだけだから。エルドスに逆らえないであろう彼の立場を考えれば、仕方がないところもある。
彼の奴隷への横暴もこの国では一般的なもので、断罪しなければと正義を振りかざす気も俺には無い。殆どのヴェイス商人にとっては奴隷はただの『商品』なのだ。
そんなことをする奴は人間としては嫌いだが、それはあくまで俺個人としての想いである。
「一番ハールマンさんは影響を受けるからなぁ。自分も教えたいんすけど」
ハールマンは休んでいる一日の逗留中、あらゆる手段で俺達からガラル火山の情報を聞き出そうとした。だが、俺達はその情報を秘匿している。
契約上はそんな縛りは無いのだが、ウルクは悪そうな笑顔を浮かべながら、そうするべきだと主張した。情報はそうやって価値を上げるのだと。
「ま、エルドス評議員からきちんと聞く時間は間違いなくあるっすから、申し訳ないけどそれで対処も考えてください。いやー、本当に申し訳ない!」
「なるほど。いやぁ、仕方がありませんよ。冒険者は信用が第一ですから。商人も同じなのですが。若いが貴方達は本当にしっかりした冒険者ですなあ」
「うしし、いやいや、それほどでもないっすよ!」
これが落としどころなのだろう。ウルクは恨みを残さないよう、ガルムの対価を支払ったのだ。『聞いてから対処を考える時間は間違いなくある』『対処はしなければならない』という情報を与えることで。
一瞬、テーブルに置かれたハールマン手が強く握られたのが、俺にはわかった。ウルクの言葉の意図を彼は正確に受け取っている。
「それでは私は契約書を用意してきます。こういうことは早い方がいいですからな」
ウルクのやり口が回りくどいのは、ハールマンの護衛にエルドスの手の者が混ざっている可能性を考慮に入れているかららしい。
ハールマン自身は以前、ガラル火山の異常について、気にしていない素振りを見せていたが本当は不安と恐怖を感じていたのだ。まあ、噴火すれば無一文になる可能性もあるのだから当然だとは言える。
それにしてもウルクは今、水を得た魚のように活き活きしているが、こういうやり取りを覚えるまでには相応の苦労をしたのではないだろうか。
「いやー、やったすね……怖い顔で固まってるんで、揉んだ方がいいすよ?」
「いいもの見せてもらったよ。俺だと足元を見られていた」
「神託の従者の仕事は出来たっすかね」
強ばった顔の筋肉を解しながら、素直に心から賞賛した俺に、ウルクは照れ臭そうに頬を掻いていた。
ウルクは見た目は若いが、年齢は二つの生を足した俺と変わらない。
水の神殿で孤児の為に奔走する前は冒険者をしていたそうだが、どんな旅を経験したのか。それでもなお、お人好しさと明るさを失わないのは凄いことなのかもしれない。
その夜、ウルクは火山に発つ前に一悶着あったメイドの少女を今度は自分からきちんと口説いて約束し、充てがわれた部屋から消えていった。恋人は今までいたことがないとか全力で主張していた気がするが、よくわからない男である。
彼なりのルールでもあるのかもしれない。
「ついでに仕上げをしてくるっすよ。あ、怖い女性陣には内密に……」
と、いつもの笑みを浮かべて拝んでいたから何かするつもりなのだろう。この状況でハールマンが俺達をどうこうするとも思えないし、俺は苦笑いしながらも、心底嬉しそうなウルクを送り出していた。
女性陣はまとめて別室にいる為、部屋に残されたのは俺とゼムドだけだ。
向こうは向こうで緊迫していそうだが、こちらの空気も良くはない。
ゼムドと二人の状況は、カイラルで迷宮に潜っていた頃以来だが、俺達の関係は大きく変わっている。しかし、話をしないわけにもいかない。
お互いの立ち位置ははっきりさせておかねばならないのだ。もしかするとウルクは俺が話しやすいよう気を使ってくれたのだろうか……無いかな。あの浮かれようでは。
「ゼムド達はこれからどうする?」
「それはこちらが聞きたいのじゃがのぉ」
飲み物だけを二人分用意してもらい、俺達は部屋のテーブルで対面に座っている。ゼムドはすぐには答えずにしばらく麦酒を煽っていた。
俺は静かに彼が口を開くのを待つ。
「変わらんよ。今の仕事はアリス殿の護衛じゃ。あの偏食娘に付いていく他にない」
「アリスの立ち位置が理解出来ない」
彼女はリブレイスの『姫』から直接、俺の監視の命令を受けている。
その『姫』は組織の暗部を知らないとのことで、印象としては神輿のようだが、『呪い付き』の長であり、組織で絶対的な力を持つジューダスにとってすら、その命令は絶対らしい。
しかし、本人が言っていたように、アリスがジューダスの下を離れているのかは微妙なところだ。ゼムドはジョッキを置くと腕を組み、深く考え込む。
彼は暫く唸っていたが諦めたように溜息を吐いた。
「拙僧にもわからんな。単純な想いではあるまい。しかし、お主らに協力して信用させ、利用するにしても、今回の件は余りにも重すぎる協力では無かったかの?」
ゼムドは理知的な瞳をこちらに向け、微かに非難を込めて問い掛ける。
「あ奴は文字通り命を賭けて、全智全力を尽くしたはずじゃ。命令はただの監視でしかないにも関わらずな」
「そうだね。あそこまでしてくれるとは考えていなかった」
俺は居心地の悪さをテーブルで両手の指を絡めて誤魔化し、頷いた。
今回の件はさらに言えば、彼女の上司だったジューダスの意図を砕くものでもあったはずだ。アリスは忘れていた様子だったが、気付いてからも手は抜いていない。
だからこそ、余計に彼女のことがわからない。
「本当に理解できないんだ。気まぐれとも思えない」
それだけの事をしたアリスを疑うことに罪悪感は感じるが、信じきることも出来ないのもまた事実だ。
彼女の能力である『心の蔓』を使われたわけでもないのに、見えない何かに縛られた気分である。とりあえずは明白に敵対されない限り、当面は保留にするつもりだが……。
致命的な物を俺達が扱っていることもあり、悩みは深刻だった。
だが、ゼムドは気楽な様子で笑う。
「悩め悩め。嫌になるくらい悩むがいいわい。それが、分不相応な事件に手を出したお主への罰じゃて」
「勝手なことを」
分不相応なのは間違いないが、切欠を作ったのは全て、ゼムドを始めとしたリブレイスの面々である。釈然と行かず、俺は悪態を吐いた。
「まあ、あの娘からは悪意は感じぬがのぉ。あくまで同胞である拙僧から見て……じゃがな。そのアリス殿からの助言があるのじゃが、聞くかの?」
「助言か……聞こう」
「ガルムはリブレイスに預けるべきではない。と。元々、預ける気はないだろうが、万が一にもそれをしてはいかん。それがお主のためじゃと彼女は言っておった」
異種族の共同体であるリブレイスは獣人の割合がかなり高い。『姫』からして獣人らしいから、当然かもしれないが。
候補の一つとして、リブレイスに預けることを考えなかったわけではない。だが、ガルムに祖霊が力を貸していることをジューダスは恐らく見抜いている。
幾らなんでもリスクが高すぎるため、俺は避けようとは考えていた。
ただ、アリスのニュアンスは若干、俺の考えとは違うように感じる。
「俺のため?」
「そうじゃ。そして拙僧もアリス殿の指摘で危険に気付いたわ。どう言えば伝わるのか……むむ……そうそう、これならどうかの……祖霊様が直接力を貸している獣人が、リブレイスにどれくらいいるとケイト殿は思う?」
聞き返した俺に、ゼムドは別の質問で返してきた。もちろん、意味があってのことだろう。考えてもわかるわけのない質問だが、少し考えて答える。
「五十人くらいかな?」
「違う。たった三人じゃ。うち二人は大部族の長老。そして、残る一人は我等が『姫』」
ゼムドは指を折りながら、表情を強ばらせながら言った。
祖霊が特別なものであれば、ガルムは必然的にリブレイス内の政治に巻き込まれるということだろうか。だけど、それならガルムのためであって、俺のためではない。
アリスを頭に思い浮かべる。小馬鹿にしているような笑みしか思い浮かばず、苦笑した。
「もし、ガルムがリブレイスに来れば、お主の親友、ホルス殿はガルムを暗殺するかもしれん。アリス殿はそう言っておった。何故かまではわからぬが、適当を言う娘ではあるまいて。そうでなくとも、微妙な立ち位置となることは間違いない」
ホルスには何か目的がある。以前、エーリディ湖で一緒に戦った時にそのことを知り、彼はそれをどんな手段を用いてでも達成しようとするだろうと俺は考えていた。
組織内部にいるアリスは彼の目的の内容を掴んでいるのかもしれない。そして、目的にとって邪魔であるならば、ホルスはガルムを排除するだろう。
それが完全な俺との敵対を意味していても。
「アリスの目的は何なのだろう」
「わからん。ただ……リブレイス自体どうでもいいのではないかの」
ゼムドは目を閉じ、再びジョッキを手に取る。
「で、お主はどうするつもりじゃ?」
俺も考えるためにジョッキを手に抱えて目を閉じた。
敵対してくれた方がまだやりやすい。しかし、アリスは未だに協力的な姿勢を崩していなかった。しかし、聖輝石やガルムについての報告はこれからだろうから、知った時には手遅れにされているという可能性も無いとは言えない。警戒は必要だ。
だが、それをするくらいであれば、わざわざ俺達に命懸けで協力するだろうか。
「ゼムド達とは一時的に別行動を取る」
悩んだ末に俺は言った。
ゼムドはジョッキを置き、長い髭を触りながら意図を探るように俺を見詰める。
「ふむ」
「その間にガルムは預ける。それがどこかは調べればすぐにわかるだろうけど、ゼムド達には言わない」
どこまで意味があるかはわからない。彼等は組織の一員であり、命令には従わなくてはならないこともあるだろう。現にゼムドはそれで一度俺達と戦っている。
しかし、これくらいしか今の俺には思いつかなかった。
「ゼムド達にはガルムの事を話さないか、『姫』を説得して、ガルムが大人になるまでは、リブレイスの干渉を排除出来るように頼んで欲しい」
「確約は出来かねるの。じゃが、ホルス殿には伝えておく」
「それでいいよ。俺達は全てが片付いたら西の草原から、学術都市ローウェンに向かう。監視は好きに続けてくれても構わない。但し、敵対したら別だ」
思わず強い言葉になり、俺は一度気持ちを落ち着かせるために、呼吸を整える。
ゼムドを糾弾するつもりはなかった。だが、感情は高ぶってしまっている。どうやら俺の中のわだかまりはまだ無くなっていないらしい。
無償で手伝ってくれたことに対して本来は礼を言うべきなのかもしれないが、どうしてもそんな気にはなれなかった。
意識したこともなかったが、俺の心は狭いのだろうか。
「そんなところじゃろうな。随分と妥協してくれたのぉ」
しかし、ゼムドは俺の敵意を受けても穏やかに微笑んでいた。気遣われていると思うと、感情を出してしまったことを恥じてしまうが、気を取り直して話を続ける。
「『石』についてだけど」
「待て。拙僧としてはあの物騒な石には関わりたくない。アリス殿も説得する。あれは明らかに人の手には余るものじゃ。万が一にも『姫』に近付けるわけにはいかん」
「だけど、同じリブレイスのジューダスがこれを狙っている」
関わりたくないというのは本心からの言葉だったのだろう。ゼムドは唸りながら黙り込んだ。
世界を滅ぼすと言って死んだサイラスに、その思想を吹き込んだのがジューダスならば、この石をそういった目的に使おうとしている可能性もある。
なんせ、文字通り、全ての生物に言葉を与えるような代物だ。何に使えるのか想像もできない。
ジューダスがそもそもどこまでこの『聖輝石』を知っているのかわからないが。
しばらく悩んだ後、ゼムドは苦笑して頭を掻いた。
「やれやれ、面倒なことになったの。今度こそ気楽に旅が出来ると思ったのじゃが」
「それには同意するよ。本当に」
「アリス殿の動きはお主に伝えよう。拙僧は『姫』の安全を最優先に考えるつもりじゃ。この件に関しては、悪いがあの娘にも同調はせん。ジューダスとあの娘の繋がりは拙僧が警戒しておこう」
「信用するよ」
「心にもないことを言いおる」
お互いに話すことは話した。
俺は立ち上がると部屋に備えられている水で口を濯ぎ、ベッドに横になる。
部屋が静まり返ると、隣の部屋からシーリアの楽しそうな笑い声が俺達の部屋にまで聞こえてきていた。
(笑い声か……って!)
俺は身体を慌てて起こし、信じられない気分で彼女達が話をしているはずの壁をまじまじと見詰める。静まり返っているならわかるが、女性陣の部屋が盛り上がっている……?
「しかしまあ、なんじゃの。お主は細かいことを考えすぎるわい。考えも後ろ向きじゃしの。いっそシーリア殿のように大物にはなれんものか?」
ゼムドも今気付いたのか、隣室を親指で指して苦笑いしていた。
隣の部屋の笑い声はどう考えても演技ではない。クルスとアリスというお互いに敵意しか持っていない二人を相手にシーリアは一体どんな風に楽しんでいるのだろうか。
思えば街でしか過ごしたことがないはずのシーリアは、カイラルを出てからの旅では暗い顔をしていたことは殆どない。外国での文化の美しい光景、様々な出会いと別れ、命すら失いかねない危険な挑戦ですら心の底から楽しんでいる。
身体も辛いだろうし、急な別れをした義母のラキシスさんのことも気にならないはずは無いのに。
「彼女みたいな性格の人が勇者や英雄になれるのかもしれないね」
「くくっ! 違いないわい。しかし何を話しておるのやら」
全く本当に何を話しているやら。
シーリアも事の重大さはわかっているはずだ。だけど、それでも彼女は底抜けの明るさを失わない。多分、心が強いのだろう。
難しく考えるのが馬鹿馬鹿しくなり、俺は頭を空っぽにして再び枕に預けた。
「なるようになるか」
ぽつりと俺は言葉に出し、目を閉じる。
俺の心にもシーリアの楽天さが映ったのか、軽い気持ちで眠ることが出来た。