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第二十五話 悪意無き災厄




 白い世界に俺は立っていた。

 音はない。立ち込めていた硫黄の匂いも消えている。


 霧の中とは違い、視界は悪くない。

 傍にはクルスが立っており、不思議そうに周囲を見回している。



「ケイト。ここは?」

「わからない。嫌な感じはしないけど」



 クルスは油断することなく構えているが、俺達の他は一人しか傍にいないようだ。



「この人選には悪意を感じるわね」



 その一人、アリスはこの状況にも慌てることはなく、平然としている。彼女は嫌そうに毒を吐くと、髪の埃と服の砂を払い、俺達の傍に寄った。

 そう、この場にいるのは『呪い付き』だけだ。他の仲間は見当たらない。



《すまぬな。『祝福の者』達よ。いや、八百年の間に『呪い付き』となったのだったか》

「ガランドフレイ。アリエルは?」

《魂だけをここに呼んでいる。直に来るだろう》



 彼の力は無事にアリエルに効果があったようだ。

 声に焦りの色が無いことに、俺は安堵の息を吐いた。



「ここは何?」

《この場所は世界の狭間。現実の時間は僅かしか進まぬ。我々には時間が無いのだ。だが、語るべきことは語り、伝える義務がある。特にお主達には。だからこの世界を用意した》



 ガルム……ガランドフレイの姿は見えない。声だけがどこからか響いている。

 しばらくすると、俺達の前に一人の女性が浮き出るように現れていた。


 二十代前半くらいか。穏やかな印象。背は高くも低くもない。どことなく気品を感じるが、どちらかと言えば可愛らしい感じだ。

 だが、体付きはしなやかで無駄がなく、野生の獣を思わせる。北米の先住民のような民族衣装に身を包んでおり、ルビーを思わせる美しい真紅の髪の隙間からは特徴的な丸みを帯びた耳が覗いていた。

 そして……薄らと透けている黒い鎖が身体に巻きついている。


 彼女が本来のアリエルなのだろう。俺達に気付くとペコリと頭を下げた。先ほどまで大暴れしていた巨大な熊と同一人物だと思うと、何だか落ち着かない。



「多大な迷惑を掛けてしまった。すまない」

「本当にね」



 アリスの正直な言葉にクルスも頷いて同意する。

 思えば戦うことを決断したとはいえ、俺達は巻き込まれたようなものだ。本来はただ、この火山の調査に来ただけなのだから。



「この借りはどう返してくれるのかしらね」



 感情の篭らない平坦な口調でアリスはそう言って愉しそうに嗤った。

 全てを決めたのは俺だから、俺にもそう言いたいのだろう。アリスの視線はアリエルにはでなく、こちらに向いていた。

 借りは確かに感じているが、それをどうするかまでは考えていない。何だか高く付きそうだ。俺は軽く頭を掻いた。



「話は何?」



 クルスは危険が無いと判断したのか剣を収めている。そして、普段通りの気負いのない口調でアリエルに問い掛けた。

 アリエルは澄んだ瞳をクルスに向け、僅かに頷く。



「君達に頼みがある」



 心底嫌そうな顔をクルスとアリスはした。

 アリエルはそんな彼女達の反応にも動じず、微笑んでいる。はっきりとした言葉遣いをしていて、硬い人かと思えばそうでもないらしい。

 どこか反応を楽しんでいる気配がある。



「気が進まないのはわかる。私の友が君達を無茶に巻き込んだことは知っているからな。本来ならば礼をすべきところだが、これは君達にとっても聞くに値する事柄のはず」



 ニヤリと口の端を上げて彼女は俺を見た。

 確かに彼女は八百年前の生き証人だ。聖輝石の意味も知っているはず。俺はそう考え、頷く。しかし、彼女の頼みは予想外のものだった。

 アリエルは静かにクルスとアリスの方へと歩み寄ると、生気の溢れる力強い笑みを浮かべ、小さな声で二人にひそひそと話す。



「どこまで進んでいるのか教えてくれ」

「は?」

「……」



 理解できなかったのかクルスが思わず声を出し、アリスが冷ややかな視線を向けた。俺も何のことかと首を傾げる。



「あそこの少年はお前達のどちらかのコレだろう。あ、八百年も立つと小指を立てる意味も変わっているか? キスか? それとも既に……やっちゃったか?」



 頭が上手く働かない。この女性は何を言っているんだ?

 呆然としてしまう。言葉が出ない中、クルスは頬をちょっと染めて聞き返した。



「どのあたりが聞くに値するの?」

「ふふん。大いにあるとも。私はそこの少年を朴念仁と見た。 誰にでも無自覚で優しくするとんでもない男だ。しかーし、私には数多くのライバルを蹴落として、似たような男を捕まえた経験がある。聞きたいだろ? な、聞きたいだろう?」



 堂々と彼女は胸を張る。どうやら気品があると思ったのは見間違いだったらしい。

 目の前で言葉に抑揚をつけながら話し、やんちゃな笑みを浮かべているアリエルと、八百年間贖罪を続けてきたというガランドフレイやガラルの話の印象とが上手く結びつかない。

 そんな彼女にクルスは食いつくように距離を詰め、真剣な表情で頷いていた。



「確かに聞く価値がある。ぁ……教えて下さい?」

「ふむ。素直な少女よ。いい心掛けだ。ならば初めての夜の話を……」

《この不良神官が! 時間がない。急げ!》

「無粋なうちの神様が急げと言っておられる。また今度だな」



 残念そうに片目を瞑ると彼女は笑みを収めて肩を竦める。次など無い事は彼女自身が一番よくわかっているはずだが、悲壮感は欠片も無かった。



「ま、本当は思い出せないのだがな。時の流れは残酷なものさ。永遠を信じた熱い想いも色褪せて、塵となって摩耗していく。私も全ては消え去ったのだと思っていたよ」



 見た目とはそぐわない老成した笑みをアリエルは浮かべている。先程までの幼さもかいま見えた笑みとは違う、諦観した、どことなく澄んだ湖面を思わせるような笑みだった。

 しかし、と彼女は鎖を指差して続ける。



「悪夢を見せるこの鎖はそうではないことを教えてくれた。全く性質の悪い代物さ」

「どうして恋人を殺したの?」



 複雑な感情を持て余しているのか、鎖を指で撫でていたアリエルに、クルスは誤魔化さずに単刀直入に聞いた。

 アリエルは指を止めると一度目を閉じ、溜息を吐く。



「世界と秤に掛けたのだよ。私の大事な人は、大災厄を引き起こした張本人だったから」



 彼女は自嘲するように、苦々しく表情を歪めて「尤も」と続ける。



「大災厄の責任を問うのであれば、私もそこの少年が持っている聖輝石を守ってくれていたディールも、他の十人の仲間達も同罪なのだけどね」



 大災厄。聖輝石が関わり、歴史が断絶するほど激しい争いとなった死滅戦争の切欠となったという事件。それがたった十三名の者で引き起こされたことに、俺は衝撃を感じていた。そこまでの道具だとは信じたくなかったのだ。


 しかし、腑に落ちないこともある。



「どうしてそんな事件を引き起こすことになったのですか?」



 俺には目の前のサバサバした性格の女性が、世界を滅ぼしかねない悪事を働くとはどうしても思えない。あるいはそれこそが彼らが伝えたいことなのか。

 破滅を望んでいるのならば、ここで聖輝石を守ったりもしないだろう。


 アリエルは俺の質問を聞くと苦笑を浮かべた。



「大災厄を引き起こした者は悪人ではない。むしろ善人というべき男だ。知識も豊富で思慮もあり、頭の回転も早い。勇気も決断力もある。ただ一つのコンプレックスを除けば欠点など無い男だった。だが、それが致命的な事故を引き起こしてしまった」

「事故?」

「そう。事件ではなく、事故だ。そしてそれは彼の欠点と無関係ではなかった」



 思わず聞き返した俺に彼女は頷く。



「彼は何故か母国語ですらおかしな発音しか出来なかった。異国語であれば尚更だな。私も含め、仲間達は気にしていなかったが、彼自身にとっては重い事だったのだろう。今に思えばだがね。それに誰も気付いてあげられなかった」



 懐かしいことを思い出すようにアリエルは眼を細める。過去のことを思い出している彼女の表情は穏やかで、燃え尽きた灰のような暖かさだと俺は感じた。

 引っ掛かった部分はある。『母国語』『異国語』という言葉。


 俺の知る限りこの世界では、人々の話す言葉に大きな差異は無い。



「『祝福の者』であれば今の世界の異質さは感じているのではないか?」



 俺とアリスは頷く。

 過去の記憶を持っていないクルスは何のことか分からずに首を傾げているが。



「私達は聖輝石を集めた。それは悪しき理由で集めたわけではない。時間が足りぬ故、詳しくは説明できぬが多くの人を助けるために集めたのだよ。まぁ、それはいい。問題は聖輝石の強さを見誤り、使い方を知らずに使ってしまったことだ」



 そして、結果、アリエルは恋人を殺し、ディールは自ら望んで邪悪な魔物の糧となった。

 災厄を運ぶもの……即ちそう呼ばれた俺も過ちを犯すとそうなるのだろう。だから、彼女達は教えてくれているのだ。



「本当の意味で聖輝石を使えるのは『祝福の者』のみ。そして、その力は……」



 一息付き、彼女は俺を真っ直ぐに見た。



「使用者が死ぬまで心の奥底の願いを叶え続ける大いなる『呪い』だ。そして、その効果は”全ての生命”に対して現れた」



 アリエルは力なく笑う。全ての生命。

 炎の竜、ガラルが語った、雑草の一本、羽虫の一匹まで戦ったという話は比喩ではなく、言葉そのままの意味だったのかもしれない。

 彼女の話が真実であれば、男の心の奥底の願いは……言語そのもの。



「全ての生命が同じ言語を使うようになった……?」

「概ね正しい。しかし、詳しく説明する時間はあるまい。この世界も崩れかけている」



 何もない世界の白い天井を一度見上げ、アリエルは再び此方を向く。

 話は打ち切られたが、僅かな情報の中にどれ程の恐怖が潜んでいるのか想像をしてしまい、おぞましい何かが背中を這ったかのように鳥肌が立った。


 彼女は全ての人間ではなく、”全ての生命”と言ったのだ。

 狂気。情景を想像すればその言葉しか思い浮かばない。動物や魔物、精霊だけではない。世界中の全ての生き物が喋るのだ。

 虫も、草も、木も。それこそ羽虫一匹、雑草の一本に至るまで。


 人は間違いなく、狂う。



「ガラルもうちの神様も事件については詳しく知らぬ。仲間達も八百年で殆ど死に絶えただろう。だが、一人だけしぶとく生きていそうな奴がいる。高慢ちきで大嫌いだったが、八百年経っても思い出せる、むかつく女だ」



 彼女は指をワキワキ動かして、冗談っぽく睨みつける。悲壮感に溢れる真面目な話は好きじゃないらしい。俺は救われたような気持ちになって少しだけ笑う。



「エルザ・ゲイルスタッド。あの化物エルフなら生きているはずだ」



 ゲイルスタッド……一瞬思考が停止した。

 クルスも同じだったようで、ぽかんと口を空けている。



「エルフであれば寿命は長いし、私の時代では最凶最悪の精霊術師だったから殺されたということもあるまい。偉そうなくせに何気にせこいし、お調子者で逃げ足も速いし」



 思い出してしまったのかアリエルは延々と悪口を並べていた。想いは風化しても、こういうことは忘れないのだろうか……案外、仲はよかったのかもしれない。

 アリエルは言い過ぎたと思ったのか、一つこほんと咳払いして仕切り直した。



「そやつに会うがいい。時の経過で地形が変わっているのは間違いないが、南のどこかの森にいるはずだ。奴なら聖輝石の扱いも考えておるやもしれん。ま、十中八九は適当にサボっておるだろうが」



 白い世界の破片が雪のように降り始める中、アリエルは楽しそうに笑った。そして、破片を手のひらで少し受け、「やれやれ」と呟く。



「急ぐか。娘よ。手を出せ」

「私?」



 クルスの下に歩み寄ったアリエルは彼女の手に赤い宝玉を載せた。俺の持つものとは色が違うが、離れていてもわかる。聖輝石だ。



「何故?」

「聖輝石は使わずとも、漏れた力がお主の力となる。あるいはお主の想いこそが災厄を止めるかもしれん。私と違う選択肢を選ぶことも出来るだろう」



 アリエルはまるで姉のような親しさを込めてクルスの肩を叩き、そして、頭を撫でた。



「未来は決まっていない。頑張れ」



 彼女はクルスの抱えている疑問には答えていない。だが、答えを決めつけることもしなかった。ただ、力強く励ましただけだ。

 だが、クルスのことを考えてくれていることは俺にも理解出来た。



「本当の……最後の頼みを娘よ。君に伝える」

「ん」

「鎖を切ってくれ。君にしかできない」



 クルスは迷わずに剣を閃かせた。

 物質ではない鎖は彼女の一太刀で霧散し、アリエルを縛るものは何もなくなる。


 俺の眼には、『断罪の剣』という新しい能力が追加されて見えていた。



「終わりか。実に呆気ないものだな」

《別れの時だ》



 寂しそうにアリエルが呟き、ガランドフレイもまた、短い言葉に辛さを押し隠している。



「ガラルには、礼は生まれ変われたら自分ですると伝えておいて」

《了承した》

「それから、神様。私の遠い子孫を連れてきてくれて有難う。あの子が生ききってくれたのだと安心したよ。さすが、粋だねぇ……」

《偶然だ》

「そういうことにしておくよ。ああ、向こうで堅物のディールにも礼を言わないと。子供の世話なんて絶対苦労しただろうから」



 けらけらと屈託なくアリエルは笑う。

 感情が豊富でよく笑う人だ。こんな人だからこそ神や精霊とも友人になれたのかもしれない。彼女は最後に此方を向く。



「有難う。君達は運命に負けるな。つまんないからね。それは」

「さよなら。アリエル」

「ふふ、生きて会えたら君達とは気があっていたかもね」



 クルスが淡々と別れを告げると、白い世界は音も立てずに崩壊し、俺達の周囲は急速に色を取り戻していった。




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