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第二十四話 数分間 後編



 力が供給され始めたガルムをアリエルは狙っている。

 しかし、僅かな時間の交戦で、俺達を無視することも危険だと判断したらしい。ガルムは元々身軽な少年であり、彼女も俺達に足止めされている間に逃げられることも計算しているようだ。



(死んでいるはずなのに知性は残っている?)



 その証拠にアリエルはすぐには飛び掛からず、ジリジリと距離を詰めていた。

 考えもなく闇雲に襲うだけではない。動く死者……例えば有名なゾンビであれば知性などは一欠片も残らないとウルクとゼムドは口を揃えていた。

 だが、アリエルは光の無い瞳から明確な意思の篭った鋭い殺意を放ち、状況を判断しながら俺達と戦おうとしている。


 それは獣としての感覚なのか、彼女の知性が残っているのか……それとも、彼女に呪いを掛けた呪い付きの力なのか。そこまでは俺にもわからない。


 事実として死して尚、彼女はそうしている。戦闘においてはそれだけのことだ。

 『呪い付き』への湧き上がる憎悪に似た感情を俺は押し殺す。


 息を吐く。

 冷静に。


 今度はゼムドが初めに動く。

 動きは劇的だった。


 側面からの突貫したゼムドの鉄棍を読み切り、自分から足をぶつけることで勢いを殺して吹き飛ばす。彼の身体はまるで重量が消えたように軽々と宙を飛んだ。



「ゼムド! 態勢を整えろ! 地の精霊、ノームよ!」



 負傷はしているが致命傷ではなさそうだ。ならば、時間を作るのが専決。

 ふと、アリエルと眼が合う。彼女が俺を嗤った気がした。


 予感がして元いた場所から俺は即座に飛び退く。そこを暴風と共に大きな塊が凄まじい勢いで通り過ぎた。足止めに使ったノームを地を踏みしめて外し、俺を狙って投げたらしい。



「未熟者……か?」



 間違いない。獣ではない。ましてや呪い付きの力なんかではない。

 彼女は圧倒的な実力と戦闘経験を持つ『人間』だ。


 時間が経つにつれ、そのことを思い出していくかのように凶獣の動きは洗練されていく。戦闘に集中しているのか他に理由があるのか。

 もしかすると、黒い呪縛が薄まることで、本来の動きに近付いているのかもしれない。



「能力に頼りすぎるのは止めよう」



 舌打ちをして思わず呟いた。

 激しい戦いの中で能力が変化されては参考にする余裕など全くないし、知っていることが反対に命取りになりかねない。


 目の前の相手には今も格闘のスキルの表示は見当たらないが、獣の状態でも人間の時の能力を応用している可能性はある。

 

 クルスとウルクも彼女の動きには違和感を覚えたらしく、表情が引き締まっている。能力など無くとも二人の実力なら獣の動きではないことに気付いたはずだ。

 


「『万物は鎖で縛られている』」



 鈴が微かな風で揺れたような小さな声が響く。

 そのアリスの詠唱に合わせて俺は前に出た。彼女の魔法は重力を扱う持続性のあるものらしく、右の前足に絡みつく魔力の渦が見えている。

 派手さはないが動きは鈍っていた。


 俺は息を吐き、奥歯を噛み締めて足が竦むのを堪え、魔法に合わせて踏み込む。



「グ……」



 煩わしそうにアリエルは動きにくい右足で俺を迎撃しようとしたが、クルスが俺に合わせて左足に斬り掛かっていた。

 それでも油断はしない。


 アリエルが俺を踏み潰さんと足を振り下ろした。

 体毛が身体に触れる。かろうじて回避したが、本当の動きはそこまで落ちていなかった。鈍っているのは演技……!


 冷たい汗を感じながらも全力で剣を振り切り、すぐに距離を取った。

 骨を断ち切った感触はない。だが、肉は大きく抉っている。どうせすぐに再生されるだろうが、時間は稼いだはずだ。


 反対側ではクルスがアリエルと駆け引きしながら真っ向から戦っている。

 俺に出来るのは、彼女のために牽制することだろう。あんな無茶が出来るのはクルスだけだ。しかし、流石のクルスも疲労の色は濃い。


 ウルクは攻める隙を伺いながら、真剣に闘うクルスを見詰めて、ぶつぶつ呟いていたが、結論が出たのか頷く。



「ケイト! 交代! 休んでいいっすよ!」



 そして、ウルクはシーリアの魔術の援護を受けながら前に出た。


 退がることに躊躇はしなかった。俺は後ろに飛んで距離を取ると武器を腰に戻し、手早く背中の弓に持ち代える。あれだけ巨大なのだ。俺が的を外すことはない。

 矢は七本しか持ってきていないがそれで十分。


 弓を持つと心は直ぐに凪いだ。

 一本目。相手も予想していなかったのだろう。正確に額に命中した。



「これも効果無し」



 普通の熊なら一撃で倒せてそうな急所に当たったが、効いた様子は全くない。俺は構わず四本の矢を続けざまに射った。



「狙えるか……」



 身体や足にも刺さっているが、これは本当の狙いを悟らせないため。

 本命は最後の二本。俺は切り込む素振りも見せて動いていた足を一度止める。


 ゼムドも戦線に復帰した。俺は弦を引き、タイミングを図る。



「『水の神エルーシドよ。信徒に力を。悪しき者に救いを』」

「ぐっ……『鍛冶の神ガランよ。汚れし者に救いを!』



 朗々としたウルクの声が響く。神の力を借りるらしい。神に頼らないことを信条としているゼムドは迷ったようだったが、呻き声を上げると、彼も併せた。


 詠唱しながら危険を冒して二人はアリエルの身体に触れる。

 神の力による浄化だ。完全ではなくとも全く効かないわけでもないと判断したらしい。



(いけるっ!)



 眩い光が周囲を包む。瞬間、指を放した。

 命中を見ずに最後の一矢を番える。


 光は薄くなっていく。逸る気持ちを抑えて、弦を渾身の力を込めて引き絞り、放つ。



「……っ!」

「なっ! がはっ!」



 指を放すのと同時に誰かの体当たりがぶつかった。俺の身体はその勢いで地面を擦りながら転がっていく。激しい衝撃で肺の息が全て吐き出され、身体は痛み、頭は混乱していたが、アリエルにやられたわけではないのは理解出来ていた。

 確認せずとも傍にいるのが誰かは匂いで分かる。


 かなりの距離を飛ばされたはずなのに、肌で感じる熱気。そして強い硫黄の臭い。

 俺が立っていた場所の一面の土は、まるでマグマのように沸騰していた。



「ケイト。油断しすぎ」

「助かったよ。クルス」



 俺の身体の上に密着していたクルスがすぐに飛び退き、俺も急いで立ち上がる。子供の頃から使い込んだ弓は炎の海へと姿を消した。

 クルスが気付かなければ俺も同じ運命を辿っていただろう。


 兆候はわからなかった。音も無い。ただ、『火神の息吹』の威力は一目瞭然だ。

 俺が光で視界が染まった一瞬を利用したように、アリエルもまた小賢しい俺を仕留めるべく、狙いを付けていた……というところか。


 命懸けになってしまったが、賭けにはかろうじて半分勝った。



「矢が刺さったまま再生出来る程器用じゃないらしいな」



 熱気のせいか恐怖のせいか……額を流れる汗を拭き、俺は自分を奮い立たせるために笑った。両目を狙った二矢の内、一矢は外したが、もう一矢は右目を貫いている。


 ゼムドとウルクの浄化もある程度の効果はあったらしく、彼女の呪いは薄まっていた。だが、戦意はまだ旺盛だ。いや、実際のダメージは殆どないのかもしれない。

 万全の状態の彼女を倒したジューダス達はどれ程の準備をし、どれ程の死闘を繰り広げたのだろうか。


 わかることは一つ。

 今の俺達と当面敵対しそうな気配のあるジューダス達の間には、圧倒的な実力差があるということだ。



(聖輝石を本気で狙われた時、俺は守れるのか?)



 僅かな焦燥が心に浮かび上がる。

 だが、その迷いはアリエルの一撃で簡単に振り払われた。


 腹の底まで響く重低音の唸り声を上げながら、彼女は俺に狙いを付けている。無造作に腕を振るいながら、大きく避けられないように俺の動きは上手く誘導されていた。

 口元は紅く輝いている。



「ミ、ミヅゲ…ケタ……」



 喋った。渇望の篭った声。

 いつの間にか相手の意識はガルムではなく、完全に俺に向けられている。集中されれば全てを避け続けるのはかなり厳しい。

 それでも、あの太い足での一撃を喰らっても『火神の息吹』だけは喰らうわけにはいかない。


 炎が放たれた瞬間、強烈な攻撃を受ける覚悟を決め。俺はその場を飛び退いた。



「ぐぅっ!」



 案の定、足ではじき飛ばされたがアリエルの体勢は悪く、受身を取り、地面を転がりながら衝撃を受け流すことが出来た。

 爪が掠ったのか胸からは血が流れている。衝撃で肋骨も確実に折れた。目が眩むような痛みが身体を走ったが、立てない程ではない。と、思い込む。

 立たなければ死ぬ。そう思えば痩せ我慢も出来た。



「シタクナイ……イヤダ……ヤラナ……キャ……」



 だが、計算された攻撃はここまでだった。

 彼女は一度動きを止め、躊躇するような素振りを見せている。その後すぐに俺を狙って来たが、先ほどまでとは違い、ただ腕を振るうだけの無茶苦茶な攻撃になっていた。


 ウルク達の浄化で僅かに呪い付きの支配が弱まったのだろうか。

 動き自体は変わらないが、よくわからない迷いのようなものを感じる。それが、アリエルの攻撃を緩慢で雑なものにしていた。

 そうでなければ、今の俺の怪我では避けることは難しかったはずだ。



「セカイガ……!」



 悲痛な叫びと共にアリエルは全力で俺に向かって来る。理性は感じない。速いがこれもただ力任せなだけで先は続かない。余裕を持って回避することが出来た。



(なんだ……何を言っている?)



 わかりにくい獣の表情に、どこか恐怖と絶望が織り交ざっているように感じる。

 こちらに来るのは予想は出来ていた。動きも悪くなっている。それでも、山のような巨体が迫る恐怖は薄まることはない。俺が彼女の脅威になることはないはずだ。


 彼女が俺を恐怖する理由がわからない。



「ケイト! くぅ、迷惑ね! 誰と人違いしているのよ! 一か八か……『地の理』『風の理』……『万物は鎖に縛られている』!」

「シーリア! 無茶!」



 何時も冷めた様子のアリスが慌てて叫んでいた。初めてのことかもしれない。

 彼女の人間らしい一面に、俺は場違いだが少し嬉しくなった。


 タイミングを図る。シーリアを信じる。

 残りの魔力を振り絞るかのような、巨大な魔力を背中に感じた。制御は……出来ている。後は発動するかだ。



「そいつは私のよ! えーっと、よし! 『地縛陣』!」



 力強い声だ。起動の言葉に迷ったのは思い付きの魔術だからだろう。

 威力だけなら明らかにアリスの魔法を超えている。振り上げられた足は、土を含んだ魔力の鎖に絡まれて地に落とされていた。

 その隙に俺は擦れ違うように駆けて、ガルムを巻き込まないように位置を考え、距離を取る。


 アリエルは最早他には眼中にないようだ。有難いが、きつい。

 彼女と俺の視線が重なる。



「ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ……タスケ……ラレナイ」

「君は何をしたんだ?」



 思わず問い掛けてしまった。答えが返ってくるわけはないのに。

 しかし、予想外にも彼女は動きを止めて口を開いた。



「アナタヲコロシタ。コロシタ……コロシタ……ウウウウウウウウウウウウァァァ!」

「《アリエル! 似ているが彼はあいつじゃない! あいつはもう死んだんだ!》」



 ガルムの口でガランドフレイが必死に叫ぶ。それがアリエルに届いている様子はなく、狂ったように咆哮しながら虚空に向かって足を振り回しているだけだ。



「やっぱり」



 いつの間にか傍で警戒していたクルスが小さく呟く。

 その声には幾分哀れみが込められていた気がした。



「コロサナイト……コロサナイト……セカイガ……クルウ……」



 無意味に暴れるのを止め、アリエルは俺達に向きなおす。

 空気が変わった。来る……そう思ったが、時間切れのようだ。


 アリエルは光の輪に囲まれて動きを止めていた。



「《我が友アリエル。我は必ずお前を助ける》」



 決然とした口調で断言し、ガルム……ガランドフレイは俺達の前に出る。

 長い数分がようやく過ぎてくれたらしい。



「《全ては終わったのだ……悪夢も罪も……そして八百年の長きに渡る贖罪も》」



 ガランドフレイの依代である少年の声は哀しみに満ちていた。泣いているのかもしれない。身体は震えている。



 神も泣くのか……。



「《ガランドフレイの名において、邪悪よ。滅せよ!》」



 ガルムが小さな手を、動けないアリエルの顔に差し伸べる。

 友を想う言葉は全てを包み込む暖かい光となって、世界を白一色に染め上げた。





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