第二十二話 邪悪に囚われた獣
戦うことを選べば後は急ぐ必要はない。必要な準備を整えると俺達は十分に休養を取り、戦闘に必要な体力を確保した。
実際に戦いが始まればものの数分で決着がつく。生死も同じだ。皆、緊張しているのか休んでいるときは視線を交わすくらいで、一言も話すことはなかった。
「行こう」
予定の時間が経つと俺は声を掛ける。
全員、大丈夫らしい。それぞれの武器を持って配置に付いた。
今回の戦闘では俺とクルスが先頭に立つ。身軽な俺達が相手を引き付けるのだ。ゼムドとウルクはサポートに廻る。そして、とにかく時間を稼ぐ。
シーリアは結界を切り替え、その瞬間にアリスが魔法装置をガルムと繋ぐ。初めからガルムと装置を繋げば身体が耐え切れずに爆発してしまうとのことで、他に方法は思いつかなかった。
結界を切り替えた後は、シーリアは俺達の援護に回る。
魔法装置をガルムと繋ぐのにはどれだけ事前に準備をしても三分は掛かってしまうため、アリスの援護はそれまでない。
魔法の分担はアリスからの提案だった。
「私よりもシーリアの方が咄嗟の状況判断には優れている。それに一撃が重い」
彼女が言うにはシーリアの杖は、論理魔術の使い手の常識では考えられないような改造がされているそうだ。
元来、杖は術を制御するための道具であるのに、制御は一切無視して魔力を増幅させることしか考えていないような……そんな、杖の意味を根本から考えさせられるような扱いが困難な物をシーリアは楽々と使っているらしい。
そもそもカイラルを含むピアース王国の魔法体系は、他の国に比べるとアバウトで応用が効く代わりに繊細な制御が必要らしく、こんな杖を使って扱うのは無茶だという話だった。
杖は彼女の義母であるラキシスさんからの大切な贈り物らしい。そのことを知ったアリスは杖をじっと見たまま何も言わず、嫌そうな顔だけをしていた。
「切り替えた後、結界が何分持つかね。短くても何とかするけど」
シーリアはガルムから一番近い基点に立ち、不敵に笑う。
杖を握る手からは不要な力は抜けていて、耳もしっかりと立っていた。言葉だけの強がりでは無い。
「信頼してるよ。シーリア」
「当然ね。任せなさい。新必殺を見せてあげるわ」
彼女は結界が破られるのは一分と予測している。戦いの本番はそこからだ。三分経てばアリスも戦闘に参加できるが、力の補充には更に五分は掛かるとガランドフレイは言っていた。
「しかし、微妙なところっすね。うう、逃げたいなぁ。ケイトさんと出会ってから、本気で無茶な相手とばかり戦わされている気がするっす」
やれやれと肩を落として溜息を吐きながらもウルクは両手に短槍を構える。
合計で八分間、俺達はアリエルの攻撃を凌がなくてはならない。数字として考えれば僅かな時間にも思えるが、戦闘中の八分は何もしていない時と違い、感覚的に非常に長いのだ。
だが彼も口ではそういいつつ、逃げる気はないらしい。
「ウルク。貧乏クジ引かせて悪いな」
「ま、神託の旅らしいっちゃそうっすね。ケイトの本にウルク様の伝説的な活躍をいっぱい書くってことで手を打つっす」
冗談めかした言葉にウルクは片目を瞑って応え、俺も彼に笑みを返した。
「拙僧もいつでもいいぞ。腕がなるのぉ」
ゼムドは後方。アリスとガルムを庇える位置で鉄棍を地面に付けて、再会してからは全く聞いていなかった朗らかな笑い声を上げている。相手が強敵だからだろうか。楽しそうだ。その屈託ない笑みはどこか仲間だった頃を思い出させる。
「昔のように手を抜かないでくれよ。ゼムド」
「ばれとったか。まあ、そうじゃろうな」
俺が苦笑いしながら指摘すると彼はバツが悪そうに頭を掻いていた。以前よりは実力は近付いているが、この中で最も実力が高い戦士は彼である。
ただ、腕力を生かした戦いをする一方で、器用な戦い方が苦手なゼムドは、下手に近付けば踏み潰されかねない今回は持ち味の生かしどころが難しそうだ。
「ガルムもいいかい?」
「うん……っ! 頑張る。僕は……みんなみたいに強くなる! だから怖くないっ!」
ガランドフレイの影響を受け、丸みを帯びた耳になりつつある獣人の少年は、迫る戦いに緊張で震えながらも出会った頃とは違う、生き生きとした表情で叫んでいた。
「何があっても動かない。怖くても。死んでも。絶対」
「わかってる。絶対に動かない」
高ぶるガルムにアリスは淡々と説明している。
彼もクルスのように何か思うところがあるのか、戦うか逃げるかを決める際に、アリエルを助けたいとはっきりと言っていた。想像するしかないが彼とガランドフレイとの間に何かがあったのかもしれない。
「ケイトは無理をしない。主攻は私。約束」
「相手の動きは説明の通りで。遅くなっても早くなることはない」
「うん」
隣に立つクルスと小声で話す。彼女には仲間達や目の前の巨大な熊、アリエルの能力を具体的な数字を出して説明していた。
比較対象があることで推測しやすくなるだろうという判断だ。
ただ、クルスの場合、最後は勘になってくるに違いないが。
「俺は少し楽をさせてもらうよ」
「嘘。ケイトはすぐ無茶するから。約束破ったら……何にしよ」
クルスはふっと緊張を緩め、微笑んだ。何かを企んでいるらしい。
大人びた美しさを持っている彼女の表情は、こういうときには怜悧さが消え、歳相応の幼さとかわいらしさを見せる。親しい相手以外には見せないこういう一面が俺は好きだった。
「んー」
本当に考え込んでいるのか、軽く俯く。長い黒髪が少し風で揺れた。何を言う気なのか俺も待つ。
「お、おしりぺんぺん……」
思考の死角を突く、想像もしていなかった場違いな答えに俺は吹き出した。クルスも言ってて恥ずかしかったのか顔を真っ赤に染めて視線を外す。
間を空けて、珍しく、彼女はいたずらに成功した子供のように声を上げて笑った。
「ウルクが前に悪さをした子供を叱る時そうするって」
「俺も気を付けよう。それは嫌だ。でも、クルスも気を付けて」
「わかってる」
俺は改めて荒野に横たわる巨大な熊に眼を向ける。
彼女の周りにはあちこちに人の背丈ほどの溶岩や、ジューダス達の戦いの後のクレーター。ガラスのようになっている場所などがあり、時間を稼ぐ上でも地形を活かすことは必要になるだろう。
真っ向からの力勝負だけはしない。
登っているときは度々殴りつけるような強風が吹いていたが、今はそよ風に過ぎず、戦う条件も悪くはなさそうだった。
「準備は出来た」
アリスがぽつりと呟く。それが始まりの合図だ。
全員に緊張が走り、即応の態勢を取る。
手筈通りにシーリアは杖に魔力を込めた。
「『我は導く。力はかくあるべき場所に流れる』」
いつものピアース式の論理魔術とは違う詠唱。アリスから学んだらしい。こういう設置式の術式は制御に優れるディラス式の魔法が向いているそうだ。
杖が普通の眼には見えない魔力の流れに触れると、アリエルを囲む結界が輝きだした。
「本当に……動いた。死んだまま」
小さな声でクルスが一人、呟く。
そして、結界が切り替わったのと同時にアリエルの巨体は震え始めた。無機質だった亡骸に澱んだ力が急速に染み渡っていく光景が俺には見えている。
薄暗い闇。死の力だろうか。身体に収まりきらず、黒い瘴気が彼女の巨体を覆うように漏れ出ていた。
「グァァァアアアアアアアアアアアアア! ギャアアアアアァァァ!」
「アリスのお姉ちゃん! 行けるよっ!」
アリエルの禍々しい咆哮に負けないようにガルムが必死に叫ぶ。ガランドフレイとアリエルの分離は成功したらしい。
小さな家ほどの大きさがあったアリエルの身体は一回り縮んでいた。それでも体高ですら俺達の身長よりも遥かに高く、まともには戦いたくない大きさだったが。
「ケイト、クルス。退いてなさいよ! でかいの行くからね」
後ろからシーリアの元気な声が響く。もうそちらを向くことは出来ないが、恐らく自信に溢れた好戦的な笑みを浮かべているだろう。
予想より結界の揺らぎが大きい。一分持つかはわからない。シーリアの魔法もタイミングが悪ければ、アリエルを拘束している結界に弾かれてしまう。
彼女はタイミングを合わせているようだった。詠唱はまだ聞こえない。
三十秒が過ぎた。俺の手にも汗が流れる。袋に手を入れ、土を掴んだ。
気配が変わった。
空気が動く。
「『風の理』『水の理』”風は踊り、水は凍る”」
シーリアの詠唱が始まる。聞いたことの無い詠唱だ。使われている魔力は能力を使わずとも肌で感じる程で、この一撃に殆どの力を賭けようとしていることは理解出来た。
この新しい魔法も複合の論理魔術らしい。こんなことは普通に出来るものなのだろうか。
「”形無き熱き風は氷の華を吹き散らし、理の珠を疾く、駆ける”」
どんな魔術か想像も出来ないが危険なことだけは感じる。クルスも同じようで、顔が強張り、アリエルまでの射線を避けていた。
「”生まれ出でるは不可避の檻。全てを焼き尽くす雷神の顎”」
詠唱が完成したらしい。暴風がシーリアに向かって吹き荒れたかと思うと、一瞬で凪ぐ。完成した瞬間、結界は弾け飛んだ。
「我が友人たる地の精霊、ノーム! アリエルの足を封ぜよ!」
「ケイト。ナイス! さあて……大きい花火を上げるわよっ!」
間髪いれずに俺は数匹の地の下位精霊を呼び出し、足に張り付かせる。単純に重量が増せば動きは鈍ってくれるはず。
「くたばりなさいっ! 『雷縛陣』!」
シーリアが最後の言葉に力を込めると、小さな光の玉が杖からアリエルに向かっていく。動ける状態なら簡単に回避されるような速度だ。
だが、結界を弾きとばしたこの瞬間は動けない。
アリエルに光の玉は命中し、周囲は轟音に包まれた。




