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第二十一話 極限での選択肢




 何もしない場合は早ければ十日。それが噴火までの残り時間らしい。

 山を降りる時間、そして避難する時間を考えれば、自分達だけでもギリギリだ。当然ながら他の者まで避難させるのは困難だろう。


 頂上からの帰路に俺は深く悩んでいた。

 命を賭けるのか、危険を避けるのか。どちらにせよ限られた時間の中で検討し、選ばなければならない。食料や水、疲労の面からも余裕は一切無いのだ。


 追い詰められた状況だと思う。

 逃げた場合はどんな事情があろうと、死にたくなるくらいの後悔が残ることが間違いないからだ。ただ、逃げない場合はその場で死ぬ可能性が高い。

 最悪の二択と言っていいのではないだろうか。


 幸いなことに、シーリア達が待つ場所までは楽に戻ることが出来た。これはガルムに宿っているガランドフレイに、限定的ながらもガラルの力が注がれたお陰である。

 彼の力は近付いた狂った火の精霊を瞬く間に消滅させていった。



 荒野に横たわる巨大な熊の姿は、話を聞く以前とは違って見える。

 あの時は圧倒的なその姿にただ驚いただけであったが、真実を知った今は心を突き刺されるような切なさを感じていた。



(贖罪……か……)



 俺は最後まで己の選んだ役割を果たした哀しい女性に黙祷を捧げる。

 戻った俺達をシーリアは見つけていたようだが、彼女は俺が眼を開けるまで待ってくれていた。



「ご苦労様。どうだった?」

「アリスは中々やるわね。私には思いつかない発想を持ってる。それに驚くほど協力的だったし、何を考えているのかさっぱりわかんないわ」



 シーリアは何かの作業を熱心に続けているアリスを、肩をすくめて、やや困惑した様子で見詰めている。怪我一つ無いところを見ると危険な事はなかったようだ。

 アリスの方は艶やかだった金色の髪がくすみ、服も白い肌も砂埃で汚れていた。だが、彼女はそんなことにはまるで意識を向けず、今も細い杖を持ち、子供のように小さな身体を地面に擦り付けるようにしながら、鬼気迫る集中力で紋様を刻んでいる。


 彼女は乗り気ではなかったはずなのに。

 そんなアリスをゼムドは太い腕を組みながら静かに見守っている。


 二時間程で作業を一段落させると、ようやくアリスは俺達に気が付いた。

 そして俺をじっと見詰め、身体を一瞬だけ震わせると、憮然とした様子で思い出したように自分の身体に付いた汚れを払う。



「これを作ったのは多分、あのクラストディールを召喚した魔術師と同じ。こんなに狂った高度な魔術を、正気で扱える人間がそう何人もいるはずがないわ」



 頂上での出来事の説明を受けたアリスの感想がこれだった。

 俺の魔術師への感じ方は彼女とは少し違う。聖輝石が関わっているため、同一人物だろうとは俺も思ったが。



(正気の魔術師がそれ程に追い詰められていたのかもしれない)



 俺はそう感じていた。それこそ自らの魂までも犠牲にしなければならなかったくらいに。それほどの何かが……恐らく大災厄に関わることが彼等の身に起こったのではないだろうか。

 アリエルが『贖罪』したように、魔術師もまた、自身のやり方で責任を取った可能性もある。



「狂っている貴女が言うの?」



 クルスの悪意を込めた皮肉にはアリスは眉一つ動かさない。完全に無視していた。

 彼女はシーリアは認めている素振りを見せていたが、クルスには相変わらずである。



「準備は出来ている」

「その前に皆の意見を聞くつもりなんだけど」

「時間の無駄ね」



 アリスは片側だけ結んだ髪を一度だけ触り、嘲るように笑った。



「どうせ貴方は逃げられないのだから」



 全てを見透かすようにアリスは断言する。

 彼女が俺と関わった時間は殆どないはずなのに、迷いは全くなかった。まるで古くから俺を知っているかのように、自分の答えが正しいと彼女は信じている。

 精巧な人形のように整ってはいるが、どこか無機質なアリスから敵意は感じない。心の底から侮蔑しているわけでもないようだ。



「ま、ケイトはわかり易いからね。お人好しだし。それに私も逃げたくないわ」



 理解出来ない不快感と共に薄気味悪いものを感じ、息を呑んで俺が黙ると、シーリアは苦笑いしならが冗談めかした溜息を吐き、場を和ませるように明るくそう言った。



「じゃがどうやって、アレを倒す? 恐れるわけではないが」



 味気ない保存食の食事を終え、胡座をかいて獲物の鉄棍の具合を確認していたゼムドが、その手を止めずに言葉を続ける。



「踏み潰されて即死されては拙僧も手の施しようがないからのぉ」

「いやいや、爺さん中々言うっすね~。もっと無茶だって言ってやって下さいっす!」

「爺……湖の民のお主とでは、そう歳は変わらんはずじゃがの」



 俺達とは馴れ合うことなく、一線を置いているゼムドにウルクは楽しそうに茶々を入れていた。しかし、凄まじい惨状になっている戦場を見ればゼムドの懸念は最もだ。

 流石に俺も無策で相手をする気にはなれない。シーリアの自信有りげな様子を見る限りはその心配はなさそうではあるが。

 俺と視線が重なると彼女も胡座をかいたまま耳をピンと立てて得意げに胸を張った。



「魔術師の結界はアリスと一緒に弄り倒してやったわ。魔力が流れる場所や方向もケイトのお蔭でわかっていたし、楽勝だったわね」

「はい、先生っ! 具体的にはどうなったんすか?」

「うむ、姐さんよ。私も何が何だか全くわからんぞ」



 何故か頭の上に座っているアルトと一緒に、ウルクは元気良く手を上げる。強敵と闘うかもしれない今も彼等の態度は軽く、気負いは全くない。表情も明るくて楽しそうだ。

 俺も少しだけ笑みが溢れた。たまにどこまでも楽しそうな彼等の事が羨ましくなる。



「えーっとアリエルだっけ? 元々は彼女が核となって、死者と魔力を繋ぎ魂を力に変換することで祖霊様を封じるサイラルの結界を維持していたの。だから、初めに言ってたように、基点を潰せば結界が消滅して、祖霊様は解放されるのね」

「ガランドフレイの魂ではなく、アリエルの身体を封じる流れに変更するスイッチを設置した。切り替えれば核にされているアリエルからガランドフレイの精神は解放され、熊の肉体……本体は封じられることになる。大きな期待は出来ないけれど、ある程度は時間を稼ぐ結界になる……はず」



 シーリアの説明をアリスは引き取った。確かに有用な変更だったがウルクは納得がいかないように首を傾げている。



「でも、それでどうやって倒すんすか?」

「馬鹿なの? 頭に何ついてるの? カボチャなの?」



 アリスは平坦な口調でそんなウルクを罵っていたが、言われている方は気にする風でもなく嬉しそうな顔で「酷っ!」と大げさに仰け反っていた。



「ようするにこの先はノープランってことかな。魔術も不便なもんすね」

「『呪い付き』の力は、魔術の範囲外。何が起きるかわからない」



 ふん、と小さく鼻を鳴らしてアリスはそっぽを向く。少しムッとしているようだ。魔術には彼女なりにこだわりがあるのかもしれない。

 とにかく、出来ることはやったというところか。それなら、他の力はどうか。



「ゼムド、ウルク。神の力で何とかならないか?」

「恐らく無理じゃの。理由はアリス殿と同じ。理が違う……確実とは言わんが」

「例え効いたとしても、あれだけ穢されているんじゃ自分はきついすね。それに触れる必要があるんで、どうかなぁ。そうだ、アリスさんの『能力』は?」



 自信なさげにゼムドはアリエルの方を向き、ウルクは腕を叩いて苦笑して、今度はアリスの方に話を投げた。あの大きな熊……アリエルの身体が『穢れている』と彼は表現している。そういうことは神官である彼等にはわかるらしい。

 死体を操る呪い付きが何か仕掛けをしているのは間違いなさそうだ。



「死者に私の能力は使えない」



 魔術を中心に考えていたことから、無理なのだろうとは考えていたが……彼女の能力である『心の蔓』は、死者との相性は悪いらしい。

 身体を操られても、心は既に死んでいるのだろうか。魂が穢れるということと死はどう関連しているのか……推測でしか考えられそうにないし、ここまで来ると答えのない哲学の領分なのかもしれない。

 今回、アリスは協力的だった。能力についても俺が把握していることには気付いているだろう。命も危ないのに使わない理由はなさそうだ。



「ケイトの『能力』は?」



 エーリディ湖ではウルクを操っていたアリスの呪縛を俺は打ち破っている。だからだろう……彼女が不思議そうにこちらを見ているのは。

 俺は小首を傾げているアリスに頷き、今度は自分の能力で出来ることを説明する。



「俺には確かに『呪い付き』の力の流れもある程度見えている」



 炎の精霊から話を聞き、名前が判明したことで、俺は相手の能力や彼女を縛っている黒い何かが以前よりもはっきりと見えるようになっていた。

 ただ、その場所が問題。だから、俺は先に他の者に聞いたのだ。



「心臓から全身に渡っている。だけど、心臓を狙うのは難しそうじゃないかな」



 例え見えていても出来ないこともある。

 四足で歩く巨大な熊の心臓をどう狙えばいいのか。



「正直、決め手になるような手段が欲しい。不測の事態が起こっても何とかなるような。一撃で消し飛ばせるくらいに圧倒的な火力があれば一番なんだろうけど」



 アリエルは体格に見合った力を持っており、戦いが始まれば逃げることも出来ないだろう。幾分かガランドフレイと分離することで弱まるかもしれないが、希望的観測は排除しておきたい。生き延びるための方策は必須だった。


 しかし、この中では一番の攻撃力を誇るシーリアも、苦笑いして首を横に振っていた。彼女も出来るなら初めから提案しているはずだ。



「弱点、他は無い?」



 下を向いて考え込んでいたクルスが自信なさげに呟き、俺は首を横に振った。少なくとも俺の目には映っていない。見えるのは、心臓を中心に黒く濁った何かがあることだけだ。

 しばらくして、俺の方を見たクルスは唇を噛み締めていた。

 


「私は彼女を助けたい……気持ち、わかる気がするから」



 何か心が触れることがあったのかもしれない。ためらいながらもクルスは珍しく、はっきりと自分の意思を表情に出している。

 助けたいと本気で考えているのに、いい案が出せない自分にやきもきしているらしい。



「みんな、祖霊様が手は一つあるって。残っている力で僕の身体を使ってもらうね」



 全員が有効な手段を思いつかずに黙り込んだ時、それまで話に参加していなかったガルムが声を上げた。ガランドフレイはいつの間にかガルムに身体を返していたが、彼にはきちんと話を続けているようだ。


 手段があるのは有難い。神である彼なら確かにあるいは。

 全員の視線がガルムに向けられた。そして、彼の眼が徐々に虚ろなものとなっていく。



《我の力も残り少ない……手短に説明する》



 事情を知らないシーリア達も、今、彼に起こっていることは理解できたようだ。

 それぞれ驚くような反応を見せながらも、声は出さなかった。。


 

《策としては至って単純だ。我の力で強引に浄化する》

「可能なのですか?」

《お前達はガラルからアリエルに繋がれていた魔術回路は意味はないが生きていると言っていた。それをガルムの身体に繋ぐ》



 ガランドフレイの意図はわかった。そうすることで力を補充するつもりなのだ。技術的に可能なのかとシーリアとアリスの方を向くと、俺が何も言うまでもなく、既に二人で地面に絵を書いて相談していた。



「それ、ガルム平気?」

《弱き娘よ。心配ない。我が必ず守る。ただ、力を蓄えている間は我は無防備となるだろう。その時間は稼いでもらいたい》

「大丈夫。私弱くないし」



 クルスは拗ねたようにそっぽを向く。彼女は神が相手でも態度を変えようとする意思はないらしい。しかし、災厄を運ぶ者よりはマシだと思うが、神様というのは大仰な言い方が好きなのだろうか。

 ただ、ガランドフレイのクルスに対する視線はどこか優しい。



《侮っているわけではない。弱さは大切なものなのだ》

「わからない」

《構わない。いずれわかるのだから。お前はそういう運命にある》



 ガルムの中のガランドフレイは彼の身体を使ってクルスを見上げ、哀れむように僅かに眉を寄せる。



《お前はアリエルと在り方がどこか似ている。彼女もまた、弱き娘であった。だが》



 そして、少しだけ沈黙し、一つ息を吐いた。



《その弱さが世界を救った》

「だけど、贖罪……あ、そうか……やっぱり……」



 俺はガランドフレイの言葉に内心で首を傾げる。だが、クルスには何かを推測できたようだった。同時に彼女の表情から完全に余裕が消え、ガランドフレイを睨みつける。



《神託だ。お前は災厄を断ち切る剣となる。後悔の無い選択を》

「軽い神託」



 クルスは不機嫌そうに吐き捨てた。




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