第十八話 悪意ある結界
今回の件はただの偶然であり、聖輝石と違うモノであるという可能性も一瞬だけ頭を過ぎる。
しかし、そう考えるにはあまりにも状況が揃っていた。
(毒を食らわばテーブルまでってことかな。無理矢理食わされてるんだけど)
自分の間の悪さに思わず苦笑しながら、髪を軽く掻き乱し頭を横に振る。
元々はこの世界を見て回るだけのはずだった。それが、厄介事が厄介事を呼び、大事件が大事件を呼んでいく悪循環に陥っている。そんな柄でもないのに。
「ケイト、これ難しい……」
アルトを遠くに投げ捨てたクルスは、ガルムの言葉を全て書き留めたノートに顔をしかめながら近付け、小さな声で読んでいた。だが、拙い棒読みであり、意味を理解することは出来ていないようだ。
薬草学であれば彼女も村でしっかりと学んだため、相当な知識を持っているが、流石にこれは専門外だろう。
勿論クルスが悪いわけではない。俺の前世のようには教育体制が整っていない故郷の村では学べることに限界があり、俺や師匠達だけでは教えられることに限界があるからだ。
それに彼女はまだ若すぎる。生きること、そして訓練の日々で学ぶ時間そのものも少なかった。
それでも諦めることなく必死に理解しようと奮闘している彼女の姿勢は、不器用だけど見習わなければならないなとも思う。
彼女が望むなら、また色々一緒に学んでいくのもいいかもしれない。
旅はまだまだ続くのだから。
しかし、今は時間が惜しい。俺は彼女からノートを受け取ると、ガルムが理解できなかった言葉を漢字に変換していく。
「ガルムに語りかけているのは紅の祖霊、ガランドフレイの精神体。何かの術師が自分の身体を神に捧げたのかな。つまりあの大きな熊はその術師の身体ということか」
「どうしてそんなに簡単にわかるの?」
「なんとなくね。今度ゆっくり理由は話すから」
「ん、約束」
俺があっさり読んでいることにクルスは不服そうにしていたが、一度小指を絡み合わせると、黙って俺の説明に耳を傾けていた。
簡潔にまとめると、倒れている熊と頂上近くにいる『何か』は魔力の線で繋がっており、お互いに必要なものを融通することで、半永久的な存在になっていた。ということらしい。
しかし、魔力の線が切断され、片方の存在が消えた。
なら、その相互に融通しあっていた魔力はどうなるのか。
「どういうこと?」
「何かわかり易い例えがあれば……そうだなぁ。ちょっと違う気もするけど桶を想像してみて。あれにずっと水を入れていくとどうなる?」
「水がどんどん溜まっていく?」
「そう。だけど、それが溜まり続けた後に、桶が壊れたら?」
「あ、一気に全部流れる!」
答えを見つけて若干嬉しそうなクルスに俺は頷く。恐らくは今回の異変の原因はここにあるのだろう。半永久機関たらしめていた半分の存在が消え、片方のみが残った。
神と呼ばれる存在と同格の存在、バランスが崩れた時に何がもたらされるのか。
その答えが『ガラル火山の噴火』ということなのだろう。
「問題は悪意ある儀式がどうという……」
「ケイトにもわからない?」
「確証があるとまでは。向こうの調査待ちかな」
問題は調査結果を知った上でどうするか。
果たして俺達の能力で何とかなる問題なのだろうか。
何があろうとも、優先するべきは仲間の安全。
冷たいかもしれないが、他のことは後回しだ。
調査を待つ間にもう一つガルムに聞きたいこともある。こちらは完全に個人的な興味だが。神と呼ばれるような存在であるならば答えを知っているかもしれない。
かつて感じた違和感。今も持っている疑問。
「ガルム。悪いけどもう一つ聞いて欲しい。今回の件とは関係ないんだけど」
「何?」
「何故、神も人も獣人も魔物も、全て同じ言語を使っているのか聞いてみて欲しい」
「え、意味がわからないんだけど。それって当たり前じゃ……?」
ガルムは眉を寄せているが、これは当然である。
この世界で生まれた者にとっては生まれた時からの常識であり、疑問にすら思わないことであるに違いない。空を飛んで戻って来ていたアルトも両手を上げて馬鹿にするように首を横に振っている。
クルスもきょとんとして、こちらを見ていた。
「いいから。そのまま伝えて」
世界の統一言語などというものは、元いた世界では有り得ない。
僅かにしか隔てのない国同士ですら、言葉は大きく違う。
この世界は魔法という不思議なものは存在するものの、多くの人種、多くの国が存在しており、やはり統一言語などというものが生まれるとは信じ難かったのだ。
この答えを知ることも世界を回る旅の目的の一つである。
「面白い質問ね。確かに私も気になるわ。知ってどうなるわけでもないけれど」
獣人の神、ガランドフレイの解答を待っている間に戻った他の面々の中で、俺の問いに興味を示したのはやはり前世の記憶を持つアリスだった。
柔軟な思考を持っているシーリアも、ウルクもゼムドも意味がわからないといった表情をしている中で、彼女だけは感心するように頷いている。
クルスはそれが悔しいのかアリスを睨んでいるが、こればかりは仕方がないことだ。
その視線をアリスは受け流し、括った片方の髪を弄りながら冷めた視線を此方に向けている。意味のない話は止めて、目先の問題を何とかしろということだろうか。
まあ、今いる場所も安全とはいえ、火口に近いことは間違いなく、悠長にしていられるような環境ではないのは確かだ。
俺はやれやれと苦笑して左手で髪を触り、戻ってきた彼女とシーリアの方を向いた。
「調べた結果はどうだった?」
「その前にケイトが書いた回路図とガルムからの情報を」
「わかった」
俺はアリスから促され、ガルムの言葉を漢字に直したものと俺の眼で捉えていた魔力の線を書いた回路図を彼女に手渡した。
アリスはシーリアとペンを片手に小声で確認しあいながら、深刻そうに話し合っている。専門的な単語も混じっているのは、魔術師同士だからだろう。
こちらの二人はそれほど険悪そうな雰囲気は感じない。気が合うのだろうか。
結論が出たのか、アリスとシーリアはノートを俺に返して、全員に集まるように伝えた。
普段と同じ無表情だがアリスには僅かに不快の色が見え、シーリアは青ざめていて顔色が悪い。『悪意ある』と、ガルムの言葉にはあったが……俺は手の平の汗を服で拭い、二人の言葉を待った。
「結論から言うとケイトが見ている魔力の線は魔法と『呪い付き』の能力による結界。この結界の中にガランドフレイとやらは閉じ込められている。ガルムが声を聞くのに時間が掛かるのはそのせい」
シーリアは杖の柄で地面を削り、全員に見えるように魔法陣を書き込んでいく。
そちらにちらりとアリスは視線を向け、解説を続ける。
「貼った術者達の性格が良くわかる、とても強引でイカレタ結界。癖があるから誰が貼ったのかは特定できる。ま、そのうちの一人は誰かさんに殺されたみたいだけれど」
「どういう結界なんだ?」
嗤うアリスを無視し、俺は先を促した。
『結界』、そして俺を見るということは、殺された術者の一人というのは答えるまでもなく『呪い付き』サイラルのことだろうから。
そして、当時仲間ではなかったウルク以外にはアリスの言葉で十分だ。
「禁呪……いえ、邪法よ。魔力を持つ者の魂を贄にして、発動させる結界。恐らくは連れてきた戦士達は無造作に選ばれたのではなく、多少の魔力は持っていたのでしょう。そして、贄となった戦士達の肉体が滅んだ今もなお、魂を削りながら結界を維持し続けている……」
「馬鹿な……では、あやつは意図的に同志を犠牲にしたと言うのかっ!」
静かな口調で語るアリスに、ゼムドは立ち上がり、怒気を発しながら詰め寄った。だが、彼女は動じず、氷の刃のように鋭い口調でゼムドに告げる。
「それが最も犠牲の少ない戦術だったということよ。そして、貴方にそれを非難する資格はない。私にも。ジューダスのやり方とはそういうものだと知っているでしょう」
グッ! とゼムドは息を呑み、しばらく立ち尽くしていたが、何も言い返さず歯を食いしばって腰を下ろした。
「続けろ」
「……地面に書いた丸印は骸の場所。これが基点になっている。そして、核はあの巨大な熊の転がっている場所。何箇所か基点を破壊して内部に侵入し、核を壊せば結界は消滅する。だけど、この邪法を用いた術者が私の予測通りの相手なら、結界の解除は困難」
「どうしてっすか? 相手死んでるっすよ?」
不思議そうにウルクが首を傾げる。確かに、この場に生きている者はいない。彼の疑問も最もだが……アリスは首を横に振った。
「まだ生きている方の術者も『呪い付き』なのよ。その能力は恐らく命の無いものを操ること」
「な、なるほど……あれが動きかねないってこと……すか」
今は動かない、家ほどの大きさはある紅い熊の姿を横目に、ウルクは声を震わせる。
「結論としては放置するのが一番安全ね。自殺願望がないのなら」
「同志の魂を救うことは出来ぬか」
ゼムドは目を瞑って神へと祈りを捧げ、長い息を吐いた。
俺はシーリアの方にも視線を向ける。彼女は深く考え込んでいるかのように、視線が明後日の方向を向いていた。どうやら彼女は結界の魂を救う方に思考が飛んでいるらしい。
彼女らしいと俺は小さく笑った。
だが、どうしようもない場合は諦めてもらわねばならないだろう。
例え彼女から失望され、軽蔑されようとも。
「ガランドフレイと『何か』を結ぶ大きな回路の方への結界の影響は?」
「この結界は完全に装置の回路を遮断している。だけど、供給される側のガランドフレイの依代が滅びている以上、この結界に意味はない。純粋にあの化物熊を倒すための結界ね。悪趣味な趣向は貴方達のように調査に来た者に対するおまけみたいなもの」
仲間達の様々な思いを気に止めず、淡々と続けられていくアリスの言葉を、俺は感情的にならないように冷静に検討を加えていく。
「なら、ここを放置してもう一つの方を確認し、解決がもし可能であれば、異変は収まるわけだ。アリスとシーリアの仮説が正しいなら」
「だけど、それもまず無理ね。そんな幸運はありはしない」
アリスの声色はその無感情な冷たい容貌とは裏腹に優しげだった。
「もう……十分でしょう?」
確かに、これだけの情報を集めれば依頼は達成できているに違いない。
神との対話は終わったのか、ガルムもこちらを向いている。
こちらは少年らしい熱っぽい、何かを期待するような表情で。
数日前なら、こんな顔はしなかっただろう。
希望もなく、だけど、これ以上裏切られることなく、ただ毎日を生きていたのではないか。そんな風に思う。
様々な感情が込められた全員の視線が集中する。
後は俺の判断次第。自らの決断が仲間の命を左右する。
悩んだ時間は僅か。
「まずは頂上付近を調査する。その間にシーリア」
ずっと考え込んでいるシーリアに声を掛けると、彼女は一瞬きょとんとした後、俺の意図を察したのか不敵に笑った。当然といったように。
「あの結界をどうにかする方法を考えておいて欲しい」
「任せておきなさい」
「まずは出来ることをやる。後のことは安全を確保しながら考えよう。何もかも諦めるのはそれからでも遅くない」
クルスは嬉しそうに頷き、ウルクも笑って立ち上がる。アルトは面白いものが見れそうだと喜んでいた。ゼムドは黙って立ち上がり、アリスは力なく首を横に振る。
「相変わらず、損な性格をしているわね」
すれ違い際にアリスは耳元で囁いた。
それは非難するようなものではなく、どこか甘さを含む呟きだった。