第十話 災厄を宿す者
商人を護衛しながら、整備された道を歩いていたこれまでの旅路とは異なり、次の移動の際には相応の準備が必要となる。そのための準備、そしてウルクに聞き込みをしてもらうために、出発は明日にすることとし、俺達は昼食がてら『プーク族』の彼から事情を聞いた。
彼等は個人名を持たないらしく、彼もまた「只のプーク族」らしい。
「どんな事が起きるのか楽しそうではないか」
肉球の付いた手で、器用に縫い針を使って肉を美味しそうに頬張りながら、彼は笑った。
植物から生気を分けて貰う事が出来る彼等は、飢える事はない。また、危機に陥っても羽が生えるため、簡単に逃げる事が出来る。
虹色の羽は俺の能力で『視た』ところ、小さな風の精霊が集まって出来ているようだ。背中にはくっついておらず、宙を浮いている。彼曰く、この色合いは『最大の危険』を示しているらしい。
そのため、彼の一族の殆どは他の集落を目指して、この国から飛び去ったらしい。
しかし、何人かの変り者は残り、『リブレイス』に対する義理を果たした後は天災の結果を見届けることにした、というのが彼の説明だった。
彼等にとってはこの国も人間も、どうでもいいことなのだ。
ただ、享楽の為にここにいる。
余りに考え方や倫理観が異なっているが、それは人間社会と殆ど関わらない彼等なりの考え方なのだろう。非難する気にはあまりならなかった。
売られそうになっていた理由に関しては、
「恐ろしい罠であった。皿の上に肉が置かれていたのだ。私がそれを食べようと近付いた瞬間、籠が落ちてきてな。隙を見て逃げ出したが、奴等の智謀は恐るべきものであった」
と、偉そうに胸を反らしながら何度も深々と頷いていた。
あまり深い考えのある種族ではないのかもしれない。
「あのケダモノどうする?」
「さて。どうするかな」
隣を歩くクルスの問い掛けに、俺は同じように疑問で返す。
食事の後、俺はウルクとシーリアの二人と別行動を取り、クルスと山を調査するための準備を行うため、様々な店を巡っていた。
シーリアはどちらに同行しても良かったのだが、クルスをじっと見た後に少し考える素振りを見せて一つ頷くと、
「私はウルクのやり方を学ばせてもらうことにするわ」
と、暖かみのある笑みをクルスに向け、空飛ぶ犬を掴まえて一緒にウルクに付いて行っている。
「害はなさそうだけどね」
「あいつ、急に此方に曲がって飛んできてた」
「本当に?」
クルスはこくりと頷く。
彼女の言葉が本当なら偶然此方に来た訳ではなく、『俺達』の方へと飛んできた……そういうことか。俺には全然軌道が見えなかったが、彼女の目は容易にそれを捉えていたのだろう。
「後で本人に聞いてみよう。良く見てたね」
「うん」
生返事を返し、クルスは足を止め、隣を歩く俺を見上げた。
いつの間に身長に差が付いたのだろう。一年前は変わらなかった彼女との背丈の差は少し広がり、今では俺は彼女を見下ろしている。
そのことに軽い驚きを感じつつも、彼女の言葉を待つ。
「ケイト……ん……何でもない」
普段通りに見えるが少し元気がない。
長年の感覚でそれはわかるのだが、原因まではわからない。
再び歩きだしたクルスに歩調を併せながら思考を巡らせるが、理由には思い至らなかった。本人に直接的に聞いても教えてはくれないだろう。他の方法を考えるしかない。
「クルス。手、繋いでいい?」
「あ、うんっ!」
二人きりなのを思い出し、声を掛けるとクルスは嬉しそうに自分から俺の手を取ってくれた。
日、一日事に彼女は大人に近付き、美しく成長しているが、こういう時の表情はまだまだ子供っぽい。それも可愛いと思うのだけど。
彼女の手は柔らかくは無い。剣を振るため、皮も所々剥けていて女性らしいとは言えない手だ。戦いでは前衛に立つ為に小さな傷跡も多い。でも、とても暖かいと思う。
「この国、ピアース王国と全然違うね」
「うん。変な国」
外国の人間であり、肌の色が異なる俺達は目立つ。人通りも多い為、周囲から視線は受けるが俺はあまり気にしなかった。クルスも恥ずかしそうにはしていたが、それでも手を離す様子はない。
彼女の常識は長年過ごしてきたクルト村のものだ。
だから余りにそれとは異なるこの国は『変な国』に見えるのだろう。
「村に残ったマイスにも見せたかったな」
「多分、怒り狂う。間違いなくケイトより早く喧嘩してる」
くすくすとクルスは小さく笑い、俺も同意するように頷いた。
村に残った親友の性格を考えると、間違いないと俺も思う。
「でも、絶対楽しかったと思う」
俺はそう続けた。きっと仕方なさそうに俺は彼を止め、クルスやシーリアは呆れ、マイスは反省するように大きな体を縮めるのだろう。あいつならウルクとも気が合いそうだ。
「それは少し残念だけど、クルスが来てくれたのは本当に嬉しいんだ」
「ほんとに?」
自信なさげな彼女に、俺は頷く。
同郷の友人達もバラバラになってしまった。村に残ったマイスだけではない。
ヘインは学院に残って学び続けており、ホルスは……。
彼は恐らく、俺達と道を違えてしまった。共闘することはあっても以前のように、信頼し合ってとはいかないだろう。
一抹の寂しさを感じながらも、俺は冗談めかして笑った。
「こうやって一緒にいられるし、それにほら、クルスの方が俺より強いしな」
「ん、ケイトは絶対私が守る」
クルスもそれに応えるように、俺の腕を両手で包み込むように抱えて身体を密着させ、他の人には見せない満面の笑みを浮かべる。
悩んでいた部分に関わっている話も混ざっていたのかもしれない。
何かに納得が行ったのか表情は明るいものになっていた。
手を繋いだまま買出しを行い、空に朱みが差し始めると、俺達は待ち合わせのために取った宿へ戻った。部屋には既に他の三人も戻っており、床に座って楽しそうにカードで遊びながら談笑している。
「ただいま。それ買ったんだ」
「おかえりっす。いやー、カジノ駄目になっちゃったすからね。代わりっすよ」
荷物を置き、にししっと笑っているウルクは「これで勝ちっ!」とカードを捨て、同時にシーリアと黒い犬は悔しそうな声を上げて、カードを宙に放り投げていた。
「あ、だけど例の賭けは私の勝ちね。付き合いの長さが違うわよ」
「えー本当っすか? う、これは確かに負けっすね。もっと朴念仁と思ったんすけど」
「姐さんの勝ちだな」
クルスの顔を見ながらシーリアが胸を張り、ウルクは財布から銀貨を取り出して、彼女に投げる。シーリアは、にぃっと悪そうに笑い、格好付けて片手で取ろうとしたが失敗し、わたわた慌てて拾っていた。
三人で何やら賭け事をしていたらしい。俺が何のことかわからず首を傾げていたが、彼等は教えてはくれなかった。
「それで何か新しいことはわかった?」
「クレイトス商会が穀物を買い込んでいるのはわかったわ」
「他の有力な商会は?」
「それはわかんなかったすね。口が固くて」
異変が起きると考えているクレイトス商会が、穀物を買い込んでいることは商人としてはおかしくはない。問題は他の評議員が経営している商会はどうかだ。
「しかし、支部でちらりと見ただけの人を覚えてるなんて、とんでもない記憶力っすね」
「一度見れば忘れないわ」
ウルクの呆れ混じりの賞賛に、シーリアは得意気に笑った。
クレイトス商会の取引がわかったのは、先日挨拶に行った支部で仕事をしていた職員の姿を、シーリアが穀物市場で数名見付けたかららしい。
「凄いね。そんなことまで出来るなんて」
「惚れ直した?」
シーリアは得意気に笑い、クルスは「調子乗りすぎ」と、彼女に聞こえるように呟いていた。
「プーク族の君も仲良くなったようだけど、これからどうするの?」
投げたカードをいそいそ拾い直している黒い犬に、俺は床に腰を下ろしてから問い掛けると、彼は「ふむ」と唸る。
「お主と一緒におると、楽しいことが沢山起こりそうだからな。暫く世話になるつもりだ」
「楽しいことが沢山起こる?」
「どういうこと?」
クルスも俺の隣で屈んで、犬を覗き込んだ。
「人間はわからぬのか? ああ、そうか。人間には羽が無いのであった。くくっ……お主は『災厄』なのだと羽が教えてくれるのだ。これは凄い事よ」
「俺が……災厄?」
「うむっ! 面白そうではないか? 今、東で起こっている七色の異変さえもお主に比べれば、ちっぽけな力しか感じない。不思議と近付くまで、私にもわからなかったがな」
彼は二本の足で立ち上がり、楽しそうに俺を指す。
「ただの人間。我らと同じくちっぽけなはずの存在が、どのように災いを引き起こすのか。私も初めての経験だ。いやいや、胸が高鳴るぞ? 実に面白いではないか」
プーク族の羽は彼等に天災などの大規模な危険が迫ったとき、鮮やかな色に染まるのだという。果たしてそれはどこまで事実なのか。彼の言葉通りだとすれば。
「俺が災いを引き起こす……?」
純粋で邪気のない目の前の小さな獣人の、楽しそうに瞳を輝かせながらの意外な言葉に、俺は立ち尽くすことしかできなかった。