第七話 異変の端初
「水臭いですね。ヴァルヌークにお越しなら、私を訪ねてくれれば宜しいものを」
「申し訳ありません。この国は直ぐに抜ける予定ですので、ご迷惑を掛けるわけには」
「ははは、命の恩人相手に迷惑などありませんよ。ケイト・アルティア殿」
褐色の肌、蒼い瞳、肩まである波打った黒髪を持つ三十代辺りの若い商人、128人いるヴェイス商国の評議員の一人、エルドス・クレイトスは商館の客室で俺達に席を勧めると、機嫌良さ気に笑う。
細身で体格的には恵まれていないが、洗練された仕草と自信に溢れた表情が印象的な男だ。
前日に条件として、武器の携帯を認めさせており、剣を彼から見える場所に立て掛けているが気にしている風もない。この辺りは流石、大商会の会長と言ったところか。
彼の後ろに控えている巨漢の護衛、ハルトの方は口を引き結んで直立しているが、彼はこちらを警戒しているようだ。目を閉じて能力を使用すると、武器を持った男が複数人隣室で待機しているのもわかる。当然だろう。
ゼムド達と話した翌朝、俺達はエルドスの秘書、リイザの案内でヴァルヌークの東部にあるクレイトス商会の本部へと足を運んでいた。
数代の間、このヴェイス商国で有数の商会として活動しているだけはあり、商会の本部は大貴族の館を思わせる巨大さで、内部では大勢の従業員が働いているようだ。
「これだけの商会を経営されておられると、お忙しいのでは?」
「はは、商会を私は親からただ受け継いだだけですからね。やることがないのです」
俺の言葉の意図は伝わっているだろうが、エルドスは余裕の笑みを崩さずに言葉を返す。
『ただ受け継いだだけ』とは恐らく微塵も考えていないに違いない。
彼と彼の商会には黒い噂が付き纏っている。強引に商会の会長の座を奪い、彼の代で大きく勢力を拡大した。その背後では……と。
挨拶と簡単なやり取りの後、秘書のリイザが人数分の飲物を用意し、頭を下げて退室する。毒やそれに類する物は入っていないようだ。
俺は三人に目配せして頷き、飲んでも大丈夫だということを示すため、出された物に口を付ける。
「改めてケイト殿には協定を無事に結ばせて頂いた事に礼を言います」
「恐縮です。しかし、私も仕事で行なったことです」
「冒険者には無学な者も多いのですが、ケイト殿は違うようですね。それに、あのラキシス・ゲイルスタッドの娘も仲間におられる」
感心したように、エルドスは頷いた。
隣に座るシーリアは一瞬だけ反応したが、小さく息を吐き、俺の太腿を軽く叩く。任せるということだろう。
『あの』というのは、どんな出来事を指しているのか。
この国でもシーリアの親でもあるラキシスさんの知名度は高いらしい。
「私の部下にも見習って欲しいものです。腕は良いのですが、不向きな仕事が多すぎる」
「私達も不慣れな仕事は出来ませんよ」
芝居が掛かったようにエルドスは大袈裟に嘆く。
大体の話の流れは理解出来た。露骨過ぎる。
しばらく、こうした探りあいの会話が続いていく。
彼の望みは二つ。俺達を部下に引き入れたいということ。
そしてもう一つは、何かの仕事をさせたいということのようだ。
「残念ですね。貴方が我が商会に参加して頂けるなら、相応の待遇をさせて頂くのですが」
「申し訳ありません」
「いえ、仕方がありません」
前者はどうやら強く望んでいるわけではないらしい。初めから難しいとの考えか。
エールの貴族からも誘いを受けている事を伝え、そちらも目的の為に断らせて貰ったことを伝えるとあっさりと引いてくれた。
しかし、エルドスは「ですが」と続ける。ここからが本題か。
「実はケイト殿にこうしたお誘いを掛けているのは、勿論、優秀であるからなのですが、もう一つ事情があるのです。ケイト殿は『ガラル火山』をご存知ですか?」
「ヴェイス商国東部の火山……でしたか?」
先日、図書館でヴェイス商国の地理を調べていた時に見た気がする。南部の山脈は火山などもなく、良質の鉱山があるらしいが、東部の山脈には火山がある。
但し、噴火した記録は無く、安定した休火山であると考えられているはずだ。
「よくご存知で。最近、その付近で異常が幾つも報告されています。ヴェイス商国としては対策を立てたいと考えているのですが、恥ずかしながら派閥争いが酷く、時間が掛かるのです」
「なるほど」
それで、解決して来いということだろうか。しかし、
「私達の手には余りますよ」
「解決は難しいでしょう。また、それはヴェイス商国の責任で行わねばなりません。お願いしたいのは今回の事態の正確な調査です」
テーブルの上で両手の指を搦め、真剣な表情でエルドスは説明を続ける。
「評議会が纏まらない理由には、異変に対する危機感の薄さもあるのでしょう。正しい情報があれば国益の為に手早く動けます。評議会は優秀ですから」
「国内の冒険者……この国では探索者でしたか。そちらに依頼すれば良いのでは。そうでなくとも、ヴェイス商国の学院の研究者を貴方の部下で護衛すればいい」
この国の探索者の中には俺達より優秀な者は山程いるだろう。研究者を護衛すれば知識面でも問題がなく、俺達が調査するより結果は遥かに勝っているはずだ。
わざわざ俺達に依頼する理由は無い。国益に関わる程のものなら尚更だ。
だがエルドスはその答えを聞いても動揺せず、予測していたかのように微笑む。
「国民に異変があることを今は伝えるわけにはいきません。国内の者に依頼すれば、何処から漏れるか……それは困るのです。ケイト殿の目的は政治と関わりがない。安心できます」
「気が変わるかもしれませんよ」
つまりは、国民に知られないよう原因を探り、その資料を持って評議会で優位に立つ。と、言った所か。だが、それだけでは理由は薄い気がする。
そして、エルドスは俺の目的を知っているらしい。
情報源は何処か。
エールの役人から聞いたか、それともリブレイスか。
ふとエルドスを見ると、失敗するとは微塵も考えていない、自信に満ちた笑みを浮かべていた。その表情で俺は心を決める。
「まあ、いいでしょう。お引き受けします」
「おお! ケイト殿、有難う御座います」
エルドスは一瞬、見下すように口の端を歪めた後、嬉しそうに笑った。
恐らく次は脅迫でもするつもりだったのだろう。
絶対に俺達にこの仕事をさせる。
彼にとっては初めから決定事項なのだ。
そして、俺達でなければ仕事を完遂出来ないと考えている。
もしくは、俺達が調査することで、何かしらの利益が存在しているというところか。
「但し条件があります」
「報酬面でしたら可能な限り、支払わせて頂きますとも」
「それもあるのですが、私が仕事を引き受けるのはこの一度だけにして頂きたい。旅の目的を完遂するために、本来は一日も早くこの国を出たいのです」
これでどう相手が出るのか……俺はエルドスの表情を伺いながら、金細工が施された硝子製のコップに入れられた水を飲み干す。
「なるほど……優秀な方とのお付き合いが出来なくなるのは残念ですが、わかりました。その時には出入国証明書を用意しましょう。役に立つはずです。他には何かありますか?」
特に未練はないと言った雰囲気。
要するに、この依頼だけに何かがある……そういうことか。
間違いなく面倒事だろうが。
俺は小さく溜息を吐きながら続ける。
「調査という条件では曖昧で達成の証明が難しいので、その辺りの説明を」
「わかりました。詳しい資料は秘書に持たせます。質問もそちらに」
「最後に、私達はこの国にまだ不慣れ。下準備を図書館で行いたい。だが、この手の作業を得意とするシーリアは図書館に入れません」
「確かに。私の名で立ち入らせるように命令をさせてもらいましょう」
エルドスと条件面に付いて話合いを行い、秘書から詳細な説明を受けると俺達はクレイトス商会の本部を後にした。
結局、数時間近くはあの本部にいた事になる。
昼食を取るために歩いていると、ウルクが腑に落ちないといった様子で俺を見た。
「ケイトさん何で引き受けたんすか?」
「そうだね。脅迫されそうだったのもあるけど、それより大きい理由はあるよ」
「ほほーどんなの何すか?」
「エルドスは異変が起こっているのは東の火山って言ってたよね」
ここまで話すと、気付いたらしいクルスが頷く。
「昨日の話と違う」
褒めて褒めてと言わんがばかりに、こちらを見上げるクルスに笑顔で「正解」と答え、俺は続きを説明する。
「ゼムドは危険を知らせてきたのは、西の草原に住む小人族だと言っていた。じゃあ、その中間であるこの街は?」
「あ、そかっ! 実は結構まずかったりする?」
「かもしれない。無茶をする気はないし、エルドスの思惑は知らないけれど」
シーリアも気付いたらしい。俺達にはこの街に義理はないが……。
だけど、俺達の調査結果次第では被害を多少は抑えられるかもしれない。
杞憂ならばそれはそれで報酬を貰って終わりだ。
「ま、むかつく国だけど守ってやるのも悪くないわね」
「うん。見返す」
俄然やる気を見せている女性陣を見ながら、俺は苦笑する。
エルドスの思惑が見えそうで見えない、そんな不安が俺には残っていた。
確かに彼は優秀だろう。だが、国民の為、などと本当に考えているのだろうか。
「浮かない顔してるっすね」
「出来れば受けたくなかったからね。準備と下調べはしっかりしよう」
「ま、世の中理不尽な事もあるっすよ。気にしない気にしない」
能天気に笑うウルクに、俺は左手で頭を掻きながら苦笑しつつも礼を言う。
だが、心は中々晴れない。
俺は漠然とした不安を抱えながら、歩き続けていた。