第四話 思いがけない手紙
図書館には透明とまでは言えないが、ガラス製の窓が張られており、光を内部に取り入れることが出来る構造になっている。
夕刻となり、厚い窓から差し込む紅い光が机に伸び始めると、何らかの仕掛けで温度を調整しているのかひんやりしていた図書館内部の室温も若干上がり始め、その暖かさに負けたウルクがうつらうつらし始めた。
「今日はここまでかな」
俺は隣で頭が机スレスレまで落ちてはハッとして真剣に本を読み直しているウルクに声を掛け、今日の調査を切り上げる。そろそろ時間もいい頃合だろう。
本を片付けて外に出ると、既にクルスとシーリアは待ち合わせ場所で待っていた。
「どうだった?」
「評議会からの嬉しくもない招待があったよ」
「そっちも……ご招待はこちらもよ。例の子供が手紙をね」
シーリアが封を開けた封筒を指で挟んでこちらに見せる。
中身の方はクルスが読んでいたようで、俺達が戻ってきたことに気付くと、怒気を漂わせながら、読めとばかりに荒っぽく俺に押し付けた。
「ふざけてるっ!」
俺は手紙に目を通しながら彼女の怒りの理由を理解する。
クルスが怒るのも無理はない。
彼女は俺とシーリアに比べれば『手紙の差出人』との付き合いは浅く、それでいて悪い印象のみが鮮明に記憶に残っているのだろう。
二枚綴りの手紙の文末には、ある知り合いの名前が記載されていた。
『鍛冶の神』ガランに仕えるドワーフの神官。
「ゼムドか……」
苦い記憶からの胸の痛みを堪えながら思わず呟く。
彼に対して持っている想いは怒りだけの単純なものではない。
半年もの間、仲間として苦難を乗り越え、時には笑い合い、真剣に相談し……そして、最後には組織を選び、俺達を敵として戦った相手。
彼は俺達を裏切り、俺もまた仲間を守るために彼を罠に嵌めた。
「誰っすかそれ」
「昔の仲間だよ。ただ、ちょっと事情はあるんだけど」
首を傾げているウルクに、俺は複雑な感情を抑えながらそう答える。
今の自分の彼に対する思いを考えた時、他に表現が思い浮かばなかったのだ。
彼に対して俺は憎しみはない。
ただ立場が違っただけ……お互いの仲間を守ろうとした結果だ。
「ケイト違う。敵……敵より酷い。裏切り者」
「クルス……」
だが、クルスは俺の答えに納得がいかないらしく、珍しく感情的に否定した。
夕暮れの日差しを受けて顔を少し赤く染めながら、彼女は上目遣いで俺を睨む。
「あいつのせいで、みんな危なかった。ケイトも大怪我した」
「事情があってのことだよ。彼もやりたくてやったわけじゃない」
「理由なんか関係ない。絶対また裏切る」
ゼムドを庇ったことが気に入らないらしく、憎悪の込もった低い声で吐き捨てる。
彼女の怒りが裏切られたことへの怒りなのか、俺が怪我をしたことへの怒りなのか、彼女なりの正義感なのか、潔癖なところがあるのか……。
まだまだ、クルスのことを完全には理解出来ていないようだ。
だが、これが彼女の素直な気持ちなのだろう。
彼女の心情はわからなくもない。
どんな理由があろうとも、確かに彼は俺達を裏切ったのだから。
「ケイトは退屈しなさそうな人生送ってそうっすね」
「平和が一番なんだけどね。シーリアはこの手紙、どう思う?」
俺に詰め寄るクルスの姿に苦笑しているウルクに答えながら、シーリアにも聞いてみる。
彼女はクルスほど憎悪しているわけではないらしく、不貞腐れているクルスの肩を叩いて宥めていたが、声を掛けると此方を向いた。
「何の意図があるのかわからないけど、注意はしなければいけないわね」
「そうだろうね」
ゼムドは義理堅いが、組織第一の男だ。
基本的には俺達に害を与えようとは考えないだろうが、命令次第では敵対するのは間違いない。
俺に敵対することで、城塞都市カイラルでの誓いを破ることになろうと……。
『聖輝石』が絡んでいる現状、注意はしなければならない相手だ。
「だけど、手紙の内容がね」
シーリアが手紙を指して苦笑し、俺も頷く。
ゼムドからの手紙には、現在はカイル兄さんの命令で動いており、危害を加える必要性が無くなったこと。そして、この街に迫っている危機について説明したいと書かれていた。
同時に話を聞く気がなければ、一日も早く国を脱出するようにとの忠告付きで。
「気になる書き方だね。まあ、長居をする気はないけど」
「ええ。私達を狙っているなら、国を出ろというのはね」
ゼムドは俺の能力を知っている。
人気のない場所で俺に奇襲が通じないことは理解しているだろう。
かつて戦ったサイラルのように、遠距離攻撃を防ぐ手段があるなら別だが。
俺達に警戒されていることも手紙の中身から自覚していることがわかる。
指定してきた酒場も、朝に渡された手紙と違う。
「合流する前に調べたけれど、西門に向う大通り……今歩いている大通り沿いの店よ。学院の学生や研究所の職員が利用する量は出るけど安い、そんな半分食堂みたいな酒場みたい」
「リブレイスは関わってない?」
「そこまでは。だけど、あそこで襲うのは無理そうね」
小さく溜息を吐き、シーリアは落ち着かなそうに頬を触っている。
彼女もクルスのようには割り切れていないのかもしれない。
「凄く悩んだけど……私は話を聞いてもいいと思う」
普段は歯切れ良く答えるシーリアも自信がなさそうで、口が重い。
顔を合わせたくはないが、逆に会いたい気もする。
彼女も俺と同じように、そう考えているのだろうか。
「私は反対。信じられない。帰ろ」
しかし、クルスは断固反対と言わんがばかりに俺の右腕を掴み、泊まる予定の宿の方向へと引っ張ろうとする。
ウルクはその様子を黙ってしばらく見ていたが、首を傾げて俺に質問した。
「うーん、ケイトさんは話聞きたいんすか?」
「ああ、明日、エルドスさんに会うし、役に立つ情報があれば判断材料になるかも」
何も知らずにこの街の権力者であるエルドスに利用される、という事態は可能な限り避けたいところだ。彼が何を考えているのかはわからないが、俺達を呼びつけるだけ……というのも考え難い。
若手の商人から話も聞いたが、エルドスは評議員に若くしてなっただけはあり、貪欲で、どんな手段を用いても儲ける手練の商人なのだそうだ。
ならば、無駄に時間を使うようなことは考えない可能性が高い。
リブレイスの一員であるゼムドなら、色々と知っている可能性はなくもない。
手紙の内容にある危機も、呼びつけることに関係があるとすれば……。
事前に知っておくことで、無用の危険を避けることが出来るかもしれない。
「クルスさんがそのゼムドさんだっけ? その人に会いたくないなら、ケイトとシーリアさんに行ってもらえばどうすかね」
「どうして?」
「いやー自分は知らないっすし、クルスさんが喧嘩腰じゃ話せないんじゃないすか?」
ウルクが此方をチラリと見てにぃっと笑みを作る。
何かを企んでいそうなその笑みで、俺は図書館での彼の話を思い出した。
また余計なことを……そう思うが確かに喧嘩腰では話にならない。
「クルスはそれでもいい?」
「やだ」
俺の腕を掴んだまま、クルスは即答する。
気持ちのいい否定っぷりに、俺は左手で頭を掻いた。
「じゃあ、一緒に来る?」
「それもやだ。会う必要ない」
拗ねたように顔を逸らしながら彼女は不機嫌そうに、ぼそぼそと呟く。
余程腹を立てていたらしい。
やっていることは、わがままな子供のようだが……。
自分の意見をきちっと言えるようになったことは、少し嬉しいかもしれない。
確かに会わずに、忠告に従って街を去るのも構わない。
問題は結果的にどちらが安全かというところだろう。
「ウルクはどう思う?」
「自分はよく知らないっすけど、身の危険が無いなら情報はあった方が良いと思うんすけど。何だかんだでリブレイスの情報網は中々のもんっすからね」
ウルクはクルスに睨まれて怯みつつも、そう答える。
これで三対一。俺はクルスを宥めるように、落ち着いて声を掛ける。
「話を聞いた上で、みんなで考えればいい。駄目かな」
「ケイトの馬鹿。後で説教」
「ごめん」
気に入らないが、話を聞くことには納得してくれたらしい。
結局、俺とシーリアがゼムドが待つ大衆酒場で話を聞き、ウルクとクルスは先に宿に戻ってお互いの情報を交換することとなった。
待ち合わせの酒場は大通り沿い、西門の側にあった。
ヴェイス商国の西部は重要産業が少ないため、西門は東門に比べて商人の出入りは少ないが、学問関係の施設が密集しているお陰で、そこで学ぶ者や研究者達の住宅地が多く、彼等を対象とした大衆酒場のようなものも多い。
広い店内は麦酒と食事を楽しんでいる客の賑やかで楽しそうな声が響いており、威勢のいい店員の注文を取る声も聞こえる。生演奏をしているのか、明るい音楽も流れていた。
その店のテーブルの一つに久しぶりに会う、背の低い、だが、筋骨隆々でがっちりした男。
そしてもう一人。
長い金色の髪を後ろで括り、右側だけ別に一本だけ括った昏い青い瞳の美しい少女が、酒の摘みのサラダを不味そうに小さな口で齧っていた。