第三話 二つの接触
ヴェイス商国の政治の中心である評議会とその関連施設は、街の中央より少し南寄りの場所に作られており、この施設が北の城門から伸びている中央大通りの終着点となっている。
評議会の施設と広大な敷地の周囲は高い壁と無数の警備兵により守っており、一見するとカイラルにあるような領主の城を思わせるが、内部には高い建物がないのが特徴だ。
壁の内部には大昔に写真で見たアラビアのモスクを思わせる、丸い屋根を持ち、左右対称の荘厳な石造りの建物を中心に、種々の建物が建てられているらしい。
これらはあくまで会議を行う場所であり、防衛の為の施設ではない。だから、堅固な建物は必要がない……ウルクはそう説明していたし、シーリアの知識でも同じだった。
国の防衛はこの都市の外にある砦等を中心に、郊外で戦うと権力者は国民に説明しているのであろう。それはそれでいい。
「どうしたの?」
「何でもないよ。今度話すから」
歩きながらクルスが不思議そうに小首を傾げる。
どうやら、俺が考え事をしていることに気付いたらしい。
俺達にとっては特段、重要な事ではない。
エールを巡る戦いで新しく能力が強化されたお陰で、俺は目には見えないはずの魔力の流れのようなものを『視る』ことが出来るようになっていた。
その力を使用した所、広大な評議会の敷地の地下に、食料の保存庫や武器庫に加え、巨大で複雑な魔法式が組み込まれた何かがあることがわかったのである。
恐らく、この街が攻められた際に籠城するための備え……ではないだろうか。
「残念ながら日記には書けそうにないけどね。死にたくないし」
「ふーん」
苦笑いしながらクルスに答えると、彼女はちらっと此方を一瞥して、興味が無さそうに先々歩いていく……ように見える。
本当は聴きたくて好奇心でウズウズしているのだろう。
こういう時、彼女は左手の指を擦り合わせる癖があるのでまるわかりだ。
「さて、見えてきた」
「この国の図書館も大きいわね」
評議会の壁沿いを西に真っ直ぐに歩くと、目的地である図書館が見えてくる。
図書館はこのヴェイス商国の政治の中心である広大な施設の隣に建てられており、誰もが一定の金銭を支払うことで利用することが可能となっていた。
図書館の近辺には国立の大学などの学術施設、研究施設が併設されており、付近一帯がヴェイス商国における知識の集積地点となっている。
カイラルの施設を見慣れているシーリアから見ても、この街の施設は中々のものらしい。
しかし、結局のところ、図書館の入口に辿り着いた俺達は警備兵に呼び止められ、雑貨屋の老店主が教えてくれた通りの対応をされることとなった。
中年の太った警備兵にシーリアが学者であることを説明したが、規則であるとの一辺倒の回答しか引き出すことが出来なかったのである。
「融通利かないっすね」
「役人はしっかりしているみたいだね。少なくともあの人は」
袖の下を要求するような事も無く、規則に則り、真面目に仕事をしている……というのは評価すべきところなのだろうが……今回だけは恨めしい。
シーリアに顔を向けると仕方無いと言った風に困った笑顔を浮かべ、肩を竦める。
「じゃ、予定通りに行きましょ。私はクルスと一緒に街を見てくるわ」
「ん、行ってくる」
「それじゃ夕刻にこの場所に」
一度、警備兵から距離を取って話し合っていた俺達は、宿での相談通りに二手に分かれ、俺達は本を探し、クルスとシーリアには街を散策してもらう。
「それじゃ、ウルク。まずは中で優先順位を決めて、探していこうか」
「そうっすね」
街の方へと歩いていった二人を見送ると、俺とウルクは図書館の入口の警備兵を相手に所定の手続きを取り、腕のいい建築家が作ったらしい石造りの図書館の中へと入っていった。
図書館の内部は大理石の床に、刺繍の施された赤い絨毯が引かれており、学生以外が中に入る場合には、事前に専属の職人から靴磨きを受ける必要がある。
職人の話によると、建物には数百年前の技術と美術の粋を集めた芸術品としての価値もあり、それを守るための配慮らしい。
掃除も行き届いており、柱も壁も年月による風化は感じられるものの、年月を考えれば信じられないほど丁寧に管理されている。
「しかし、シーリアさんは、かなり参ってるっすね」
そんな図書館で目当ての本を探しながら、ウルクは疲れたように溜息を吐く。
それは俺もわかっている……つもりだ。
昔の彼女は人間を遠ざけ、関わらないように気を付けていた。
だけど、今は違う。人間を否定して自分を守っていた頃と違い、生来の明るさで積極的に自分から関わろうとしている。
だが、それは良いことばかりではない……ということかもしれない。
人と多く関わればそれだけの問題が出るのだから。
この国のような場所では尚更に。
変わろうとしている彼女の力になりたい。心の底からそう思う。
しかし……。
「わかっているんだけどね……どうしたものか」
「気が利かないすね。ここはクルスさんじゃなくて、ケイトがシーリアさんに付かないと!」
見つけた一冊の本を抱えたウルクが、腕を上げ、小さな声で力説する。
確かに俺は気が利かないのだろう。だが、対案が思い付かなかったのだ。
俺は考えがあったらしいウルクに聞き返す。
客観的な他人の意見は大事だ。同性でもあるし。
「ふむ……それで?」
「こう、そっと抱きしめてっすね。他の奴など気にするな……俺だけを見ておけばいい! とか男らしくやるんすよ。そしたら、ケイト、素敵っ、結婚して! これで完璧っす」
真面目に聞いた俺が馬鹿だった。
俺は抱きしめる振りをして、俺とシーリアの声真似(?)をしているらしいウルクを放置して本探しを再開する。
「ちょ! 無視は酷いっす。あ、でも、そしたらクルスさんは失恋しちゃうっすね。彼女は自分に任せ……いや、じょ、冗談っすよ。ケ、ケイト怖いんすけど」
「本、探そうな?」
「う、うす!」
ウルクはコクコクと何度も頷くと、本を探す作業へと戻って行った。
外見は女性のようなのに、中身はまるでおっさんである。
彼は慌てて後ずさりし、本を探しながら苦笑した。
「子供相手なら、自分が味方だってわかってもらえればいいんすけどね」
「味方か……その辺は言うまでもなくそうなんだけど」
「口に出すって大事っすよ?」
その言葉には俺も同意する。
話さなくても通じる……ということは、俺はあまり信じていない。
理解し合えるまで、しっかり話す……か。
「ウルク、参考になったよ」
「いえいえ、仲間っすからね」
ウルクはひひひっと下品に笑う。
彼も一応ちゃんと考えてくれていたのかもしれない。
初めからそういうアドバイスをくれれば、もっと有難いのだが。
本を探す前に俺はウルクと打ち合わせを行っていた。
無作為に探すのは効率が悪いからだ。
まずはエルフの集落を探すため、地理に関する書籍を探していく。
目的地であるこの場所がはっきりすれば、この街にいる必要はない。
聖輝石やその他の情報は後回しだ。
見つけられれば、で構わない。
そうして、周辺の地理に関する数冊の本を見つけ、備え付けられている机でウルクと手分けしながら読み進めていると、背後から声を掛けられた。
太い男の声と若い女性の声。
「確かに本人だ」
「失礼します。ケイト・アルティア様ですね?」
急に声を掛けられ、ウルクは何事かと顔を上げて困惑している。
丁寧に声を掛けた短い赤毛の若い女性は俺も知らないが、その後ろに立っている錆色の髪を真っ直ぐ立てた傷だらけの大男は顔見知りだ。
あまり見たくなかった顔だが。
「じゃあ、俺は行くぜ」
俺の顔を確認するために来たのだろう。
アリコルドの協定の際に出会った評議員のエルドスの護衛、ハルトは不愉快そうに去っていった。あの時に挑発した事を根に持っているのかもしれない。
残ったのは切れ長の瞳の、怜悧そうな雰囲気の背の高い二十代半ばの女性。
燃えるような赤毛ではあるが、知性が先立って冷ややかな印象を受ける。
俺が頷くと彼女は一礼し、口を開く。
「私はクレイトス商会のリイザ・エルラインと申します」
「ケイト・アルティアです。何か御用ですか?」
クレイトス商会……例の評議員が経営している大商会だ。
接触してくるかもしれないとは考えていたが、たった一日で見付けられるとは流石に思っていなかった。
買い被られているのか、それとも俺達が目立っているのか。
「我が主人であるエルドス・クレイトス評議員が、命の恩人である貴方を館に招待したいと。直ぐに来て頂きたいのですが」
まるで来る事を拒むことは絶対に無い、と言わんがばかりの、丁寧だが有無を言わさぬ口調だ。それだけ、彼等が絶対的な権力を持っている……ということなのだろう。
「お断りします」
「えっ!」
声を上げたのはリイザと名乗った女性ではなく、ウルクだ。
彼女の方は取り乱す事もなく、眉を少しだけ動かしただけ。
「と、言ったら?」
「困ります」
淡々と彼女はそう答える。
あまり困っているようには見えないが、意外な答えではあったようだ。
「エール伯を仕事で守ったのであって、エルドスさんを守った記憶は無いんだけどね」
「評議員は貴方に感謝をしております」
リイザは胸に手を当てて、深々と頭を下げた。
「明日なら。仲間が二人いないからね。後、幾つかの条件を飲んでもらえるなら」
「……わかりました。エルドス評議員にお伝え致します」
俺がリイザに条件を伝えると、彼女は意外そうな表情をしたが、条件に関する返答は明日、宿に迎えに来た時に行うと俺に答え、図書館から退室していった。
ウルクはきびきびと歩く彼女の後ろ姿を見つめながらぽつりと呟く。
「さすがお膝元ってところっすかね?」
ウルクの苦々しい言葉に、俺も苦笑いしながら頷いた。
だが、付き合いたくない相手からの接触は俺達だけでなく、クルスとシーリアの方でも行われていたことを後で知ることになる。彼女達は別口の相手からであったが。