第二話 見知らぬ土地
荷物を置くことが出来る宿を見つけなくてはいけない。
その困難さに気付いたのは探し始めて直ぐだった。
この街に土地勘も伝手もない俺達にとっては、宿を探すというだけでも難しい。
獣人も泊まることが出来、信用も出来る宿……となれば尚更だ。
ヴェイス商国の首都であるこのヴァルヌークは、以前、半年程生活した城塞都市カイラル並の広さがあり、行政により区画を整備されて発展している巨大な都市である。
訪れたばかりで、街がどう作られているかわからない今、闇雲には探せない。
一つ目の宿は護衛の商人達に紹介して貰ったが、その商人達は別の場所に宿を取っているため、何処にいるかもわからない。
彼等の宿泊先は獣人が泊まれない宿であったため、宿を紹介してもらったのである。
そこで、俺達は必要物を買い揃えるために、探せば安い物が手に入る露店ではなく、店舗を経営している商人の店を利用し、そこから宿の紹介を受けることに決めた。
この国で店を経営するには相応の資金と信用が必要なため、無策で探すよりはそのような商人の紹介が無難と判断したのである。
そのために選んだ雑貨屋の店主である、目尻に深い皺を持つ老いた商人は、流石に利益を追求する者らしくシーリアを見ても顔色一つ変えず、獣人でも泊まれる宿を快く紹介してくれたが、図書館へ向かうという事に関しては難色を示していた。
「ううむ、国立図書館は……獣人の利用は難しいかもしれん」
「外国人でも金を支払えば大丈夫とのことでしたが」
俺がそう確かめると、老店主は困ったように笑いながら首を横に振る。
「人間であればそうなのだが……獣人の場合は紹介状が必要になる」
「紹介状……ですか」
「ああ、責任を負うことが出来る身元の確かな者のな」
彼はシーリアを申し訳なさそうに見て、頭を軽く下げた。
「こればかりは力になれん。すまんな」
「教えてくれただけでも助かるわ。有難う」
「上も何を考えてるんだかね。金など誰が払おうが変わらんというのに」
老店主は苦笑いし、理解できないとばかりに右手で禿げ上がった自分の頭を触る。
シーリアも普段通りの調子で彼に返しているが……。
ふと、大昔のことを思い出す。
最近に見た夢のせいだろうか。
実際にあった出来事なのかすら、あやふやになりつつある程に遠い記憶だが、ささやかな痛みと共に、鮮明に思い出せることもある。
どうにもならない事への諦めたかのような笑顔。
辛いことを誤魔化す時の落ち着かない瞳。
シーリアと後輩は全く似ていない。
だが、今の表情だけは彼女と重なる。
「ケイト、どうかした?」
「いや、何でもないよ。ここの武器は質が良いと思ってね」
「ふぅん」
何時の間にか俺の顔を正面から覗き込んでいたクルスに、慌てて嘘を吐く。
どうやら、ぼんやりしていたらしい。
クルスはまだ疑わしそうにこちらを見ているが、すぐに気を取り直す。
今は気に掛けて置けばそれでいい。
他人の事例を当て嵌めるのはシーリアにも失礼だ。
気持ちを切り替えると俺は老店主に礼を告げ、買物を再開した。
古めかしい雑貨屋が紹介してくれたのは、同じように歴史がありそうな宿だった。
壁は何度も補修したのか、色を塗り直した跡が残っており、痛みも酷く、古い建物が多い周囲の店舗に比べても特別に古い。
「これは……驚いたわね。古い建物だとは聞いていたけれど」
「この辺の建物は百年、二百年はよくあるそうだね。気候の問題なのかな」
シーリアが感心するように驚き、クルスとウルクも頷く。
ただ、石と煉瓦造りの宿の周囲は掃除が行き届き、扉や窓は新しい木材を使っていたりと宿の主の気配りが感じられ、古さも味と思わせるような清潔感はあった。
そんな『砂風亭』で俺達は二人部屋を二つ借り、当面の計画を相談するために一部屋に集まる。図書館にシーリアが入れなければ、調べ物をすることが難しいからだ。
一応、俺は出来なくはないが……クルスは文字は読めるが、興味の無い本を読むと一瞬で眠ってしまうし、ウルクもあまり得意ではないらしく、効率が悪くなってしまうからである。
一人でやるのは構わないが、読んだ本は家や師匠であるジンさんの家にあった物だけで、この世界に付いて深く理解しているとは言い切れない。
見落としや俺の発想では気付かないこともあるだろう。
最悪、それで済ませるしかないのだが。
俺達はそれぞれ、床や椅子やベッドに腰を掛けながら悩んでいた。
「しかし、ここまでとは困ったすね」
椅子を反対向きにして、背もたれに顎を載せながらウルクはぼやく。
彼も異種族として、あまりいい気分は抱いていないのだろう。声が少し暗い。
「仕方がない。出来る事をやるしかない」
対してベッドに腰掛けているクルスは普段通りだ。
退屈なのか無表情のまま、雑貨屋で売っていた髪を括る紐を使い、隣に座っているシーリアの長い髪を慣れた手付きで三つ編みにして遊んでいる。
なんだか口笛でも聞こえてきそうだ。
シーリアは気付かない程に悩んでいるのか反応がない。
「そうだね。一応コネが全くないわけではないけれど」
「それはあまり使いたくないわ」
「……まあ、そうなんだよね」
シーリアが俺の言葉に反応して顔を上げる。
ちゃんと話は耳に入っているし、クルスの悪戯にも気が付いていたらしい。
彼女は苦笑いをしながらクルスの頭に手を置き、ぐしゃぐしゃに髪を掻き混ぜている。
コネはある。しかも、この国では特大のものだ。
ヴェイス商国を治めている評議員の一人、エルドス・クレイトス。
エーリディ湖を巡る協定の会議で出会った、褐色の肌の若い大商人である。
「ああ、アリコルドの協定の時に何かあったんすか?」
一人だけ事情を知らないウルクが不思議そうにしていたが、シーリアとクルスは複雑そうだ。感じているのはもしかしたら、同じ気持ちかもしれない。
俺は少し考えてからウルクにその評議員の印象を答える。
「会ったよ。若くて野心があって、何かを企んでますって感じの人だったかな」
「自分に絶対の自信があるんでしょうね。あれは」
「腹黒」
「みんな言いたい放題っすね。そんな人なんすか」
評議員に関するの三人の評価を聞き、ウルクは嫌そうに顔をしかめる。
あの若さで評議員になっていることから、間違いなく能力はあるのだろう。
だが、その優秀さと下心を隠さない『分かり易い悪人』だというのが俺の印象だ。
外交の席で出会ったわけであるが、彼は本当に外交に向いているのだろうか。
何かを企んでいる……ということはあっても、内部もばらばらで、何をしてくるのか理解しようがない『リブレイス』のような怖さはない。
まあ、俺が感じた印象なだけなので、実際のところはもっと調べないとわからないが。
「多分、彼を頼みにすると、自分の利益になるように考えると思う。それ自体は悪くはないけれど、出来れば借りを作るのは避けたいね」
「なるほどっす。じゃ、リブレイスはどうなんすか? 手紙手紙」
ウルクは納得したと笑いながら頷き、今度は手紙の内容をシーリアに促す。
彼女は呆れた笑みを少しだけ浮かべ、手紙に目を通してウルクの方を向いた。
「あんたはあれだけ酷い目にあっても懲りてないのね。手紙の内容は要約すると、手助けが必要であれば指定の酒場に来いとしか書かれていないわ」
「うーん、判断が難しいっすね」
旅を共にすることになった際に、ウルクにも俺達とリブレイスの因縁は話している。エーリディ湖で手に入れた『聖輝石』の事もあり、関わりは慎重にしたいところだった。
結局のところクルスの言うとおり、出来る事をするしかないのかもしれない。
この街で全てを調べる必要はないのだから。
「悪いわね」
少しだけ俯いて、似合わない暗い声でシーリアはぽそりと呟く。
床に座っていた俺はその表情を見て、すぐに立ち上がって彼女の近くにしゃがむと、両手で彼女の頬を摘み、強く引っ張った。
「ひゃっ! は、はにすふほよ」
「いや、シーリアがおかしな事を言うから寝ぼけてるのかなぁと」
冗談めかして俺は笑い、手を放す。
シーリアは涙目になり、赤くなった頬を片手で触りながら、目の前にある俺の頭に拳骨を落とした。
「痛いわよっ! それに寝ぼけてないわ!」
「あたっ! い、いや、まあ、急ぎの旅じゃないんだし、気楽に行こう」
本気で殴られたせいで頭は痛むが、怒りながらも笑みが零れている。
俺も床に尻餅を付きながら、笑った。
「うん、シーリア生意気」
「あ、こら、クルス、やめなさいっ!」
何時の間にか、ごそごそとシーリアの背後に回っていたクルスが、シーリアの脇に手を入れてくすぐり始め、それに抗うように彼女も悲鳴を上げながら暴れる。
俺はその光景に安心し、頭を左手で掻きながら立ち上がった。
まずは、やれること……可能な限りの情報集めからだ。
ふとウルクを見ると、彼は両手で背もたれを掴んで椅子を揺らし、絡み合って遊んでいる二人を見て、ニヤついていた。
「いやー、いい眺めっすね。ケイトさん」
「本当に懲りないな」
「え、えっちな意味じゃないすよ。ほ、ほら、楽しそうでいいじゃないすか」
慌てて誤魔化すようにウルクは笑う。
しかし、確かにじゃれ合っている二人は確かに楽しそうにも思える。
俺は大きく息を吐くとウルクに頷き、彼女達が遊んでいる間に出掛ける準備を済ませてしまおうと声を掛けた。