第一話 商売の都
久しぶりに宿で眠った御陰か身体が軽い。
野宿を何日か続けると、ベッドの有難みが本当によく理解できる。
仲間の三人も多少は旅の疲れが抜けたのか、幾分さっぱりとした雰囲気で身体をほぐしていた。ただ、その表情は三人三様であまり明るいものではないが……。
まあ、それもこれも運命の様なものが原因だ。
俺はそんなやや機嫌が悪そうな仲間達と共に、ヴェイス商国特有の砂が混じった乾燥した早朝の風を浴びながら、この国の首都、ヴァルヌークの大通りを、重い旅の荷物を抱えて歩いていた。
調べものを行う為にも、この街には当分滞在することになる。
それなのに長期の宿を取らず、今、こうして荷物を持って歩いている理由は……。
「いや、参ったっすね。まさか追い出されるとは」
「仕方が無いよ。一日泊めてもらっただけでも有り難い」
しょんぼりと肩を落とし、うう……と、一見、儚げな女性にも見える空色の長い髪を持つ華奢な青年、ウルクが呻く。
そんな風にどんよりと爽やかな朝に似合わない空気を纏っていた彼だったが、俺の言葉を聞くと、くわっと俺の胸倉を掴み、食ってかかった。
「何を他人事みたいに言ってんすか! ケイトさんのせいすよ」
「そ、そうだっけ?」
早朝にも関わらず、美味しそうな食べ物を威勢のいい掛け声で売り捌く声が轟いていたり、荷を運ぶ馬車が行き交っていたりと中々に騒々しい大通りで俺は思わず足を止める。
とぼけてみたが、忘れたわけではない。確かに自分にも責任はあるのだが……。
「ウルクも嬉しそうに加勢してた」
「うっ! いや、三人の女とか、あいつらがほざいたんでつい……」
しなやかそうな身体に動きやすい革製の鎧を身に付けている、艷やかな黒髪の少女、クルスがじと目で俺を責めていたウルクにそう指摘する。
昨日、交易都市クラウリディで引き受けた、首都までの護衛の依頼を終えて宿を取り、一緒に経営している酒場で食事を取っていると、数人の柄の悪そうな男達に俺が絡まれてしまったのである。
どうも、三人も美人の女性を連れているのが気に入らなかったらしい。
まあ、一人は男なのだが。
それだけなら俺は放置しただろう。この時点でウルクは相手に殴りかかろうとしていたが、俺は彼の腕を掴んで止めていたのだ。
ただでさえ俺達の容貌は目立つのに、これ以上目立たなくても良いと。
「お! 獣人か。高そうだな……坊やの筆下ろし用かよ。へへ、俺らにも使わせろよ」
しかし、問題はこの台詞だった。
この言葉を口にしながら下卑た笑みを浮かべた男が、シーリアの肩に触れようとした瞬間、俺は木製のコップで男を全力で殴りつけていたのである。
村に残った親友のマイスと二人で組んでいた頃は、挑発を受けたマイスが暴走し、それに巻き込まれるように良く喧嘩をしていたが、自分から能動的に喧嘩を吹っ掛けたのは初めてかもしれない。多分。
当然この時、ウルクも喜び勇んで喧嘩に参加し、他の男に鉄拳を叩き込んでいる。
確かに一番に手を出したのは俺だが、ウルクも間違いなく自分の意思で嬉々として参加したのであり、俺を非難する資格はないはずだ。
クルスはそう言いたいのだろうが……そんな彼女の頭をシーリアが背後から軽く叩く。
「クルス、あんたが一番悪いんでしょうが。二人は他人を巻き込んでなかったわよ」
「ふん。あんなぬるいやり方じゃ倒した気がしないし」
「全く……」
拗ねているクルスにシーリアが呆れるように溜息を吐く。
そう、俺とウルクはそれでも他の客を巻き込まないよう、用心して相手を制圧していたのだ。
だが、クルスは違う。俺を後ろから殴ろうとした敵を問答無用で蹴り飛ばし……他の冒険者らしい客の席にまで吹き飛ばした。
その結果、怒り狂った第三者の集団により、店内では乱闘がどんどん他の者にも連鎖していき、酷い有様になってしまったのである。
「ちょっとは我慢なさい。来て早々これじゃ、先が思いやられるわよ?」
「面目ない」
「申し訳ないっす」
「ふん」
唯一、乱闘に参加していなかったシーリアが、殴られた跡が多少残っている俺達に対し、人差し指を揺らして説教し、俺とウルクは彼女に頭を下げる。
一番怒っていいであろう彼女が我慢しているのに確かに情けない。
「しかし、ケイトさんは意外と喧嘩早いっすね」
「昔から」
すぐにウルクは気を取り直すと、笑って殴る真似をし、クルスが頷く。
昔から……ってそんなことはないと思うのだが。
俺は頬を掻いて、少し困惑しながら話を変える。
「しかし、予想以上に異種族への差別が酷いな」
「そうすね。『湖の民』もこの国じゃ人間ってことにしてるっす」
外見での特徴は人間と大きく変わらないウルクは普段通りでも問題ないが、シーリアはそうはいかない。そこで、彼女には裾の長いフード付きのローブを纏ってもらっている。
こうすることで、特徴的な耳と尻尾を隠しているのだ。
とはいえ、これでも目立つ事には変わりはない。どうやら、この国の異種族の者達は、皆、そうやって生活しているようだからだ。
ヴァルヌークはエールとの交流が深いクラウリディよりも、遥かに異種族に対する視線は厳しい。好奇というよりは、蔑みの視線とでも言うのだろうか。
「学院ではこれは評議会のせいって話だったけれど、実際はどうなの?」
「うーん、難しいすね。評議会に入れる異種族がいないから、こんなことになっているのか、評議会が締め付けているから、異種族から評議会に入れる商人が出ないのか」
シーリアの質問に、一応、ヴェイス商国にも詳しいウルクは腕を組んで俯いてそう答える。この国では政策は全て、一定以上の資産を持つ評議会によって決められていた。
北部に交易都市クラウリディを持ち、南部の山地の豊富な鉄や宝石などの鉱物資源、東部には魔力石を産出する迷宮都市シェルバと巨大な河川を利用した穀倉地帯。
そして、中央にそれらが全て集まる首都の『乾きの都市』ヴァルヌーク。
様々な資源の彩りを持つヴェイス商国は、それにより財を成した商人達が資金を出し合うことで、独立を護っている国だ。
そのため、上位の商人達からなる評議会の権力は他国の貴族に劣らずに強力なものであり、当然に政策も彼等に有利となるように、利害調整が行われている。
「奴隷か探索者か商人か……そんな感じに思えるね」
俺は苦笑混じりに呟く。探索者はこの国での冒険者の呼び名だ。
迷宮に潜る者という意味合いらしい。
ちなみにこの国では右側に行くほど立場が強くなる。
首都のヴァルヌークも、商人が多く暮らす大通りは清掃が行き届いているが、それ以外の場所は住んでいる者の財産で大きく状況が異なる。
奴隷など最下層の者が住む一帯は狭くて治安も悪く、酷い有様だ。
そう、この街では人も労働力として重要な取引の対象となっている。
現に数日の旅路でも数度、大きめの農場で奴隷が使われている光景を目撃している。
若い商人達の話では、商売に失敗すればそうなるのは当然らしく、だから伸し上がる努力を必死でやっているのだそうだ。
「もしくは野盗っすか」
うんざりとウルクはそう続ける。
今回の依頼では、俺達は数度の襲撃を受けていた。
「だろうね。でも、なろうと思ってた訳じゃないんだろう。幾らなんでも弱すぎる」
それらは全て、遠距離から二、三発、弓で威嚇すると逃げていくのだが、動きは素人そのもので、年齢も体格もばらばらだった。
商人達の話では最近になってから増えたらしく、間違いなく、三国協定破棄の影響で没落した商人達の成れの果てだろうとの事である。
若い商人達はそんな野盗達を負け犬だと嘲笑っていたが、現状、治安の悪化は護衛という形で商人達の財政を圧迫しているのは間違いない。
ある程度、集団を組む事で自衛していた資産の少ない商人達も、野盗の活発化により、護衛を雇わざるを得なくなったのだ。
それは物価の上昇という形で影響が現れ始めているらしい。
「まあ、言ってもすぐには変わんないわよ。それでこれからどうする?」
話を変えようとするように、シーリアが明るい口調で今後の事を俺に確認する。
確かに国の事は俺達にはどうすることも出来ない。
「宿を取ったら図書館に向かうよ。有料だけど、外国人でも大丈夫みたいだから」
俺はシーリアに頷いて、そう答える。
まずはこの国の書物を調べ、伝承の中に『聖輝石』に関するものや、エルフの集落に関して記載があるものを探していく。
ある程度をこの国で調べ、エルフの集落の位置によってはヴェイス商国の南西にあり、学術国家と呼ばれるローファンを目指そうと俺は考えていた。
「なるほどね。じゃあ、さっさと宿を探しましょ!」
「そうだね」
そう彼女は笑うと、人通りの多い賑やかな雑踏の中、元気よく先頭を歩き始める。
俺はクルスと顔を見合わせ、苦笑いすると彼女の後ろを歩いていく。
しばらく歩いた頃、ふとクルスが顔をしかめた。
「どうした?」
「あれ」
小声で指したのは前から歩いて来る、ふらついた子供。
薄汚れたフード付きのローブを身に纏っており、往来の人々はそれを避けるように歩いている。クルスが渋い顔をしたのは、その動きがわざとらしいからだろう。
「きゃっ!」
「あ、お姉さん、ご、ごめんなさい!」
少し離れて前を歩いていたシーリアに子供はぶつかると、謝罪しながらも、それまでふらついていたのが嘘のように元気に走り出し……あっさりとクルスに捕まった。
「こら、離せ馬鹿っ! 変態!」
「はい」
「いや、渡されても……獣人?」
クルスが捕まえた子供の首根っこを猫のようにひょいっと掴んで、俺の方に押し付ける。
声からすると少女のようだ。
捕まえられた拍子にずれたフードからは、ふさふさな毛に覆われた丸い耳が見えている。
クルスはスリだと考えたようだが……俺は眼を閉じて能力を使用した。
それで彼女が何をしたのかを理解し、息を吐く。
「クルス。彼女は何も盗っていないよ」
「そう、ごめん」
「失礼だな! 全く」
獣人らしい少女にクルスは素直に謝罪し、俺は財布の中からこの国の二種類ある銅貨の内、大きいものを一枚、クルスの手を振り払って不機嫌そうに怒っている少女の小さな手の平に置いた。
お金に魔力があるというのは本当かもしれない。
獣人の少女の表情が嬉しそうなものへと、わかり易く変わっていったからだ。
まるで雲から太陽が顔を出したような、気持ちのいいくらいの変貌だった。
そんな彼女に俺は視線を合わせ、なるべく笑みを浮かべて頭を下げる。
「お詫びだよ。人にぶつからないように気を付けてね」
「お、すげー! 兄ちゃん人間の癖に気前いいじゃん! じゃなっ!」
そして今度こそ元気そうな足取りで、軽やかに走り去っていった。
これら一連のやり取りを、他の三人は怪訝そうな表情で見守っていたが、俺はその場では応えず、ある程度その場所から距離を空けてから、何を意味しているのかを話す。
「スリじゃなくて、手紙の配達人みたいだよ。シーリアのポケットに」
「うわ、本当っ! いつのまに……」
「気付かない方がどん臭い」
シーリアがローブのポケットを確認して大袈裟に驚き、クルスはぼそっと毒を吐く。
十中八九、獣人であるシーリアへのリブレイスからのメッセージだろう。
こういう国だ。異種族の互助を行うあの組織が関わっていない筈がない。
出来れば関わりたくはないが……判断は手紙を読んでからでも遅くはないだろう。
俺は左手で頭を掻くと、頭を切り替え、手紙を両手で抱えて、難しい表情をしているシーリアに宿探しを再開しようと声を掛けた。