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プロローグ 国外の旅路




 雨に濡れて黒く染まったアスファルト。

 そして、砂地に作られた子供が遊ぶ小さな遊具。


 等間隔に並んだ木々の向こうにはコンクリート製の建物が微かに見える。


 見覚えのある懐かしい光景。

 視点は自分なのに、まるで映画を見ているような感覚。


 『過去』の夢だと、俺は直ぐに気付いていた。

 何時もの事だから。


 普段は殺される場面が夢に出る。だが、稀に他の場面が映されることもある。

 今日はその稀な例のようだ。


 自らは雨に濡れながら、背伸びをして『俺』を傘に入れようとしている、目の前の小柄で長い髪を変な場所で括った少女。彼女は悪夢の根源である幼馴染ではない。


 俺にとって苦い記憶であることに違いはないが。



「──先輩。こんなの……本当に良いんですか?」

「仕方が無い。俺が何かを言うことじゃない」



 彼女は懸命に雨を傘で防ごうとしてくれているが雨足は強く、用は為していない。

 そんな夏の激しい雨の中、傘も持たずに立っていた『俺』が、長袖の服を着ている後輩に静かに言葉を返す。


 幼馴染にはみっともなく縋ったが、後輩にはこうして強がれたのは『俺』の意地だったのだろうか。



「俺は大丈夫。だから風邪を引かない内に帰った方がいい」

「嘘。それ、嘘ですよ……そんなの!」



 役に立たない傘を投げ捨て、後輩は服を掴んで頭を『俺』の胸に押し付けて泣き声をあげる。そして『俺』はそんな彼女に何も出来ず、ただ、歯を食いしばっている。


 鮮明に覚えている。

 最悪の形で幼馴染に振られた日の記憶だ。



「あの人は勝手です……昔も──先輩を散々振り回して」

「もう、過ぎた事だよ」

「色んな才能を持ってて、美人で家族もいて──先輩も……私が欲しいものを全て持っているのに……なんで……なんで……!」



 振り絞るような後輩の叫び。

 高校時代の部員三名による名目だけの部活動……それは『俺』にとっては大切な思い出だが、彼女にとっては果たしてどうだったのだろうか。


 俺は今、冷静に過去の出来事について考えている。

 それが出来るのは、心の傷も時の経過で完全に癒えており、苦い思い出も今の俺にとっては、ただの記憶でしかないからだろう。



「ただ、俺から心が離れたんだ。何か悪い所があったんだと思う」

「そんなはずないです!」



 思考を巡らせている間も夢の再生は続いていく。

 俺の目の前では後輩が雨に濡れた顔で『俺』を見上げて、そう断言していた。


 何故、彼女はそこまで確信を持っているのだろう。

 表情から自信の色を見て取ることが出来、ふと疑問が沸き上がる。


 確かに、『俺』は彼女の秘密を知っている上、付き合いも長く、信頼関係は出来上がっていたとは思うが、俺と幼馴染の関係まで正確に掴んでいるとは思い難い。


 これは、単に無条件の信用だったのだろうか。



「私は……私はあの人を許しません。──先輩がどう庇っても、私は絶対に──先輩の味方になります。だから……、もうそんな辛そうな顔をしないで下さい。お願いだから」

「自分の事で後輩を泣かせるなんて、俺は情けないな」



 『俺』は後輩の濡れた頭に手を置き、苦笑している。

 見上げる後輩の顔も強い雨で濡れており、涙なのか雨なのかわからない……だけど、表情から『俺』は泣いていると判断したようだ。



「でも、有難う」



 だが、今の俺には違うのではないかと思えた。

 『俺』は余裕が無いからか、気付いていないが……多分間違いない。


 『俺』が目を逸らすその一瞬。刹那の時間。


 彼女は寒気のするような歪んだ笑みを浮かべていたのだから。




 夢の映像が揺らめいて、遠ざかっていく。

 今日のところは終わりらしい。やれやれだ。



「ケイト。交代よ……早く起きて~うう、眠い~」

「う……ん? ああ……悪い。シーリア」



 身体を強く揺すぶられ、目を開けると今にも眠りそうなシーリアの顔が近くにあった。

 野営の見張りの交代時間のようだ。


 側ではクルスやウルク、そして護衛対象の若い商人が寝息を立てている。


 俺はシーリアに謝罪しながら立ち上がると、くるまっていたマントに付いた草を叩いて落とし、意識をはっきりさせるために頭を何度も振った。


 立ち上がった俺と入れ替わるようにシーリアは草むらの上にそのまま座り込む。

 温暖なヴェイス商国……今いる港街、クラウリディ周辺では、夜でもそれほど気温が下がらないため、特別に防寒着が無くとも風邪を引く心配はなさそうなのは有り難い。



「ケイト、何だか難しい顔していたわね。悪夢でも見たの?」

「……寝顔見てたの?」

「え、あ、いや! ちょ、ちょっとだけよ? 退屈で退屈で」



 慌てたようにシーリアはそっぽを向く。

 その仕草がどうにも子供っぽくて彼女には似合わず、俺は少しだけ笑った。



「悪夢ではないよ。そうだなぁ、悪夢と良い夢の間くらい?」

「ふふっ、何それ」



 俺の中途半端な答えを聞き、シーリアも無邪気にくすくすと笑う。

 夢の事は気にしてはいない。


 あれは遠い過去の出来事であり、真実は確かめようの無いことだ。

 自分で都合良く記憶を改竄している可能性もありえる。


 そして、事実がどうであれ結果は変わることはない。


 大事なことはこれからどう生きるかだ。


 多少冷えた身体をさすりながら、俺は夜空を見上げる。

 乾燥している御陰か空気は澄んでおり、無数の星々が漆黒の空を鮮やかに染めていた。


 『過去』の生活では絶対に見ることが出来ない光景。

 子供の頃からの俺のお気に入りだ。



「星は何時見ても綺麗ね。旅に出るまで気付かなかったわ」



 俺がそうしていたようにマントにくるまり、横になって同じように空を見ながら、シーリアは羨むように呟き、俺もそれに同意する。



「シーリアは旅、辛くないか?」

「さぁ。どうかなぁ」



 全員が寝静まっていることを確認し、俺は彼女に訊ねる。

 エールからヴェイス商国のクラウリディに入った時、シーリアはクラウリディの役人に取り囲まれた。ただ獣人であり、国民証を携帯していないというそれだけの理由で。


 ピアース王国の許可証を見せたことで役人達は納得し、臨時の滞在証を発行してくれたが、首から常に掛けるようにと強制された。


 シーリアは反論することなく、受け入れていたが……彼女が感じた屈辱はどれ程だろうか。



「いろんな国の知識はあるけれど、実際に足を運ぶとまた違うわね」

「幻滅したかな?」

「ううん。お陰でケイトが庇ってくれたし?」



 シーリアはマントで口元を隠し、からかうような笑い声を漏らす。

 平気そうだが……どうだろう。


 考えすぎるのはあんな夢を見たせいか……と俺は頭を掻きながら苦笑する。

 後輩も傷付いた時は、特にわざとらしく笑っていたから。



「ま、この国は特に……だしね。それでも、ヴェイス商国でお母様の故郷の詳しい場所を調べないと。私の力は必要でしょ」

「うん。頼りにしてるよ。シーリア」

「任せなさい……ふわぁ……」



 大きな欠伸をして、シーリアは眠たそうに目をこする。



「ごめん。引き止めて。寝ていいよ」

「ううん、いいの……寝付くまで手を握って貰っていい?」



 ほんの一瞬、不安げな表情を見せたシーリアに俺は小さく頷き、彼女の側に座って右手を差し出す。すると、彼女は大事そうに両手でその手を抱え、嬉しそうに笑って眼を閉じた。



「ありがと……手、固い……ね」

「おやすみ。シーリア」



 俺の能力なら座っていても、問題なく敵は捕捉できる。

 少しくらいは別に構わないはずだ。


 それより……と、彼女の柔らかい手の感触を感じながら思う。

 これまでの旅で彼女がこんな事を頼んだのは、初めての事だと。



 俺達はこれからヴェイス商国内を旅することになる。

 今までとは違い、完全に国外だ。


 文化も違えば法律も違う。常識も違ってくるだろう。

 情報を集め、注意していかなければ足元をすくわれかねない。


 ラキシスさんの故郷に関しては、それを調べるのも冒険の一環だと彼女は俺達に説明し、クラウリディからさらに南としか教えてくれなかった。


 他にも調べるべきことはたくさんあるが、それをどうしていけばいいか……。

 冒険者として生きることは、自由だが何処か足が地に付かない怖さがあった。



「まずは身の安全と、拠点の確保か……」



 俺は独り呟き、能力を発動させて周りを警戒しながら頭を整理する。

 そしてまた、不安とは別にこうも思う。


 今までと常識が違う街というのは危険である反面、新鮮さで満ちており、見るべきものもまた多いだろうと。そうした好奇心は当然に持ち合わせている。


 クラウリディは港街であり、他国との交易が中心の都市であるためにエールに似た部分も多かったが、これから向かう場所は違う。

 どんな街なのか想像も出来ない。



「新しい街か……楽しみだな」



 安心したような表情で静かな寝息をたて始めたシーリアの手をそっと離すと、俺は日記帳とペンを取り出し、今日の出来事の記載を始める。


 残りが少なくなってきた日記帳には、これまでの冒険の思い出が詰まっていた。

 そんな日記帳に記載を続けながら俺は思う。


 願わくば、この国での思い出も後で見返せば楽しいものになるようにと。

 しかし、そんなささやかな願いとは裏腹に、俺は後に日記帳にこう記載することになる。



 『現状のままでは、この国は間違いなく滅ぶ』と。







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