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閑話 『水龍亭』と困った常連(第十五話付近、エピローグ前)



 忙しい昼食時が終わり、客も殆どが帰ってしまったが、店には一人だけ飲み物にちまちまと口に付け、書類を読みながら難しい表情をしている客が残っている。


 わしの店の常連、女性と見間違う程の整った容姿と鮮やかな蒼色の髪を持つ『湖の民』の神官、ウルクだ。二十代前半にしか見えないが、割と歳を食っているらしい。


 中身は若いままなようだが。



「おい、ウルク。飲み物一杯で居座るんじゃない。仕事しろ」

「親父さんだって暇そうじゃないっすか」

「わしは準備を終わらせたんだ」



 節々が痛む身体を音を鳴らしてほぐしながら、ウルクの対面に座る。

 本当にウルクが仕事をしていないと思っているわけではない。


 十年以上の付き合いだ。恐らく面倒な案件を抱えているのだろう。

 次に忙しくなるまで時間はある。暇潰しに話を聞こうと考えたのだ。



「はは、なんすかさっきの音。親父さんも歳すね」

「歳は余計だ。馬鹿たれが。お前さん達の活躍のお陰で最近は目が回るほど忙しいんだ。で、ウルクよ。何を悩んでんだ? 今回は」



 からかうようなウルクにそう聞くと、奴は書類をテーブルに置き、やれやれと頭を掻いて苦笑いする。



「うちの子の仕事探しっすよ」

「ああ『エルーシドの子供』な。ご苦労なことだ」



 エルーシドの子供。

 この街では誰も孤児とは呼ばない。


 わしが子供の頃はこの街でも孤児と呼んでいた。孤児は徒党を組み、日々生き延びるために盗みに明け暮れ、街の住人からは忌み嫌われていたものだ。



「いやぁ、ジュージ老の考えは神の意思に沿ってるすから、苦じゃないすよ」



 昔からエルーシドの神殿では孤児をある程度受け入れていたが、死なない程度……と言ったところだったろう。それを変えたのは孤児出身の一人の男だったらしい。


 孤児なのに不思議と学のあったその男は、同じ孤児達に教育を施した上で、神殿に対してそのことの大切さ、必要性を粘り強く情熱を持って交渉し、現在のように全面的に孤児を受け入れ、学問をしっかりと学ばせ、職業に付くための訓練を施していく制度を完成させたらしい。


 長い年月を経て、孤児による犯罪は殆ど無くなった。

 また、彼の施した教育のお陰で、出身者達は様々な場所で働き、そんな子供達の寄付で何とか施設の方もやりくり出来る程度にはなっているらしい。


 エルーシドの評判も上がり、男が亡くなった後も神殿により運営されている。

 但しこれが上手くいったのはピアース王国とディラス帝国だけで、ヴェイス商国では完全に失敗したらしい。詳しくはわからないが国柄だろうか。



「なら、何をそんな悩んでいるんだ?」

「来年、規程の年齢に行く子がいるんすけど、中々仕事がね」



 なるほど、とわしは頷く。だが、腑に落ちないこともある。

 読み書き、そして算術も出来るエルーシドの子供は働き手として様々な場所で重宝されているはず。それなら……。



「性格に問題でもあるのか?」

「明るいし真面目だし、いい子すよ。ただ、女の子なんすよ」

「なるほどな」



 体力のある男と違い、女の働く場所は少ない。

 商人の手伝いなどはあるにはあるだろうが、色々と難しそうだ。



「異種族ならリブレイスに頼れば一発なんで楽なんすけどね。こないだも一人、いい働き場所を紹介してもらったし」

「皮肉だな。まあ、あっちは横の繋がりを大事にしているそうだからな」

「全くすね。さらに厄介なのが、出るとこ出てて、しかも可愛いことなんすよね」



 本当に心底困ったと言うようにウルクは首を横に振る。



「それは問題だな」

「信用できるところに紹介しないとまずいことになるんすよ」

「ちと過保護すぎやしないか? いい歳頃だし、自分で何とかするだろ」

「娘みたいなもんすから。絶対幸せになって欲しいんすよ!」



 拳を強く握り締めてテーブルを叩き、感情的にウルクは叫ぶ。

 こんなので身が持つのかと初めは不安だったか、十年以上こいつはこの調子である。


 いい奴なのだが暑苦しいことこの上ない。



「うーん、信用できて人手が足りなさそうで、必要な……あ……」

「どうした?」

「いい職場、一つ思い当たったんすよ」



 腕を組み、目を瞑って苦悩の表情を浮かべていたウルクが、ぽんと手を叩き、明るい笑顔を浮かべてわしを見た。何か思い付いたようだ。



「どこだ?」

「『水龍亭』すよ。最近忙しいそうじゃないすか」

「はぁ……わしは一人でも十分やって行けるぞ」



 嫁が神に召されてから、わしはずっと一人で店を切り盛りしてきた。

 人を雇ったこともなく、最近では店を締めることも考えていたのである。


 身体が動かなくなったときが店も終わる時だと。



「しょうがない。会って気に入ればうちで雇ってやる。確かに忙しいしな」

「まじすか! さすが親父さん! 話がわかるっすね!」



 だが、わしは苦笑いしながらウルクにそう答えていた。

 若者に『クラストディール』が倒され、心境も変わったのかもしれない。


 永遠に続くものはない。

 数百年無敵を誇ったあの『水龍』ですらもついには敗れた。


 だが、姿を見たものが殆どいない恐ろしい魔物は、新しい形で語り継がれていくのだろう。客の話を聞くうちにそんなことをわしは思うようになっていた。


 それならば『水龍亭』もまた、新しい形で残るのもよかろうと。

 伝説が語り継がれるように。



 それから二週間近くの時が流れた。

 ウルクが紹介してくれたアルは常連からも受け入れられ、しっかりと働いている。


 女っ気が全くない店に若い女が来たと大はしゃぎだ。

 若い男の客も増えた気がする。


 彼女は物覚えも良く、お陰で少しは仕事が楽になった。

 最近はウルクが重傷を負ったことに動揺して失敗も目立っていたが、気にするほどのミスでもない。



「親父さん。久しぶりっすね」

「おう、怪我はいいのか?」

「ええ、いい薬師が治療してくれたすからね」



 いつものように明るい表情で、だが、重そうな旅支度を背中に持って、ウルクは昼過ぎの手空きの時間に『水龍亭』に顔を出していた。

 休憩を取っていたアルも奴に気付き、嬉しそうに小走りで近付いて来る。



「どうしたウルク、その格好は」

「ちょっと旅に出ることになったんすよ」



 儂は髭を思わず触り、首を傾げる。



「旅に出ていいのか?」

「命令すからね。一番心配だったアルも何とかなったし。『子供達』には別れを済ませたす」



 落ち着いた様子のウルクに、わしは既に行くことを決めているのを感じていた。

 ふらっとこの街に居着いたように、奴はふらっと出ていくつもりなのだろうと。



「兄さん……いつ帰ってくるの?」

「さてね。何時になるやら。神様にしかわからないかな」

「そんな……嘘……行かないでよ」



 不安げに、泣きそうな顔でアルがウルクを見上げる。



「アル。君も大人だ。別れは僕も寂しいけど、しっかり頑張るんだよ」



 だが、奴は微笑んで彼女の頭を子供にそうするように優しく撫でた。

 物好きにもアルはウルクを気に入っているようだが、奴にとっては以前に話したとおり、娘としか……大勢いる子供達の内の一人としか見ていないのだろう。やれやれだ。



「ウルク、三年だ」

「三年?」



 不思議そうにしている奴にわしは頷く。



「ああ、お前の事が好きだという変わり者がいてな。紹介したいのだ」

「ええっ! まじっすか! 苦節四十年、自分にもついに恋人が!」

「馬鹿、お前これから旅に出るんだろうが」

「あ、そうだったっす……親父さん……もっと早く言って欲しかったすよ……」



 アルの前だというのに、子供のようにはしゃぎ、力無く項垂れる。

 わしには苦笑しかでない。



「当人の気持ちもあるだろうが、三年以内に帰ってきたら紹介してやる。美人でスタイルもいいし、真面目で働き者だし、頭も悪くない。楽しみにしておくといい」

「おおー! さすが親父さんすね。旅にも張合いが出来るすよ」



 にぃっと悪ガキのような笑みをウルクは浮かべる。



「それでお前さん、これから何処に行くんだ?」

「ここに泊まっていたケイトさんに関する神託がカリフ様に降りたんす。水の神殿の代表として彼の従者となり、護るのが役目すね」



 神の神託……時に高位の神官に対し、神が助言を与えることがあるらしい。

 神に仕える者にとってはその言葉は絶対なのだそうだ。



「なんと……驚かされてばかりだな。しかし、カリフの法螺ではないのか?」

「神に関することでそんなことするわけないじゃないすか」

「それもそうか。それなら、確かに何時帰れるかわからないな」



 従者が帰れるときは、仕える者が使命を果たした時なのだろう。

 ケイト君は若い。年長のウルクが支えになれば……。



「親父さん、どうかしたっすか? 変な顔して」

「いや、何でもない。無事、帰って来いよ」

「わかってるっすよ! それじゃあ行って来るっす。アルも元気で」



 そうしてウルクは朗らかに笑い、店から出て行った。

 後にはわしと泣きそうな顔のアルだけが残される。



「サルードさん、私……盗賊に襲われて危ないところを兄さんに拾われたんです」

「そうか。あいつはいい奴だからな」



 涙が溢れているアルに胸を貸す。

 別れは辛いものだ。それが……大事な存在であれば尚更。


 死んだ者とは二度と会えないが、生きていればまた会える。



「三年経てばアルは17歳だろう。丁度いい」

「え……」

「あいつが帰るのを待つとしよう。それまでは、わしらも頑張ろう」



 わしも歳だがまだまだ死ねないようだ。

 いつになったら嫁のところに行けるのやら。



「三年越しの悪戯だな。面白そうだろう」



 わしはウルクが去っていった扉の方を向き、大きな笑い声を上げる。

 アルは何のことかわからず、きょとんとしていたが、意味に気付くと、



「はいっ!」



 満面の笑みで頷いた。


 これからどうなるのか。それは誰にもわからない。

 アルにも他に好きな男が出来るのかもしれない。それはそれでいい。


 わしもまだまだアルの事は理解していないし、想いの深さはわからない。


 今はただ、奴が新しい道を進んでいるように、わしらも新しい道を進んでいけるようにしておけばいいのだ。落ち着いてくればきっと、先は見えてくる。


 わしらは一頻り笑うと休憩を終え、夕方の準備をするために仕事を再開した。





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