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閑話 『水龍亭』とクラストディール(第三十一話付近)



 本当に清々しい程のいい天気だ。

 早朝の仕入れを終え、宿の外の掃除をしていると久しぶりにそう感じることが出来た。三国協定の再開が発表された御陰かもしれない。


 わしの宿、『水龍亭』はあのクラストディールを退治した冒険者が泊まった宿ということで、売上が昔以上に上がるようになっていたが、客の雰囲気はどこか暗かった。


 三国協定の再開で宿泊客の雰囲気が明るくなるのは全くもっていいことだ。

 白くなりつつある自慢の髭を触りながら、わしは頷いた。



「サルードさん、食材の片付け終わりましたっ!」

「ああ。後で確認するから次は食堂の掃除だ」

「はいっ!」



 新しい従業員、『エルーシドの子供』の赤毛の少女、アルが笑顔で元気に返事をする。

 出自を気にしなければ、彼女達は学問が施されており、優秀だ。


 計算も出来るし、文字も書ける。

 それに彼女は動きが鳥のように軽やかで太陽のように明るく、客から可愛がられていた。


 アルはわしが忙しすぎて手が回らなくなっていた時、店の常連の神官、ウルクに働き手として紹介されたのだ。奴自身は何かで重症を負ったそうだが無事だろうか。


 わしには子供がいないし、廃業を考えていたが歳を取ると面白いことも起こるものだ。

 『水龍』……即ちクラストディールを倒す者が客から出るとは。


 店を続けろという水の神のお告げかもしれん。


 料理を楽しみにしている者も多い。神の子が来たのも縁かもしれない。

 全てを教えこんで、引き継いで貰ってからでも隠居は遅くないだろう。


 そうして、掃除を続けていると見知った少女が二人、宿の前を通りがかった。



「お、嬢ちゃん達じゃないか。今日の昼はうちで食っていくかい?」



 長い黒髪のすらっとした少女と、銀色の髪の獣人……クラストディールを倒した冒険者達だ。彼女達は大抵三人で行動していたが、今日はリーダーらしい少年が見当たらない。


 声を掛けると、黒髪の方が猫を思わせるような警戒した表情でわしをしばらく見つめ、少し時間を空けてから、こくりと小さく頷く。



「今日はケイト君はいないんだな」

「ケイトはウルクの治療。薬師だから」

「こりゃ驚いたな。薬師! あの兄さんは若いのに本当に凄いな」



 あの少年は腕がいい戦士だと思っていたが、知識の方も豊富らしい。礼儀もしっかりしているし、貴族の出自なのかもしれない。いや、それにしては偉ぶらなさ過ぎる。

 本当に不思議な少年だ。



「ん、ケイトは凄い」



 わしが本気で驚いていると、目の前の表情の少ない少女は、自分が褒められたように少しだけ照れくさそうに頬を染めて、視線を外していた。


 そんな少女を見ながら、ふと以前、早朝にその少年と話した時の事を思い出す。



「そう言えば、わしは前にケイト君にクラストディールの話を聞いて絵を描いてもらったんだが、嬢ちゃん達から見て、あの魔物はどうだったんだい?」

「悪趣味な化物」



 黒髪の少女が嫌そうな顔で短く即答し、銀髪の獣人は難しい顔で腕を組んで唸りながら悩み込んでから口を開いた。



「うねうねぐちょぐちょガチガチ?」



 わしにはさっぱりわからんが、黒髪の少女は獣人の言葉に同意するように頷く。

 中で掃除をしているアルなら理解出来るのだろうか。



「ふむ……しかし、ケイト君の話と一致せんなぁ」

「ケイトは何て言ってたの?」

「確か。巨大で格好いい魔物だったと。二度と会いたくはないとは言ってたが」



 不思議そうに聞いてきた銀髪の少女に、わしは先日の出来事を思い出しながら正確に答えた。それを聞いた二人は理解できないといった複雑な表情で顔を見合わせる。


 そんな二人を見て、わしは名案を思い付いた。



「そうじゃ! 二人にも絵を描いて貰えんかね。昼まで時間はまだまだある。嬢ちゃん達に時間があるならだが……食費はそれでタダにしようじゃないか。最高のを作らせて貰うよ」



 手を一つ叩き、笑いながらわしがそう提案すると、二人は頷く。

 やってくれるらしい。これで、わしの店の目玉が増える。食費などは安いものだ。



「おおっ! やってくれるか。じゃあ、店の中で描いてくれ。画材は用意する」

「ケイトは絵は下手。私の方が上手い」

「何だか面白そうね」

「さあさあ、中にどうぞ。飲み物も出そう」



 すっかりやる気の二人の背中を押すように店の中に案内し、わしは画材を用意するために自室へと戻った。年甲斐無く、胸を高鳴らせながら。



 自室に戻るとわしは、使い込まれた自信の画材の準備をテキパキと進めていく。


 若い頃には画家を目指したこともあるわしは、趣味で絵を書き続けており、紙と絵の具は切らせたことがない。幸いピアース王国は製紙技術が他国より多少進んでいるらしく、比較的に安価に手に入るのは有り難い。


 画材を両手に持って出来上がる絵を楽しみにしながら食堂のテーブルへと戻ると、二人の少女は用意したケイト君の描いた絵を険しい顔で見つめていた。

 その鬼気迫る様子に軽い不安を覚え、眉をひそめて思わず問い掛ける。



「む、どうかしたかな?」

「ん……変」

「下手じゃないんだけどなぁ。ケイトはもしかして眼が悪いのかしら」



 どうもケイト君とは話だけではなく、絵の方でも彼女達は意見が違うらしい。



「飲み物をお持ちしました」

「ああ、アル。彼女達に。料金はもらわなくて構わない」



 アルは頷くと二人に果実水を配り、お盆を両手で胸に抱え、ケイト君の絵を見ながら楽しそうに微笑む。



「クラストディール、格好いいですよねっ! 兄さんからお話、沢山聞きました」

「そうか。ウルクも戦ったんだったか」

「はいっ!」



 短めの赤毛を揺らしながらアルは誇らしげに元気に頷く。 



「ウルクの妹……髪の色が違うわね。私達がお世話になってるところの人かな」

「私達もクラストディールと戦った」

「ええ! そうなんですかっ! 同じくらいの年に見えるのに。そ、それで、兄さんは実際にちゃんと戦ってました……よね?」



 感嘆の声を漏らし、縮こまってお盆で口元を隠し、聞きにくそうにアルは二人に質問した。

 ウルクはお調子者で口数が多いから、信じていても何処まで事実なのかわからないのだろう。楽しませるという意味ではあいつの話はいいのだろうが。



「ウルクがいなければ無理だった」

「まあ、そうよね。船を手足のように動かしてたし」

「ですよね! よかったぁ。さすが、兄さん……」



 嘘を吐いているようには見えない。

 ただ、黒髪の方は少し嫌そうに見えるし、銀髪の方は仕方なさげに見えるが。


 アルはそんな彼女達の答えに嬉しそうに、安心したように息を吐く。

 そんな彼女に銀髪の方が、からかう様な笑みを向けた。



「あんた、もしかしてウルクが好きなの?」

「えっ! そ、そ、そんなこと! 兄ですしっ! 頼りないし情けないから心配で!」



 顔を真っ赤に染めているアルの肩を叩いて、仕事に戻るように指示し、やれやれとわしは頭を掻く。死んだ女房もこういった話は好物だったな、と懐かしく思いながら苦笑して。



「画材は好きな物を使ってくれ」

「わかった」

「任せて。こういうの一度やってみたかったのよね」



 二人は頷いてそれぞれ木炭を手に取る。

 銀髪の方は完全な素人だが、黒髪の方はいい手付きをしていた。期待は出来そうだ。


 わしは出来上がりを楽しみにしながら、彼女達に最高の食事を振舞う為に厨房へと戻ることにした。



 昼食前には彼女達の絵も出来上がり、わしはそれを受け取って、代わりにご馳走を振舞うと、彼女達は満足そうな表情で店を後にした。


 性格は全然違うにも関わらず、二人の仲は良さそうで、どことなくその背中は楽しげだった気がする。


 そして、目が回るほどに忙しい一日の仕事を終えると、わしは自室で三枚の絵を机に置き、細かい物を見る為の眼鏡を掛け、腕を組みながら頭を悩ましていた。



「これはどういうことだ」



 少女達が考え込んでいたのも無理はない。

 ウルクもケイト君の描いた水龍の絵を見て、クラストディールはこれだと言っていた。


 だが彼女達の絵は全く異質な何かだ。

 無数の蛸のような足と亀のような甲羅を持ち、歪んだ大きな顔を水面から出して湖面で暴れまわっている。凶悪で悪夢を具現化したような不気味な絵が描かれていた。


 黒髪の方の絵は本人が上手いと言うのが頷ける程に正確で、湖面や水飛沫の精密さ、浮かび上がるような見事な彩色を見る限り、偽りを描いているとも思えない。


 銀髪の絵ははっきり言えば子供の描く絵くらいの実力だが、黒髪の絵の魔物を描いているのだということはわかる絵だった。


 彼女達が正しいということは、あの誠実そうな少年が嘘を言っている?



「いや……」



 長い付き合いの人が良くてお調子者の神官を思い浮かべる。

 彼もケイト君の絵が正しいと言っていた。


 それは同じ考えに基づくものなのかもしれない。



(クラストディール、格好いいですよねっ!)



 うちに住み込みで働いている赤毛の少女の言葉。



「そうか。そういうことか」



 不気味な魔物を精密に描いた絵を両手に持ち、思わず小さく笑って呟く。

 夢に出そうな邪悪。恐らくはこれが『真実』なのだろう。


 わしは大きな紙に『クラストディール』と大きく描き、その紙で彼女達の描いた二枚の絵を大事に包み、絵を収納している箱の一番奥へと仕舞う。


 この魔物……邪悪な怪物は確かに『真実』。

 だが、果たして『真実』が明らかになったとして誰が得をするのだろう。


 子供達やクラストディールを畏敬している船乗り……それらにとって楽しい話は邪悪で醜悪な魔物退治ではなく、幻想的だが恐ろしい魔物を相手に勇気を持って立ち向かう話だろう。


 絵として飾るにも、ケイト君の絵の方が客も喜ぶに違いない。

 あの少年はそこまで考えてくれていたのだ。



「年齢通りとは思えないな。年寄りに気を使いすぎだ」



 苦笑いしながら眼鏡を外して一枚だけ残されたケイト君の絵を額へと入れ、蝋燭を持って明かりを消した食堂まで歩くと、その壁に彼の描いた水龍の絵を掛ける。



「よし……しかし、ウルクもアレと戦って笑いながら話が出来るとは……図太いな」



 自慢げで楽しそうにアルに話していた青年の姿を思い出しながらわしは食堂を後にし、今日のところは寝ることにした。『真実』のクラストディールが夢に出ないことを祈りながら。





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