第三十二話 港街の復活
貿易都市エールは蘇った。
いや、本来の姿を取り戻したと言うべきだろうか。
「煩い」
「何だかお祭りみたいね」
人混みが苦手なクルスが苦々しく顔をしかめ、シーリアはあたりで賑やかに行われている取引を好奇心に溢れた表情で眺めている。
間近に近付いた協定の再開に向けて、貿易を生業としている商人達が失われた利益を取り戻すために、躍起になっているのかもしれない。
「おい、小銀貨2枚と銅貨25枚は高すぎるだろ!」
「底値に近いよ! 相場くらい知っとけよ!」
子供と言ってもいいくらいの少年が出している露店ですら、眼がぎらついた男達が集まり、必死の形相で値段の交渉を行っている。
この時まで彼等は必死に我慢し、儲けるための準備をしていたのかもしれない。
商人の中には、初日に喧嘩を売られていたディラス帝国出身の錆色の髪をした青年の姿もあった。何だか楽しそうに客と話込んでいる。
「そこの少年! あんたもうちの商品見ていってくれよ!」
俺の視線に気付いたのか、青年は自分の露店の方に全力で手招きしてきた。
エールの住人との問題も外交の正常化と同時に解消されたようだ。
「何を売っているの?」
「色々あるが、一番はこれだ! ディラス帝国で大流行りのアライドの香水さ。ピアースじゃ作れない代物だから使ってよし、売ってよし! 質もいいんだぜ?」
「アライド?」
どうやら彼は俺達のことを覚えている訳ではないらしい。
青年は精悍な顔立ちに満面の笑顔を作り、不思議そうな表情をしているクルスに元気に商品の説明をしている。
アライドは南方でしか生育しない実で柑橘系の香りがするらしい。
都会で育ったからか割とお洒落なシーリアとは違い、クルスがこういう物に自分から興味を持つのは珍しく、何だか微笑ましい感じがする。
彼女は小瓶を手に取らせて貰い、香りを確認した後、いかにもしぶしぶと言った感じで元の場所へとゆっくりとした仕草で置き直す。
「それ、貰うよ」
「本当かっ! いやーありがとう! そうこなくちゃね」
商人が指定してきた金額を言い値で支払う。
恐らくは割高なのだろうが、護衛の報酬のお陰で金には全く困っていない。
クルスの曲がった武器の代わりや三人分の防具や旅道具も新調したいので、仲間の共同資金からは出せないが、俺個人として出すなら問題無いだろう。
「……いいの?」
商人から渡された可愛らしい装飾がされた小瓶を、クルスは大事そうに両手で持ち、少し顔を赤らめて上目遣いで俺を見る。
「今回は随分助けられたしね。それにクルスには似合うんじゃない?」
「ありがとう」
「あー、いいなぁ。ケイト、私も頑張ったのよ?」
シーリアはわざとらしく残念そうに肩を竦めた。
本気ではないのだろう。顔が笑っている。
「あ、クルス。後で香水の使い方教えてあげる! あんたもこういうの気にするんだなぁ……ふふっ、いいことね」
左手で頭を掻いて苦笑しながら、楽しそうに尻尾を振ってクルスに絡んでいるシーリアを眺めていると、ディラス帝国出身の青年は、商人らしい愛想笑いを浮かべながら肩を叩いた。
「いやーやるねぇ。少年、この革袋はおまけにしとくよ」
「有難う。随分売れているみたいだけど、ディラスの人だと大変だったんじゃない?」
初めて訪れた時の暗さなどまるで感じない街の様子を見回しながら、俺は緊迫した状況に追い込まれていた青年に敢えてそのことを聞いてみた。
だが、俺の質問に彼はにぃ……と口の端を少しだけ歪めて不敵に笑う。
「確かに危なかったがお陰でディラス人は殆ど逃げたからな。商売敵のいない今が商売の大チャンス! てなぁ。いやぁ~誰か知らないけど、本当やってくれたよ! 手作りの細工も準備出来たし」
「商売人だね。お兄さんは」
集団で殺されるかもしれない。そんな中でも逆に商売に活かすことを考える。
印象が戻るまでは大変だったろうが、彼は根っからの商人だったらしい。
「最高の褒め言葉だな。ふふん、俺はエーリディ湖で一番の商人に絶対なるから贔屓にしてくれよな」
「それなら次に利用するときは安くしてね」
手を腰に当てて自慢げに胸を張る錆色の髪の青年に俺は苦笑を返す。
「少年も頑張って儲けろよ。あ、心配ないか、美人の嫁さんが二人もいるくらいだし」
「冒険者としての仲間だよ」
ピアース王国は一夫一妻だが、ディラス帝国は違う。
この世界にもいろんな国があり、それぞれの国に異なる風俗がある。
言葉は同じなのに不思議なことだ。
そういうことを調べるのも旅の目的。きっと楽しいだろう。
少しクルスとシーリアが不満げだが、此処では許して欲しい。
俺達は目立つし、知っている者の目もあるはずだから。
「そうか、じゃ、お前さん達の旅の幸運を商売の神に祈ってるぜ。あ、タダでな」
「それは得したかな。ありがとう」
客が次々と来ていたので、俺達は青年と笑いあって手を振り、別れを告げた。
商人の青年と別れた後、俺達は港を歩くことにした。
今日は特に目的があるわけではない。
水の神の神官、カリフに本物のエールを是非見て欲しいと言われ、散策をすることにしたのだ。それを俺達に伝えたカリフは誇らしげで、街を愛していることがよくわかった。
確かに価値はあった。街は活気に満ち、商人達は唾を飛ばしながら熱気に溢れる取引を行い、そんな彼等を客にするべく、芸人や美味しい食べ物を売り出す店が路地を埋め尽くす勢いで開かれている。
俺達が島から戻るまでのエールの姿とそれはあまりに掛け離れているものだった。
城塞都市カイラルとはまた違う、生きた街の姿がそこにはあった。
「うーん、ちゃんと冒険者したって感じよね」
岸辺に立ったシーリアは湖から吹き込む暖かい風を浴びながら腕を空に向けて身体を伸ばし、清々しいという形容がぴったり似合う表情で此方に振り向いた。
昼過ぎの太陽の光が彼女の銀色の髪に反射し、彼女を更に明るく見せている。
「さて、どうかな」
この街に来てからの激動の日々に思いを馳せ、色々と考えた上で短くそう答える。
貿易都市は蘇った……その達成感は確かにある。
巻き込まれたことが切っ掛けだが、確かに俺達も少しは今のエールの姿に戻す貢献が出来たことは間違いない。伝説に残る魔物を倒し、協定の会議を護りきった。
胸から沸き上がる感動はあったが、素直に喜んでいいものかを俺は悩んでいた。
今回の件の解決は、その殆どはカリフや貴族達、そして、それに関わる多くの平和を望む人々の努力の結果なのだ。
だが、シーリアはそんな俺を見て笑う。
「こういう気分も私達の報酬なんだから、喜ばないと」
「そういうものかな」
目を細めて、今いる場所から少し離れた港を眺める。
水夫達が声を掛け合いながら、大型の船に荷物を積み込み、詰め込む荷物を用意する積載物の置き場には次々と倉庫から荷物が運ばれていた。
船主と交渉している商人や、見物人などもいて、随分以前よりも騒がしい。
清掃している船も多く、準備は着々と進んでいるようである。
色々とあったが最後は積極的に自分から行動したのだ。
ならばシーリアの言うとおり、現状のエールになったことが嬉しいのなら、相応に喜んでいいのかもしれない。
「シーリアの言う通りかもしれないね」
「たまにはいいこと言う」
幾分すっきりした気分で俺はシーリアに同意し、クルスも小さく頷く。
命の危険は数多く、謀略に晒され、本当に大変な目にあったが、終わってみれば良い経験だったと素直に思うことが出来た。
『聖輝石』を持つ以上今後も間違いなく厄介事に巻き込まれるのだろう。
アリスはまだ生きているし、『呪い付き』の頭であるジューダス・レイトは全く懲りずに面倒なことを考えて蠢動するに違いない。
兄やホルスと争うこともあるかもしれない。
だが、生きている限り困難から無縁には生きられないのだ。
それなら、シーリアの言うように困難も楽しかったと思えるように、頑張った方がいいのかもしれない。当然危険は排除しなくてはならないが……。
後悔しないように生きる……子供の頃に決めた方針だが、存外に難しい。
「ま、これからも大変なことばかりだと思うけど、二人とも頼むよ」
「任せて。ケイトは私が護る」
「望むところよ!」
クルスが静かに微笑み、シーリアは明るく笑う。
二人が居てくれれば困難に合っても、楽しく前向きに乗り越えて行けそうだ。
俺も二人を守りたい。
もっと色んな強さを身に付けなければ……俺はそう考えながら、二人に力強く頷いた。